第32話 誘拐

五苓ごれいも飲まないか? ――オヤジさんも」

 酒が注がれたお猪口ちょこを手に、玉髄ぎょくずいは五苓と店主も誘った――これは、この酒に何か入れていないかを確認する為だった。

「いいのかい? じゃあ、一杯だけご馳走になるよ」

 店主は張り付いた笑顔のまま、自分と五苓の分のお猪口も出してきた。そして、同じ徳利の酒を注ぐ。

「ほら、乾杯!」

 明るい五苓の言葉で、四人がお猪口を掲げた。玉髄は、まず舌先で舐めてから口に含んだ分の少しをゆっくり嚥下えんかした。確かに、風の国で飲む酒と口当たりが違った。どこか果物の甘い味がする、あまり強くない酒の様で舌に異常は感じない。

「変なもんは入れてないよ、安心しな」

 その玉髄の様子に、五苓は唇の端を上げて笑った。琥珀こはくは、チビリチビリと酒を舐める。

「あれ? 坊ちゃんはお酒苦手だったのかい?」

 警戒する訳でもない琥珀の様子に、五苓は楽しそうに話しかけた。

「いや、俺戦士訓練に出る二年前酒飲んで、すっかり酔った事があってさ。それから飲んでないから、また倒れないか心配なんだ」

 琥珀は、正直にそう話した。それを聞いた玉髄の顔が、引きつった。素直すぎる、琥珀の悪い所だった。

「大丈夫だって! 飲みやすくて、そんなに強い酒じゃないからさ! さ、飲んだ飲んだ!」

 五苓は、琥珀をあおるように手を打った。玉髄が止める前に、それにつられた琥珀は、お猪口の酒を飲み干した。

「……ん、本当だ。果実の飲み物みたいだ」

 白童子しろわらしの頃、母が季節の果物を絞った汁を水に混ぜて、遊んで帰って来た時に飲ませてくれていたのを思い出した――それが、何故か無性に懐かしく思えた。その為、もっと飲みたい気分になる。

「美味しいだろ?炎天で採れる西瓜すいかの実で作った酒だよ」

 西瓜は、風の国にも少し採れる果物だ。大きくて、中が赤い大きな実だ。限られた所でしか取れない為、風の国では少し高価な果物だった。

「へぇ、これなら安心して飲めそうだ」

 冷や冷やしている玉髄の心を知らず、笑顔になっている琥珀に五苓は更に酒を勧めた。彼女は四角い徳利から琥珀のお猪口に、酒を注いだ。さっきは、確か丸い徳利の方で注いだはずだ。まだ残ってる筈だ、と玉髄はそれが気になった。不思議に思った玉髄が口をはさもうとした時に、店主が玉髄に声をかけた。

さかなは、カツオの干しものをあぶろうか。すまんが、棚にある干物をお保管しているかごをとるのを手伝ってくれないか? 肩が痛くて、腕が上がらないんだ」

 店主は酒場の店内の横の、かわやとは反対の廊下を指差した。店内から陰になっているが、そう離れていない。それなら少しなら大丈夫かと、玉髄は頷いて立ち上がった。

「すまんね、客に手伝わせて――あの棚だよ」

 店主に付いて行った玉髄は、彼が指差した棚に視線を上げた


 ――おかしい。蜘蛛が何個も巣を張っていた。


 おかしい。玉髄はそう繰り返し思う。確かに蜘蛛は一晩で巣を張るが、この棚はあまり使用している気がしない。

「すまんが、用を思い出した。帰らせて――」

 咄嗟とっさに玉髄が危機感を覚えて、振り返り店主に帰る旨を伝えようとした。が、玉髄の前で店主が廊下の脇に置いてあった木刀で、殴りかかって来た。

「っ、何を……!」

 油断していた玉髄は狭い廊下で避けきれず、その木刀に頭の側面を殴られた。衝撃で、思わず膝をついて殴られた頭を庇う。

「琥珀! 逃げろ!!」

 そう叫んだが、向こうでもバタンと大きな音が聞こえた。

「残念だね! 坊ちゃんは酔って倒れちゃったよ!睡眠草の入ったお酒を飲んでね!」

 楽しそうな五苓の声が響いた――しまった、玉髄はどうするべきか考えた。が、それが悪かった。店主が再び、玉髄の頭に木刀を振り上げた。そして、思い切り振り下ろされた玉髄の頭から、血が飛んだ。額に傷が出来たようだ。

