第25話 怒りの拳

 村の中は、少し暗く不気味だった。玉髄ぎょくずいの知るような村ではなかったのだ。裕福そうな村人と、貧困そうな村人の差が目に見えて分かる。

 確かに玉髄は裕福な家の生まれだった。だが村に貧しいものがいるなら、村人達全員で助け合っていたはず。しかしこの村には、そんな雰囲気を全く感じないのだ。それに、村人たちは沈んだ印象があり、活気のある顔をしていなかった。

「随分陰気な村ね。胸糞悪いわ」

 二号一にごういちは広場の路地裏に隠れている、あかに汚れて着古し破れている着物姿の痩せた数人を目にすると、眉をひそめた。艾葉がいようはその二号一に隠れるように、身を寄せて小さく震えている。


 花の紋章を額に持つ二号一の姿に、広場の村人たちは少しざわついた。隠れながら、何人かが何処かへ走っていった。

「さ、その村長を探しましょうか」

 二号一はそんな視線を気にするでもなく、広場で店を開いている市場へと向かっていく。そうしてぐるりと町の中を見渡してから、彼は大きくよく通る声を上げた。

「あの、花の使い手つかいて様でしょうか?」

 そんな彼に、細くてひょろりと背の高い男が声をかけてきた。よく見れば、その後ろにでっぷりと太り豪勢な着物を下品に身に着けた男と、二人ほど息を乱した取り巻きのような男がいた。先ほど何処かへ走っていった男たちだ。それを見た艾葉が、「ひぃ」と小さく声を上げて震えだした。


 脳裏に浮かぶのは、彼らに虐げられていた恥ずかしくて悔しい過去。明日が来なくていい、と散々もてあそばれる中ずっと願った日々。腹を空かせても、与えられる食事は僅かだった。辛い労働と悪戯いたずらを受けて疲労した身体を、布団代わりの牛小屋の土の上で、丸くなって短い睡眠で耐えていた日々。


 それらが一気に艾葉の脳裏にあふれて、彼女はガクガクと体を震わせた。


「アタシは、花の上級使い手よ――アナタ、この村の村長?」

 二号一は声をかけた男を無視して、震える艾葉を抱えながらその男の後ろの太った男に視線を向けた。『上級』を強調して、その村長をじっと見つめる。

「確かにわしは、この村の村長です、花の上級使い手様が、光の国の儂の村に何か用がおありですか?」

 二号一に答えながらも、村長と名乗った男は彼が抱える承和そが色の髪と瞳の少女に気が付いてまじまじと見つめた。

「――ん? 後ろにいるのは……もしかして艾葉か?」

 作り笑いを浮かべていた村長は、使い手が連れているのが艾葉だと気が付いて驚いた声を上げた。それから、彼女を睨んで唇を僅かに噛む。またその名に、村人の何人かも驚いたように艾葉を見つめた。村長が艾葉に強いていた悪行を、知っていた村人だろう。


「ええ、用があってこの村に来たのよ。探す手間が省けたわ」

「もしかして、艾葉に何か言われて此処へ? そいつは、儂が育ててやったのに、その恩を仇で返す様な屑ですよ。使い手様に何を言ったか分かりませんが、全部そいつの法螺話ほらばなしですよ」

 村長は再び視線を二号一へ移すと、ニタニタと下品な笑みを浮かべて彼に軽く頭を下げる。二号一は、村長を静かな視線で見つめ返す。

「あら、艾葉の話は嘘だっていうの? ――本当に?」

「ほ、本当ですよ。儂がこんな貧弱な体の奴に手を出す訳――」



 バシン!


