闇王都修行

第10話 記憶・五曜との出逢い


 蛍は、荷物を置いた蒼玉を訓練生が生活するのに必要な場所へと案内し始めた。先ずは、食堂。次にその奥にある王宮付き兵士の詰め所、それから怪我をした時に診てもらえる、回復に特化した呪術師の詰め所などを回る。

「蒼玉様は、もう回復をご自身で使えるのであまりここへ来られることはないでしょうね。剣士や守護師、忍術士の方が沢山怪我の手当てに来られます」

「前列に出たり接近戦をする人は大変でしょう。私は回復を覚えていて、助かりました。使い手様の手を煩わせませんね」

 「お優しいですね」と、蛍は笑みを浮かべた。それから訓練生全員が集まる食堂を回り、主に剣士たちが修行する道場、呪術師や召喚士が座学を学ぶ座敷、お風呂を教えられてから、先ほど兵士の統星に立ち入り禁止と教えられた王族の住む区域がある中庭の分かれ道へと二人は辿り着いた。

「この中庭の右側は、高貴な王家の方が生活する区域になります。どんな事があっても命が下されるまで、決して足を向けられませんように。訓練生様のここでの生活では、それが一番重要な規則になります」

 念を押してそう教えた蛍は、頭を下げた。

「すみません、蛍さん。教えて欲しい事があります」

「はい、私で分かる事ならお聞きください」

 蒼玉は、三号四があえて「中級」使い手と言った事が気になっていたのだ。そして、名前ではなく番号を名乗っていたことを。

「使い手様は、下級、中級、上級と分けられています。下級使い手様は、国を回り調査や異変がないかなど調べられています。中級使い手様は、王宮で兵士訓練をなさっておられます。もし何処かの村からの救援があれば、兵士と共に魔獣討伐などもされています。そして上級使い手様は、国の方針や難しいまつりごとを王様と共に決められているそうです」

 偶に聞く使い手の位の事は、そう言う意味だったのかと蒼玉は納得した。ならば、王族と知り合う機会を作るには、上級使い手と知り合う必要があるかもしれない。

「番号をお使いになるのは、使い手様にはお名前がないのです。ですから、生まれた順番が呼び名となるそうです」

 それは、蒼玉にとって少々衝撃的な事だった。使い手は、神が定期的に己の加護の使い手を生み出すと聞く。使い手とは、所謂精霊だ。光の神が生み出した人間ではない。男と女がいるが生殖能力はなく、使い手同士で新たな生命を産むこともない。しかし、こんなにも人間と近いのに名前がないとはなんと寂しい事か、と切なく思った。しかし、人間であっても蛍達の様に名前も呼ばれぬ人たちもいる。不条理な世界の様に、蒼玉は思う。

「蒼玉様、今はまだ他の訓練生の方は勉強中です。よろしければ、夕餉の前にお風呂に入り温まれては如何でしょう?」

 蛍の提案に、蒼玉は迷うような顔をする。

「私はまだ何もしていないのに、大切なお風呂を頂いてもよろしいのでしょうか?」

「はい。蒼玉様は、その気がなくとも……その……男性には……女性にもですが、魅力的に見えるお方なので……」

 蛍は言い難そうに、だが彼の為にそう注意した。その言葉に、瞬湊村での長老の言葉を思い出す。自分で意識したことはないが、どうも人が欲しがる容姿をしているのだとようやく蒼玉は認めざるを得なかった。

「分かりました、蛍さん。案内有難うございます、お風呂を頂いて、食事にさせて貰います。これから、よろしくお願いします」

「はい、蒼玉様! 私、蒼玉様が快適にここで訓練を受けられるように、頑張ります」

 ぺこりと頭を下げて、蛍は仕事へ戻った。蛍にまとわりつく女をどうしたものかと眺めながら、蒼玉はその姿を見送った。




 部屋に戻ると手早く着替えを用意して、蒼玉は風呂へ向かった。風呂は熱した石から出る蒸気で、汗を流させて垢を浮かせる。それから米糠こめぬかで体の汗と浮いた垢を洗い落とし湯でそれらを流して、椿の種の油粕あぶらかすで髪を洗い同じく湯で流す。

 風呂は大量のお湯を維持するのが大変なので、一人で大量に使ってはいけない決まりになっていた。蒼玉もこの旅の途中村の風呂屋に何度か入る機会があったのだが、決められた量しか使えず髪を長くしている事を何度か後悔した。

 氷連地で冷えた体は、思っていたより凍えていた。熱した石から吹き出される蒸気を浴びると、思わずほっと息が零れた。体の芯から暖かくなる――ようやく蒼玉は、長い旅を終えて修行することが出来る。そして、安曇の忘れ形見に彼女の最期を伝えられる。それからの事は、今はまだ考えなくていいだろう。

 髪から体に最後のお湯を流しかけると、蒼玉は風呂場を後にした。



 風呂を終えて髪を乾かした蒼玉は、食堂へと足を向けた。今日は朝餉を口にしてから、ずっと氷連地を歩いて渡ってきたので何も口にしていなかった。食堂から漂う暖かな美味しそうな香りは、蒼玉の腹の虫を小さく鳴かせた。

「あら、アンタは初めて見る顔だね」

 訓練生の飯を盛っている母親ぐらいの年の女たちが、珍しそうに蒼玉へと声をかけて来る。蒼玉は小さく頭を下げた。

「はい、今日からお世話になります。どうぞよろしくお願いします」

「綺麗な子だね。でも、細すぎだよ。ここでたくさん食べて、元気に修行頑張りな!」

 呪術師は、精神力を使うのでその精神力を癒すために甘いものを食べる。食堂の母親代わりの彼女たちは、蒼玉の食事に『』と呼ばれる牛乳を火にかけて水分を飛ばしたものに、砂糖を練り込んだものを付けてくれた。夜岳は寒すぎる為、養蜂が出来ず蜂蜜が大変貴重らしい。その代わり、素材の基で得た収益で国がかびにくい砂糖を沢山買っているとの事だった。

