第5話 記憶・黄泉の目と手がかり

 その日は、長老から二つの術を教わった。それから、詠唱は間違えず唱えられるようにしっかり暗記する事、精神力を高める訓練が大事だと教えられた。

 術者は、己の加護する神の象徴するもの――水の女神だと川や池、風の女神だと風が吹き抜けるところ――の傍で、自然に神と繋がるものの「気」を受けて瞑想すると、精神力が高められる。この場合、蒼玉は闇の力なので、洞窟での暗闇の中で瞑想する事が一番効果を得る。

 回復の術は使えるので、長老が教えたのは蒼玉自身の身を護れる術。長老は火の加護なので火の術の名前では、火吹雪と火の激流だ。闇の加護に直すと、黒吹雪と黒き激流。黒吹雪は広範囲呪術で、黒き激流は単体の相手に大きな衝撃を与える呪術になる。

「無詠唱の術も、使う術者が強い精神力を持っていれば詠唱呪文と変わらない強い力を持つ。よいか、蒼玉。何時でも強い心でいるんじゃ」

 初日は簡単な訓練を受けると、二人で甘梅を食べた。

「死んでしまったばあさんがな、甘梅を漬けるのがとても上手だったんじゃよ」

 よく漬かっている甘梅は、蜂蜜がトロリとしてとても美味しかった。

「長老の甘梅も、とても美味しいですよ?」

「いやいや、ばあさんの漬けたのはもっと美味くてなぁ……ばあさんが死んでから、毎年改良してばあさんの味に近づけるように頑張ってるんじゃ。死ぬまでに、あの味をもう一度味わってみたいのぅ」

 長老夫婦は、おしどり夫婦として村人がよく口にしていた。見合い結婚で違う村から嫁いできたが、よく旦那に尽くす控えめな人だった、と生前の彼女を知る親が話していたのを白童子の頃に聞いた。

「しかし、蒼玉に嫁ぐ娘さんは大変じゃろうな。お前さんは、傾国の美女のような姿じゃて」

 湯飲みに口を付けていた蒼玉は、長老の言葉に吹き出しそうになった。

「突然何を言うんですか」

「自覚ないだろうが、お前さんの様な美しい姿を儂は他で見た事ない。女だったら、王様が求婚に来るんじゃないかと、成人の儀式の時に村長と話してたのを思い出したわ」

 楽し気に長老は笑っていた。村に訪れる冒険者たちが、農作業をしている白童子の蒼玉を何度も見に来ていたことを思い出した。単に農作業が珍しいのかと思っていたのだが、違う意味だったのかもしれない。

「そうじゃなぁ…お前さんは、もっと身を護る術を覚えた方が良いかもしれんなぁ…」

 長老が零した言葉の意味を蒼玉は聞かなかったことにして、長居した彼の家を出ることにした。「そろそろ失礼を……」と立ち上がりかけた蒼玉は、視界の隅に自分たち以外の誰かが佇んでいるのが見えた。

 ――まさか。そこに居るのは今話にしていた、長老の亡くなった妻だった。


『おじいさんに、漬ける時にお塩をもう一つまみ足すように……そう伝えて貰えませんか?』


 声まで聞こえてきた。蒼玉は混乱したが、落ち着くように息を浅く吸ってから、彼女に頷いた。

「長老、甘梅を漬ける時にお塩をもう一つまみ足してください」

「んん? 急にどうしたんじゃ?」

 不思議そうな長老に、蒼玉は迷ったが今の出来事を素直に話すことにした。

「あの……信じられないかもしれませんが、亡くなられた奥様が私にそう伝えるようにと…」

「ばあさんが見えるのか!?」

 長老が驚いたように身を乗り出した。蒼玉はその問いに答えるように、頷いた。

「そうか…蒼玉、お前さんには『黄泉の眼』があるんじゃな…有難う」

 長老の瞳にうっすらと涙が滲んでいた。黄泉の眼? また聞いたことない言葉に、蒼玉は不思議そうに彼を見返した。

「闇の加護を持つものに、偶にいるんじゃよ。何か気がかりな事があって冥府に行けない者が、中ノ地に漂う姿を見える者が。ばあさんは、儂が甘梅を上手く漬けられんことを気にしていたんじゃな……ばあさん、分かったよ。後一つまみじゃな?次漬ける時は忘れんから……安心して、冥府に行ってくれ。儂もそう待たせる事なくそっちに行く。そうして、また夫婦になろうな」

