第10話 愛別離苦

 見える距離なのに、なかなか辿り着かない。焦る気持ちが、足をもつれさせようとしていた。琥珀こはくは、浅い息を何度も繰り返す。背中に刻んでいる藍玉あいぎょくの名前がずきずきと痛む気がして、ぎゅっと眉を寄せた。


 風の国には、『両翼の楔りょうよくのくさび』という言葉が古くからある。初代黒曜こくよう王の逸話で、上級の使い手である一号四いちごうよんを己が対と認めた故事にる。長年補佐してくれたその使い手に、死の間際で王が告げたとされる言葉──『私だけでは飛べぬ片翼の鳥だ。そなたがいて、空を舞う鳥となれる。私達に互いの翼の楔を打ち両翼を有した一対なる鳥となりて、我が生涯の感謝をそなたに捧げたい』── からなる。時を経ると誓いの契りともなり、師弟や親友の間柄から、恋人、夫婦といった仲など、あらゆる感情を超えてたお互いを唯一の存在と認め合った者同士が交わす、風雅な習わしになった。これは、風の国の奏州そうしゅうが盛んに行っている。

 琥珀と藍玉も、一年目の魔獣討伐の後に両翼を誓った。特に呪術的な意味合いや神の加護があるわけではないが、儀式的なものとして、お互いの名前を心臓に位置する背中に彫って契りの証し、翼の楔としていた。

 その楔が今、苦しんでいるかのように背でうずくのを感じながら、琥珀は走った。先に魔獣の許に辿り着いた中の子なかのこが、双剣を構える。藍玉はもう声を発することなく、魔獣の手のなかでぐったりとその身を預けていた。藍玉を掴んだままの魔獣が、大きな気配を放つ中の子に視線を向ける。

 生まれた直後の魔獣はかなり飢えていて、すぐにその飢えを補う為に獲物を捕獲しようとする。人間を襲うのに適するよう、闇の男神がそう創ったからだ。凶暴で見境ない。戦いに慣れていないが、やみくもに村を襲ったりするので、ある意味産れたては人間にとって非常に手ごわい。

 しかし先ほどの魔獣のように、その熊型の魔獣は中の子を怖がりはしなかった。体が大きいこともあり、恐怖より飢えが勝っているのだろう。藍玉を手にしたまま、中の子に襲い掛かる。振り回された藍玉の体から、血がぼたぼたと落ちて地面を汚す。

宿花よみはな

 素早く魔獣の懐に飛び込んだ中の子は剣を持ち直し、藍玉を持つ魔獣の腕目掛けて下から両剣を振り上げた。

「ギャア!!」

 魔獣の腕は片方が切り落とされ、藍玉と共に少し離れた地面に落ちた。戦いの流れを見ていた二号一にごういちが、すぐに藍玉の許へと走り寄る。

「どうだ? 治してくれ」

 剣を構えて魔獣を睨んだまま、中の子が使い手に声をかける。魔獣の腕をはぎ取り藍玉の姿を改めてみた二号一は、その惨状に息をのんだ。

「ちょっと……厳しいわね」

 藍玉の臓腑ぞうふは腹から零れ落ちていて、目視できた大きな枝以外にも無数の木片が体に突き刺さっていた。そこへ更に魔獣に食らいつかれたというのに、絶命せずいまだ息をしているのが不思議だった。

「蒼天に坐する聖なる光よ 深淵から水面に咲く有情うじょう 恭敬くぎょうを込めて冥府の王にひれ伏す 花の神の加護により命ず――――花詠唱 天命花還り」

 二号一が上級回復を詠唱すると、藍玉がごふっと血の塊を吐き出した。ぜぇぜぇと荒い息を繰り返して、瑠璃紺るりこんの瞳を薄く開く。臓腑は腹に戻ったが、出血が止まらない。魔獣が噛み裂いた傷も元には戻らない。

「治せ、とあたしは言った。これでは全然治っていないが」

「無茶言わないで!! これでもこの子の三分の一の命削って意識を戻したのよ!」

 近くまで集まってきた琥珀達は、その凄惨な様子に言葉も出なかった。彼らの気配に気づいた藍玉が、弱々しい眼差しで琥珀の姿を捉える。注がれる瑠璃紺の視線を琥珀は静かに受けていたが、やがて小さく頷くと意を決した足取りで、剣を構える中の子の傍に駆け寄った。


