第8話 記憶・六星の強さと疑問
炎を纏う魔獣の熱量は、激しかった。辺りの凍てた大地がじんわりと溶け出す。蒼玉は足場が滑らず落ち着くので、不幸中の幸いに思えた。
「蒼玉、何があっても前には出るなよ?」
「はい!」
かけられた言葉に、蒼玉は大きく返事した。六星は魔獣を前にしても落ち着いていて、そのお陰で蒼玉も不安に駆られる様なことはなかった。――六星なら、大丈夫。確信にも似た思いだった。
「
蒼玉が構える杖から黒い火の玉が生れて、火の魔獣に向かい爆発する。「ギャァ!」と叫んだ魔獣は、六星から蒼玉へと視線を変えた。大きく口を開け、炎を蒼玉へ吹きかけようとする。
「氷の刃!」
その隙を狙い、六星は魔獣に飛び掛かると大剣を大きく振りかぶり魔獣へと叩きつける。その刀身が当たった魔獣が纏う炎が一瞬凍り付き、割れた。
「キャァアアアアアアェエエエエエエ!!」
咆哮と共に魔獣は一度氷の大地へ落とされるが、再び自身の炎を作り出すと空へと舞い上がり六星に向き直る。魔獣が大きな翼を羽ばたかせ、六星に対して怒気を孕んだ視線を向けているのが分かる。
「お前の獲物は俺だろ?よそ見すんな」
六星は体の前で、大剣を握り直す。楽し気に、唇の端を上げて笑んでいた。その余裕さに、彼が魔獣と何度も戦ってきた事の真実味を増している。
「黒き激流!」
蒼玉は再び杖を掲げて、術を魔獣に向ける。黒い光の風は魔獣に絡まる様にまとわり付き、その風は刃となり魔獣を切り刻む。
「ギャァアアア!!」
「
蒼玉が術を唱えているうちに六星は氷連地の岩に足をかけ高く飛び上がると、術で切り刻まれ低い位置まで落ちてきた魔獣に向かい大剣を脳天から突き立てる。氷の大地に激しく叩き落された魔獣の、六星の刀身が突き刺さった頭頂から波のように氷がその体に広がり、キラキラと消えていく。
「ギャッ、ギャ、ャ」
頭から六星の刀を受けた魔獣が、ジタバタ弱弱しく羽を震わせて苦悶の声を上げる。剣を引き抜き、六星は倒れている魔獣を見下ろした。
「次は、魔獣として生まれてくんなよ」
何処か、憐れみを含んだ声音だった。そう魔獣に声をかけると、素早い剣筋でその首を跳ねた。首は何度か回転して、冷たい氷連地に落ちた。六星は口笛を吹きながら剣を鞘に戻す。
魔獣は、あっさりと退治できた。蒼玉は信じられずに魔獣の亡骸と六星を眺めた。初めて魔獣と対峙した時を思い出す。あの夜のような恐ろしさが、全くなかった。だからと言って、魔獣が弱いのではない。六星の剣の腕が、異常なほど強いのだ。蒼玉は現役戦士の戦いを間近で見た事はないが、多分六星の剣士としての強さは中ノ地でも上位の域だろう。この腕なら、確かに一人で魔獣を倒せる。自分の術など、さして役に立っていない。
「蒼玉のおかげで、いつもより早く退治できたぜ。有難うな」
そんな蒼玉の思いを悟ったのか、魔獣の首を拾い笑顔を浮かべて六星は蒼玉の許に歩み寄ってくる。ドスン、と背後で何か音が聞こえた気がする。振り返ろうとするが、蒼玉の意識は六星に向いたままだった。
「お疲れ様です、私の力不足で……」
「蒼玉!!」
そこには、大きな亀のような魔獣がいた。長い舌を出して、その魔獣は蒼玉に飛び掛かってくるところだった。
「――っ!!」
「蒼玉!!」
強い衝撃と氷連地に押し倒された痛さに、遠くに六星の声を聞きながら蒼玉の意識はそこで途切れた。
薪の爆ぜる音が聞こえる。暗くぼんやりとした意識が、ゆっくりと覚醒していく。しかし体は重くて動かない。
