第31話 怪しげな酒場


 五苓ごれいが待っているという場所に戻ると、彼女は薄く煙を吐く炎燐山えんりんざんを眺めていた。その瞳は、遠くを見ているようで何処か寂しげだった。その顔は、戦士になる為に遠い夜岳やがくへ行った藍玉あいぎょくの兄である蒼玉そうぎょくを思い出す時の、彼らの母に似ていた。


 彼女は今は亡き藍玉を想い、日々暮らしているのだろうか。


「ごめん、待たせた!」

 琥珀こはくが足早に彼女の許に向かい声をかけると、五苓は気が付いたのか先ほどの寂し気な顔から、瞬時に人懐っこい笑みの顔になった。

「構わないよ。お嬢ちゃんの機嫌は直ったのかい? 随分、怒ってたみたいだけど」

「ええ、まぁ……」

 玉髄ぎょくずいが曖昧に頷くと、五苓は先に歩き出した。

「酒場や娼館しょうかんが苦手な子は、多いよ。ま、この村には娼館はないけどね」

「娼館……?」

 聞いた事が無い言葉に琥珀が首を傾げると、五苓はくすりと笑った。

「知らないのかい? ま、あんた達戦士になって間もないって感じだもんね。娼館ってのは、金で人に体を売るって商売の店の事だよ。あ、身体を売るって言ってもそのままの言葉じゃないよ? 一晩の快楽を売るって事さ」

 純情そうな琥珀と玉髄の反応が楽しそうに、五苓は自分の豊満な胸を両手で持ち上げてみせた。途端理解したのか、琥珀と玉髄は真っ赤になる。それを見た五苓は、ゲラゲラと声を上げて笑った。

「この光迅こうじん村にも昔はあったけど――光の女神様の教えを守る事にしたんだ」

「光の女神様の……教え?」

 光の神の子や中の子なかのこの母神である、光の女神。神の中で自らが産み出した人間を愛して、創造神の教えに導いた神だという。それの想いを、中の子が受け継いでいる。

 しかし琥珀が見た感じでは、光の子は人間を愛しているとも嫌っているとも違う――よく分からない、神の子だった。

「『綺麗な心と清き身体である事が、最も神を愛する事である』って、お言葉だよ。昔自分が飲むお酒の為に男に体を売って自堕落じだらくな生活をしていた女に、光の女神様は姿を現してそう言葉をかけられたのさ。そして光の女神様はその女が産んだ父親の分からない子らに、土地を与えて下さった。その女は心を入れ替えて、子供達と農作業に励んで光の神様をより一層信仰したんだ。その子孫たちは今は大地主で、貧しい人たちにも毎日ほどこしをしてるんだって」

 五苓の言葉を聞いていて、ふと琥珀は不思議に思った。

「光の加護を受けてない人も、皆光の女神様だけを信仰しているのか?」

 自慢の様に光の女神の話をしていた五苓が、琥珀のその言葉に僅かにムッとした表情になった。

「何だよ、俺は確かに光の加護は受けていない。けど、光の女神を信仰して悪いのか?」

「そう言う訳じゃなくて――確かに違う神を信仰していても、自分を加護している神も大事に思わないのか?」

 琥珀を加護するのは、あの意地悪な闇の子だ。中の子に冷たい神をあまり良くは思わないが、琥珀に力を与えてくれているのに違いない。それに関しては、感謝の気持ちもある。だが五苓の話を聞いていると光の神が唯一で、自分の守護神をあまり気にしていないらしいようで、それに小さな違和感を抱いた。

「守護してくれている事は、感謝しているよ。でも、光の女神様だけが人間を導いてくれるんだ――今は光の子様が、その遺志を受け継いでくれているはずだ。だから、俺達は光の女神様と光の子様を信じているんだよ――ん、着いた。まだ明るいけど、店はちゃんと開けるからさ」

 光の神の素晴らしさを延々と語っていたが、すぐに五苓は一軒の店の前に立つと戸をドンドンと叩いた。しばらくして、中から大柄な男が顔を出した。眠そうなその男は彼女を見てから、不審そうに琥珀達を見た。その彼に、五苓が何事かを耳打ちしている。

