旅立ち

第2話 記憶・蒼玉の初陣

 それを変えたのは、次の春には十六歳になる年を迎える雪の多い冬だった。風の国である瞬湊しゅんそう村は東南に位置するのであまり冬が酷い訳ではないが、何年かに一度や二度旅人も訪れないくらいの厳しさを迎える。そんな時に、隣り村との境に魔獣が現れた。魔獣は村を襲い何人も村人をさらい喰った。雪の為限られた備蓄の食料と村人の命を守る為隣り村と話し合い、両村で討伐隊を組む話は早くに決まった。ただ、討伐隊員を決めるのに難航した。瞬湊村で戦えるのは、戦士をしていた食堂と道具屋のオヤジ二人。戦士を引退しているのは大抵怪我の為で、古傷を抱えた他の年寄りは戦いに参加させる事は出来ない。しかも不幸な事に、食堂のオヤジは買出しに出かけてこの雪でしばらく帰れそうにないようだ。

 戦士ではない村人は、我流でしか戦えない。訓練をしている訳ではないので、どこまで強いかも分からない。白童子など、もっての外だ。瞬湊村からは、風の弓師の道具屋のオヤジと樹木の剣士の武器屋のオヤジ、火の鞭使いの酒場の女将。そして、成人したばかりの蒼玉だった。蒼玉の母は代わりに行くと泣き叫んだが、言われれば従う蒼玉は行く事を承知した。火力は隣り村にもいるから大丈夫だろうと、付け焼き刃で火の呪術師の長老から回復だけは教わった。

 討伐隊が決まれば、其々手早く支度を始めだす。蒼玉は薬草や解毒草や精神力回復草などの回復系を背負い袋に詰め込み、武器屋の主人から闇の加護用の杖を借りた。蒼玉専用に作られた訳でないのでしっくりはしなかったが、問題なく使える様だった。

 不安だらけの討伐隊は、隣り村の討伐隊との合流場所に向かう。雪が激しく、辺りはまるで白い世界だ。指もかじかみ、歩くのも億劫になる。かんじきが凍る道を削る音と低く唸る風と雪の音、歩む討伐隊の息遣いがしばらく続いた。

「意外と根性あるんだね、…蒼玉だっけ? アンタ」

 頭から目深に被った羽織を、鞭を持つ手で上に押し開けて話しかけてきたのは、臙脂えんじ色の瞳と髪の酒屋の女将。高く結い上げた髪の彼女の眼差しは、蒼玉が臆するほど真っ直ぐだ。

「ああ、あたいは蛍石ほたるいしだよ。アンタ成人してまだ一年にもならないんだろ? よく行く気になったね。人をもう何人も喰ってる魔獣、怖くないのかい?」

 言葉を紡ぐたびに、白い息が真紅に塗られた唇から零れる。母と変わらないような年頃だろうが、妖艶でいて心の強い美しい女性に見えた。自分と違う力強さに、蒼玉は僅かに竦む。彼女は、風の国出身ではないそうだ。若い頃に産まれた国から流れてこの村へ辿り着き、村の門の近くに酒場を開いた。気さくで華やかな彼女の店は、村人や冒険者の馴染みも多く繁盛していると父親が話していた。蛍石という名前も多分真名まなでは無いだろうが、彼女の華やかさに似合っていた。

「おじじ達を戦いに行かせる訳にいかないし、……女性の貴女も参加しているので……」

 嘘だ。蒼玉はまた自分が嫌いになる。断る理由が見つからなかったし、ここで争って後々厄介事に巻き込まれるのが嫌だったからだ。蒼玉は項垂れて、癖のように唇を噛む。

「ふぅん……ま、頼りにしてるよ、アンタの回復!」

 蛍石は深く聞かず、痩せぎすな蒼玉の背中を強く叩いて子供のように笑った。

「集合場所はここだ、颯飛そうび村の討伐隊はどこだ!?」

 先陣を歩いていた道具屋のオヤジが大声を出して、それから皆で辺りを見渡す。三叉に別れた樫の木の巨木の下が合流地点だった。舞う雪の中探すが、それらしい集まりは見えない。と、ガサガサと葉の音が聞こえ慌てて皆がそちらに目を走らせる。

