第33話 洞窟

「……おかしくない?」

 人目に付かないように玉髄を運ぶ際、翠玉は辺りの様子が先ほどと変わった事に気が付いた。暇そうに、気怠そうにしていた村人たちが忙しそうに走り回っていた。沢山の食べ物や酒などを抱えて、村を出てどこかに向かっている。華やかな切り花を抱えている者もいた。皆忙しそうで、村人ではない翠玉達に目もくれずに、村の外で何かの用意をしているらしい。

「実は私も、この村に入ってから不思議に思った事があるんです」

 重い玉髄を抱える艾葉は、まだ目を覚まさない彼を支えながら顔をしかめた。

「私はこの村で、『闇の加護』の人を一人も見ていません」

 その言葉に、翠玉の顔が即座に強張った。翠玉も記憶を辿ってみるが、確かに覚えている限り、村人に闇の加護の者はいなかった。今辺りを見ても、確かに見当たらない。

「まさか、琥珀は『闇の加護』だから――誘拐されたの?」

「分かりません――玉髄さんからの話を聞いてから、中の子様に判断して頂くしかありません。とにかく、嫌な予感しかしません」

「分かった、取り敢えず宿屋に急ごう。玉髄の意識を戻さないと、状況が分からないよ」

 翠玉は玉髄を抱え直して、艾葉と息を合わせて宿屋まで彼を運んだ。



 中の子は、二号一がつけた灯りの術を使って洞窟の中を進んでいた。中の子は未熟な神であるが、他の神と同じで闇の中でも灯りを使わずに辺りが見える。使い手である二号一は自分の為に、灯りをともしているのだ。

 洞窟の中は、外より涼しく熱くねっとりとした空気も感じない。こんなに涼しいなら、村人がここで休みに来ても不思議ではないのだが、辺りはしんと静かで人気は無かった。

「しかし、あ奴らだけで大丈夫だろうか」

 火山の影響なのか、大きな軽石が多い。それを跨ぎ歩きながら、中の子が呟く。

「普通の戦士なら、もう自分たちで判断して行動しているはずよぉ。けど、あのメンバーから考えると呪術師がいないのは大変ね。それに、呪術師と言えば、藍玉は人をまとめるのも上手だったみたいだし――代わりに、玉髄に頑張って貰うしかないわね」

 二号一は琥珀達の顔を思い出しながら、そう返した。藍玉を失ったのは、本当に痛手だった。この件が終わり彼らがまだ旅に出るなら、新しい呪術者を招かねばならない。

「そうだな。あたし達が何時までも一緒にいる訳ではない――人の世は、移り変わりが早いからな」


 神々にとって、人間の人生は瞬きほどのほんの一瞬だ。


 思い入れが大きい程、死による別れというその辛さが、身に沁みる。神々が人とまぐわうのも、その気に入った人間と同じ血を持つ子供を少しでも生かせたいからだ。



 昔、氷の男神が気に入った美しい人間の女がいた。しかし彼女が老い死んでしまうのを恐れた氷の男神は、自身が作った氷の中に彼女を閉じ込めた。確かに数百年間その女はそのままの姿であったが、笑いもしなければ氷の男神に話しかけもしない。短くても生きていることの大切さに気が付いた氷の男神は、自分のした事を悔やみ五日間泣き明かしたという。そうしてその氷を溶き、女の亡骸を常月丘とこげつきゅうの地に埋めた。


 その逸話も、中ノ地で今も語り継がれていると聞く。

「結構深い洞窟ね。まだ先があるわ」

 枝分かれは少ないが、それは浅くすぐ道が閉じている。この大きな道は本当にずっと奥まで、まだ続いているようだ。もしかすると、このまま炎天に続いているのかもしれない。

「二号一、お前は何だと思う? やはり、姉神が関わっている以上何らかの闇が絡んだ……例えば、魔物とかが起こした事だと思うか?」

 中の子が避け切れなかった拳ほどの軽石が、こつんと転がった。それが大きな石に当たり、割れてしまう。淡々と歩くのが、退屈になってきたようだ。


 魔物は、闇の男神しか作れない。闇の子は、まだ魔物は作れないはずだ。今生きている魔物は神々の戦いでの生き残りなので、もう数が少ない。


「まあ、本人が関わってると言ってから間違いないとは思うけど……もっと、何か裏があると思うわ。蛇女神は、アンタと光の子様に嫌がらせをする事が生き甲斐だもの」

 何度注意しても、二号一は闇の子を陰で「蛇女神」と呼ぶ。中の子はやめなさいと注意をしたが、二号一はやめる様子がない。

「姉神は、兄神に構って欲しいのだろう。嫌ってはいない」

 中の子は、少し寂しげに呟いた。闇の子がまぐわう人間は、光の加護を受ける男ばかりだと聞く。闇と光は惹かれあうと伝承されていた。しかし、光の子は特別兄妹以上の感情を闇の子に抱いている様子はなく、むしろ中の子を溺愛している。