「目が覚めたか?」
この声は誰だろう、とぼんやり蒼玉は考える。
「蒼玉?」
ひょいと顔を覗かせたのは、六星だった。彼の顔を見た蒼玉は、一瞬にして氷連地でのことを思い出して青ざめた。
「魔獣が……!」
慌てて起きようと身を起こす蒼玉を遮り、六星は再び蒼玉を寝かせた。
「怪我はしてねぇみたいだが、頭打ったから暫くは大人しく寝とけ」
辺りを見渡すと、家の中の様だった。囲炉裏の傍に布団が敷かれて、蒼玉はそこに寝かされていた。六星はその向かい側で、
「ここは……?」
「水連にある、俺の家。あ、お前の防寒着と着物は氷で濡れちまったから乾かしてる」
よく見れば、自分は肌着姿だ。それを知ると恥ずかしさに布団に顔を埋める。
「すみません、あの後は……?」
「亀の魔獣も、ちゃんと倒した。お前が飛ばされたから怪我したか冷や冷やしたが、無事みたいだったから魔獣の首二つとお前抱えて帰ってきた。あ、蒼玉の荷物もちゃんと返してもらってるからな」
部屋の片隅に置かれた蒼玉の旅の荷物を軽く指差し、六星は安心させるように説明する。手伝うと言い張ったのに、結局六星に迷惑をかけてしまった。蒼玉は申し訳なさで、続く言葉が出ない。
「気にすんなよ? もう一匹いるなんて聞いてなかったんだから。それに、俺は報酬も増えたし有難い」
酒で喉を潤し、六星は蒼玉を慰める。
「戦士教育受けてないのにあれだけ術使えるなら、大したもんだ」
「けど、あまり役には立てませんでした……それに、村に戦士が沢山いたのになぜ皆さん戦いに行かないのですか?」
パチパチと木が爆ぜる。六星は、ゆっくりとお酒の入った湯飲みを囲炉裏の縁に置く。
「ここでは、日常的に魔獣が出る。来ている戦士のほとんどは闇の素材の基を採りに来てる奴らだ、闇の素材は他国で売れば金になるからな。頻繁に出る魔獣討伐なんて、殆どの奴はする気はないんだろ」
「でも、戦士は民を護るために……!」
「それが現実だ。戦士でも、魔獣退治は命懸けだってお前も分かってるだろ? 幸いここは俺が出来る限り退治してる。戦士であってもどう生きるかは、自分で決めるもんさ」
綺麗事、理想論では生きていけない。皆が六星のように強いわけではない。蒼玉はそれ以上、その事について聞くのは止めた。
「それより、俺も聞きたい事があるんだが」
六星はそう言うと、懐から何かを取り出した。――それは、蛍石の薔薇の根付だった。蒼玉の着物を脱がした時に、落としたのかもしれない。
「それは!」
蒼玉は思わず身を起こした。六星は根付を指に絡め、何処か鋭く蒼玉を見つめる。
「これを、どこで手に入れた?」
「それが何か、六星は知っているのですか?」
手がかりが増えるかもしれない希望が、蒼玉を駆り立てる。そんな蒼玉を、六星はどこか探っているようだった。
「どこで手に入れた?」
同じ言葉を繰り返す六星に、蒼玉は答えなければ彼は何も話さないだろうと悟った。そうして蒼玉は、村で起きた蛍石の事を全て正直に六星に話した。話し終えるまで、彼は相槌も打たずに黙って聞いていた。
「私は、それを彼女の息子に返そうと思い夜岳に来たんです」
「――そうか、風の国にまで行ってたとは。全く、不思議な縁だぜ」
ようやく、六星の険しい雰囲気が和らいだ。それを感じて蒼玉はホッとするも、謎ばかりが増える。
「蛍石――
「逆に、蒼玉は安曇の息子が誰だか知っているのか?」
問い返されると、お守り袋の中に書かれていた名前を思い出した。