「中の子様」

 呼ばれた彼女はチラとだけ琥珀を見、魔獣と対峙しながら次なる言葉を待った。

「この魔獣は俺達が始末します」


 これは意外だった。中の子は注視する対象物を変え、琥珀や玉髄、翠玉すいぎょくに移した。彼らの双眸も真っ直ぐに中の子を見つめ返している。

「偉大なるお力、本当にありがとうございました。今からは、どうか俺たちの奮闘ぶりを見守っていて下さい」

 玉髄と名乗った青年の、ややはにかみながら言った台詞にフッと微笑み、剣を下ろした中の子は二号一の許に飛んで、彼らに戦場を譲った。

「なに馬鹿なことを言ってるの!?中の子が片付ける方が早いじゃない!!」

 二号一は訳が分からないと、中の子に声を上げる。しかし中の子は意に介さず、藍玉の傍らに膝をついて痛ましいその上体をそっと抱え起こし、腕を添えて支えると小さく呟いた。

「藍玉、見ていろ。お前の仲間が、敵を討つ姿を」

 翠玉は大きな瞳から流れる涙を着物の袖で拭って頷く。玉髄も頷き、琥珀は涙を浮かべながら笑いかけた。

「待ってろ、藍玉。俺達がやっつけるからな」

 藍玉は荒い息の中で美しく微笑んだ。まるで、風に散りゆく花のように。

 滲む涙を振り払い、琥珀は太刀を、玉髄は盾を構え、翠玉は彼らの後ろで弓に矢をつがえて、各自臨戦態勢をとっていく。


「絶対に許さねぇ……!」

 高まる殺気を感じとったのか、不意に魔獣が襲い掛かってきた。翠玉が弓で迎え撃つが魔獣は射られた矢を叩き落とす。その間に生じた隙を縫って琥珀が切り込んでいった。

黒流激こくりゅうげき

 琥珀の太刀が魔獣の片耳を勢いよく削いだ。それは魔獣の体をふらつかせはしたが返り討ちに遭い、爪が琥珀の頬をえぐった。

「くそっ!」

 痛みを堪え、体を捻りながら琥珀は後ろへトンと飛び、大きく間合いを取った。

「鳳凰の羽ばたき」

 入れ代わりに翠玉が二連の矢を三回連続で射放つ。矢は重なるように魔獣の喉元に刺さったが、残った腕でその矢を掴み、無理やり引き抜いてしまった。きりがない ─── 魔獣のしぶとさにうんざりとしたが、確実に、少しずつではあるが、敵は弱ってきているとこの場の皆の目に見てとれた。

 次なる攻撃での手応えを確信した琥珀は、太刀を構え直して魔獣を睨み据え、静かに息を吸い込んだ。


「闇の加護により命じる」

 琥珀の太刀の刀身が黒く光り始める。加護の技を使うのは初めてだった。意識を集中し、全神経を太刀へと注いで技を放つ。

「――黒龍の黒き炎!!」

 琥珀の太刀が黒い炎をまとい、龍の形となって魔獣を捕らえると、空へ掛け昇りながら絡みついた魔獣の体の至るところに斬りつけていく。


 しかし。


 ――……浅い?

 技から逃れようと魔獣がもがいたためか、斬り込み具合いが僅かに甘くなっていた。これでは止めを刺せない ―― 琥珀は焦った。初めての技ゆえ、体勢をどう修整すべきか分からないまま、最後の太刀が虚しく空を斬ってしまう。


「火の神の加護により命じる――赤龍の息吹!」

 そこへすかさず、琥珀の不首尾を補おうとした玉髄が、同じく加護の技を繰り出した。 赤く光る玉髄の槍が龍が咆哮するがごとく、炎のような残像と共に魔獣の胸を貫いた。


「グァアアアアア!!」

 断末魔の声を上げてどさりと地に臥し、屍と化した魔獣はもう二度と起き上がってくることはなかった。ようやく仕留めた安心感と加護の技の負荷で、琥珀と玉髄は一気に体が重くなり、立っていられず地面へ腰を落とした。加護の術は、使う術が大技ほど自身へ跳ね返る力が大きく、後の疲労が著しい。

「……こ、はく……」

 消え入りそうな藍玉の声に呼ばれ、ハッと我に返った琥珀は太刀を杖代りに、重い体で這いずるようにして藍玉の許へと向かう。見かねた翠玉が駆け寄って肩を貸し、付き添って運んでやった。

「藍玉、見てただろ? やっぱ俺、ちょっとドジったけど、お前に言ったとおり倒したぜ!  だから……」

 辿り着いた藍玉の傍らで琥珀は膝をつき、すがる様な笑顔で言い募る。

「だから……いつものように、ドジって怪我した俺の傷、笑いながら治してくれよ……」

 藍玉の手を取ると、その冷たさに琥珀は目を見張って驚き、我知らず滲んだ涙が一筋頬を伝って落ちた。二号一へ顔を向けると彼は静かに首を横へ振って見せたきりで、琥珀は自分の心臓の音がやけに大きく聞こえ出したのを感じ、息を詰まらせた。

「……気を付け……卵は……託されて私が……埋めた……輝く……」

 乱れる息の中、たどたどしい口調で告げられた言葉に、聞いていた中の子と二号一の二人だけが一瞬顔を強張らせた。琥珀は頷きながら藍玉の手をぎゅっと握り、黙って彼の話に耳を傾ける。

