第30話 翠玉のやきもち

 緊張した面持おももちの一行が村に入ると、今までの土地では見た事のない、木や花が多く見える。村の市場にも見た事のない果物などの食べ物が、僅かに並んでいた。土壌が貧しいと言われているだけあって、その売られているものも風の国と比べるとひどく高価だった。


「火の国に入ると、土壌に合ったものが栽培されていて食べ物は豊富なんです。栽培方法を教えて貰えないか、輝華きかの国王は長年炎天えんてんの国王に相談しているんです」

 不思議そうな琥珀こはく達に、艾葉がいようは王都で得た知識を教えてやる。

 琥珀達が街の中に入っても、客引きの声はそうかからない。村自体に、活力があまり感じられなかった。しかし、旅人を拒否している訳ではないようだ。そんな彼らに、どこからか姿を見せた、酒場の女らしい娘が声をかけに来る。


「お兄さん、寄っていかないかい?そっちの坊ちゃんも、ぜひおいでよ。嬢ちゃんたちは、先に宿屋で休んでいたらいいよ。疲れただろうからね」

 浅黒い肌に、藤鼠ふじねずみ色の髪と瞳。落ち着いた色の紅を唇に塗っている大地の加護を受けている彼女は、酒場で働いている五苓ごれいと名乗った。


「……酒場って、情報得やすい場所だよな?」

 琥珀が、玉髄に耳打ちした。玉髄はあまり嬉しくないような顔で、ゆっくりと頷いた。琥珀は五苓に聞こえぬように、玉髄と話を続ける。

翠玉すいぎょく達を宿屋に送ってから、二人で行ってみよう」

「何よ、琥珀の助平! いやらしい!」

 五苓の、酒場の女が崩して着る着物姿に翠玉が怒りだした。突然怒り出した翠玉の様子に、艾葉はきょとんとしてる。

「情報を集める為だって! 変な事はしないって、玉髄もいるんだし。暫く大人しく待っててくれよ」

 声を上げる翠玉の口を塞ぎ、琥珀は慌てて小さな声で理由を述べる。戦士教育でも、探索する対象の村の事は、年寄りか酒場で聞くのが良いと教えられていた。

「翠玉さん、琥珀さんの言う通りです。情報を集めるなら、酒場がいいでしょう。私たちは、その間待っていましょう」

 同じく教育を受けている艾葉が何故翠玉が怒っているのかの理由を理解して、琥珀から解放された翠玉の肩に手を置き、静かに彼女に言い聞かせた。

「でも……」

 教育を受けていない翠玉は、それでも納得いかないようで、艾葉と琥珀を見比べている。


「五苓さん、先に宿取ってから行きます」

 玉髄がまだ納得していない翠玉に遠慮しながら五苓にそう声をかけると、彼女は嬉しそうに手を叩いた。

「いいよ、分かった!俺はここで待ってるから、早く行ってきなよ。宿屋はあっち」

 彼女が指さす方に視線を向けると、琥珀と玉髄が翠玉を半ば引きずる様に宿屋の方に連れて行く。後に続こうとした艾葉は、ふと一人市場に向かうと炙り餅を二つ買って、足早に琥珀達の許に戻った。


 宿屋で、男と女別れて泊まれるよう二部屋借りる事が出来た。やはり宿屋も、少し高かった。片方の部屋に武器以外の琥珀達の荷物を置き、もう片方の部屋に翠玉と艾葉を案内する。

