第6話 記憶・家族との別れと運命の出逢い
少しでも早く夜岳へ着くために、まだ日も昇りきらぬ刻限に蒼玉は起きた。室内は薄暗い。旅の荷物は最低限のものにしたがそれでも重く、細身の彼は担ぐのがやっとだ。
旅用の袴を穿くと、今まで身に着けていなかったので知らなかったが、歩きやすさに感心する。
「蒼玉」
小さな声で名を呼ばれ、蒼玉は両親が起きていることに気が付いた。まだぐっすり寝ている藍玉を起こさないように、荷物を手に蒼玉は囲炉裏に向かう。いい香りがしていた。それもそのはず、母親が用意してくれただろう、簡単な朝餉が並んでいた。
「旅の間は、
麦飯に大根の漬物、昨夜のワカサギを香ばしく焼いた味噌汁。ワカサギと一緒に釣れたのか、カジカの塩焼き。豪華ではないが、朝早くから作ってくれた母の気持ちが、蒼玉にはとても嬉しかった。手早く顔を洗い歯を磨き、食卓の前に座る。
「行程は、考えているのか?」
父は村長から貰ってきた通行手形と戦士育成願いと、中ノ地の地図を蒼玉に渡した。
「はい、やはり多少遠回りになっても安全が高い道を進もうと思います。街道沿いにまず隣の水の国の
蒼玉は一度箸を置き、自分の言葉通りに指で地図を滑らせる。父と母は蒼玉の指の動きを確認して、頷く。
「向こうに着きましたら、連絡の手段があるか分かりません。ですから、私は元気でいると信じてください」
「あぁ…お前が頑張っていると信じて、父さんたちはここで祈っているよ」
食事を終えた蒼玉は箸を置き手を合わせると、器を水場へと運ぼうとするのを母が止めた。
「いいのよ、こんな日まで。後で私が洗っておくから」
「はい、有難うございます」
蒼玉は頭を下げ、荷物を背負い草鞋穿いて紐を結ぶ。解けぬように、きっちりと。よく使うだろう地図やら手形は、母が縫ってくれた紐で首から下げる袋に入れた。大事な杖は、腰帯に差し込む。
村の門まで、三人で向かう。連れて行かなかったら藍玉は泣くかもしれないが、起こさなかった。永久の別れになるのではないのだから、と母の配慮だ。
「今まで有難うございました。頑張って、立派な戦士になってきます。父さんも母さんも、お体には気を付けて」
深々と頭を下げる蒼玉に、両親は同じように頭を下げた。
「では」
「兄さん!」
歩き出した蒼玉の後ろ、泣きながら藍玉が走ってきていた。そのまま大きくこけてしまうが、藍玉は健気に立ち上がり兄の名を口にして駆け寄ってくる。
「兄さん、兄さん!」
愛しい下の子に、蒼玉は立ち止まると駆け寄ってくるその小さな体を抱き留めた。
「兄さんと私だけお別れできないのは、嫌です」
泣きながら藍玉は、しっかりと蒼玉に抱き着いた。藍玉は物分かりがよく教えに背くことをしないのに、その時の藍玉は頑なだった。まるで手を離すと、兄が消えてしまうというかのように。昨日の夜両親が、兄さんは藍玉の寝てるうちに旅立つからと言い聞かせていたのにだ。
「すまなかったね。藍玉、父さんと母さんをよろしく頼む。そして、藍玉も立派な戦士になるんだよ」
頭を撫でてやり、穏やかに蒼玉は藍玉にそう語りかけた。藍玉は何か不安そうな表情を見せたが、力強く頷いた。蒼玉は母に視線を向けると、母は歩み寄り蒼玉から藍玉を自分の方に抱き寄せる。藍玉は促されるまま大人しく蒼玉から手を離した。
「さようなら、また逢う日までに強くなって帰ってきます」
蒼玉は大きく手を振った。両親と藍玉も、それに返すように大きく手を振る。朝焼けが綺麗な空だった。蒼玉は前に向き直ると、大地を踏みしめる様に歩き出す。ここからは、誰かに指示されるのではなく、自分で考え行動しなければならない。
蒼玉の人生を変える、大きな旅の始まりの朝だった。
風の国の
