第17話 玉髄の想い、そして常月丘へ


 師範達中級使い手つかいてと別れて訓練所を後にすると、上級使い手は着替えを用意しておきますから、と風呂の前で二人の前から王宮へと姿を向けた。

「念入りに洗わないと、あの口煩くちうるさい花の使い手に怒られるだろうな」

 玉髄ぎょくずいは笑いながら、男用の風呂の脱衣所に入ると早速戦士服を脱ぎだす。土埃つちぼこりまみれの体が、気持ち悪かったのかもしれない。そうだな、と琥珀こはくは小さく笑い同じように血と土埃で汚れた戦士服を脱いだ。

 この時間、風呂に入っている者はいなかった。魔獣が各村を襲う出来事があった上、数名の訓練生の不可思議な突然の死で、誰もが悠長に風呂に入っている事態ではないのだろう。


 風呂は熱した石から出る蒸気で、汗を流させて垢を浮かせる。それから米糠こめぬかで体の汗と垢を洗い落とし湯で流し、椿の油粕あぶらかすで髪を洗い同じく湯で流す。風呂は大量のお湯を維持するのが大変なので、一人が大量に使えない。

 村にある銭湯でもお湯は貴重で、銭湯の主人に怒られるので贅沢に使えなかった。しかし、汗を流す蒸気は気持ちよく、戦いの後の疲れがゆっくりと癒される気になった。


「琥珀、それはなんだ?」

 玉髄は、裸になった琥珀の首からぶら下げられた女神像に視線を向けている。今朝、藍玉に貰ったばかりの、お守りだった。これを貰った時は、まさか魔獣三体相手に戦い、彼を失う事になるとは思わなかった。もう肌に馴染む様に身に着けているお守りを、たずねられることはなかった。


「ああ、これは――」


 革紐に付けられた、木彫りの水の女神像。玉髄は、珍しいようにそれを覗き込んだ。

「藍玉が、作ってくれたんだ。あいつはこういう細かい作業が好きで、白童子しろわらしの頃から色んなものをよく作っていたんだ――今朝、貰ったばかりなんだ……形見になっちまったな」


 ようやく、落ち着いて琥珀は藍玉の話が出来るようになっていた。風王都に来る時に見つけた木の枝で、琥珀の為に念を込めたという女神像。まさか、これが藍玉との最期の思い出になるとは思わなかった。


「そうか、確か弓師の翠玉すいぎょくって女の子とお前たちは幼馴染だったんだっけ?」

「ああ、そうだよ。翠玉の本当の親は、魔獣に殺されちまったから、うちで一緒に育ったんだ」

 玉髄の言葉に、琥珀は頷く。

「やっぱり幼馴染っていいな。それに、お前と藍玉の仲の良さに、何度嫉妬したか知っているか? 昨日、ようやく勇気を出して声をかけたんだぜ」

 玉髄も、ふと在りし日の藍玉の事を思い出すように湯気を眺めて、小さく笑った。

「玉髄は、綾羽あやは村だっけ? 花の国に近い所だったような気がするけど……? そうか、玉髄には幼馴染がいなかったのか。年の近い奴はいなかったのか?」

 そういえば、今日一日で玉髄の人柄は分かってきた。だが、彼が育った村での事など知らない。途端に彼に興味がわき、琥珀は玉髄に村での事を尋ねてみた。

「ああ、花の国に近い所だ。年の近い奴か……上と下にわりと近い奴たちはいたが、やっぱり同じ年の子供が自然と集まるだろ? それに、俺は家がなぁ……」

 玉髄の言葉が、不意に詰まる。首を傾げた琥珀に、玉髄は小さく息を零してから自分の事を話し始めた。


「俺の家は、結構大きな田畑を持つ家でな。小作人も何件かいて金には困らない家だった。親は、白童子の頃から長子の俺に後を継ぐように言ってきたが、それが嫌で成人すると家を飛び出して風王都まで逃げてきた」

 玉髄の言葉に、琥珀はびっくりした。つまり、玉髄は戦士にならずとも生活には困らない家の子供。成人して親の後を継げば、時には命が危険にさらされる戦士になる必要はない。なのにそれを放棄して戦士になったのなら、当然親は怒っているだろう。

「村では、『俺の家に逆らえば』って感じで腫れもの扱いでさ、そんなのが嫌だったんだ。こうやって琥珀みたいに話せる友人が、ずっと欲しかった。親に勘当されてもう帰る家もないけど、俺は間違った道を選んでないって思ってる」

 続く玉髄の言葉は、もっと琥珀を驚かせた。二人の幼馴染に恵まれ、村人とも仲の良かった彼には考えられない事だったのだ――勘当されて家に帰れないという事は、もう家族と会う事はこの先ないのだ。