「別に、遊びに行く訳じゃないんだぜ? 仕事だろ、子供みたいに我儘わがまま言うなよ。俺達がここをちゃんと調べないと、二号一にごういちに怒られるんだぜ?」

 琥珀が呆れたように、寝台に腰掛ける翠玉を見下ろして溜息を零した。翠玉は何も言い返せずに、しかし怒ったままの表情で黙って床を見つめていた。

「遅くならないうちに、ちゃんと連れて帰るから安心してくれ」

「炙り餅買ってきたので、二人を待っている間に食べましょう」

 玉髄と艾葉が、揃って翠玉を宥めるように声をかける。しかし、それでも彼女は何も言わず顔を逸らしたままだ。


「放っておけよ、こんな分からず屋! 行こう、玉髄。艾葉、一応気を付けてろよ?」

 琥珀は翠玉の態度に腹を立てて怒鳴った。艾葉に気遣った声をかけると、玉髄の背中を叩いて宿屋を出た。玉髄は困った表情で頭を掻きながらそれに続こうとした。

「あ、玉髄さん待ってください!」

 艾葉は部屋を出ようとする玉髄に慌てて声をかけて、彼を呼び止めた。

「何かあった時の為に、この子を連れて行ってください」

 艾葉が顔の前で手を軽く振ると、術が書かれた紙の札が現れた。

「おいで、見える者」

 途端、大きな承和そが色の目が現れた。玉髄と翠玉は、ぎょっとしてその目を見た。その目は玉髄に近づくと、彼の背にすっと消えた。

「その目が、玉髄さん達に何か危険な事が起こった時に私に見える様になります――お気をつけて」

「ああ、有難う」

 玉髄はにっと笑うと、盾を背負い琥珀の後を急いで追った。


 残された艾葉は寝台に座る翠玉の横に座り、どう声をかけたものかと竹の皮の中に入ったまだ温かい炙り餅を手に湯気がかすかに上がるそれを眺めていた。

「……ごめんね、艾葉」

 炙り餅が冷め始めた頃、ようやく翠玉が口を開いた。艾葉は翠玉の言葉にゆっくり首を横に振る。

「翠玉さんは、酒場で情報収集するって知らなかったんですよね。仕方ないです」

「……そうじゃない……」

 翠玉は、弓を握る様になって固くなった自分の手を合わせて、ポツリポツリと話し出した。


「……戦士教育に行けなくて琥珀と離れる事になってから、僕変なんだ。琥珀に会いたいから、頑張って弓の扱い方を村の人に教えて貰ったけど…ようやく会えたのに、琥珀が僕じゃない誰かと一緒にいるのが嫌で仕方ないんだ」


「独占欲ですね」

 艾葉には縁のなかった感情なので、聞いた話でしかなかった。しかし、近衛兵の詰所でもよくそんな会話をしている、同年代の兵士たちの会話を思い出した。

「そうだね……琥珀はみんなと仲良くするのが好きなのに、こんなんじゃ嫌われるって分かってるのに……どうしても感情が先走るんだ」

 琥珀とは、成人してから喧嘩ばかりだ。翠玉は感情を制御しようと思うが、どうしても感情の勢いに負けて後で後悔することになってしまう。白童子しろわらしの頃から、琥珀は自分のものだと思っていたからかもしれない。あの頃は、琥珀と翠玉、そして藍玉あいぎょくだけの世界だった。藍玉以外の誰かが、琥珀と並んで歩くなんて、思いもしなかった。


「それだけ、誰かを好きになれるという事は羨ましく思います」

 艾葉は、餅を持つ手に僅かに力を込めた。

「でも、執着が強いとけがれの神に魅入みいられてしまう事があります。気を付けて下さい、少しでも感情を制御できるように私も協力できないか、考えてみます」

 艾葉は翠玉に顔を向けると、ぎこちなく笑みを浮かべた。玉髄に教えて貰った、無償の友情。誰かの為に、自分が出来る事をする。

 艾葉は、出会った時から自分を気にかけてくれた翠玉の為に、出来る事を手伝いたいと心から思っていた。

「……うん、有難う。頑張るよ」

 うっすらと瞼に涙が滲む瞳で、翠玉は微笑んだ。

「炙り餅が冷めてしまうので、食べましょう。食べながら、翠玉さんや琥珀さんの話を聞かせて貰えませんか?」

 艾葉は竹の皮をめくり炙り餅を取り出して、翠玉に一つの餅を差し出した。

「藍玉さんという方のお話、是非聞きたいです。私には幼馴染という存在は居なかったので、どんなものか知りたいです」

 旅をする中、時折出る名前。琥珀にとって、どんなに大切な存在だったのか、とても分かった。それに、中の子なかのこが認めるほど術の才があったと聞く。

 それに。特に玉髄はその名が出ると、普段より饒舌じょうぜつになる。きっと、「藍玉」という人を、心から好きだったのだろうと艾葉は知っていた。


「うん、いいよ」

 翠玉は艾葉の心を知らないで、笑みを浮かべて炙り餅を受け取った。艾葉もまた、新しい感情に支配されつつあった。



 ――恋心。


 自分の為に怒ってくれた彼に、艾葉は次第に玉髄に対して心惹こころひかれ始めていたのだ。



 そうして女二人で、他愛もない話と餅を手に、男達の帰りを待つことになった。

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