「あら?」

「何だ?」

 ふと、二号一が足を止めた。先を歩いていた中の子は立ち止まって、彼を振り返った。洞窟の闇の中、中の子の黄支子きくちなし色の左目がぼんやりと光っている。

「もう少し先に、割と大きな分かれ道があるんだけど…何だか変な乱れを感じるわ」

「そうか、ならそちらに行こう」

 神は、使い手が傍にいる時や大抵の時は神力じんりきを使わない。今の中の子も探知は二号一に任せている。

 しばらく歩くと、確かに分かれ道が見えた。

「ん? 広場になっているようだな」

 人工的に削られた跡が、洞窟の壁に見える。二号一が灯りを大きくすると、王宮の一部屋ほどの大きな空間が広がっていた。ここの洞窟は固い。これだけ削るのは大変だっただろう。そのまま二人は先に進むと、次第に祭壇の様なものが目に入った。

「何だ? これは――」

 豪華な祭壇ではないが、丁寧に作られた事は分かる。人が横になれるくらいの平らにされた大きな石が、中央に置かれていた。その端である角になる四カ所には、太い木の杭が打たれている。辺りは、枯れた花の名残と、蝋燭台に残された蠟の残り。腐り乾いた果物や――何かの食べ物の残り。それに――


「血の痕か?」


 床に、何カ所か黒い痕が残っていた。大きな跡と、さまざまな大きさ。何か儀式を行っていたと思われた。


「!」

 不意に、二号一が灯りの術を消して中の子を抱えると部屋の奥に身をひそめた。彼を信頼している中の子は、されるまま大人しく身を小さくして光る眼を閉じた。


 しばらくして、人たちがガヤガヤと歩いてくる気配がした。気の感じから、五人ほどの男達だ。松明を手にした男を先頭に、ぞろぞろと並んで歩いている。

「しかし、儀式も久し振りだな」

「ああ、最近は手に入らなかったからな――前のは片づけて、綺麗にせんとな」

 広場に入って来た男たちは、松明で辺りをぐるりと見渡した。

「だから、儀式の後に片付けようと毎回言ってるんだ。五苓が連れてくるまでに、早く片付けんとな」

 やはり、ここは何か儀式を行う場所らしい。しかし、動物の血を神に捧げる儀式は、もう随分と前にすたれていた筈だ。水の女神が「血が臭い」と使い手に言ったからだ。

 しかし、ここは洞窟で神殿ではない。各神の神殿は決まった場所にあり、こんな辺鄙へんぴな場所にある事がおかしい。こんな場所で儀式をしても、願う神は姿を現さないはずだ。

「帰るわよ、見つかるかもしれない」

 二号一が小さく囁くように言うと、中の子は頷いた。二号一は口の中で転移の術を唱える――瞬時、二人の体は静かに洞窟から消えた。


 中の子が瞳を開けると、そこは洞窟から少し離れた川の傍だった。二号一は中の子を離すと、収納の術の中からあんずを二個取り出して一つを中の子に渡した。

「暑いから、食べなさい。喉が渇く前に」

 輝華きかで貰った果物だ。術のお陰で、まだ瑞々しい。

「やっぱり、この村はおかしいわね。玉髄たちが何か情報を手に入れてくれているといいんだけど」

 杏を齧りながら、二号一が洞窟の方を見た。例の村から、人々が入っていく様子が見える。掃除道具や篝火かがりびをたく鉄の籠なども運んでいる。

「なんだか、忙しないわね……急に儀式が決まったのかしら? 何の儀式をするのかしら?」

 洞窟の前に、武器を手にした大柄な男たちが立った。その村人の様子に少し違和感を抱いた二号一が、怪訝そうに眉を寄せた。

「おお、艾葉の精霊だ」

「え?」

 必死に洞窟の様子を窺っていた二号一は、中の子の言葉に振り返った。確かににそこには、艾葉が創り出した精霊の翼の生えた童がいた。

「……ふむ、何かあったようだな。先に合流しよう」

 杏を食べ終えて種を放り投げた中の子は、着物に着いた葉を払い立ち上がってそう言った。どことなくその顔は、心配さを滲ませているようだった。

 

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