出逢い
第7話 記憶・六星
早速運ばれてきた熱燗を、六星はご機嫌な表情のまま手酌でお猪口に注いだ。その様子を眺めながら、蒼玉は内心混乱していた。
蒼玉の見た目で声をかけてくる者は多かった。しかし、断れば去るししつこく追いかけてくる者がいても、無視をしていれば何れは諦めて消えていった。こんなに強引で、しかしどこか距離のある感覚で声をかけてきたのは、六星が初めてだった。
「お前さん、酒は飲むのか?」
お猪口を手にした彼に掛けられた言葉に、蒼玉は首を振る。そんな蒼玉を眺めるように視線を向け、六星は再び口を開いた。
「名前」
「え?」
きょとんとした蒼玉に、六星はお猪口を置き片肘をつくとその掌に頬を乗せた。
「お前さんの名前聞いてないから、教えてくれねぇ?」
ああ、そういえばそうだったと蒼玉は得心した。彼の勢いに飲まれて、蒼玉は何も言葉を返していなかった。
「私は、奏州から来た蒼玉と言います」
「風の国か。珍しいな、あの国からこんなところに来る奴って」
興味津々という態度を隠そうともせず、六星は蒼玉に話しかける。
「闇の加護を受けたので、夜岳で兵士訓練を受けたいと思いここまで辿り着きました」
「成程ね、お前さんは呪術師か。強い戦士になりそうだ、縁を繋いでおくのも悪くなさそうだな」
蒼玉の腰に下げられた杖も確認して、六星は酒を喉に落とす。
「ごめんね、お嬢さん。ガラは悪いけど根はいい男なんで許してあげてね?」
鹿の煮込み料理を手にした女将さんが、申し訳なさそうに器を蒼玉の前に置いて六星の肩を叩いた。
「ガラ悪いって、どういうことだよ」
「あ、あの!!」
唇を尖らせる六星と女将さんが、蒼玉に視線を向ける。
「あの、私は男なんですが……」
何故か申し訳なさげに、蒼玉は誤解を解こうと小さく続けた。すると、女将さんは慌てて口元に手を当てた。
「あらあら、すまないね!別嬪さんだから、女の子とばかり! ごめんよ?」
「へぇ、こんなに綺麗な男を初めて見たよ。ま、そんなこと気にしちゃいねーけど。目の保養には変わらねーんだし?」
女将さんとは対照的に、楽しそうにくすくすと六星は笑う。蒼玉は気恥ずかしくなって、肩を竦めて下を向く。六星はその蒼玉に肘をついていない方の腕を伸ばすと、細い顎を掴んで上を向かせる。
「男が綺麗でも、恥ずかしがることじゃねぇ。むしろ、自慢に思いな」
六星の言葉に、蒼玉はきょとんと見返す。意外な言葉をかけられ、蒼玉はどう返してよいか分からなかった。
「馬鹿ばっかり言って、困らせちゃ駄目だよ! ホントに、困った子だよ」
蒼玉に触れている六星の手を引き離して、女将さんは溜息を零した。
「おーい、出来てるぞ!」
調理場から、女将さんの主人らしい男の声が上がった。女将さんは慌ててそちらに向かう。再び二人きりになり、蒼玉は暖かい煮込みが冷めぬうちに箸を手にした。
「俺は、氷連地で魔獣を狩って生活してんだ。ま、魔獣がそんなに頻繁に出る訳じゃねぇから雑用もしてるんだがな」
六星も再び酒に手を伸ばす。その彼が語った言葉に蒼玉は箸を止める。
「やはり、氷連地には魔獣が多く出るのですか?」
「闇の神の後を継いだ闇の子が、夜岳を護るために定期的に卵をばら撒いているらしいな。夜岳は国ん中も揉めてるのに、迷惑な話だよ。まァ、俺はそのお陰で生活出来てるんだが」
やはり交流がない国の情報は深く知られていない。天候も不安だが、確実に魔獣の心配もしなければならなかった。
「ほら、食わねぇと冷めちまうぞ?」
六星は、意外と面倒見が良いようだ。箸が止まったままの蒼玉を促してやる。その言葉に蒼玉は再び箸で鹿肉を割り、固まりを口に運んだ。
「……美味しい」
風の国の煮込みは、醤油で作る事が多い。だがこの煮込みは、味噌が使われていてピリッとした辛さを感じる。冷えた体を温めてくれる、そんな味付けだった。
「はは、旅に出てから干したもんばっか食べてたのか?もう少し肉付けないと、抱き心地悪そうだ」
「抱き…!?」