 長老の言葉を聞いた妻は、にっこり笑う。するとその姿がキラキラと光って、薄れながら屋根を越えて昇る様に消えていった。

「……姿が見えなくなりました…冥府に向かわれたのでしょうか」

「そうじゃな…有難う、蒼玉。次の甘梅は、またばあさんの味で食べられる」



 

 家に帰ってきた蒼玉は、いつもの様に母と一緒に夕餉の用意を始めた。霜よけに被せている藁の下から、蕪と大根と人参を掘り出す。長老に分けて貰った鳥の肉も使い、大根と人参と鳥の煮物。蕪の葉を混ぜた麦飯、蕪の味噌汁。白菜の浅漬け。

 家族揃っての夕餉の席では、囲炉裏で藍玉が今日何をして遊んだか楽しそうに話している。今日は琥珀達と森の奥まで行って、林檎を採ってきたのだという。それで、林檎が二個転がっていたのか、と蒼玉は漬物を口に運びながら頷いた。

 下の子の藍玉も蒼玉の様に活発な子の方ではない。だが藍玉の幼馴染たちは元気なので、少なからずその影響なのか子供らしく村を駆け回り遊んでいるようだ。

「兄さんは、長老のところで何をされたんですか?」

 期待に満ちた瞳で、藍玉は兄を見上げた。

「術を少し教えて貰ったよ。それから……私には冥府の眼があると言われたんだ」

「冥府の眼?」

 父が箸を止めた。

「すごいじゃないか、蒼玉。闇の加護でも特に特別なものだと聞いたが」

「はい、長老の奥様を見ました。長老の事を気にされて、今まで冥府に行けなかったみたいです。本当に仲の良い夫婦だったんですね、私の両親のように」

 蒼玉の言葉に父は笑い、母は恥ずかしそうに蒼玉の肩を軽く叩いた。久し振りに賑やかな食卓だった。蒼玉の杖が出来上がるまでのこの幸せな時間を、悔いのない様大切にしようと改めて思っていた。



 蒼玉は十日ほど、長老の家と村にある洞窟への往復をした。村にある洞窟は、村の共同備蓄を置いたり魔獣が現れた時に逃げる場所になっていた。そこそこの深さで、明かりの術で奥深くまで行くと、開けた場所がある。そこで座禅を組み、全身に闇を受け入れる感覚で瞑想する。やはり闇の加護を受けているからか、この闇はひどく落ち着いた。シンと静かな暗闇で、蒼玉は闇の力を体に感じる。ここに通いだして少しだが、長老に教わる術の強さが上がってきている気がしていた。これなら、魔獣に出会わない限り自分の身は守れそうだ。

「兄さーん!!」

「蒼玉さーん!!」

 洞窟に反響して、二人の声が聞こえてきた。藍玉と琥珀の声の様だ。洞窟が怖いのか、入り口で自分の名を呼んでいるようだった。腰を上げると、足早に蒼玉は洞窟の入り口にまで戻る。

「わ! 明かりの術だ!」

 藍玉と同じまだ白童子の琥珀は、姿を見せた蒼玉の指先の明かりに顔をほころばせた。琥珀は戦士になるのが夢で、蒼玉が戦士になると聞いてとても羨ましがっている。毎日自分が成人する日を待っていると、飯屋の女将さんが話していた。

