第32話 誘拐
「
酒が注がれたお
「いいのかい? じゃあ、一杯だけご馳走になるよ」
店主は張り付いた笑顔のまま、自分と五苓の分のお猪口も出してきた。そして、同じ徳利の酒を注ぐ。
「ほら、乾杯!」
明るい五苓の言葉で、四人がお猪口を掲げた。玉髄は、まず舌先で舐めてから口に含んだ分の少しをゆっくり
「変なもんは入れてないよ、安心しな」
その玉髄の様子に、五苓は唇の端を上げて笑った。
「あれ? 坊ちゃんはお酒苦手だったのかい?」
警戒する訳でもない琥珀の様子に、五苓は楽しそうに話しかけた。
「いや、俺戦士訓練に出る二年前酒飲んで、すっかり酔った事があってさ。それから飲んでないから、また倒れないか心配なんだ」
琥珀は、正直にそう話した。それを聞いた玉髄の顔が、引きつった。素直すぎる、琥珀の悪い所だった。
「大丈夫だって! 飲みやすくて、そんなに強い酒じゃないからさ! さ、飲んだ飲んだ!」
五苓は、琥珀を
「……ん、本当だ。果実の飲み物みたいだ」
「美味しいだろ?炎天で採れる
西瓜は、風の国にも少し採れる果物だ。大きくて、中が赤い大きな実だ。限られた所でしか取れない為、風の国では少し高価な果物だった。
「へぇ、これなら安心して飲めそうだ」
冷や冷やしている玉髄の心を知らず、笑顔になっている琥珀に五苓は更に酒を勧めた。彼女は四角い徳利から琥珀のお猪口に、酒を注いだ。さっきは、確か丸い徳利の方で注いだはずだ。まだ残ってる筈だ、と玉髄はそれが気になった。不思議に思った玉髄が口を
「
店主は酒場の店内の横の、
「すまんね、客に手伝わせて――あの棚だよ」
店主に付いて行った玉髄は、彼が指差した棚に視線を上げた
――おかしい。蜘蛛が何個も巣を張っていた。
おかしい。玉髄はそう繰り返し思う。確かに蜘蛛は一晩で巣を張るが、この棚はあまり使用している気がしない。
「すまんが、用を思い出した。帰らせて――」
「っ、何を……!」
油断していた玉髄は狭い廊下で避けきれず、その木刀に頭の側面を殴られた。衝撃で、思わず膝をついて殴られた頭を庇う。
「琥珀! 逃げろ!!」
そう叫んだが、向こうでもバタンと大きな音が聞こえた。
「残念だね! 坊ちゃんは酔って倒れちゃったよ!睡眠草の入ったお酒を飲んでね!」
楽しそうな五苓の声が響いた――しまった、玉髄はどうするべきか考えた。が、それが悪かった。店主が再び、玉髄の頭に木刀を振り上げた。そして、思い切り振り下ろされた玉髄の頭から、血が飛んだ。額に傷が出来たようだ。
「……く、……そ……」
玉髄は衝撃で、意識が途切れそうになる。あまりの痛さに、ばたりと前のめりに廊下に倒れた。
「すまんな。久し振りに『
木刀を倒れた玉髄の横に捨てると、店主は店内に戻った様だ。
「こ……は……」
薄れる意識の中、扉の鍵が開けられて人が出ていく気配がした――多分、琥珀は二人に誘拐された。
――
助けを求めようと声を出したつもりだったが、玉髄の意識はそこで途切れてしまった。
「――!」
それと同時艾葉の目に、木の床の上で倒れている玉髄の姿が見えた。琥珀と玉髄が酒場に向かう時に付与の術の『見える者』が反応したのだ。
「大変です! 玉髄さんが倒れています! 助けに行かないと…!」
寝台から立ち上がった艾葉に、
「え? 玉髄が? 琥珀は!?」
慌てて、翠玉も立ち上がった。部屋を出て行こうとしている艾葉に、声をかけながら自分も後に続く。
「分かりません、術をかけた玉髄さんの周りにはいませんでした。とにかく、急いで向かいましょう!」
艾葉の言葉に、琥珀の事が心配で翠玉は「急ごう!」と返して彼女の手を引き酒場へと駆けて行った。
二人は、はっきりと酒場の場所を知らなかった。しかし市場を回り、艾葉の『見える者』の反応する場所を探しながら酒場に向かう。
「ここです!」
市場から横道に入る路地に続く道を、艾葉は指差した。その横の建物から、自分の術の反応を感じていた。
「開いてる――入るよ!」
翠玉が慌てて中に入ると、酒の匂いと甘い香りが鼻に漂った。見ると、卓の上に置かれていたのだろう丸いのと四角い形の徳利、お猪口が床に転がっていた。椅子も転がっている。
「琥珀! 玉髄! 誰も居ないの!?」
「玉髄さん!?」
二人で声を上げて名を呼ぶと、部屋の裏でカタリと小さな音が聞こえた。艾葉と翠玉は顔を見合わせて、二人でそこへ向かってみる。
「玉髄!」
「玉髄さん!!」
床に倒れる様に、玉髄が横たわっていた。その横には木刀が転がっていて、それに玉髄の体が当たり先ほどの音が鳴ったようだ。
「玉髄!?」
身を屈めた翠玉が、慌てて玉髄の様子を見る。額から血を流しているが、気を失っているだけようだ。息もそう乱れた様子はなく、心臓の鼓動もあやしいところはなさそうだ。その間に、艾葉は琥珀を探す為酒場の部屋を全て確認した。だが、琥珀もあの女――五苓の姿もなかった。
「翠玉さん、玉髄さんを連れて宿屋に戻りましょう――中の子様に連絡をしないと、……嫌な予感がします――現れよ、翼あるもの」
艾葉は手を振り『見える者』を消すと、再び軽く手を振り新しい紙を取り出した。そしてそれを放り投げると、小さな翼の生えた
「洞窟にいる中の子様と二号一に、緊急だと知らせて! 急いで!」
そう命令された童は、翼を広げて飛んで行った。確か、果実を取ってきてくれた精霊もどきだと翠玉は思い出した。
「酒の匂いで酔いそうだよ……急ごう、そっち持てる?」
甘い香りだが、普段酒を飲まない翠玉も五苓も頭がぼんやりしそうになってくる。多分、徳利と提子から零れた酒のせいだろう。酒に睡眠草が混ざっているのだが、二人は知らない。艾葉は翠玉の反対側に回り、二人で息を合わせて玉髄を肩から支える様にして立ち上がる。
「う、お、重い……」
「が、頑張ってください……」
二人の体格に、玉髄は重すぎた。フラフラとしながら、二人はなるべく人目に付かないように宿屋へと戻った。
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