「梵天、と書かれた名前と臍の緒を持っていました。その方が、息子ではないのですか?」
「ああ、闇の国や水と氷の国の奴なら誰でも知ってるよ。梵天は、闇の国の現国王、
六星の答えに、蒼玉は唖然とした。村で農業をする者にとって、縁遠い王族。まさか、探していたのはそんな存在の人だったとは。
「この根付は、闇の国の王族が身に着けるもんだ。話だけなら信じなかったが、これを持ってるんじゃ間違いない。そうか、安曇は死んだのか」
六星は手にしていた根付を、蒼玉に渡した。受け取る蒼玉は、急にこれが王族が所有する高価なものと知って困惑する。
「戦士教育を受けるのは、嘘なのか?」
「いえ、戦士教育を受けるのは真実です。訓練中に探せたら、渡せると考えていたんですが…」
王族に、簡単に会える訳がない。蒼玉の言葉は語尾が弱くなる。
「そう気を落とすなよ。絶対に会えない訳じゃないと思うぜ? ま、暫くは真面目に訓練受けとけ」
笑んだ六星は、いい焼き具合の烏賊を熱そうに取りながら蒼玉を慰める。
「戦士教育を受けるなら、闇の国に留まるんだろ?梵天に会える様に、俺も手伝ってやるよ」
「え?」
意外な申し出だった。六星とはここでお別れだと思っていたので、その言葉に蒼玉は驚いて声を上げた。
「ん? 嫌か?」
肴を嚥下した六星は、何処か拗ねたように蒼玉に視線を向ける。
「いえ、六星とはここでお別れだと思っていたので、嬉しくてつい」
正直に話した蒼玉に、六星は吹き出して笑った。その様子に、蒼玉は赤くなる。
「嬉しくてとは、また六星さんと会えるからであって、変な意味はありませんから!」
「分かってるって、蒼玉は可愛い奴だな」
肩を震わせて笑っている六星に、今度は蒼玉が拗ねたように六星へ背を向けて布団に横になる。
「――有難うございます」
「ん?」
不意な蒼玉の言葉に、六星は湯飲みを口に運ぶのを止めた。
「お礼を言うのが遅くなりました……助けて下さり、有難うございます」
背中を向けたまま、蒼玉はそう返した。
「相棒を護ったんだから、礼なんざいらねぇよ」
六星は湯飲みの酒を全て喉に流すと、囲炉裏の火が自然に消えるよう広げて立ち上がる。そうして着物と袴を脱ぐと、肌着姿で蒼玉の布団に潜り込んできた。
「え!? あ、ちょ、六星!?」
背後から抱かれるような姿勢になると、蒼玉は混乱して慌てて声を上げた。
「何もしねぇよ。布団一つしかねぇし、寒いし。明日は夜岳まで連れてってやる」
眠そうな声音の六星は、暫くするとそのまま蒼玉を抱いたまま寝入ったようだった。雑用の仕事をして、魔獣を二匹も倒したのだ。疲れているのだろう。蒼玉は初めて感じる人肌に、心臓が早鐘を打つのを落ち着かせようと深呼吸する。
しかし、先ほどの六星の様子。安曇の根付をたずさえていた蒼玉を、単に疑っている様子ではなかった。殺気めいていて、何処か冷たく恐ろしいと感じた。まだ、六星に心を許してはいけないと蒼玉は自分に言い聞かせる。今日出会ったばかりだ、彼がどんな人物かなんて蒼玉は知らないといっても間違いではない。
囲炉裏の火が次第に消えてくると、空気が冷えてくる。六星の暖かさと穏やかな寝息に、次第に蒼玉にも睡魔が訪れてきた。六星の酒の香りが甘くほのかに漂う。
用心しろと思いながらも、蒼玉はその夜旅に出てから初めて久し振りにゆっくり眠れた。六星の腕の中は、不思議と蒼玉を安心させていた。
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