 村長がそこまで言いかけた所だった。思わず二号一の隣にいた玉髄は、握り拳を振り上げて力任せに村長を殴りつけたのだ。広場にいた全員が驚いた表情を浮かべる中、村長はどさりと地面に倒れた。

「艾葉を沢山傷つけてきたくせに、また彼女を傷つけるんじゃねぇ!」


「――玉髄さん……」


 艾葉は、信じられないという面持ちで、怒った顔の玉髄を見つめていた。艾葉は出会ってから、彼は温厚な人物だと思っていた。知り合って間もないが、こんなに怒った顔を初めて見た。こんな表情を見せるような人物だとは、思わなかったのだ。

 そして自分の為に、誰かがこんな事をしてくれたのは初めてだった。こんな汚れた自分の為に怒ってくれる人がいるなんて、思いもしなかった。自分は、ずっと一人で誰も助けてくれない。そう思っていた。助けてくれる人がいるなんて、思いもしなかった。


 この時。艾葉の心に、優しい暖かなものが生れた。それが心の底でずっと彼女を支配していた悲しみを、優しく包むような気がした。


「艾葉、アナタもやりなさい!」

 尻もちをついている村長に軽蔑した視線を向けながら、二号一は艾葉に促した。その言葉に、艾葉は息を飲む。

「わ、私が……?」

「もう怖くないでしょ、こんなじじい

 二号一の言葉に、艾葉はもう一度村長と取り巻きの三人を眺めた。艾葉が白童子しろわらしの頃よりみにくく年を取り、あの頃の恐ろしさや怖さを全く感じない。魔獣を相手に戦える自分は、こんな愚かな年寄りに怯えていたのか――ようやく、艾葉は理解した。

「艾葉、お前育ててやった恩を忘れたのか!? 儂に飯を食わせて貰ってたくせに、儂に刃向かうのか!?」


「――――『力』」


 艾葉が呟き上げた手を振ると、何かの呪文が書かれた紙が現れた。それは艾葉の右手に、すっと溶け込んだ。


「この糞野郎!!」


「ぎゃぁああ――!!」

 思いっきり叫んで、艾葉はその拳を村長の顔面に向けて振り落とした。『力』が与えられた拳は、本来力の弱い艾葉の能力以上の効果を生み出して、村長の顔にめり込んだ。その勢いのある拳を受けた村長は、衝撃で太った体は飛ばされて後ろの壁に叩きつけられる。

「よく出来たわ。これで、もう怖くないでしょ? なんなら、後の三人も殴る?」

 二号一の言葉に、「ひぃ」と取り巻き三人は後ずさってから素早く逃げ出した。


 艾葉は、殴った拳がヒリヒリ痛むのを感じながら、ただ荒い呼吸を繰り返していた。過去は消すことが出来ない。だが、怯える対象は消えた――もう、こいつ等に怯える生活をしなくてもいい。


 へなへなと、艾葉は地面に座り込んだ。

 

 突然、二号一がパンパンと大きく手を叩いた。広場でこの光景を見ていた村人達が、はっとして彼に視線を向けた。

「この村の村長を替えるように、光王都に連絡するわ。今までこの村長に不満がある人は、多分明日には訪れる光の使い手に、素直に訴えて頂戴ね」

 その言葉に、わっと喜びの歓声が上がった。やはり、ここの村長は横暴な振る舞いで村人達に不当な行いをしていたのだろう。中には、涙を流している村人もいた。

「有難うございます! 使い手様、これは感謝の気持ちです!」

 喜ぶ彼らは、二号一の前に沢山の食糧を用意してくれた。村人が用意した縄で村長を縛った玉髄は、並べられた食料の多さに驚いた。

「すみません、……少し貰っていいですか?」

 艾葉は、路地裏の人達を見てから二号一を見上げた。きっと彼らも、村長達に不当な扱いをされてあのような生活を送っているのだろう。

「いいわよ、持って行ってあげなさい」

 ぺこりと頭を下げた艾葉は、加工しなくて食べられる果物や柔らかい餅を手に、貧しい者達の許に駆けて行った。玉髄も同じようにそれらを抱えると、艾葉の後に続いた。

「艾葉、有難う!」

「艾葉、あの時は助けてあげられなくてごめんよ」

 村人が、食事を分け与える艾葉に駆け寄って頭を下げている。まさか礼や詫びを言われるとは思っていなかった艾葉は、驚いた顔を見せてから彼女を囲む村人に小さく笑って頷いた。


「やれやれ……人助けするなんて、アタシもあの子に似てきたのかしら」


 素直にお留守番しているのかしら、とぼやきながらも二号一は中の子なかのこの美しい顔を思い出して、思わず小さな笑みを零した。


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