第3話 記憶・蒼玉の決意

 生き残ったのは、道具屋のオヤジと蒼玉そうぎょくだけだった。倒れている武器屋のオヤジと酒場の女将――蛍石ほたるいし颯飛そうび村の白童子しろわらしは、無残な姿で息絶えていた。

「雪がまた激しくなった。蒼玉、一度村に戻ろう。遺体は雪がやんだら迎えに来させよう」

 道具屋のオヤジにそう声をかけられた蒼玉は開いたままだった蛍石の瞼を閉じさせ、彼女が手にしていた薔薇の根付を取り出し懐に入れて立ち上がった。確かに目の前の少し先すら雪の白さでよく見えない。ゴゥゴゥと、地鳴りのように強い風が吹いている。

「お前はよくやった。頑張ったな」

 吹雪の道を瞬湊しゅんそう村に向かう途中、道具屋のオヤジはポツリと呟いた。慰めるでも責めるでもなく、本当にポツリと。道具屋のオヤジは若い頃冒険者だった。仲間の死もたくさん見てきたのだろう。救えたはずの命も見てきたに違いない。何時かの記憶に思いを馳せていたのかもしれない。

「……はい」

 自分にもっと力があったなら。蒼玉はまたあふれてくる涙を、寒さで凍らぬうちに拭った。村は、蒼玉が生まれる前からもずっと何度も襲われている。死人も出たし、怪我人はもっと出た。しかし村に訪れていた冒険者や元冒険者の村人、また使い手により報告を受けた王都の討伐隊が魔獣を退治してくれていた。今まで自分は守られてきたのだ。なのに、成人して力を得る権利を得たのに、自分は他の人たちの役に立つことなどなにもせず、戦いを放棄して、惰性で生きてきただけだったのだ。


 力が欲しい。


 初めて蒼玉が感じた自我だった。力があったなら、蛍石やあのかわいそうな白童子も助けられたに違いない。そう思うと、自分の今までの無力さが腹立たしい。




 悪天候の中、二人はようやく村に辿り着いた。飯屋で寝ずに待っていた大人たちは、二人を懇ろに迎えてくれた。室内の暖かさが安堵と疲れを呼び起こし、倒れこむように椅子へ腰掛ける。蒼玉の母親は、彼の着物が裂かれ、血に染まっているのを見て倒れそうになったが、傷は癒えてるからと安心させた。

 飯屋の奥で、二人の白童子がこちらを覗いているのが見えた。藍玉の幼馴染だと分かっているが、蒼玉は声をかけることなく、与えられた毛布にくるまり暖かい生姜湯を飲んだ。今は、何も考えられない。生きていることがこんなにも辛いと、初めて感じていた。

 道具屋のオヤジが、村長と長老に今までの事を全て話した。颯飛村の裏切り、二人以外の者は死んでしまったこと、魔獣は倒したこと。大人たちは魔獣が死んだことに安堵したが村の為に死んでしまった者たちに深く感謝した。雪がやんだら遺体を迎えに行くこと、颯飛村の事を王へ報告すると話し合っている中、蒼玉は根付を懐から出した。大輪の薔薇に、黒い房。そう言えば、彼女は本当の名前はあずみ、だと言っていた。安曇……? 薔薇を国花とするのは闇の国だ。蛍石は、闇の国の出身だったのか。華やかに笑った彼女を思い出す。息子がいると言っていた。会って、詫びなければならない気がした。自分の未熟さ故に、彼女を救えなかった事を。