「……なっ!?」

 現れた人物を見て、瞬湊村の討伐隊は我が目を疑った。この寒空に白童子用の着物を着ただけの裸足の白童子が、自分の背丈と変わらない古びた剣を抱いて震えていた。雪を被り、恐怖と寒さで立っているのが精一杯のようだ。頬を殴られたのか赤く腫れていて、涙を耐えるように口を強く閉していた。

「こりゃ、颯飛村の奴らにやられたね」

 眉をひそめて、蛍石が頭から被っていた粋な羽織を脱いで白童子に掛けてやる。

「大方、身寄りのない白童子を生贄にしたようだ……アンタ、大丈夫かい?肌が冷たいねぇ……この寒さの中、随分待っていたんだね」

「くそっ、颯飛村の奴らめ!許さねぇ!」

 道具屋のオヤジが、凍った道を踏み付け怒鳴る。理由はニつ。厄介事を瞬湊村に押し付けた事。そして、何があっても身寄りのない白童子は村で育てるという風の国のおきてを破ったからだ。

「この人数では厳しい。一度村に戻るか?」

 激しい雪を避けようと腕を上げた武器屋のオヤジが声を発した時、肌がビリビリとする大きな獣の咆哮が耳をつんざいた。

「しまった!」

 慌ててあたりを見渡すと、三叉路の丘に向かう道に魔獣がいた。全身銀色の毛に覆われている双頭の狼の魔獣だった。低く唸りながら、眼下に並ぶ人間を見下ろして涎を垂らしている。

「誰か、その白童子を下がらせろ! 武器を構え!」

 道具屋のオヤジの力強い声に全員我にかえり、蒼玉は慌てて白童子を抱き締めて樫の木の陰に回り込む。雪が足元を危うくしていて、転びそうになるのを必死に耐える。

 他の面々は武器を手に対峙した。驚く事に、腰が引けている武器屋のオヤジに比べて蛍石は慣れたように鞭をしならせて距離を詰めている。彼女の過去は誰も知らないが、もしかすると戦士の育成を受けているのかもしれない。

「うぁあ!」

 魔獣が雪を蹴散らして武器屋のオヤジに向かい飛んできた。紙一重で彼はそれを避けると、慌てて剣を握り直す。近付いてきた魔獣に、道具屋のオヤジは弓の狙いを定めて連射する。何本かは外れたが、一本が右の頭の左目に刺さった。

「ギャオア!!」

 後ろに飛び距離を取ると、魔獣の狙いが道具屋のオヤジに変わる。

「あたいを忘れるんじゃないよ!」

 それを読んでいたかのように蛍石は前に踊りだすと、鞭を素早く振るい左目を潰した顔の右目を容赦なく抉る。

「グァァアアア!!」

 その傷の痛みにまた大きな咆哮を上げると、魔獣は飛びかかり蛍石の肩に噛りついて離れた。

「ちっ!」

 真っ赤な血が飛び散り、赤い色が鮮明に雪を染める。繰り広げられるこの恐怖に、白童子が震えて蒼玉の着物を握り締めた。血だらけの肩で鞭を持つ手で抑えて、蛍石は後ろに下がる。

「牙の威力が弱い。どうやらこの魔獣は年寄りのようだね」

 息が乱れた蛍石を庇うように、武器屋のオヤジが前に出る。魔獣は蛍石の血を美味そうに舐めている。

「蒼玉!」

 道具屋のオヤジの声に、蒼玉は自分の役目を思い出した。片手に白童子を抱えたまま、杖を出して回復の詠唱を唱える。

「慈愛に満ちた光が深淵より朽ちた花に与える自由と愛に 君臨した女王に嘆きの聖杯を捧げ 漆黒の酒が汝を赦し神の雫にその身を委ねろ 闇詠唱やみえいしょう黒き癒やし風」

 杖から黒い光が迸り蛍石を包む。肩から流れる血は止まったようだ。

「有難うね、蒼玉! アンタの回復、ちゃんと効いてるよ!」

 血まみれの肩から手を離した蛍石は、乱れた呼吸のまま背後にいる蒼玉に声をかけた。何よりも唯一役に立てる術が効いていることに蒼玉は安心して、片腕に抱く白童子を庇うように木の陰から見守る。

