第19話 闇の子と中の子

 姿を現した闇の子は、妖艶ようえんな笑みを浮かべていた。血のようなべにを引いた唇の端を上げて、何処か歪んだように見える微笑ほほえみを花の男神と中の子なかのこに向けている。


 二人が椅子に座っている事に気が付くと、闇の子は唇の紅と同じ色に染められた長い爪の指先を自分の目線に上げる。そうして術を唱えることなく新たに豪華な椅子を創り出すと、満足げに新たなそれに腰を落とした。

 が、足を組み座った為に着物の隙間から真っ白な太ももがあわらになり、琥珀こはく玉髄ぎょくずいもその色香に戸惑い、目のやり場に困る。


 風王都には着物を着崩し肌を際どく見せながら酌をする女がいる酒場も、身体を売る娼館しょうかん男娼館だんしょうかんもあったが、修行中であった自分達には無縁だった。

 何よりも、目の前のこの女神ほど色っぽい女性を、二人は見た事が無い。


「おや、わらわの加護の人間がいるのかえ」


 漆黒の髪の琥珀に気付いた闇の子は、彼を眺めるとにんまりと瞳を細めた。琥珀はそれが自分の事だと分かると、思わず体がすくんだ。


 闇の子は、色っぽい華奢な女性の姿だ。しかし魔獣よりもっと恐ろしい、心の底から『畏怖いふ』に似た感じが、彼女からよどんだ香りと共に感じる。傍にいるだけで、『怖い』と感じていた。花の神や中の子の様な、『威厳』より怖さが滲み出ている。


 何処か中の子と似た面影は感じるが、中の子のような愛おしさを感じない。


「姉様。あたし、姉様に聞きたい事があってお呼びしました」

 そんな闇の子の興味を自分に向けさせるように、中の子が口を挟んだ。身を縮める琥珀を案じたのだろう。

「花の神を使ってまで呼ぶなんて、随分小癪こしゃくな手をお使いだね? お前の顔なんざ見たくないが、仕方ないねぇ。会うのも久し振りだし、少しは聞いてあげようか――言ってごらん」

 不意に話しかけてきた中の子に視線を向けると、フンと鼻先で闇の子は笑った。

「魔獣の卵を、沢山使いました? それとも、誰かに与えました?」

 闇の子の表情は変わらない。きつく睨む視線は、姉妹神の間柄とは思えない。しかし、中の子はその視線に耐えて正面から姉神を見返す。


「卵はかえったのかい? 村は幾つ焼かれたんだい?」


「やはり、何か知っているのですね? 姉様!」


 中の子の問いに、闇の子は突然高笑いした。楽しいと言わんばかりに、綺麗なはずの顔を歪めて勝ち誇ったように。


「そうだよ、妾がくれてやったのさ。人間の村を壊したいと聞いたから、中ノ地なかのちに冬が終わる頃に何度も何度も。ようやく上手くいったんだねぇ」


 琥珀の顔が強張こわばる。まさか、人間を守護するはずの神が人間の村を焼くために――藍玉あいぎょく達を殺すために、力を貸していたなんて。そして、それが自分を守護する神だなんて。


「誰に渡した」

 それまで黙っていた花の神が口を挟んだ。聖獣や二号一にごういちの緊張した気配を、琥珀達は感じる。闇の子が何かをすれば、命がけで花の男神を護る気だ。同じ神同士で話しているだけなのに、何故こんなにも恐ろしいのか。琥珀の様な、神々の戦いを知らぬ普通の人間には、分からなかった。


「花の神よ、『誓約せいやくしるし』ですよ」

 にんまりと闇の子は笑む。花の神と中の子の顔が強張る。

「まさか姉様、その者と印を!?」

「当り前さ。そいつが死なない限り、妾はそいつの名を口にした途端死んじまうのさ。お前も花の神も、妾を殺す気かい? あぁ、恐ろしいねぇ」

 まさか、そんな危ない橋を渡っているとは、中の子は思わなかった。何よりも自分と親である闇の男神だけを崇拝すうはいしている闇の子が、自身の危険を冒してまで協力しているとは――しかし、『誓約の印』で神が死ぬとは限らない。


 だが、もし死んでしまったら――神が神を『殺した』事になってしまう。


「では……名は教えなくとも構いません。しかし、これ以上そのモノに、魔獣の卵は渡さないでください」

 唇を噛み、中の子は苦渋の言葉を伝える。しかし、闇の子はふいと顔を逸らした。

「何故、お前に命じられなければならないんだい? 『お前ごとき』に」

 闇の子の言葉は、忌々し気に中の子に向けられた。中の子は何も言えず、言葉に詰まってしまったようだ。


 中の子が会う前から嫌そうだった理由が、琥珀達はようやく分かった。

 闇の子は、真っ直ぐな嫌悪と憎しみを、中の子にぶつけている。「神と呼ばれる存在ではない」と悲しそうに呟く中の子の辛さの大半は、闇の子の存在に違いない、と。

「他の神を愚弄ぐろうするのは止めなさい」

 花の神が、僅かに眉を寄せ不快さを見せた。だが、その言葉に闇の子は派手な音を立て椅子を蹴倒けたおし立ち上がると、般若の形相で中の子を指さし彼に叫ぶ。


「神? この出来損ないが神!? 花の神よ、冗談はよしとくれ! こんな出来損ないと姉妹なんて、妾の恥でしかありゃしない!」


 ここまで中の子を嫌う理由が、琥珀達には分からなかった。闇の子の形相に、花の聖獣が中の子の周りに集まり、闇の子を威嚇いかくする様に毛を立てる。二号一は、苦悶を滲ませた顔で唇を噛み、耐えていた。

