第13話 記憶・六星からの贈り物

 この町を、蒼玉はまだ全部回ったことがなかった。町に着いた日は六星に連れられて王宮に来て直ぐに訓練所に入ったし、訓練が休みの日も率先して自主訓練に励んでいた。だから、今まで町に出る事がなかったのだ。その話を聞いた六星は笑って、この町を蒼玉に案内してくれた。

 黒雫町は城下町でもあるので、旅をしている戦士向けの店が多かった。他の村は、街道沿いの村以外は、内戦の影響のせいかあまり活気がないという。村で雇った戦士も居て、旅人には危険な村もあるのだという。それに寒い国で内戦中の夜岳は、食べるものも入手が困難なのか風の国とは違って値が張った。

 しかしこの町で蒼玉を一番驚かせたのは、娼婦しょうふ男娼だんしょうという自分の体を売る商売をしている男や女がいる事だった。蒼玉が育ったのは村だが、街道沿いだったので比較的賑やかだった。しかし、男たちが遊ぶのは酒場か賭場とばだ。賭場では賭け事が行われるが、酒場では着物を着崩した女が酌をしてくれる。だが、それ以上の事はしない。娼館しょうかんという所では、金を払えば欲しい男や女と夜の営みが出来るのだという。蒼玉にとっては、衝撃的過ぎるもので驚いて声もなかった。

 母から教えられたのは、夜の営みとはお互いの愛を確認し合う為だという事。そうして、男と女であればいつか子を生す大切な行為であるという事。それなのに、お金さえ払えば知らぬ者とそう言った行為をする――理解できない蒼玉に、六星はその頭を軽く撫でた。

「神にすらある、『性欲』ってもんさ。それが過ぎると身を滅ぼして、欲情の神に魅入られるかもしれねぇ。けど、どうしても人間にはそれがある。そして、それを仕事にしなきゃいけねぇ奴もいるのさ」

 格子窓こうしまどの向こうに座っているのは、美しく化粧をした派手な着物を身に着けた女や男。笑顔を浮かべて通り過ぎる人を誘っているが、本当はやりたくないのかもしれない。この寒い土地で、開いた窓から客寄せをしているので、床にある囲炉裏で暖をとるしかない。本当に、自分は恵まれていたのだ。そして、自分は世間の事を何も知らない。

 彼らから視線を逸らして、蒼玉は六星を見上げる。彼も、この様な店を訪ねているのかと――自分でない誰かと共にいる彼を思うと、心がぎゅっと握られるかのように痛んだ。

「さ、他に行こう」

 六星は蒼玉の為、他の店に彼を向かわせる。彼がこのような店をよく思わない事は、分かっていたからだ。



 それから町を回って、六星は紅赤べにあか色の組紐くみひもを二本買った。それを見ていた蒼玉は、世話になっている蛍たちの為に、椿油の入った瓢箪ひょうたんを二本買った。そうして茶店でお茶とお菓子を食べる頃には、日も傾きだしていた。六星と一緒にいる時間が残り少ない事に、蒼玉は急に寂しさを覚えた。

「そんな顔すんなよ」

 お茶を飲みながら、六星は肩を落とす蒼玉に笑いかけた。六星は酒が好きだが、お菓子も好きだという。夜岳ではに砂糖が練り込まれたお菓子が主流らしい。今目の前に置かれている菓子も、それだ。蒼玉は訓練所の食堂で食事に付けられる気力回復用の甘味でこれが多いので、食堂の女たちに尋ねて教えられた。

「王族のお付きで、魔獣討伐に行くんだろ? 多分、それが終わったら二日ほどまとまった休みが貰えると思うぜ? ご褒美みたいなもんさ、そん時は泊まりに来いよ。ゆっくり出来るだろ?」

「本当ですか?」

 六星の言葉に、蒼玉は顔を輝かせた。珍しい事もあってここに来てから今まで訓練に没頭していたが、それに慣れた今の蒼玉は人恋しさを覚えていた。家族と居たような、暖かな環境を恋しく思っていた。目の前の六星は出会った時から、何故か心を許せて共にいると安らぎを覚える存在だった。家族以外でこんなにも心地よくて一緒に居たいと思える、不思議な存在だった。

