第11話 記憶・修行と休息

 朝、すっかり体の疲れが癒された蒼玉は、早々に目が覚めて寝台から体を起こした。六星の家で休んだのと闇王都に着いて与えられた部屋で眠れたことで、安心して体が休められたようだった。朝はやはり冷え込むが、晴れた太陽の光は気持ち良かった。

 歯磨きと顔を洗いに行った帰り、廊下で蛍がきょろきょろと辺りを見渡している姿を見つけた。蒼玉は彼女に歩み寄り、声をかけた。

「おはようございます、蛍さん」

 声をかけられた蛍はびっくりしたように身を竦めるが、それが蒼玉だと分かると安心したように笑みを浮かべて頭を下げた。

「おはようございます、蒼玉様! 昨日お話していたものを持ちしました」

「え?」

 てっきり店屋に案内してくれるのとばかり思っていた蒼玉は、蛍の言葉に驚いたように瞳を丸くした。

「あの、私あまり縫い物が上手じゃなくて……婆様に教えて貰いながら縫ったので、あまり綺麗ではありませんが………申し訳ありません」

 手にしていた小さな袋を、蛍は恥ずかしそうに蒼玉へ差し出した。その手には、確かに少し歪んでしまった形の、首から下げられるように紐が付いた小さな袋が乗せられていた。落ち着いた藍色鳩羽あいいろはとば色の布で作られた袋に、牛革の紐だ。

「蛍さんが作ってくださったんですか?」

 その袋を受け取った蒼玉は、持っていた鍵を入れてみる。余裕がまだあるので、安曇の根付も問題なく入りそうだ。布は何とか手に入っても、牛革を王宮にいる下女が手に入れるのは大変ではないのか、と蒼玉は不思議に思った。

「昨日の夜蒼玉様が私達の部屋に来て下さった時に、皆蒼玉様の優しさに感動して布や紐を探してくれたんです。私達、蒼玉様の為に頑張って用意しました。使ってくださると嬉しいです」

 優しいのは彼女達の方だろうと、蒼玉は何とも表現できぬ感謝の想いに胸が震えた。

「……有難うございます、大事に使わせて頂きますね。お礼は……」

 蒼玉はお金を出そうとしたが、蛍は首を振った。

「余った布と紐で作らせていただいたので、気になさらないでください。蒼玉様が使ってくださったら、それで私たちは満足です」

「それでは、お言葉に甘えていただきます。本当に有難うございます、蛍さん。皆さんにもよろしくお伝えください」

「はい! では、私はこれから仕事がありますので。訓練頑張ってください!」

 頭を下げる蒼玉に、蛍は笑みを深くして同じように頭を下げるときびすを返して小走りで仕事に戻った。蒼玉はその後ろ姿を見送り、部屋に戻ると根付を取り出して鍵と同じその袋に仕舞うと首から下げて戦士服に着替えた。



 戦士や己の体を武器にする戦闘系の訓練生は、六つ時前には起きて王都の周りを走り込むらしい。それから道場に戻ると、筋肉運動をしてから朝餉を摂るとの事だ。蒼玉の様に呪術師や召喚士は、彼らが体を鍛えている頃に起きて先に朝餉を摂り、道場の近くの座学を学ぶ座敷へと向かう。蒼玉もそれに倣って、朝餉を頂くと移動した。

 蒼玉以外はもうずいぶん前から来ているので、彼らは覚えた詠唱を暗記する訓練を早々に終えて己が加護に近い場所で瞑想して精神力を伸ばす。

 呪術師の他の訓練生はもう自発的に訓練を始め、人が少なくなった座敷の中昨日会った師範となる三号四は、蒼玉が座る板の間に前に同じように腰を落とした。

「さて、先ずはあんたの今の能力を教えて貰うよ――手を出して」

「はい」

 言われるまま、蒼玉は両手を彼女に差し出した。三号四はその手を握ると、瞳を閉じる。

「ふむ……あんたは、闇の加護が大変強いね。強い戦士になれる。精神力も、訓練を積めば今よりもっと伸びる様だ。それに……『闇の眼』を持っているんじゃないかい?」

 その言葉に、蒼玉は驚いたように瞳を見開いた。ただ手を握っているだけで、そこまで知れる使い手の能力に驚いていた。

「はい、亡くなった方の姿が見えて……話が出来ました」

「それに、……『魂の伴侶』かい。こんなに珍しい人間、私は初めて見たよ」

 『魂の伴侶』は、水の神がごく僅かの人間に与える絆だ。詳しく知らないそれを聞こうとする蒼玉に、三号四は先に口を開いた。

「蒼玉よ。時間は大きな川の様に流れていくもの、流れを止める事は神にしか出来ない。そして、人間も使い手も他の精霊や魔獣も、神に与えられた時間という川の中で産まれて流され生きていく。あんたは、幸いにも神という大きな存在から沢山の能力を与えられた。だがしかしそれは、あんたには辛く厳しい時間を生きなくてはいけないという、この世での修行が厳しいという事でもある。生きていけば、その能力を活かせる時が自分で分かる。いいね? 自分と神を信じなさい」

 黒橡の瞳を開けると、三号四はそうはっきりと蒼玉を見つめて彼に言い聞かせた。蒼玉は三号四の言葉を口の中で繰り返し、聞きたい事は沢山あったが『必要な時にその意味を知れる』と理解して頷いた。

「闇の子は、人間を嫌っているが愛しくも思っている。気難しい仔猫みたいな神だよ。そんな神の能力を、あんたは沢山貰っている。その恩恵を存分に使える様にここで鍛えて、強くなりなさい」