「しかし、そなたと光の子と中の子は兄妹神だ。忘れるな」

「甘やかしすぎだよ! 全く、兄上もアンタたちも、何かあれば口を揃えて中の子、中の子……目障りだよ!!」

 闇の子は背を向けると、怒りを表すように勢いよく爪で空間を裂く。裂かれた所は黒い光を滲ませていて、何処かの土地と繋がっているようだった。

「お話はこれで終わりだよ。せいぜい沢山の人間を助けて、『贋物がんぶつの神』としてまつられときな!」

 捨て台詞を残して、闇の子はその裂け目に体をねじり込ませた。そうして闇の子の体がすっぽりと収まると、その裂け目は跡を残さず綺麗に無くなった。


 すさまじい、嵐の様だった。闇の子の姿が無くなると、常月丘とこげつきゅうは再び鳥が鳴き始め、精霊や妖精たちが辺りを舞いだした。

 琥珀達も彼らと同じで、張り詰めるような緊張が、ようやく和らぐ。

「すまない、辛い思いをさせたな」

 花の神が、中の子を気遣う。言葉をかけられた中の子は首を横に振った。

「いいえ、花の父上。あたしが会いたいと願ったんです。こうなる事は予想していました」

「いつも最後はこうなるな。アレは、一体何が気に食わないのか……」

 元気のない中の子の頭を撫で、花の神は苦々しく呟く。花の聖獣たちも、心配そうに中の子に寄り添っている。

「――お話し中、申し訳ありません」

 不意に、二号一が声を出す。

花房はなぶさを通じて、風王都から連絡が入ってきました」

「分かった、――花房」

 中の子が呼ぶと、何もない空間から花房がポン、と現れる。その姿を抱き留め、中の子は花房を机の上に座らせる。その花房の口から、人間の言葉が紡がれた。


『中の子様、風の上級使い手つかいて四号九よんごうきゅうです。突然のご連絡失礼いたします』

 風王都で聞いた、連絡係に選ばれた使い手の声だ。

「構わん。何か分かったことがあるのか?」

『はい、魔獣が現れた村の場所が把握できました。何故か、光の国に近い村ばかりです。そして、またその付近で新たに魔獣が現れたと報告が上がり、討伐に向かっております』

 その言葉に、琥珀と翠玉すいぎょくは顔を見合わせる。瞬湊しゅんそう村も、光の国の関所に続く街道沿いの村だ。

「また現れたのか! 討伐は、問題ないか?」

『瞬湊村の様に大量に現れた村は、現在は確認しておりません。そして、魔獣の卵を受け取っただろう訓練生の素性ですが――呪術師か、光の加護を受けた者と現在分かっています』

 瞬湊村は、琥珀の時に光の加護の者はいなかった。そして、亡くなった藍玉は呪術師だ。

「多分、孵化ふかに時間がかかったのか、木に埋めた時期の違いかだな」

 突然の花の男神の言葉に、四号九の緊張した吐息が聞こえた。

『花の神の御前おんまえにて、挨拶を忘れ大変失礼いたしました!』

「構わぬ。われは中の子の傍にいるだけだ。続けろ」

 花の神は気にした素振りを見せず、話を続けさせた。

『寛大な配慮、有難うございます――この話題が王宮で話されていた折、同じく呪術師か光の加護を受けた近衛このえ兵や使用人も、何人か亡くなりました。戦士として旅立っているものは分かりませんが、城内で確認できた一番古い死亡者は、四年前に王都に来た者です』

 少なくとも、四年前からこの計画は始まっているようだった。しかし――


「何故、光だ?」


 花の男神が、怪訝けげんそうな表情を浮かべる。

「姉神は、あたし程でなくとも兄神をも嫌っています。もし兄神に嫌がらせをするなら、光の国で騒ぎを起こすはず……」

 中の子もに落ちない表情で、華奢きゃしゃな首を傾げた。

「情報有難う。こちらでの話は、これより花房を通じて二号一が伝える。また何かあれば連絡をよろしく頼む」

『承知いたしました。花の神と中の子様に感謝を』

 四号九の挨拶で会話が終わると、花房の姿が再び消えた。中の子は、花の男神をしばらく見つめた後、複雑な表情を浮かべて口を開く。

「兄様も、お招きしましょうか……」

「何故だ。アレはいらん」

 花の男神は、真面目な顔で即座に応える。二号一の表情が、少し楽し気に和らいだ。琥珀達は、今度は光の子まで現れる事に驚きを隠せない。

「仕方ありませんよ、花の父上。兄様に確かめなければ、あたしたちはどうすればよいか分かりません」

 中の子が花の男神の逞しい腕に手を添えて、花のように微笑んだ――その笑みに弱いのか、花の神はそれを許すしかなかった。

「――仕方ない」

 花の神が瞳を閉じて、何かを呟く。どうやら、術か何かで光の子に話しかけているようだった。

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