冗談だよ、と六星は楽し気に笑う。蒼玉は、自分に驚いていた。奏州にいた頃には考えられない、こんな会話のやり取り。話しかけられても必要事項しか話さない自分が、六星に会ってから色んな感情を見せていた。
「はいよ」
再び女将さんが現れて、六星の前に猪の肉を香ばしく焼いた器を置いていく。肋骨の部分なのか、骨付きだ。その骨の部分を掴んで、六星は美味しそうに食べ始める。
「で、戦士になって冒険するつもりなのか?」
指先に付いた油を舐め、六星は再び問う。
「……正直、先の事は考えていなくて……」
それは、蒼玉の正直な言葉だった。夜岳で蛍石の息子を探すことがこの旅の重要な目的で、そして誰かを助けられる力を得る事が出来たら何をすればいいか考えていなかった。
「なら、戦士になったら俺と氷連地で魔獣狩って生活するか?意外と楽しいぜ?」
お茶に誘うかのように、六星は軽く蒼玉を誘う。その気軽さに思わず「それもいいですね」と、蒼玉は小さく笑った。その笑顔に、六星は少し魅入ったように呆けてから慌てて酒を飲んだ。
「また、この子は!」
客が増えて忙しそうな女将さんは、器片手に六星の頭を叩いて通り過ぎていく。大げさに痛がる素振りの六星と、それを見て笑顔を見せる蒼玉。彼にとって、久し振りに楽しい昼餉だった。
食事の代金を、六星は払ってくれた。「駄目です」と蒼玉は食い下がったが、女将さんは六星から代金を受け取り蒼玉の肩を叩いた。
「いいんだよ、奢って貰っときな」
そんな、と困った表情で蒼玉は財布を直す六星に視線を向けた。彼に、代わりにあげるものを何も持っていない。蒼玉は途方に暮れた。
「飯ぐらい、気にすんな。夜岳まで向かうんだろ?俺も荷物受け取ったら水連まで戻るし、その間の話し相手になってくれりゃいい。何も、取って喰おうって下心なんざねぇよ」
楽し気な六星の言葉に、蒼玉は僅かに赤くなり頷いた。内心、一人で旅をするのに飽きていた頃なので、村一つだが供が出来るのは嬉しかった。
「んじゃ、荷物取りに行ってくるわ。ちょっと待っててくれ」
飯屋の前で、六星は蒼玉を残しその隣の素材屋へと入っていった。武器の
「待たせたな」
六星はすぐに帰ってきた。重そうな袋を三個担いでいる。
「私も持ちましょうか?」
蒼玉は彼から受け取ろうと、手を伸ばす。が、その掌にぽんと六星は手を当てて笑った。
「これは、俺の依頼されたもんだからな。大丈夫、有難うな」
村で、蒼玉の上は四つ上の
だが、蒼玉は旅の身だ。何時までも彼と一緒にいる訳ではない。親しくなり過ぎれば、別れが辛くなる。その距離を置こうと思うが、そんな事を思う相手など彼が初めてで、蒼玉は困っていた。
「さて、暗くなる前に行くか。この時期は暗くなるのが早いからな、蒼玉も水連辺りで今日の旅は終えた方がいい」
空を見上げて、昼間なのに何処か暗い雲の流れに六星は言葉を続けた。
「雪が来そうだ。氷連地が荒れなきゃいいが」
「え!?」
その言葉に蒼玉は、ここまで順調な旅だったのに……と、絶望を滲ませた声音を上げた。
「氷連地がもっと荒れるのは、もう少し先だ。今頃荒れるのは、二、三日で済むさ」
重そうな荷物のわりに、六星はそれを表情も変えず担いで歩き出す。慌てて蒼玉は彼に続いた。
「真冬より、残り冬のが雪も多くて寒い。闇の国で生まれると、身に沁みて分かってくる」
「六星さんは、闇の国の生まれなんですね。今は、水の国で生活されてるんですか?」
六星が自分の事を話しだしたので、蒼玉は興味を惹かれて尋ねた。
「そうだな、夜岳にも
村で生活してそこの生活しか知らない蒼玉には、六星の話がとても新鮮で楽しかった。生き物が生活するには厳しい土地だと聞いていたので、氷連地の新しい知識も得た。
「もしかして、魔獣を倒して報奨金で生活している戦士って六星さん一人……だけですか?」
防寒具を買った店の店主が話していた、噂話を思い出した。あの話し方では一人の様だったが、六星一人で魔獣を倒しているというのだろうか。水連に、彼の仲間がいるような感じもしない。
「六星でいい。さん、なんて慣れなくて背中が痒くなる」
ひらひらと片手を振り、六星は念を押すように蒼玉に視線を向ける。蒼玉は仕方なく、黙って頷いた。