「ああ、統星にも言っておくし討伐がいつなのかも聞いておくよ。その日は、仕事も入れないようにしておくさ」

 王族の情報は、本来機密事項だ。しかし、蒼玉はその事を分かっていない様子だ。六星は意外に抜けている蒼玉に、内心小さく笑ってしまった。純粋で、真面目で美しい。今まで人に騙されずに、無事生きて綺麗なままで自分に出会えた事に、不思議な安堵もしていた。そうして、六星も驚く。他人をこんなに大事に思える事に――しかしそれは、蒼玉だから、だと。今まで生きてきて、六星にとっても初めてのこの感情を抱かせたのは、蒼玉だけだった。

 ゴーン、と王宮から鐘の音が聞こえた。それは、王宮へと通じる道が閉鎖される音だ。二人の時間が終わる音だった。

「さて、時間だな」

 名残惜し気に立ち上がると、蒼玉も六星に続いて歩き出す。しかし、買い物の包みを持たぬ手はそっと伸ばされて、六星の上衣うわごろもの裾を掴んでいた。その姿も、何処かいじらしく思う。

「よう、統星」

 門前に立っていたのは、昼頃会った兵士の統星だ。その横にも、一人兵士が立っているが蒼玉は名を知らない。

「俺の大事な蒼玉を、頼んだぜ」

「またお前は、軽口を……」

 呆れたように六星を見返すが、蒼玉がそれを嫌がっていない様子に統星は少し驚いた顔になった。

「まあいい、蒼玉戻りなさい。六星、見送りご苦労さんだな」

 統星が、蒼玉が通りやすいように動いて道を開けてやる。歩き出そうとする蒼玉の空いている方の手を、六星が不意に握った。

「え?」

 不思議そうに立ち止まった蒼玉に、六星はさっき買った紅赤色の組紐を一本握らせた。

「訓練で、髪が邪魔になる時結んどけ」

 お揃いな、と笑って六星は自分の家に続く路地へ足を向けた。蒼玉は、手にある組紐をじっと見つめた。

「……珍しいな、彼奴あいつが照れるなんて」

 統星が呟いた言葉に、蒼玉は不思議そうに彼へ視線を移した。

「お前にそんな姿を見せたくなくて、さっさと帰ったのだろう」

 確かに、前回は蒼玉が城に入る迄見送ってくれていた。そう思うと、手にしている組紐がとても特別なものに見えた。

「ほら、門が閉まる。夕餉の時間だから、食堂に行きなさい」

 統星に促されると組紐を胸元に入れて、蒼玉は慌てて場内に入り食堂へと向かった。訓練も終わる頃あいだったので、同じように他の訓練生も食堂に姿を見せていた。

「やあ、蒼玉!」

 この声は、五曜だ。出会った日から、彼とは食事をよく食べる仲になっていた。見慣れた孔雀青の瞳は、出会った頃より柔和に蒼玉を映して柔らかく微笑んでいる。その瞳が、不思議そうに蒼玉が手にする紙包みへ落ちた。

「今日はあまり姿を見なかったけど、どうかしたのか? それに――買い物?」

「今日は、昼からお休みを頂いたので町に出ていました。これは、普段お世話になっている下女や下男の方の為に椿油を買いました」

 五曜と蒼玉は、揃って夕餉を手にした盆にのせた。そうして、席に腰を落とす。

「君は、本当に優しいね。あの人たちも、君を慕っているみたいだし――君みたいな人こそ、王となるべきだよ」

 箸を手に、五曜は小さくだがはっきりとそう呟いた。

「そんな事ないです。私は、何も知らず周りの方に沢山助けて貰っている身です――それに、五曜さんも優しいです」

 今日の夕餉は、根菜類と鶏肉の煮物に牡蠣かきと呼ばれる海で採れる貝を焼いて醤油を垂らしたもの。揚げ豆腐のあんかけ、蕪と人参の床付け、鯛のあら汁、麦飯だった。添えられた今日の甘味は、ヨモギの炙り餡餅だ。

 お茶を配りに来る下女にお礼を言うのは、蒼玉と五曜位だ。蒼玉が下女に言葉をかけるのを不思議そうに見ていた五曜だったが、今では彼も気軽に声をかけていた。

「今日は、僕に新しい式神が出来たんだ」

 五曜が自分の訓練の話をするのは珍しい。蒼玉は「おめでとうございます」と笑みを向けた。

 五曜は召喚士だ。召喚士は、ある意味特殊な能力なのだ。戦士は大半が組になって旅に出るが、召喚士は一人で旅に出る者が多い。扱う式神が大きかったり相棒のような役割になるものがいるみたいで、一人でも不便しないという。また、「付与の術」と呼ばれる相手や物に一定時間「能力」を与えられる力があるものも多い。