 ――人生は、人の数だけ色々な出来事がある。幸せに死に逝く者もいれば、困難に負けて朽ちる者もいる。それが、『生きる』という事だ。


 長老が良く口にしていた言葉だ。村にいた時にはその意味が理解出来なかったが、今なら長老が何を言いたかったのか分かる。

「藍玉みたいに可愛い子に会ったのも初めてで、初恋だったんだぜ? 男だって知っても、やっぱり俺は藍玉が好きだなぁ……」


 彼は、「好きだった」と過去形にしなかった。その衝撃に思わず琥珀の視界が涙で揺らぐが、これは汗が目に入ったのだと言い訳をしてぐいと腕で拭う。

「さ、汗を洗い落そうぜ。のぼせちまう」

 照れたような顔で、玉髄は立ち上がった。そうして糠袋が置いてある所にゆったりと歩いていく広い背中をしばらく見つめて、琥珀もようやく立ち上がった。


 自分では見えない背中には、藍玉の名が彫ってある。『両翼の楔りょうよくのくさび』だ。これからもこの名前を抱えて、琥珀は生涯もうこの世にはいないただ一人の片翼と生きていくと心に決めていた。



「お待たせ……」

 風呂から出て上級使い手に案内された部屋に向かうと、先に風呂から戻っていた翠玉が口に指をあてて静かにするような仕草を見せた。

 中の子なかのこを休ませたい、という二号一にごういちが言っていたのを思い出したのだ。

 琥珀と玉髄は、素直に言葉を飲み込んで、そろりと部屋に入る。

 上座の一段高い所に、豪華な布団が敷かれている。そこでは、中の子が寝ていた。寝ていても、そこに花が咲いたような華やかな美しい寝顔だった。

「別に話してもいいわよ? そろそろ起こさないといけないし」

 差し入れされただろう蜂蜜を舐めながら、壁側に置かれた椅子に座っている二号一が彼らに話しかけた。術者の疲労は、甘いもので補うのだ。よく考えれば、彼は術を結構使っていた。精神力が高い、と中の子が紹介していたのは誇張こちょうではなかったようだ。


「我が神にも連絡とって、許可が下りたわ。いい? あんた達、もうここも出るから心の準備してね? くれぐれも! 我が神に失礼な事しないでね?」

 二号一の心配は、花の神に対しての態度が一番重要だった。少なくとも、自分の神に人間を会わせるなど、二号一には初めてだった。三人は彼のその気迫に、黙ったままこくこくと頷く。

「……うるさい…甲高い声が、頭に響く……」

 その時、もぞもぞと布団の中の中の子が動きながらぼやいた。

「早く起きなさい。我が神が、アンタに会えるのを心待ちにしているわ」

 舐めていた蜂蜜を脇に置くと、二号一は立ち上がり寝ている中の子に歩み寄る。中の子はゆっくり上体を起こして、普段のようにぼんやりと二号一を眺める。

「アンタが会いたいんだろ……あたしはまだ眠い」

「駄目よ、起きなさい。我が神を待たせる訳にはいかないわ」

 母親と子供のような様子に、琥珀は思わず吹き出してしまった。この二人は、人間と違う。神の子と、上級使い手だ。しかし、二人は何処か人間味があり、好もしく思えてしまう。


「そういえば、俺達の武器は?」

 玉髄が、はっと思い出したようにきょろきょろと辺りを見渡した。戦士にとって大事な武器だ。無くしたりしてはいけないと、師範に教えられていた。戦った瞬湊しゅんそう村では、確かに手にしていたと記憶していた。

「瞬湊村で、忘れないようにアタシの収納術で預かってるわ。安心して頂戴」

 村では色々な事があり、琥珀達は武器の存在すらもすっかり忘れていた。そもそも、王族に会うのに武器を所持する訳にもいかない。どうやら二号一は、世話焼きが得意の様だ。「その性格で中の子の世話係になったんじゃ……」と、三人は内心思っていた。


 無理やり起こされた中の子は、欠伸をしながら立ち上がる。そんな彼女の乱れた髪を柘植つげくしで丁寧にかし、着物の乱れも手際よく直す。

「誰か!」

 二号一が声を上げると、すぐに風の上級使い手の一人が姿を現した。

「ここに」

「今から、私たちは常月丘とこげつきゅうに向かうわ。後ほど連絡すると思うので、王によろしくお伝えお願いね?」

 まだ眠くてふらふらしている中の子が心配で、琥珀は怒られるのも承知で二号一の後ろにいる彼女の体を支えてやる。それを見た翠玉がムッとした表情を見せるが、誰も何も言わなかった。

「承知いたしました。どうぞ、お気をつけて」

 風の使い手が頭を下げると、二号一が何かを唱えた。それは琥珀には聞いたことがない言語で、しかしどこか懐かしく感じた。その呪文を唱え終わると、部屋の中の空気が歪み大きな立派な扉が現れた。

 琥珀達は、その扉に驚き目を見張る。現れたのは、扉だけだ。それは、異様な光景に見える。

 そんな琥珀の想いを無視するかのように、重々しい音を立て扉は誰も触れなくとも、ゆっくりと静かに開き始めた。何もない筈の向こう側は、眩しい光が溢れていて何も見えなかった。


「さ、行くわよ」

 二号一が先にその扉をくぐる。次いで中の子がふらふらと歩きだすので、琥珀も並んで二号一に続いた。そして、不安そうな翠玉と玉髄が並んで後を追う。扉の先には部屋しかないはずなのに、彼らの姿は見えなくなった。

 その扉をくぐる全員に頭を下げる風の使い手を置いて、再びその扉はゆっくり誰の手も借りずに閉まる。そうしてその扉が完全に閉まると、部屋に現れていた大きな扉はゆっくりと消える様に部屋からなくなった。

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