第28話 『神の口付け』と琥珀の意思
次の日。昨夜の残りを
「とりあえず、安心……なのかしら。闇の子が協力してるって口を割ったから、用心深くなったかもしれないわね」
二日ほどで、風の国と光の国との国境付近の村を調べるのは、大変だった。今日は朝餉を食べたきりで、急いで調べに走ったので昼も夜も食べる時間がなかった。もう、とっぷり日は沈んでいる。とりあえず、焚火と川から汲んできた水は用意していた。
「そう簡単に動かないだろうな。では、明日は例の村に向かうか」
「腹減った……」
「そうね、簡単に何か食べて今日は寝ましょうか。調理するのももう遅いし――」
「あの……果物でよければ用意できますが……」
それに何より、艾葉が自分から率先して皆の為に何か提案したことを、彼はさせてやりたかった。
「果物?」
全員が、不思議そうに艾葉に視線を向けた。
「――現れよ、翼あるもの」
艾葉が片手を空に振るといつの間にか呪文が書かれた紙の札が三枚現れ、手を離すとその紙がそれぞれ翼の生えた
「すげー!!」
空に浮かんでいる翼のある童を見ると、それまでぐったりと座っていた琥珀は立ち上がり、興奮したようにそれを見つめた。翠玉も玉髄も唖然とそれを見ている。
「式神たち、この近くにある果物を抱えられるだけ持ってきて。山に生えているのだけ、里のものは取っては駄目」
艾葉は三人の式神にそう言い含めると、式神たちが一斉に空へ舞った。
「すげー! あれ、艾葉の召喚士の力!?」
興奮した琥珀は、キラキラと瞳を輝かせて自然に艾葉の手を取った。何もない空間から、この小さい手があの紙を生んで、生き物を創り出したのだ。だが艾葉は男に触られた時の癖で手を払いのけようとしたが、琥珀の純粋な興味に気が付いてそれを耐えた――それに、不思議と今までの様に、男の近くにいてもそんなに嫌な感じはしなかった。
「あれは……式神の中でも簡単な「作る式神」です。戦闘の時に召還する精霊はまた別にいるのですが……」
「え? じゃあ、あれは艾葉が作ったものなんだ? 戦闘の精霊って何??」
琥珀の興味は、尽きない。あれだけお腹が空いたと座り込んでいたのに、素早く立ち上がって興味津々に艾葉に質問していた。
「一度に沢山質問しても、艾葉が答えるのに困るじゃないか。それより――ほら、帰ってきたよ」
翠玉は艾葉の手を握る琥珀の手を払いのけると、暗い空に手を向けた。その指先に、僅かに光っている先ほどの式神が帰ってきているのが見えた。式神たちは、それぞれ腕に何かをたくさん抱えていた。
「林檎に
焚火の近くにそれらを置いた式神は、艾葉が指を鳴らすとはらりと紙に戻った。そうして艾葉が落ちたその紙を手にすると、再びその紙は空間に消える。
「今日の
少し嬉しそうな艾葉に促されて、一同はほっとした様に焚火の傍に腰を下ろした。
「例の村は、
八朔を手際よく
「光迅村……火の国の
琵琶を一口食べた艾葉は、暗い空に視線を向けて思い出すように呟く。彼女が話すに、近くには大きな火山と大きな洞窟がある、あまり裕福でない村だそうだ。火山灰のせいで農産物が育ちにくいらしく、土も痩せている。光王都から、物資を定期的に送って貰っている村の一つだという。
「炎天に近いという事は、少し用心した方がいいわね。炎天は今内戦中だもの」
房の皮も剥いた八朔の実を、外の皮を器にして入れ直すと中の子に渡し、二号一も林檎を手に取った。
「何が原因で戦っているの?」
「炎天の内乱は、本来王家の後継者にしか現れない『神の口付け』が農村の
翠玉がそう口にすると、艾葉が答えた。
「神の口付け?」
翠玉は勿論、琥珀達も聞いたことがない言葉だった。
「国の王は、左手の甲にその国の花が痣として浮かび上がる。その痣は、その国の王に選ばれた証なのだ。王が死ねば、次に後を継ぐ者にそれが現れる」
綺麗に剥かれた八朔を摘まみ、中の子は彼らに説明してやる。
「え? でも痣がないんじゃ、次の王様になれないんじゃないのですか?」
一つ目の林檎を食べ終えた玉髄が不思議そうに首を傾げると、林檎を頬張ったままの琥珀も頷く。
「その辺が、少し厄介でね……神の口付けがある王の手の皮を剥いで自分の手に被せると、その人に痣が移るのよ」
「え!?」
玉髄が思わず大きな声を出した。琥珀も林檎を喉に詰まらし、翠玉は気味悪そうに眉を寄せた。剥いだ皮膚を一時的とはいえ身に着けるなど……聞いていて、気持ちの良い話ではない。
「ですので、王の左側には姿を消した聖獣が必ず控えているんです。王を護る為に。そうして、
二号一の言葉を補足する様に、艾葉は説明する。彼女のその言葉を聞きながら、琥珀達は風王都で王に会った時を思い出す。
残念ながら、王に控えている風の聖獣である翼馬の姿も、王の左の手の甲の百合の花の痣でさえ、見えなかった。知らなくて、何だか損をした気がした。
「通常なら、第一王子か第一王女に痣は移るんですよね?」
「ええ、勿論よ。順位や性別ははあまり意味ないけれど、王族の誰かにね。王が息を引き取ったら、次第に痣が薄れて新しい王に移動するの。でも、その白童子に痣が現れたのなら――王家に何か問題があるのかもね……って、これは内緒ね。使い手が他国の内政に口出すことは、禁じられてるから」
二号一は肩を竦めると、再び林檎を口にした。
この世は、知らないことだらけだ。
「俺達が生きている世界って、不思議な事ばかりなんですね」
琥珀は手にした林檎を見つめて、しみじみと呟いた。この林檎から種を取り出し、
とすれば、自分が生れたのも藍玉が先に死んだのも、何か大きな意思が働いているような気がしていた――その意思が、『神』というものなのだろうか?
「神は万能ではない」
琥珀の心を読んだかのように、中の子は不意に林檎を見つめる琥珀へ語りかけた。
「神は、大きな流れの一つでしかない。その林檎を食べるか食べないかは、琥珀――お前の意志だ」
中の子の言葉は、抽象的だった。話の意図が分からない玉髄たちは、不思議そうに二人を見比べた。
琥珀は林檎をじっと見ていて、それからその林檎を齧った。
「神の意志ではなく、俺は自分の信じる事を選びます」
神を前にして、琥珀はそうはっきりと言った。二号一に怒られるかと思ったが、彼は何も言わなかった。中の子も、静かに微笑んでいた。
暫く一同は美味しい果物を食べ、そうそうにまた一同並んで眠りにつく事にした。
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