 五曜は二体扱えると言っていたが、今回は大きな精霊の力を得たのだろう。嬉しそうな笑顔を浮かべている彼は、珍しかった。

「多分、近々蒼玉にも見せれると思うよ。楽しみにしててね」

「私が、五曜の精霊を見れるのですか? それは嬉しいですね、楽しみにしています」

 五曜も蒼玉も今日は良い事があったので、食事中だが話が盛り上がった。食事が終わり風呂に向かおうとする五曜を、蒼玉は止めた。

「すみません、これを仕上げてからでもいいですか?」

「ん? 何するの?」

 席に座り直した五曜の前で、盆を脇に寄せると蒼玉は紙包みの中から椿油の入った瓢箪を取り出した。栓を抜くと、その瓢箪の口に向かい回復の術を唱えた。そうして再び、栓を閉める。

「効果があるのか、効果がいつまで続くか分かりませんが――気休めですね」

 冬の水仕事は、下男下女の手や肌を荒れさせる。治ってもすぐにまた荒れるだろうが、蒼玉は少しでも彼らが頑張れるようにしてやりたかった。

「君らしいよ。効果が長く続くといいね」

 にこりと、五曜は笑った。

「あ、蛍!」

 お茶を配り終えて奥に戻ろうとした少女に気が付いた五曜が、手を振って彼女を呼んだ。呼ばれた蛍は、慌てて二人の許に駆け寄った。

「蒼玉が、お土産だって」

「お土産?」

 不思議そうに蒼玉に視線を向けた彼女は、蒼玉に瓢箪を二つ渡されて不思議そうに首を傾げた。

「荒れた手に付ける椿油です。効果があるか分かりませんが、回復の術も唱えておきました。皆さんで使ってください」

 蛍はそれを聞いて、差し出された瓢箪を受け取ると涙を滲ませた。

「蒼玉様……有難うございます!」

 何度も頭を下げて、蛍は嬉しくて頬を涙で濡らした。蒼玉は困って蛍を宥めようとしたが、五曜が着物の合わせから手拭いを出すと蛍の涙を拭いた。これには、蒼玉と蛍も驚いた。

「そんなに泣いたら、蒼玉が困ってしまうよ。この手拭いは、僕から君に。目が腫れないように、ね?」

「……五曜様、有難うございます」

 蛍は手拭いを大事そうに瓢箪と共に抱えて、もう一度頭を下げた。しかし、蒼玉も蛍も僅かに違和感を抱いていた。この手拭いに使われているのは、かなり上質な布だ。それを惜しげもなく与える、五曜に。

「じゃあ、風呂に行こうか。蛍、またね」

「おやすみなさい、蛍さん」

 立ち去る二人を見送り、蛍はまた仕事に戻った。蒼玉と五曜は風呂に向かい、上気と温かいお湯を楽しんだ。

 そうして湯上り。いつも長い髪が乾くまで難儀している蒼玉が紅赤色の組紐で髪を結んでいるのに、五曜は気が付いた。

「それも買ったのかい?蒼玉の髪に、良く似合う色だね」

「あの、……貰ったんです……」

 蒼玉は湯上りの肌をより赤くして、思わず口元を隠して下を向いた。その様子に、五曜は笑みを深くした。

「大事な人に貰ったみたいだね? 今度、その人の事ゆっくり聞かせてくれないかい?」

 揶揄からかうような言葉だが、五曜は蒼玉が大事に思っている人がいて喜んでくれているようだった。五曜の想いが分かり、蒼玉は嬉しくなった。

「今日は、雪も降りそうだ――湯冷めしないように、温かくして寝ようね」

 二人はそれぞれの部屋に向かうと、「おやすみ」と言葉を交わして部屋に入った。五曜も、蒼玉の部屋に近い個室を与えられているのだった。

 部屋でゆっくり髪を乾かし、蒼玉は組紐を手首に巻くと防寒用の毛皮を出して布団の上に広げて、温かくして床に就いた。

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