シロツメクサ【神々の愛した華外伝】

七海美桜

はじまり

第1話 記憶・蒼玉と王子


 室内に焚かれた香は、甘く濃くて思考を塞ぐかの様に静かに部屋に漂っている。寝台の横に置かれた蝋燭の光がなければ、辺りが確認できない恐怖を感じる。捕らえられている蒼玉そうぎょくにとって、この暗闇はより不安で豪華な部屋なのにここに身を置いている事が、怖くなる。


 薄暗いこの部屋は王宮の最奥の王族の居住区域にあり、入れる者もごく限られている。

 寝台の柵に、ぼんやりと檸檬れもん色に発光する縄の様な術で、彼の四肢を結んで束縛していた。肌着しか身に着けていないしどけない身体は、ここに軟禁されて幾日経ったのかももう分からない。元々青白い身体が陽の光をあまり浴びない事により白く、濡羽ぬれば色の髪と瞳を引き立てていた。

 その濡羽色の髪の蒼玉は、美しかった。男性的ではなく、少女の様に華奢で繊細。見る者を魅了する、不思議な魅力の持ち主であった。

 その彼は、引き戸の開く音に気が付いて僅かに顔を上げた。そこには、檸檬色の髪と瞳を持つ本紫の着物に金糸で刺繍された漆黒の単を肩に掛けた、端正な青年がいた。


 ああ、と寝台に括られている蒼玉から恐怖と落胆が混ざった吐息が零れた。


「俺では不満だったか?蒼玉――昼は、使い手つかいてと随分と楽しげだったが?」

 引き戸を閉めると、青年はゆたりとした足取りで蒼玉と呼ばれた美しい青年に歩み寄る。右手に握られた檸檬色の鞭を軽く振ると、ようやく蒼玉を縛っていたものが消えた。

 解放された身体は、ぎこちない動きで身を守るように小さくなる。青年はその鞭を蒼玉の顎に当て顔を上げさせた。


「昼間お前が笑顔を見せた使い手は、処分しておいた。俺以外にそんな事をした罰だ」


 蒼玉は、衝撃で顔を強張らせた。昼間、身体に良いですよ、と瑞々しい擦りおろした林檎を届けてくれた使い手の顔が浮かぶ――自分のせいで、と蒼玉はうっすらと涙を滲ませた。


 間近で見る彼は、華やかで長い睫毛すら美しい。こんなに美しい男が、なぜ自分に執着するのか翠玉には分からなかった。

「お前は俺のものだ。手放しはしない、離れるのなら斬り捨てる。…蒼玉?」

 彼は、答えを求めている。蒼玉は、震える声音で小さく返す。


「…いいえ、私は…殺されても…」

 梵天は、歪な笑みを浮かべた。その美しい顔は、冷たく何処か哀しかった。


 ――嗚呼、何故…。

 蒼玉は、彼との出逢いに思いを馳せた。




 




 この世界は、三層から成り立っている。

 一層目は、今は眠りについてしまった創造神とそれを護る創造神が創り出した神々が住む聖光陽せいこうよう。二層目は、光の神が創り出した人間と闇の神が創り出した魔物が住むなか。三層目は、中ノ地を統治する国の王を助ける使い手と呼ばれる精霊、妖精、聖獣が住む常月丘とこげつきゅう

 この世界に現れた創造神が最初に創り出したのは、自分と、これから産む神々が住む聖光陽だった。

それから、神々を続けて産んだ。闇の男神と光の女神。火の女神と水の女神、花の男神と樹木の女神、氷の男神と風の女神、最後に大地の男神が姿を与えられた。

 創造神が最初に何を創るか?と光の女神に問うと、光の女神は神を敬う人間を創りたいと答えた。ならば、神を敬う人間の信仰心を試す魔物を創りたいと闇の男神も続けて答えた。二人の神は創造神に許しを得て、それぞれに人間と魔物を作り出した。それから人間と魔物は、神々たちと暮らし始めた。

 だが、他の神々は尊い神と作られた人や魔物が一緒に暮らすのはおかしいと、創造神に提言ていげんした。得心とくしんした創造神は、人間と魔物を住まわせる中ノ地を創り出した。

 中ノ地で新たに生活を始めた人間達は、与えられた命を、自らの創意工夫で自由に生きることを悟り暮らし始めだした。気に食わない魔物は悪事をそそのかし、人間達を惑わし堕落させたりもした。

 だが神を敬い生きる意味を知った人間達の一部は、魔物と戦いながらも九人の神の試練を耐え抜いた。それらの九の一族の家長は王となり、それぞれの神に与えられた領地を己の国として、民を統治し始めた。すると王が間違いを起こさない様に、九人の神は王を補佐する使い手と呼ばれる精霊をそれぞれに創り出した。

 使い手達は、三つの位が与えられた。使い手達は、人間の世話とそして神々との繋がりを担う、特別な精霊となった。そんな精霊たちの為に、創造神がその精霊と精霊が使役する九の聖獣、他の精霊たちを住まわせる常月夜を新たに創った。

 そんな、光の女神が生み出した人間ばかりが繁栄するのが面白くないと、闇の男神は魔物と新たに魔獣を創り出して、それらを率いて人間達を滅ぼそうと光の女神に戦いを挑んだ。闇の男神に付いたのは、氷の男神と樹木の女神と水の女神だった。光の女神は、火の女神と花の男神と風の女神と大地の男神に助けられて応戦した。

 戦いは長く長く続き、お互いが疲労していた。神々たちが力を使い果たす寸前、それまで静かに見ていた創造神が、「戦いを終えよ」と光の女神と闇の男神を深い眠りにつかせた。

 他の神々は創造神からの戦いの終焉しゅうえんを受け入れて、世界はかつての静けさを取り戻した。

 しかし数々の力を使った上に光と闇の神を眠らせる為に創造神は残りの神通力を使い果たして、闇と光の神と共に深い眠りについた。他の神々は、そんな三神を護り聖光陽で暮らしている。



 村の年寄りがよく白童子しろわらし達に語り聞かせ、もう一語違わず覚えたこの大陸の歴史。

 蒼玉は、自分が闇の神の守護を受けた時から自分の不遇さを予見していた。性別を持たない白童子は、十五の成人の儀式で己の性と守護神が決まる。村でその年十五になるのは蒼玉一人だった。儀式の社に村長と長老に連れて行かれ、神の水晶に触れた己の変化に随分と驚かされた。華奢なのは白童子の頃から変わらずだが明らかに男になり、白かった髪と瞳は濡羽色に染まった。爪に現れたのは、杖の紋章。闇の呪術師が適職と判断された。

 小さな頃から蒼玉は、自分の意志を持たない性格だった。自我がないと言うと語弊があるが、自分のしたい事を全く主張しない子供だった。親に示された通りに生活をして、家業の農地を耕すのを手伝った。母に言われれば、自分の次に産まれた白童子の藍玉あいぎょくとその幼馴染達の世話もした。指示されなければ、ただぼんやり空や花を見ているだけの生活だった。成人しても戦士になる気にはならず、王都に向かい修行することも無く白童子の頃と変わらずただ農地を世話していた。親も特に何か言うでもなく、静かな村で過ごす事に蒼玉は満足だった。

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