「どうしたんだ? 二人とも」

 蒼玉の邪魔をしてはいけない、と親に教えられていたから用もなく来た訳ではないだろう。

「武器屋のオヤジが、蒼玉さんの武器が出来たって!」

 琥珀は興奮して、頬を赤らめている。

「そうか、もう出来たのか」

 蒼玉に約束した通り、武器屋の店主は頑張ったようだった。早速武器を取りにいかなければならない。

「ね、ね、邪魔しないからついて行ってもいい?」

 興奮を抑えきれない琥珀は、蒼玉にねだった。

「琥珀の憧れる刀ではないよ?」

「杖も見てみたいんだ! 武器見てみたい!」

 大地の神の冒険譚が好きな琥珀の期待にそえないと思ったが、琥珀は武器を見たいだけの様だった。

「いいよ、じゃあ三人で行こうか」

 蒼玉の言葉に琥珀は両手を上げて喜び、藍玉も嬉しそうに笑っている。蒼玉が先に歩き、琥珀と藍玉は手を繋いでその後ろを追いかける。

 村の中心に来ると、真っ直ぐに武器屋に向かう。中に入ると、武器屋のオヤジが笑顔で迎えてくれた。

「よう、蒼玉。待たせちまったな、ちゃんと出来たぞ……って、お前らもついてきたのか」

 蒼玉の後ろから顔を覗かせた白童子の幼馴染二人に、蒼玉は小さく笑う。

「この子たちも、成人すれば武器を頼みに来ますからね。楽しみにしているみたいです」

「そうか、未来のお客さんか。よろしくな」

 琥珀と藍玉の頭を撫でてから、武器屋のオヤジは棚から一本の杖を取り出した。薔薇の花の蕾と荊が巻き付いたような、奇抜な造形だった。

「闇の男神の造形ではないのですね」

「お前さんの姿には、こっちの方が似合う気がしてな。ほら、持ってみろ」

 武器屋のオヤジが差し出した杖を、蒼玉は惹かれる様に手を伸ばして握り締めた。

「……これは……」

 蒼玉が杖を握り締めた途端、杖はキラキラと光り塗装されていなかった木の肌が濡羽ぬれば色に染まっていく。そうして、蕾だった薔薇が綺麗に花開いた。蒼玉を主と、杖が認めたようだ。握り具合もしっくりとして、杖から力を感じる。

「うわー! すげー!!」

 杖の変化に、琥珀は声を上げて喜んだ。藍玉も不思議そうに兄の手にした杖を見つめている。

「どうだ? 違和感はないか?」

「違和感なんて……とても素晴らしい杖だと思います。こんなに素晴らしいものを、無理言って早く仕上げて貰い、なんと感謝の言葉を伝えてよいか……」

 蒼玉も、少なからず興奮していた。

「いやいや、俺の方こそ感謝したいくらいだ。こんなに上手く仕上がるとは思わなかった。相性が良かったみたいだな」

 杖の状態に、武器屋のオヤジも満足げだった。武器が依頼者を主と認めないことも多い。武器屋にとって武器と所有者の相性が良いものを作るのは、大変な事で技術が求められるものなのだ。

「長老に訓練して貰ってたんだろ? 杖も出来たし、夜岳にもう旅立つのか?」

 蒼玉から杖を貸して貰って、藍玉達ははしゃいでいる。武器屋のオヤジの言葉に、蒼玉は現実を改めて感じると、ゆっくり頷いた。

「お世話になった人達に挨拶をして、遅くとも明後日には立ちます」

「そうか……寂しくなるな。だが、強い戦士になれよ。俺はここからお前を応援しているからな」

 武器屋のオヤジは、蒼玉に手を差し出した。蒼玉は頷いてから、その手をしっかり握りしめた。

「はい、風の国の誇りを忘れず修行してきます」

 戦士修行を受ける者が必要なものを買いそろえる時、その準備に必要な資金の一部を村が負担している。戦士が増えることは、魔獣がもし村を襲ってきても助けて貰える機会が増えるので、どの国でも推奨している風習だ。今回道具屋のオヤジは蒼玉が自身の店で買った物の全額を、無償で提供してくれた。着物屋や武器屋の支払いは、後日両親が払いに来る。

