第12話 記憶・神の口付け
「蒼玉か? どうしたんだ、こんな昼に」
王宮から町に続く門に来た蒼玉の姿を、丁度昼の交代で現れた統星が気付いて声をかけた。そう言えば、彼に会うのも闇王都に来て以来だ。修行に夢中になると、蒼玉は
「今日の訓練はもう休むように言われていたので、久し振りに六星に会いに行こうかと思いまして」
「そうか。六星は、今日は丁度夜岳にいる。さっき飯屋の前で見かけたから、そこへ行くといい」
城下町へ出ると、蒼玉は統星に教えられていた広場に向かい、飯屋の看板を探した。飯屋は今昼なので、多くの人が飯屋の中へ入っていく。その人に流されるように店内に入ると、蒼玉は六星の薄花色の髪を探した。
「六星!」
探していたその姿を見つけると、蒼玉は嬉しそうに少し声を上げて彼が座っている机へと向かう。声をかけられた六星は考え事をしていたのか、名を呼ばれるとはっと我に返った様で辺りを見渡す。
「蒼玉か」
声の主を確認すると、六星は笑みを返して手招きをした。蒼玉は誘われるまま、彼の正面の席に腰を落とした。
「あの日以来顔を見せないから、風の国に帰ったのかと思ったが……何だか、強くなったみたいだな」
六星の前には、もう冷め始めた熱燗と干し魚を炙ったものが置かれていた。どちらにも、あまり手を着けていないようだった。
「訓練が楽しくて、夢中になっていました……あ、鹿の煮込みと麦ごはんを」
注文を聞きに来た店主に、蒼玉はそう話しかけた。北の方の国の味噌が口に合ったのか、蒼玉はよく味噌の味付けの物を好んだ。
「最近は女遊びしないと思っていたら、こんな別嬪捕まえて。この果報者め――煮込みと飯な? はいよ、了解だ」
店主のオヤジは六星にそう声をかけてから、蒼玉に笑いかけると厨房へと向かう。女遊びと聞いて、蒼玉はきょとんと眼の前の六星を見つめた。彼も男だ、そういう欲望もあるのだろう。だが、なんだか蒼玉はもやもやとした感情が芽生えて、眉を寄せてしまった。
「莫迦、俺は女遊びなんてしねーよ! 熱燗と、俺も鹿の煮込み!」
「はいはい」と、店主は厨房から出ずに返事だけ返してきた。目の前の蒼玉が何だか睨んでいるように見えたので、六星は軽く咳払いして話を変えた。
「飯食ってこなかったのか?」
「あまりにも修行に時間を費やしてしまってしまい、師範に昼から休むように言われてしまいました。丁度昼だったので、六星と一緒に食べれればと来ましたが――邪魔でしたか?」
「そんな訳ねぇだろ、来てくれて有難うな」
六星は手を伸ばすと艶やかな蒼玉の髪を撫でて、笑みを深くした。その笑みに蒼玉が、何処かほっとした表情を浮かべた。厨房から出てきた店主が熱燗と一緒に持ってきた、お茶が入った湯飲みと温かい手拭いが蒼玉の前に置かれる。その暖かな手拭いを掴んで、ようやく蒼玉は落ち着いて椅子に体を預けた。
「訓練が楽しいなんて、相変わらず蒼玉は真面目だな。けど、本当に覇気が違うな」
加護が強くなれば、己が纏う『気』と呼ばれるものが変わってくるのだという。蒼玉は自覚がなかったが、訓練に来た時の彼を知っている六星には随分変わったように見えた。真面目に頑張って、蒼玉は強くなっているのだろうと六星には分かる。
覇気を感じる者は、その形容しがたい『気』を、見たり嗅いだりして分かるそうだ。六星は、見て分かる方らしい。
「沢山術を教えて貰いました。加護の術もいくつか――そうだ、魔獣討伐訓練に行けるんです!」
蒼玉が、嬉しそうに瞳を輝かせて六星に報告する。どこか頼りなげだった彼の成長が嬉しいのか、六星は蒼玉の言葉に笑顔を浮かべて頷いた。