 暫くして男は先ほどの不愛想さを消して、どこか気味が悪い程の笑顔を浮かべて二人に向き直った。

「やあ、いらっしゃい。昼寝をしていたから、不愛想ぶあいそうになってしまってすまなかったな。最近炎天えんてんでいい酒を手に入れたから、良かったら飲まないか?」

「――それは有難い。珍しい酒が飲めるなんて、ここに来てよかった」

 玉髄は琥珀が何かを言う前に一歩前に出て、にこやかに笑った。そうして促される店の中に向かって足を踏み出す。

「――気を付けろ。何か企んでるぞ」

 琥珀にだけ聞こえるように、前を行く玉髄はそう呟いた。一瞬、琥珀は身震いをした。琥珀も玉髄も、武器はない。だが、艾葉の術のお陰で危険な目に遭う時は彼女に連絡が取れるだろう。しかし、村で騒げば何の情報も得られない――ここで、二手に分かれた意味がない。


 ごくり、と喉を鳴らして琥珀も玉髄に並んで五苓に続いて店の中に入った。


 ガラガラガラ。。


 一番最後に入った男が琥珀達が入った酒場の店に鍵を掛ける音が、やけに大きく響いた。

「まだ早いんで、お前さんたちだけの貸し切りにしようぜ。心配しなさんな、お代を高くとる気はないからな。珍しい酒でも飲んで、楽しんでくれ」

「あんた達、輝華の出身じゃないんだろ? ここは、輝華の酒も炎天の酒も揃ってるから、色々楽しめるよ。ま、座んなよ」

 男は鍵を掛けた理由をそう簡単に話して、酒の入ったかめの所に歩いて行く。五苓は、卓の前に置かれた椅子を薦めた。


 店は、確かに酒場の作りだ。酒の入っている甕もたくさん置かれていて、怪しい所はなさそうだ。だが、琥珀も玉髄もゆっくり辺りをうかがいながら椅子に腰を落とす。

「まだ昼にもなってないし、あまり強い酒は遠慮するよ。口当たりがいいものを――そうだな、折角だから炎天の酒で頼む」

 玉髄が、店の男とそう話す。琥珀は酒は未だあまり強くないので、彼に任せる事にした。

「どこから来たんだい?」

 五苓が琥珀の横に座ると、するりと足を絡めてきた。琥珀は突然の事に、身体が凍ったように止まり、顔を真っ赤にする。

奏州そうしゅう――風の国だよ」

「へぇ、まあお隣だしそう遠くないね。何か依頼されて此処に来たのかい?」

 五苓は、琥珀の様子を楽しんでいるのか質問しながらニヤニヤと彼を眺めている。

「と、通り道だよ。その――俺達は、炎天に向かうつもりで……」

 琥珀は、咄嗟とっさに嘘を口にした。五苓が、何だか琥珀達がこの村に来たことを、疑っているように感じたのだ。

「わざわざこんな村を通って? 街道沿いの方が、楽に行けると思うけどね?」

 琥珀に足をすり寄せ、それでも五苓は質問してくる。

「それぐらいにしてやってくれ、そいつは女慣れしてないんだ」

 そこで玉髄が、琥珀がぼろを出さないように割って入って来た。内心琥珀は安堵したが、よく考えれば子ども扱いされたと唇を尖らせた。

承和そが色の髪の女の子がいただろう?あの子は、この村より少し北側の村の出身なんだ。そこから南に向かってきたから、ここを通る方が楽だったんだよ」

 玉髄も、琥珀の嘘に付き合った。

「けど、どうして内戦中の炎天に? 何の仕事を頼まれたんだよ?」

「内戦中なら、何か――傭兵的な仕事は無いかってな。俺達は、あんたが言うように確かにまだそう実践を体験してない。修行を兼ねて、行こうと思ってるんだよ」

 玉髄が言うと、本当の事の様に聞こえる。五苓も納得したのか、「そうかい」と黙り込んだ。

「ま、取り敢えずは酒をどうぞ。ほら五苓、酌をしてあげろ」

 店主らしき男は、甕からすくった酒の入った二種類の形が違う徳利とっくり、お猪口ちょこを盆にのせて卓に運んできた。

「炎天の酒で、軽く飲める美味しい酒だよ。さ、飲んでくれ。そうだ、つまみも用意しようか?」

 店主は、始終にこやかだ。それがむしろ不気味ながら、玉髄はお猪口を手にした。琥珀も、風王都に来る前に飲んだ酒で酔っぱらってしまった事を思い出しながら、遠慮気味にお猪口を取った。

「祭りも始まるし、飲んで楽しもうか!」

 丸い形の徳利を持った五苓はそう言って、二人のお猪口に酒を注いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る