「……輝く……聖なる……ぐふっ」

「藍玉!!」

 突然藍玉は、大量に血を吐いた。琥珀は握っていた手をほどき、血で濡れるのも構わず藍玉の体を抱き締めた。

「……こ、はく……私の……片翼……琥珀は……生き、て、……」

 不意に言葉が途切れたと思うと、琥珀の腕の中でかすかにあった息づかいが消え、藍玉の体からガクリと力が失われたのが分かった。その体を抱き締めたまま琥珀は瞠目めいもくし、凍りついたように全身が硬直する。


 そっと二号一の手が藍玉の首筋に触れてきた。暫く脈の有無を確認していたが、やがて眉を寄せて手を下ろし、ポツリと言った。

「……亡くなったわ」

「嘘だ嘘だ嘘だ!!」

 その言葉に、琥珀は即座に否定の言葉を繰り返して受け入れなかった。動かなくなった藍玉の体を強く抱きしめて、ぼろぼろと涙を零す。翠玉も玉髄も言葉が出ない。琥珀にかける言葉が見つからず、痛ましげにその姿を見つめる。

「……今は泣くといい。これからは、過酷な事がもっと起こるだろう」

 静かに、呟くようにそう言って、中の子は琥珀に背を向けた。二号一も心配げな面持ちで中の子の隣に並ぶ。



 琥珀は、藍玉の体を抱き締めたまま子供のように泣きじゃくった。子供の頃からの思い出が次々と脳裏に浮かぶ。いつも笑みを浮かべていた藍玉は、白童子しろわらしの頃から琥珀の傍に佇んでいた。

 琥珀、と呼ぶ柔らかな声音が自分を呼ぶ事はもうないのだ。

 自分のような才能がないものが死んだほうがよかった。冥府は、何故自分ではなく藍玉を連れて行ったのか。自分のように才能がない者が、死んだほうがよかったのに。生まれて初めて、琥珀は神を呪った。


「すまん、遅くなった!! 大丈夫か!?」

 そこに、大きな声が響き渡った。琥珀の父と道具屋のオヤジが、ようやく戻って来たのだった。

「父さん……」

 重々しい顔で駆け寄ってきた翠玉に、二人は仰天した。

「その格好……!翠玉、まさかお前も一緒に戦ったのか!? ああいや、今はそんなことはいい、戦いはどうなった? 魔獣は…どうした? 見慣れない魔獣が倒れているようだが…」

「うん、もう大丈夫。あいつらは僕たちが倒したよ。けど……藍玉が……」

 言いながら翠玉が向けた視線の先に目をやると、藍玉を抱き締めて泣いている自分の息子の姿を見つけ、父は道具屋と顔を見合せた。

「琥珀」

 傍らに立った父に呼ばれたが、琥珀は顔も上げずに跪いて藍玉を抱き締めたまま泣いた。その様子に父は小さく息を零し、目を逸らして辺りを見渡した。すると、玉髄以外の見知らぬ人間が増えているのに気づいた。

「――あの、失礼ですが、あなた方は? もしやうちの愚息が、ご迷惑をかけましたでしょうか?」

 初対面の中の子と二号一に、父はひとまず挨拶代わりの声を掛けて会釈をする。

「アナタ、琥珀のお父様なのかしら? 私は花の上級使い手の二号一。こちらは中の子よ」

「中の子様!?」

 琥珀の父と道具屋のオヤジは、慌てて地に膝をついて首を垂れたが、琥珀たちの時と同じく二号一が頭を上げるように促し、自分たちがここにいる経緯を話して聞かせた。

「そうなのですね、不幸中の幸いでした。助けて下さり、村を代表して感謝いたします」

 父達が丁重にお礼を述べると、それまで泣いていた琥珀は弾かれたように顔を上げ、父親を睨んで叫んだ。

「幸い!? ふざけんな、藍玉は死んだんだ!! どこが幸いなんだよ!!」

「琥珀」

 息子の言葉に、父は中の子へ軽く頭を下げた。そして彼に歩み寄ると、その傷付いて血がまだ流れる頬を、大きな音を立てて引っ叩いた。

「死んだのは藍玉だけではない。村人が何人か犠牲になっている―――戦士になるという事は、いつ死んでもかまわない覚悟を受け入れる事だ」

 静かだが、力強い口調でしっかりと息子に言い聞かせた。琥珀は赤くなった頬のまま、茫然と父を見返している。そうしてその言葉は、同じく戦士を目指している玉髄の心にも響いた。悲しく思う気持ちに耐え、玉髄は唇を噛んだ。

「王都から討伐隊が来たぞーー!!」

 不意に、村人の声が歓声と共に聞こえてきた。

「遅すぎる……」

 道具屋のオヤジの言葉が、この場にいる全員の思いだった。

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