「そうか、そりゃいい訓練になるな――って、今の時期だったか?」
氷連地で魔獣を狩っている六星は、今の訓練生は蒼玉が来る前に連れ立って討伐に来たのを思い出して、小さく首を傾げた。
「今回、召喚士と忍術士の王族の訓練生の魔獣討伐のお供で行くんです。王族の方は、一般訓練生とは別に行かれると聞きました」
蒼玉はふと気が付くと、熱燗の瓶を持つとまだ酒に手を出さない彼に、注ぐ素振りを見せた。
「おっと、すまねェ。へぇ、今回は――ああ、第三王子と第二王女か。そんな年頃だったな」
六星は慌ててお猪口を手にして、蒼玉に酒を注いで貰った。温かい湯気と甘い酒の香りが鼻をくすぐる。それは、六星の家で一緒に寝た時に六星から漂った、あの香りと同じだ。蒼玉は、ふと気恥ずかしくなり視線を落とした。
「しかし、奇遇だな。お前を連れてきた時に王宮内に案内してくれた、火の加護の兵士がいただろう?」
「統星さんですか?」
「さっきも会いました」と笑う蒼玉に、六星は頷いた。
「ああ、そう、統星。飯屋に入る前に、少し話したんだよ。氷連地に行く用事が出来た、ってな。多分彼奴も付いて行くんだろ」
「兵士の守護師と、呪術師をもう一人手配すると聞きました。守護師は統星さんなんですね、少し安心しました」
酒を喉に流すと、六星は冷えてしまった炙り干物を
「おいおい、俺より統星が良いっていうのか?」
「そんなこと言ってませんよ! 王族のお供なんて大役、緊張しているんです」
今度は六星が蒼玉を睨んだので、蒼玉は慌てて首を振った。
「しかし――第三王子ねぇ……蒼玉、お前さん呪術師の使い手に気に入られてるみたいだな? 今は――誰だったっけ?」
浮かない顔を見せた六星だったが、ふと蒼玉をまじまじと見つめた。王族のお供に選ばれるには、普通家柄か資質で選ばれることが多い。資質で選ばれただろう蒼玉の能力は、使い手にとって自慢なのだろう、と六星は思った。
「三号四様という、女性の使い手様です」
「三号四……もう、三号なのか。そうか――内戦が起きた時に、使い手もたくさん死んだな」
六星は使い手の名を聞くと、どこか遠くに思いを馳せる様に瞳を伏せた。今回の内戦が起こったのは、約十八年近く前。現国王の側室の安曇が第一王子を懐妊した頃に、王の弟である
「その頃、六星はまだ幼かったのでしょう? ――辛い記憶ですね」
蒼玉には、戦乱の中生きてきた六星の辛さを計り知れない。そう声をかけられた六星は瞳を開いて、向き合った蒼玉に何かを言おうとして――だが、口を閉じて静かな笑みを浮かべた。
「昔の話さ。それに、また戦いが始まるかもしれないしな」
倶留守元宮は、諦めていない。六星はそう言っている。この地にいる限り、蒼玉もその戦いに巻き込まれるかもしれない。だがしかし、蒼玉には人同士が争うなど現実味がない。
「けれど、『神の口付け』が現王にある上に、もし崩御されても王位継承権のある何方かにその『神の口付け』が移るのではないのですか? 倶留守様は王位継承権が剥奪されているので、確実に次の王になれるとは思えないのですが……?」
『神の口付け』とは、各国の創建の時にまで遡る、神から与えられた『王位』の証だ。まだ神々が、二手に分かれて戦いを起こす前。神の試練を耐え抜いた一族の長の左手に、神は褒美として口付けた。すると、その神の守護する花の紋章がその手の甲に浮かび上がり、長は王と認められて領地を与えられたのだ。
その神の花の紋――夜岳では
瞬湊村で今も育っていたなら、蒼玉は王家のそんな儀式も知らなかった筈だ。しかし、王宮の傍で暮らしていると、自然と王族の習わしなども耳に入ってくる。特に、今は内戦中の王宮だ。噂付きの侍女が、よく話しているのを耳にした。