『お前さんは、傾国の美女のような姿じゃから』――長老の言葉を思い出し、蒼玉は身震いした。
中ノ地は、十五になるまで性別がない為性別を与えられても同性を好きになってしまうことが多い。恋多き水の女神の逸話では、生まれながらに結ばれる相手がいる『魂の伴侶』という絆を人間に与えたらしい。どんなに離れていても、身分差があろうと、お互いの魂に惹かれて出会って恋をする。それは異性でも同性でも変わらない。しかし人間全てに与えられたものではなく、闇の眼の様にその絆は稀らしいが水の加護の者だけに限らない。瞬湊村にも、女性同士で夫婦として暮らしている村人がいた。村でもそれは当たり前に受け入れている。
だから、蒼玉に声をかけてくる者の大半は、蒼玉が女性でなくても構わないのだ。美しいから手に入れたい。ただそれだけだ。村では村人同士が家族の様に接していたので、蒼玉はそんな視線を感じる事がなかった。村に立ち寄る戦士達を除いて。
『外の世界』は、広く自由だがその分賢くなければならない。守ってくれる
また、蒼玉が夜岳に向かうと聞いた村人達は、沢山の
野宿をする時も、獣や魔獣よりも人間を警戒していた。こんな時、一緒に旅をする仲間がいればずいぶん助かるのだろうと、蒼玉は期待できない事を思うことが増えた。夜も眠りが浅かったから、寝不足が続いていた。
街道の関所には王都の兵士が就いているが、国境の関所は重要なため、下級使い手が担うことが多い。そこにいたのは水の使い手の印である
「風の国奏州、瞬湊村出身の蒼玉で間違いありませんね?」
「間違いありません」
水の使い手の言葉に、蒼玉は頷く。蒼玉の返答を受け、水の使い手は手形を返す。それを受け取る蒼玉に、もう一人並んでいた水の使い手が林檎を二個差し出した。
「?」
手形を袋に直した蒼玉は、不思議そうに美味しそうなその林檎から差し出す水の使い手に視線を移した。
「貴方のような美しい方が透湖に足を運んでくださり光栄です。透湖は林檎が名産なので、私からの気持ちです」
受付をした使い手は困った様な表情を見せ、肘でその使い手を押している。林檎に罪はないので、蒼玉は差し出された林檎を受け取った。
「有難うございます。透湖の優しい気遣い、とても嬉しいです」
水の女神が恋多き上愛情深いので、使い手もそんな性格なのだろうと蒼玉は思った。それに、貴重な新鮮な食糧だ。にっこりと美しい笑顔を浮かべて頭を下げると、使い手二人はほぅと溜息を零した。
蒼玉は得をした気分で関所を後にした。大きな林檎はとても美味しそうだ。蒼玉は食が細いこともあり、日頃から果物を好んでいた。だから、これは蒼玉にとって嬉しい贈り物になった。
関所を通り抜けると、蒼玉は一旦休憩をすることにした。無意識に旅を急ぐあまり、疲労が重なり足が痛かった。銀杏の木の陰に腰を落とすと、蒼玉は袴の上から足を揉む。北に向かっているが、雪も少ないようでこの季節の旅にしては楽な方だと思った。幸い今の所暴漢にも魔獣にも遭遇していない。しかし、次第に寒さが身に染みるようになってきた。そろそろどこかの村で、防寒具を買わなければならないだろう。
足から手を離すと、蒼玉は先ほど貰った林檎を一つ手に取る。ずっしりしていて重い。そうして、一口
暫くそこで休んでいたが、まだ明るいうちにもう少し進んでおきたかった。荷物を手に立ち上がると、蒼玉は街道に戻り歩き始める。
風の国では見ないような花や木が珍しく、蒼玉の足取りは思ったより軽い。透湖に入ってから、ようやく初めての村が見えた。街道沿いで関所に近いその村は、活気があるようで蒼玉は少し気になった。防寒具を買わなければならないこともあり、少しその村に寄ってみようと誘われる様に蒼玉は門をくぐった。
「そこの美人さん!