「蒼玉」

 不意に村長に声をかけられて、蒼玉ははっと我に返り顔を上げた。

「今日はもう疲れただろう、オヤジさん達と家に帰って休みなさい。後の事は俺たちに任せてくれ。――有難うな」

 毛布にくるまっていた肩をポンと叩かれ、労わりの言葉がかけられた。それだけ言うと村長はまた大人達のもとに戻り、入れ代わりに蒼玉の親が傍に歩み寄る。

「家に戻ろう。服も着替えたいだろう? お湯を浴びたかったら、用意するぞ?」

「着替えて、寝ます。――とても疲れたので」

 父のかける言葉に力なく答えると、母に支えられながら立ち上がった。思ったより体が重い。

「すみません、では息子を連れて帰ります」

 両親は飯屋に集まった皆に頭を下げて、蒼玉を家に連れて帰った。まだ雪が降る道を歩き、家に入る。草鞋わらじを脱いで玄関を上がり居間に向かうと、白童子の藍玉が一人。囲炉裏の火守りをしながら、留守番して待っていた。皆の帰宅を立ち上がって迎える。

「兄さん、お帰りなさい」

 蒼玉の姿を見るなり僅かに息をのんだが、それ以上うろたえることなく、藍玉は兄へ頬笑みかけた。

「ただいま。藍玉、もう遅いから寝なさい」

 蒼玉も普段どおりを装い、ありふれた言葉で応じる。藍玉は変な気づかいなどしない、聡い子だ。はい、と聞き分けよい返事をしてすぐに寝間へ消えた。両親はまた飯屋に戻るといい、蒼玉の寝間着を用意すると、再び吹雪の夜へと出ていった。

「……っ……」

 一人になった途端、蒼玉は、押し寄せる悲しみの大きな波にのまれてしまい、囲炉裏端で身を縮め、堪えきれずに嗚咽を漏らした。懐の蛍石の根付を握りしめ、外の不気味な吹雪の唸りに呼応するかのように、ひとしきりひっそりと肩を震わせ泣いた。






 雪がやんだのは、それから三日後だった。朝から大人たちが無残な亡骸を迎えに行き、早朝に指示された別の村人は報告のため、馬を走らせ王都へ向かった。三人の下級使い手が命を受け、村人と共にやって来てすぐ、村長と長老、道具屋のオヤジに魔獣退治の一部始終を聞いた。

 亡骸を確認したあと、王都の一行は隣の颯飛村へも訪れ、同じく村長や長老に話をさせた。すると『真実の鏡』と呼ばれる魔具が彼らの嘘を暴き出し、すぐに風王都へ報告され、その悪行が裁かれることになった。

 王都からの判決で颯飛村の村長と長老は鞭打ちの刑になり、その傷がたたって長老は五日後に亡くなってしまったと聞いた。自業自得だと瞬湊村の人達は気にも留めず、暫くは颯飛村と関わりを持たないように村との交流を止めることにした。

 村のすぐ傍にある墓に、三人の亡骸は埋められた。独り身だった蛍石は名も知らぬ白童子と共に無縁仏用の墓に埋葬された。

 蒼玉は摘んだ水仙の花を墓前に供え、手を合わせる。祈るのは、彼女の故郷に渡って息子に会う事。蛍石が最後まで気にかけていたその息子に、最後まで傍にいた自分が会って伝えなければいけない。どうしても……。

 そんな決意も込めた祈りを、気の済むまで一心に捧げた。やがて一礼して墓前を去り、家へと向かう。帰路、両親に夜岳やがくへ向かうと告げねばならないことが、ひどく蒼玉の頭を悩ませていた。