「ああ、生憎気の合いそうな奴がいないんでな。一人で狩ってるよ」
やはり、六星は一人で狩っているのだ。蒼玉はあの日の事を思い出す。あんな恐ろしいものと対峙するなんて、自分には無理だ。
「なんだ?やっぱり蒼玉は俺とここで生活したいのか?」
「違います!私は戦士育成に来たんです! ……それに、私のようなものでは六星の足手まといになってしまいます……っ」
「どうやら、お前魔獣に会ったことがあるみてぇだな。心配しなくても、蒼玉は強い戦士になるって俺が保証してやるよ」
六星の言葉に、あの夜の惨劇で凍てついていた蒼玉の心が少し温かくなった気がした。そもそも、六星と出会ったこの縁が何やら奇妙な巡り合わせな気がする。
――色々な意味で、六星は蒼玉にとって不思議な存在だった。
それから蒼玉と六星は、とりとめのない話をしながら水連村へと向かう。蒼玉は久しぶりに誰かと行動しているので、水連村に着くのが早く感じた。
水連村は、少し先が氷連地なだけあり空気が僅かに凍えていた。防寒着を買っていてよかったと蒼玉は安堵する。氷連地に入ってもいないのに、村の寒さと格段に違う。そして村の中は、思っていたより賑やかだった。闇の国から逃れてきた者や、入ろうとしている戦士達で溢れている。酒場や飯屋にも人が多かった。
「待ってな、先にこれを渡して報酬貰ってくるからよ」
物珍しそうに辺りを見渡している蒼玉に六星はまたそう声かけると、足早に素材屋へと向かっていった。
残された蒼玉は、そろそろ日も落ちそうな空の下広げられている市場を覗いてみた。やはり林檎が名産と聞いただけあり、溢れるほど並んでいた。あとは蜜柑やら、冬の果物も何種類か見える。
花も、風の国では見ないものが多かった。売り子たちは蒼玉に声をかける事も忘れて、花を愛でる彼の姿に魅入っていた。
「魔獣が出たー!!」
賑やかな村の中に、何人かの村人が慌てたように走りこんできてその場がシンと静かになった。
「氷連地の魔獣が、水連目指して来てる!!」
「誰か、頼む! 倒してくれ!」
村人の声に、誰も動こうとしなかった。戦士の姿も何人かいるのに、視線を逸らして動こうとはしなかった。
――どうして…?
戦士は、村や人々を護るために教育を受けている。どうして困っている人がいるのに、動かないのか。
「待たせたな」
不意に現れた六星は、当惑している蒼玉の肩に手を回して声をかけた。
「六星! 六星帰ってたのか!? 頼む、村に魔獣が来る!」
その姿を見た村人が、這うように六星の許に来る。
「報酬は?」
「いつもの通りに出す!」
すぐに帰ってきた言葉に、六星は唇の端を上げて笑った。
「了解、今回はさっさと片付けてやるよ。蒼玉、倒してくるまでここで待ってな」
肩に触れていた腕を離すと、六星は村を出て走って向かう。他の戦士達は、それを追おうともしない。
「……っ、荷物をお願いします。私も行ってきます」
あの雪の日の双頭の魔獣を思い出す。足が竦むが、蒼玉は荷物をその村人に預けると勇気を振り絞り駆けだした。六星の後ろ姿を追って、必死に走る。
「蒼玉!? 危ないから、お前は待ってろ」
「邪魔はしません、回復と少しの術なら使えます! 援護します!」
蒼玉に迷いはなかった。驚いた表情の六星が、それからにっと笑った。
「頼もしい相棒だな、行くぞ!」
暫く駆けると、次第に地面が凍ってくる。滑らないように、蒼玉は気を付けながら進む。六星は慣れているようで、速度は変わらない。
すると、先に大きなものが見えた。炎を纏う鳥型の魔獣がこちらに向かい飛んでくる。
「気をつけろ、来たぞ!」
六星は背中の大剣をすらりと抜く。透き通るように綺麗な薄花色の刀身だ。蒼玉も腰に下げた杖を抜いて握り締める。
「キェエエエエエエエエエアアアア!!」
魔獣が咆哮を上げて炎を吐く。それを飛んで避けて、六星は剣を握り直し魔獣と対峙する。
「さァ、舞台の始まりだ!」
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