「くっ!」

 血の匂いに誘われるまま魔獣は、蛍石の前で剣を構える武器屋のオヤジに向かい飛びかかる。噛み付こうとする口を剣で耐え、牙と刀身が合わさると火花が散った。

「ぐあっ!」

 魔獣は体を丸めるように縮めると、後ろ足の爪で武器屋のオヤジの腹をえぐり後ろに飛んだ。またもや白い雪に血が飛び散る。武器屋のオヤジは跳ね飛ばされるように仰け反って倒れた。

「危ない!」

 再び武器屋のオヤジに飛びかかろうとする魔獣に、蛍石が回り込んで両目を潰された顔の首を鞭で巻き締め上げる。腹を抉られたオヤジの臓腑が溢れそうになるのに気付いた蒼玉は、慌てて回復を詠唱する。幸い傷は塞がり血が止まるが、武器屋のオヤジは恐怖が強くなったようだ。塞がった腹を抑えながら剣を杖のように立ち上がり、ジリジリと下がってしまう。

「ギャッ!!」

 距離を空けた道具屋のオヤジは、正確に蛍石が締め上げる首の眉間に矢を放つ。と、その首はガクリと力を失い垂れた。

「流石だねぇ!」

 巻いていた鞭を解くと、蛍石は後ろに下がり手にしていたそれを握り直す。魔獣の生きている方の顔は苦悶に満ち、開いている口からはダラダラとヨダレが溢れている。

「気を付けろ! 手負いが一番厄介だ!」

 弓を構えながら、厳しい道具屋のオヤジが全員を一喝する。

 風が強くなり、舞う雪が視界の邪魔をする。蒼玉の腕の中の白童子は、繰り広げられる戦闘と魔獣の恐ろしさにずっと震えている。蒼玉は白童子を気にしながらも、張り詰めた戦場を注意深く見つめていた。

 ゴウッと突風が吹いて雪が視界を一瞬奪う。大きな剣を抱いていた白童子がその剣をガシャンと落として、それを持ち直そうとして前に倒れそうになる。慌てた蒼玉は身を伸ばして木の陰から飛び出した白童子を、抱き寄せようと腕を伸ばした。すると雪の合間から突然片方の顔を潰された双頭の魔物が飛びついてくるのが見えて、動きが止まる。獣臭さと形容し難い臭気が濃い。

 魔獣は蒼玉の躊躇ためらう、その一瞬を逃さなかった。白童子の着物の襟をくわえて、蒼玉の肩に爪をたて着物を引き裂きながら踏み台にして丘に向かう。

「しまった!」

 蒼玉は悲鳴を上げずに、慌てて連れ去られた白童子を追い木の陰から飛び出した。その場の全員がそれに気付いて、態勢を変える。

「あ、あの童子を与えて一度村に帰ろう! この人数では無理だ!」

 もはや剣を構えもせず、武器屋のオヤジが悲鳴じみた声を上げた。間髪入れずに蛍石の鞭がしなり武器屋のオヤジの頬を叩いた。彼女は険しい表情で、白童子をぶら下げている魔獣を睨みつけている。武器屋のオヤジはヒィッと叫んでスマンと武器を構え直す。蒼玉は背負った袋を下ろすと、回復薬を取り出して苦い葉を食む。精神力がどれ程持つか分からない。自分の傷はギリギリの回復で温存するつもりだ。程なく傷口が塞がり飛び散った血は冷気ですぐに乾く。

 吹雪が激しく、視界が悪い。生臭い魔獣の匂いでようやく位置が分かるくらいだ。魔獣に着物の襟元を咥えられている白童子は、最早泣く事もできずだらりとぶら下がっていた。怪我はしていないようだ。安堵した蒼玉は、何とか白童子を取り返す方法を考える。しかし焦りと初めて対峙する魔獣に恐れを抱き、考えがまとまらない。

破・爆雷風は・ばくらいふう!!」

 道具屋のオヤジの矢が、雷の様に雪をかいくぐり魔獣の眉間に向かい放たれる。道具屋のオヤジは何時の間にか、魔獣の視界から僅かに身を引いていた。間近に来た矢に魔獣が気付いた時には、それは魔獣の鼻先に当たり爆発した。