 家に帰ると、母は夕餉の支度をしていて、父は風呂屋から帰ってきた下の子の藍玉の髪を拭っているところだった。

「父さん母さん、話があるんです。時間はかかりませんので、いいですか?」

 蒼玉の言葉に、二人は手を止めて息子を振り返った。母親は、僅かにぎこちない素振りを見せた。女の感、とでもいうものだったのかもしれない。

「私は、戦士の教育を受けたいのです。どうか、夜岳に学びに行く許可を頂けないでしょうか?」

 深々と頭を下げて、蒼玉はきっぱりとそう告げた。

「夜岳!? なんで闇の国にまで行くんだ!!」

 父が驚いたように声を上げた。続いて母も声を荒げる。

「夜岳だなんて!!あそこは今、国の中で戦があるって聞くじゃないの!!そんな所じゃなく、風王都で十分学べるでしょう!?」

 両親の言う事は尤もだった。闇と火の国は、今内戦で大変荒れているそうだ。勿論蒼玉も知っている。だが、闇の国に行かねばならなかった。

「加護の強い所で学ぶのが、一番力を得られるのです。私は闇の加護です、どうしても行かなければなりません」

 反抗することなどなかった蒼玉の言葉に、両親は戸惑っていた。初めて蒼玉は自らの意思を口にしていた。

「どうしてそんなに力を欲しがるの? そんなもの、村にいれば必要ないでしょう!?」

 母の言葉に、蒼玉は首を振る。

「父さん、貴方には鞭使いの紋章が。母さん、貴女には呪術師の紋章が。でも、戦士にはならなかった。そうして、村が襲われている中ただ逃げているだけでした。――母さん、貴女に回復の術が使えたなら、助かった命があったのかもしれません」


 パン!


 母親が目に涙をあふれさせながら、蒼玉の頬を叩いた。それは、蒼玉の言葉の意味を自分が一番知っていたからだ。洗っても洗ってももう落ちない、土の仕事をする手の爪には杖の紋章が確かに刻まれていた。

「すみません、母さん――でも、私はもう目の前で誰かが死んでいくのを見ているだけなのは嫌なのです……」

 叩かれたまま、床に落ちた視線のまま、蒼玉は小さいが力強くそう返した。

「……この話は、後にしよう。先に飯にしようか、母さん」

 幼い藍玉を気にした父が、母を促した。母は涙を拭いながら途中になったままの炊事場へと戻る。

「蒼玉、水を汲んできて」

 涙声のままの母の言葉に、蒼玉は桶を手に取り家の外に出て井戸へと向かう。先ほど墓に向かった時はまだ明るかったが、もう暗く星が空に瞬いていた。母に叩かれた頬が痛むが、それは息子を思いやる母の心だと分かっている。母が息子を思うのは、蛍石にも同じこと。どうして一緒にいないのか分からなかったが、『会いたかった』という彼女の言葉から想像するに、彼女の息子は生きていて会えない状況だという事は分かった。

 会えるかは分からない。だが、行かねばならないのだ。

 井戸の滑車に繋がる紐を手に思いを巡らせていた蒼玉の着物の裾が、ぐいと誰かに引かれた。

「藍玉? どうした?」

 そこには、下の子の藍玉が困った顔をして蒼玉の着物の裾を掴む姿があった。

「兄さん、どこか行っちゃうの……?」

 まだ小さな下の子にまで迷惑をかけてしまったことに、蒼玉は僅かに胸を痛めた。

「私は、魔獣に苦しめられている人を助けるために勉強しに行くんだよ。藍玉も琥珀こはく達と言っているだろう? 戦士になるんだよ」

 琥珀とは、藍玉の幼馴染だ。もう一人、翠玉すいぎょくという子と三人で村を駆け回っている。蒼玉には残念ながら幼馴染と呼べる年の近い子供はいなかった。

「分かった……でも、父さんも母さんも立派な仕事をしていること分かってね……?」

 藍玉は、真っ直ぐに蒼玉を見上げる。蒼玉は、その言葉にもう一度頬を叩かれた気がした。毎日食べる食事。その元の食材がなければ生きていけない。農業をする者がいるから、皆生きていけるのだ。土が皴にまで入り込み、どんなに洗っても落ちない農業をする人の手に支えられて大きくなった。どんなにひどい言葉をその両親に向けたのか。

「……そうだな。家に帰ったら、父さんたちにちゃんと謝るよ。さあ、寒いだろ。帰ろう」

 蒼玉は、藍玉の冷たくなった小さな手を繋いだ。この子は、もしかしたら神に愛されるかもしれない。小さいのに、聡明で愛情深い。この村を守る良い戦士になるのかもしれない。

 手を繋ぎ家路に向かう二人に、夜が迫ってくる。家からは良い匂いがして、彼らを待っていた。

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