 杖を手にした蒼玉は、まだ遊ぶ藍玉達と店の前で別れた。また洞窟に戻ろうとした蒼玉だったが、ふと、蒼玉は蛍石の店が気になり足を向けた。

「あら、蒼玉じゃない」

 彼女の店は閉められたままだったが、蒼玉も知っている村の女性が店を開けていて掃除をしていた。

「あれ? お店、どうするんですか?」

 掃除している彼女に聞くと、箒を置いて蒼玉に歩み寄り訳を話しだした。

「酒場がないのは、冒険してる戦士が村に来た時に申し訳ないでしょ? 村長に言われて、私が店を受け継ぐことになったの」

「確かに、賑やかな酒場がないと戦士たちが立ち寄ってくれませんね。それで、近々お店を再開するんですか。頑張ってください」

 蒼玉は軽く頭を下げた。次の女将も笑顔で頭を下げた。

「あの……蛍石さんの、何か残されたものはないでしょうか……? 郷里さとのものが分かるような」

 根付だけでは、彼女の息子を探せないかもしれない。掃除をしている彼女なら、何か見つけたかもしれない。僅かな期待をもって、蒼玉は彼女に問うた。

「そうね……あ、ちょっと待ってて」

 首を傾げて思案していた女将は、何か思い出したように店の中に戻った。そうして、何かを手に取って戻ってきた。

「こんなものがあったの、役に立つかしら?」

 彼女が手にしていたのは、小さなお守り袋だった。それを受け取った蒼玉は、そっと開けてみる。

「これは……?」

 中には、何か干からびた小さなものと『梵天ぼんてん紅染月べにそめづき四の日』と書かれた紙が入っていた。

「あら? これ、へその緒じゃない?」

 蒼玉の手に乗せられたそれを覗き見た彼女は、干からびたものをまじまじと見つめる。

「子供を産んだ母親は、子供の成長を願って身に着けるの。蒼玉のお母さんも持ってる筈よ? 聞いてみたら?多分この紙にある、梵天って子のものなんでしょうね」

 家に帰って母に聞こうと、蒼玉は頷いた。女将に礼を言うと、蒼玉はそれと杖を手に家に戻った。

「ただいま帰りました」

「お帰り。武器が出来たんだって?」

 迎えてくれた母親は、風呂屋から帰ってきたようで囲炉裏の傍で髪を拭っていた。

「はい、明日はお世話になった方に挨拶に回り、明後日にはたとうと思います」

 蒼玉の言葉に母親は寂しそうな表情を浮かべたが、頷いた。

「母さん、聞きたい事があるのですが」

「何かしら?」

 草鞋を脱ぎ囲炉裏に上がると、蒼玉は懐から先ほど預かった守り袋を取り出し中身を母に見せた。髪を拭う手を止めて、母はそれを覗き込んだ。

「臍の緒だね、誰のなの?」

「やはり、臍の緒なんですね。でも、この臍の緒の相手が誰か分かる術が……あったりしませんか?」

 期待を込め、蒼玉は尋ねた。だが、母は首を横に振った。

「聞いたことないわね」

「そうですか……」

 残念そうにその臍の緒を直す蒼玉に、母は続けた。

「上級使い手様なら、分かるんじゃないかしら」

 その言葉に、蒼玉は顔を上げる。

「使い手様にしか使えない術があるそうだよ?もしかしたら、だけどね」

 母は、役に立てなくて済まないね、と困った顔を見せた。だが、使い手になら出会える機会があるかもしれない。蒼玉の希望の灯が、また強くなった。

「有難うございます、母さん。希望が増えました」

 頭を下げて、蒼玉は母に感謝した。



 次の日には、蒼玉は朝から一日かけてお世話になった人達に挨拶へ向かった。長老も道具屋のオヤジも、村中が蒼玉を応援してくれた。挨拶を終え帰った蒼玉に、母親が藍玉と一緒に、蒼玉が好きなワカサギの天ぷらを夕餉に用意してくれた。父が琥珀の父と釣りに行ってくれていたそうだ。

 優しい家族に、蒼玉は涙が出そうになる。明日になれば、この家から旅立つのだ。

 

 ――どうか、私の家族に神の加護がありますように…。


 何も返せない自分だが、そう願わずにはいられなかった。

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