「分かりました。教えて下さることを、漏らさず覚えて強くなります」

「風の国から、ここまで来たんだ。あんたが強くなることは、その意志でも分かっていたよ」

 ふと、三号四の表情が和らいだ。蒼玉も美しい笑みを浮かべた。



 そうして始まった訓練だが、先ず師範にいくつか詠唱を教えられて、その意味を理解する事から始まった。意味を知らなければ、術が半端で曖昧になる。蒼玉は暫くの間午前は座学室で詠唱を繰り返し呟いていた。そうして昼餉になると食堂に向かい肉や魚が沢山盛られた、栄養価が高い食事をとる。食事休みは二刻ほどの時間があるので、食事がすめば訓練生たちは休んだり自由にやりたい事をして時間を潰す。それから、午後は主に精神力を増やす瞑想と加護を深める訓練になっている。

 蒼玉の加護は、つややかな髪と惹きこまれそうなその美しい濡羽ぬればの瞳が表すように、闇だ。訓練所の裏手に、王宮内であるが人工の洞窟が作られている。いざという時の避難通路にもなるので、意外と奥が深い。その中で少し広い場所があるので、闇の加護を受ける者はここで座禅を組み瞑想する事が出来た。灯りの呪術を使うか蝋燭を持たねば、漆黒の闇が広がっているここでは何も見えない。辺りの音も遮断されていて、瞑想するのにはうってつけの場所だ。


 丁度蒼玉が夜岳に来た時は、魔獣討伐訓練が行われた後だった。これは訓練の一環で、訓練生が何人かの集団に分かれて魔獣を訓練生だけで倒すのだ。師範達は同行するが、余程の事がない限り手は貸さない。過去には死亡者も出たが、全滅しそうになるまで使い手達は手を貸さなかったそうだ。これは国によって違うのかもしれないが、闇の国では「討伐訓練までに魔獣を集団で倒せるように教えている」と、自信があるからだという。

 蒼玉は夜岳に来るまでに、二体以上の魔獣と対峙した。積極的に討伐の役には立てていなかったが、生き延びて来れた事が重要だと師範に教えられた。

「魔獣と対峙して、それで生きられたのなら魔獣の事を少しは勉強出来ただろう。次に対峙した時、どう動けばいいか次第に分かってくる。だから、先ずは生き延びる事が大事なんだよ」

 三号四は、座学室で蒼玉にそう教えた。季節外れの青梅の実をざるに抱えた師範は、ため息を零していた。知り合いの下級使い手に梅を押し付けられたので梅干を作るしかないとぼやく彼女は、そうして意外な事を口にした。

「少し先だが、王族の訓練生が魔獣討伐訓練に向かう。蒼玉、あんたもお供しなさい」

 言われた言葉の意味が、一瞬理解出来なかった。しかし、接触したいと思っていた王族と出会えると分かると、蒼玉は唖然とした。

「私が、お供してよろしいのでしょうか……?」

「ああ、今回の王族の訓練生は、召喚士と忍術士なんだよ。適任の守護師は見当たらなかったから兵士を用意するが、呪術師は二人必要と言われた。私は、あんたを推しておいた」

 これは、まさに好機だった。普段なら断りの言葉を口にする蒼玉だったが、緊張を滲ませながら彼は頷いた。

「承知いたしました。それまでに、もっと修行を頑張ります」

「いい機会だから、攻撃系をもっと手数に入れた方がいいね」

 明日から新しい術を教えるよ、と師範は小さく笑った。まだここに来て間もないが、師範とは馬が合い蒼玉の能力は格段に上がっていた。

「ところで三号四様、蜂蜜はお持ちじゃないですか?」

 梅を抱えている彼女に、蒼玉は話を変えて話し出した。

「蜂蜜かい? 売るほどはないが、回復用にある程度は持っているよ」

「それなら、甘梅を作られてはいかがでしょうか?夜岳では見かけませんが、私の故郷ではよく作っていたものです」

 蒼玉が故郷の事を話すのは珍しい、と三号四はざるの瑞々しい青梅を一つ摘まんだ。狂い咲きの花に、季節外れの実が付いたのだろうか。

「甘梅とは、聞かないね」

「蜂蜜が貴重な夜岳では、あまり作らないのでしょう。疲労回復にもなりますし、梅干よりは師範の役に立つと思います」

 三号四からざるを受け取り、蒼玉は村長の家で食べた甘梅を思い出す。そんなに昔の事ではないのに、風の国の記憶がもう思い出に変わりつつあった。

 青梅を綺麗に井戸で洗って乾かすと、竹串で梅に穴をあける。そこで小さな樽に詰めて蜂蜜で漬ければよいのだが、村長の家では甘みを増すために塩を微妙な塩梅で加えていた。

「今は如月ですので、弥生か早くとも卯月の初めには食べられると思います。とても美味しいですよ」

「次の訓練生が来る頃には食べごろかい。楽しみだね、有難う蒼玉。梅干には飽きてたんで、これなら青梅も歓迎だよ。一緒に味見しておくれ」

 まさか訓練生に教わる事があるとは、と二人で笑った。

「今日は、少し休みなさい。あんたは真面目過ぎるから、昼から自由に過ごすといい」

「え?」

 蒼玉が反論すると分かっていたのだろう。それだけ言い残した三号四は、青梅が入ったざるを手に早々と自分の部屋にそれを仕舞いに立ち去った。

 残された蒼玉は、確かに必死になって訓練していた自分の姿を思い出して、ため息を零した。そうして、あれから六星に会っていない事も思い出す――あんなにも世話になっていたのに、失礼な事をした。


 六星に、会いに行こう。


 そう思うと、蒼玉は随分と久しぶりに会う六星に色々話がしたくなり、はやる気持ちを抱えて、昼餉も食べずに城下町へと向かった。

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