「ギャッ!!」

 叫ぶ魔獣の口から白童子が落ちる。その瞬間に、蛍石が飛んだ。地面に叩きつけられそうになる白童子を胸に抱き衝撃を身に受ける。

「いっ…!」

 凍り固くなった地面に落ちた蛍石から、小さなうめき声がもれる。鼻先をただれさせた魔獣は、涎を撒き散らしながら眼下の蛍石の喉元に噛み付いた。

「がっ! ッあぁ!!」

 血が飛び散る。蛍石は鞭を使い魔獣に当てようとするが、抱き締める白童子を庇う為に上手く扱えない。

「女将!」

 武器屋のオヤジが剣を構えて魔獣に向かうが、それに気付いた魔獣は噛み付いていた蛍石の喉を噛み裂き続いて武器屋のオヤジに飛びかかる。

「危ない! 駄目だ、下がれ!」

 風が強くなり、ますます視界が悪くなる。武器屋のオヤジが叫ぶ声と共に、魔獣は飛びかかるオヤジの首に噛み付いて腹を爪で引き裂く。

 雪で白い筈の風景が、赤く染まる。


 ああ、駄目だ。回復が間に合わない。あの人は死ぬ。


 武器屋のオヤジの散らばる臓腑がゆっくりと雪の中舞う光景に、蒼玉はただぼんやりと眺めていた。

「駄目だ! 動くな!」

 再び道具屋のオヤジの怒鳴る声に、蒼玉ははっと我に還った。蛍石の腕の中にいた白童子が、覚束おぼつかない足取りで逃げようとしていた。判断が一番早かったのは、魔獣だった。逃げようとした白童子を追いかけ、その子の頭を噛み砕いた。飛び散っているのは、頭の中のものだろうか。


 人が死ぬ時、何故こんなにもゆっくりと時間が流れるように感じるのか。蒼玉は、絶望していた。死ぬのだ、自分は。ここに居る全員、あの魔獣に殺される。


「風の加護により命じる、鳳凰の風羽かざはね乱れ咲き!!」

 道具屋のオヤジの持つ弓が光を帯び、矢の雨が白童子の頭を齧る魔獣の背に降り注ぐ様に放たれる。

「ギャアアァァ! グアァ!!」

 戦士に与えられた技。矢の一本一本が深く魔獣に刺さり、最後の矢を受けるとドサリと魔獣が雪の上に倒れた。信じられない思いで、蒼玉は道具屋のオヤジを見つめる。


 これが、加護の術。


「……くそ、駄目か」

 武器屋のオヤジの元に寄りその姿を見下ろし、技を使い疲れをみせた道具屋のオヤジは悔しさを滲ませ呟いた。それを眺めてから、蒼玉は立ち上がり慌てて白童子に駆け寄る。

「……っうっ……」

 血だらけの辺りに、頭の無いその白童子にはもう命が無いことが分かる。なんとか吐き気を、耐えた。

「蛍石さん!」

 直ぐに倒れたままの彼女の元に向かう。腕に支え抱いた彼女は出血が多く、噛み千切られた喉の傷は目を覆うほどだ。ひゅーひゅーと、喉の奥が鳴っている。

「今すぐ回復を!!」

 杖を握り直す蒼玉の手に、蛍石は力なく手を重ねて弱々しく小さく笑む。

「……たす……な……よ、あ……がとう……」

「助かります!助かりますから!!」

 蛍石の血を失い過ぎて青白い顔に、ほたほたと蒼玉の涙が落ちる。助からない、自分の弱い力では、こんなに酷い傷を治せない。痛いほど分かっていた。

「あたい……な……まえ、あず……み……ほん……と」

 蒼玉から手を離した蛍石は、震える手で懐から象牙の薔薇の根付を取り出した。

「あた……むすこ……おなじ、の……あいたかっ……なァ……」

 臙脂色の瞳から涙が一筋流れるとその瞳は光を失い、首がガクリと力を失って垂れる。その彼女を強く抱き締めて、蒼玉は大きな声を上げて泣いた。

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