「……く、……そ……」

 玉髄は衝撃で、意識が途切れそうになる。あまりの痛さに、ばたりと前のめりに廊下に倒れた。

「すまんな。久し振りに『供物くもつ』が手に入った――あの坊主は、今夜の祭りの主人公だ」

 木刀を倒れた玉髄の横に捨てると、店主は店内に戻った様だ。

「こ……は……」

 薄れる意識の中、扉の鍵が開けられて人が出ていく気配がした――多分、琥珀は二人に誘拐された。


 ――艾葉がいよう……!


 助けを求めようと声を出したつもりだったが、玉髄の意識はそこで途切れてしまった。



「――!」

 それと同時艾葉の目に、木の床の上で倒れている玉髄の姿が見えた。琥珀と玉髄が酒場に向かう時に付与の術の『見える者』が反応したのだ。

「大変です! 玉髄さんが倒れています! 助けに行かないと…!」

 寝台から立ち上がった艾葉に、翠玉すいぎょくが驚いた顔になった。

「え? 玉髄が? 琥珀は!?」

 慌てて、翠玉も立ち上がった。部屋を出て行こうとしている艾葉に、声をかけながら自分も後に続く。

「分かりません、術をかけた玉髄さんの周りにはいませんでした。とにかく、急いで向かいましょう!」

 艾葉の言葉に、琥珀の事が心配で翠玉は「急ごう!」と返して彼女の手を引き酒場へと駆けて行った。



 二人は、はっきりと酒場の場所を知らなかった。しかし市場を回り、艾葉の『見える者』の反応する場所を探しながら酒場に向かう。

「ここです!」

 市場から横道に入る路地に続く道を、艾葉は指差した。その横の建物から、自分の術の反応を感じていた。

「開いてる――入るよ!」

 翠玉が慌てて中に入ると、酒の匂いと甘い香りが鼻に漂った。見ると、卓の上に置かれていたのだろう丸いのと四角い形の徳利、お猪口が床に転がっていた。椅子も転がっている。

「琥珀! 玉髄! 誰も居ないの!?」

「玉髄さん!?」

 二人で声を上げて名を呼ぶと、部屋の裏でカタリと小さな音が聞こえた。艾葉と翠玉は顔を見合わせて、二人でそこへ向かってみる。

「玉髄!」

「玉髄さん!!」

 床に倒れる様に、玉髄が横たわっていた。その横には木刀が転がっていて、それに玉髄の体が当たり先ほどの音が鳴ったようだ。

「玉髄!?」

 身を屈めた翠玉が、慌てて玉髄の様子を見る。額から血を流しているが、気を失っているだけようだ。息もそう乱れた様子はなく、心臓の鼓動もあやしいところはなさそうだ。その間に、艾葉は琥珀を探す為酒場の部屋を全て確認した。だが、琥珀もあの女――五苓の姿もなかった。

「翠玉さん、玉髄さんを連れて宿屋に戻りましょう――中の子様に連絡をしないと、……嫌な予感がします――現れよ、翼あるもの」

 艾葉は手を振り『見える者』を消すと、再び軽く手を振り新しい紙を取り出した。そしてそれを放り投げると、小さな翼の生えたわらしが姿を現した。

「洞窟にいる中の子様と二号一に、緊急だと知らせて! 急いで!」

 そう命令された童は、翼を広げて飛んで行った。確か、果実を取ってきてくれた精霊もどきだと翠玉は思い出した。

「酒の匂いで酔いそうだよ……急ごう、そっち持てる?」

 甘い香りだが、普段酒を飲まない翠玉も五苓も頭がぼんやりしそうになってくる。多分、徳利と提子から零れた酒のせいだろう。酒に睡眠草が混ざっているのだが、二人は知らない。艾葉は翠玉の反対側に回り、二人で息を合わせて玉髄を肩から支える様にして立ち上がる。

「う、お、重い……」

「が、頑張ってください……」

 二人の体格に、玉髄は重すぎた。フラフラとしながら、二人はなるべく人目に付かないように宿屋へと戻った。

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