 食堂も、そろそろ人が増えてきた。蒼玉は食事の盆を手にして、辺りを見渡す。丁度隅の方に二人掛けの席が空いていた。その席に盆を置き、椅子に腰を落とした。

 今日の食事は、ウサギの肉の味噌焼きに、野菜の炊き合わせ、海藻と蟹と呼ばれる固い甲羅に包まれた海の食材のあつもの、麦飯、大根と人参の糠漬ぬかづけ、麦飯だった。剣士たちと違い体力を使わないので食事量は少ないが、それでも蒼玉にしては多い量だった。

「ここ、いい?」

 盆の食事を眺めていた蒼玉に、ふと誰かが声をかけた。顔を上げると、そこには孔雀青くじゃくあお色の髪と瞳の少年が盆を手に立っていた。爪に描かれているのは、召喚士の紋章だ。

「あ、はい。どうぞ」

 相手をしげしげと眺めていた蒼玉は、彼を立たせたままだという事に気が付き慌てて返事した。彼はにっこり笑うと「有難う」と声をかけて蒼玉の前に腰を落とした。

「綺麗な人だね。君はもしかして今日からここに?」

「はい、成人した年に訓練を受けず年遅れになった上に奏州から来たので、参加が遅くなりました――蒼玉と申します」

 蒼玉はここ数日、名乗る事が多いなと小さく笑った。

「そうか、風の国か……僕は、五曜ごようだよ。よろしくね」

 名前の響きからして、彼は夜岳の民だろう。ほっそりとしているが、蒼玉の様にか細い印象はない。何より、見た目に反して意志が強そうな瞳をしていた。

「すみません、教えていただきたい事があるのですが……」

「ん? どうかしたの?」

 申し訳なさそうな蒼玉の声に、五曜は首を傾げた。

「あの――この、蟹と呼ばれるものは、どうやって食べればよいのでしょうか?」

 至極真面目な顔の蒼玉の言葉に、五曜は椀の蟹と蒼玉を互いに見て、それから吹き出してくすくすと笑った。

「ごめんね――あはは、そうだよね。風の国では食べないか」

 落ち着いた五曜は、自分の椀にも入っている蟹を手にして固い甲羅を外して食べて見せた。それを真剣に見ていた蒼玉も、同じように殻を外した。

「あ、外れました!」

 嬉しそうに蒼玉は笑うと、それを口に入れた。蟹を咀嚼すると口に広がる甘さと磯の香りに、蒼玉は驚いたように瞳を丸くして嚥下した。

「美味しいですね、蟹って。初めて食べました」

氷城ひょうじょうと夜岳と、木門きもんの一部くらいでしか食べないかもしれないね。蟹は、寒い所で獲れるのが美味しいらしいから。口に合ったのなら良かった」

 楽しげに話している二人を、他の訓練生達は何処か遠巻きに見ていた。蒼玉はそれに気が付かない様子だったが、五曜はチラリと周りの様子を見て小さく吐息を零した。

「中々気の合う人がいなかったんだけど、良ければまた一緒に食事しよう。呪術師と召喚士、座学訓練は近くで行われるから」

「私も今日来たばかりで、分からない事ばかりです。五曜さんにお世話になると思いますが、よろしければ是非」

 五曜の言葉に、蒼玉は少し安心した表情を見せた。その笑みに、五曜も頷いて笑んだ。


 食事が終わり歯を磨くと、蒼玉は五曜と別れて自室に戻った。荷解きもまだ全て終えてなかったので、就寝までまだ時間がある様なら片付けてしまう事にした。

 「自由に使っていい」と置かれている葛籠つづらに着替えや手拭いなどをしまい込み、洗い物を入れる部屋番号が書かれている袋をその脇に置く。手形やお金などの貴重品は、部屋に備えつけてある小さな箱に入れて、木製の鍵を掛けるようになっている。鍵と安曇の根付は落とさないように身に付けたかったので、蒼玉は下男下女の詰所へと向かった。

「蒼玉様! どうされました?」

 その蒼玉の姿を一番に見つけた蛍が、慌てて彼に駆け寄った。そんな彼女に、蒼玉は申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません、鍵を身に付けられるように首から下げるような袋が欲しいのですが――どこかに売っていないでしょうか?」

「……蒼玉様、それは明日の朝でも構わないでしょうか?」

 金庫の鍵の事だと気付いた彼女は、蒼玉にそう返事した。店が開いてないだろうと思った蒼玉は、笑顔で頷いた。

「明日の朝でも構いません。お手数おかけしますがよろしくお願いします」

「では、明日の朝には必ず」

 ぺこりと頭を下げる蛍に、蒼玉も頭を下げた。そしてその部屋にいる他の下男下女にも頭を下げた。

「お仕事大変でしょうが、お世話になります。おやすみなさい」

 部屋にいた全員が、驚いたように蒼玉を見ていた。蛍はどこか誇らしげに、もう一度蒼玉に頭を下げた。

「おやすみなさい、蒼玉様」

 蒼玉は蛍や部屋の皆に笑いかけると、部屋を出て自室に戻った。まだ少し早い時間だったが、片付けも手早く終えたので旅の疲れもあり早々に床に入ることにした。蝋燭の灯を消すと、寒さをしのぐ為に分厚く作られた布団の中に潜り込んで眠りについた。

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