「まあ、策はあるんだよ」
今度は手酌で酒を注ぎ、六星は嫌そうに眉を寄せて言葉を続けた。
「『神の口付け』がある王の手の皮を剥いで自分の手に被せると、その人に痣が移るんだよ。王位継承権がある誰かに移る前に、手に張り付ければ王族以外でも王になれる」
蒼玉は、その言葉に唖然として六星を見返した。
「それは――」
何とも野蛮で、恐ろしい事か。だから、王の傍には必ず使い手が控えているのか。ただ国政を共に考える仕事を担っている訳ではなく、『王位を奪う事のない』使い手が王には必要なのだと。そして、だからか、と蒼玉は納得した。彼の国にある習わしの一つである、『
「どうした? 神妙な顔して」
お猪口を置き、六星は怪訝そうに蒼玉に尋ねた。蒼玉は、『両翼の翼』という習わしを六星に説明をした。それを聞いた六星は、納得したように頷く。
「『神の口付け』を奪う事を知らなきゃ、そんなに重みのある言葉じゃないな。使い手は人間とは違うが、同じように感情がある。黒曜王に心酔していたからこそ、使い手はそんな言葉を王に言わせたんだろうな」
しみじみと呟き、六星は空になったお猪口に酒を注いだ。
「王族の争いで、民が苦しむのは間違ってるな――まァ、神だって争った歴史がある。その時も大勢の使い手や精霊、人間が犠牲になったらしい。何時も苦しむのは、その辺の人間さ」
蒼玉は暖かいお茶を口にした。話の内容の重さが、少し二人の空気を落とした。だが、六星は直ぐに笑みを浮かべた。
「しかし、風の国にはそんな習わしがあるんだな。どうだ? 俺と両の翼になるか?」
「体に彫るんですよ、簡単に決めては駄目なんです!」
二人が賑やかな声を上げだしたころ、ようやく鹿の煮込みと麦飯と漬物が机に並べられた。
「何だァ? 今日は、えらく手間取ってんな」
銚子を横に置きながら、六星は料理が置けるように机を広く開ける。飯屋は人が多く、厨房は忙しそうだった。
「嫁さんが、今日は熱出しちまってな。子供も二人手伝ってるが、忙しいんだよ」
遅くなってすまねぇ、と料理を置いたオヤジはまた厨房に向かった。よく見れば、まだ幼い白童子が二人お茶を運んだりしている姿が見えた。その姿は、かつて故郷の飯屋でも見た光景だ。下の子である藍玉の幼馴染の家が、飯屋だったのだ。もう、思い出すのも少なくなってしまった、風の国の瞬湊村。みんな元気にしているのだろうか。
「初めて会った時も――あれは水の国の方だったが、味噌煮込み食ってたな。よっぽど気に入ったのか?」
箸を手にすると、湯気が上がり熱そうな鹿の肉を
「はい、なんだかあの時食べた美味しさが忘れられないんです」
それは、六星と食べたからかもしれない。蒼玉はそう思ったが、口にはしなかった。それを彼に知られるのは何だか恥ずかしいし、言わない方が良い気がしたのだ。
箸で鹿の肉を摘まみ、温かいうちに口に運ぶ。すると、少しピリッとした辛さと深い味噌のコクが口に広がった。蒼玉は笑みを零した――やはり、彼と食べるのが一段と美味しい。
「門限迄、自由にここに居れるんだろ? 気晴らしに、今日は町で遊ぶか」
「はい、是非」
微笑む蒼玉を改めて見て、六星は満足そうに笑った。
「よく飯も食ってるみたいだな。痩せすぎだったが、今は健康そうで安心した」
「村で農作業をしていた時より、食べる量が増えました」
二人は仲良く食事をして、ようやく人が少なくなってきた飯屋を後にした。
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