「よければうちで飲んでいかないかい?」
蒼玉が村に入ると、村人たちが誘いの声をかけてくる。男も女も、蒼玉の美しさに見惚れていた。やはり水の国透湖だからか、水の加護を受けたものが多いようだ。
「あの、防寒着を探していまして……」
花を売っていた少女に声をかけると、少女は赤くなり向かいの店を指さした。「着物屋」と暖簾がかかっているのを確認して、蒼玉は少女に頭を下げてそちらに向かった。
「いらっしゃい」
暖簾をくぐり引き戸を開けると、店主が声をかけてきた。初老の男性が、着物をたたみながら笑顔を見せる。
「何かお探しで?」
蒼玉は歩み寄ると、店主に頭を下げた。
「氷連地を越えて闇の国に向かいたいので、防寒着を探しています」
「お前さん、氷連地に行くのかい?あんな危ない所」
店主は驚いたように手を止めた。
「はい、兵士訓練を受ける為夜岳へ行くので、どうしても氷連地を越えなければならないのです」
店主は蒼玉の言葉に頷くと、
「天気が荒れてる時は、その手前の村……
魔獣が現れるとは聞いていなかった。蒼玉の脳裏に、あの大雪の魔獣討伐が蘇り体が竦んでしまった。
「魔獣を狩ってその報奨金で生活してる戦士がいると聞いたことがあるが……まあ、用心するに越したことはない」
長持から、店主は動物の毛皮の防寒着を取り出す。
「熊の毛皮が、一番寒さをしのげる。お前さんの事情も聞いたことだし、少し勉強するよ?」
防寒着は造形に凝ったものはなく、しいて違いを上げるなら毛皮の大きさくらいだった。蒼玉は痩せぎすで背もそう高くないので、小さめの防寒具を買う事にした。店主は安くしてくれた上に、毛皮で加工した手袋をおまけしてくれた。申し訳ないと何度も頭を下げる蒼玉に、店主は「気にしなさんな」と笑って代金を受け取ると商品を蒼玉に渡した。
「気をつけてな、旅の安全を願っているよ」
店の外まで見送ってくれた店主に手を振り、蒼玉は賑やかな村を出た。
それからしばらく小枝を拾いながら蒼玉は北に向かって歩き、日が傾き始めると街道の横の杉の木の並ぶ所に入り、野宿の用意を始めた。一月も旅をしていると、準備も手馴れてきた。少し離れた所で流れる川の水を汲んで、集めた小枝に火をつけて焚火を作る。パチパチと木の爆ぜる音だけが闇に響き、辺りはしんと静かだ。昼に食べた林檎で、お腹は十分満足している。肌寒さに防寒着を羽織り、熱い白湯を飲む。
これまでの旅を振り返り、蒼玉は最初村が恋しく旅を楽しむ気にはなれなかった。だが、こうして環境に慣れてくると次に訪れる地がどんなところか、楽しみに思える様に変わってきた。自分で道を選ぶ事。その大事さが、ようやく実感として分かってきた。
立てた膝に頬を乗せ、うとうとと蒼玉は眠りについた。
透湖に来てから、二週間ほど過ぎたか。この国の感じが、朧だが分かってきた。流れ者の蒼玉にも、村人は優しかった。村を通り過ぎる彼に、お茶を出してくれたりお菓子や新鮮な食糧を「旅のお供に」と、分けてくれる。奏州は、勿論優しいが深入りはしない。旅立つ者を止めはしない。何処か、風そのものを現していた。
草鞋はこの旅で、もう何足も履き潰した。その村に入ったのも、草鞋を買おうとしたことが始まりだった。
聞けば、氷連地の近くの村、水連の前の
美味しい煮込み料理を看板にしている飯屋があると聞き、蒼玉は珍しく村の飯屋に足を運んだ。
「こちらへどうぞ、鹿の煮込みでよろしいですか?」
蒼玉を案内した飯屋の女将は、蒼玉を席へ案内する。次いで、熱いお茶と蒸した手ぬぐいを用意してくれる。寒い国だからだろうか、出された蒸した手ぬぐいが珍しく蒼玉は暖かなそれで冷えた手を温める。
「女将さん、熱燗と腹に溜まるもんよろしく!」
派手な音を立てて引き戸が開けられ、陽気な声が席に着く前に注文する。
「あら、珍しい。どうしたんだい?」
「水連で、こっちにある荷物受け取ってきてくれって依頼さ。たまには、ここにも顔出してねぇと依頼貰えないからな」
どかどかと足音を立てて、店内に入ってきた男は女将さんと楽しそうに話していた。蒼玉は、興味を惹かれてそちらに視線を向けていた。
「おっと」
その男は、席に座る蒼玉に顔を向けた。二十代前半の、氷の加護を受けただろう薄花色の髪と瞳。その髪は長く、首の後ろで一つに括っている。そうして左目は黒い布で覆われているが整った顔立ちの、蒼玉が憧れた男らしく引き締まった体躯の持ち主だった。背中には、薄花色の大剣が背負われている。
「女将さん、俺ここ座るわ。この美人さんの前に」
男は嬉しそうに口笛を吹くと、蒼玉の前の椅子に腰を落としてにんまりと笑った。
「……え?」
唖然とする蒼玉に顔を寄せ、男はひらひらと手を振る。
「初めまして、お嬢さん。俺、
蒼玉の運命を変える人物の一人、六星との出逢いだった。
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