第9話 戦うという事

 突然姿を見せた翠玉すいぎょくに、琥珀こはくはびっくりした顔で自分に駆け寄る彼女を見つめた。と言うのも、彼女が弓を手にしていたからだ。今の攻撃は、翠玉が放った矢に違いない。

「大丈夫みたいだね。今から僕も手伝うから、安心して!」

 頬に擦り傷を付けた翠玉は、大きな瞳を細めて小さく笑った。

「いや、安心してとかじゃないだろ!!  お前は修行してないんだ、危ないから早く逃げろ!」

 琥珀は慌てて村の門を指さす。柳緑りゅうりょく色の弓から見て、これは彼女の弓だろう。これまで翠玉が修行に出たなどという便りもなかったし、きっと親に隠れて一人で武器屋に頼み自分用の弓を作り、こっそりと鍛錬していたに違いない。

「大丈夫、琥珀達の邪魔にはならないから! さっきも僕の弓が役に立ったでしょ?」

「たまたまだ。お前、魔獣と戦ったことなんかないだろ? 母さんを心配させるようなことはするんじゃねえ!!」

 二人が怒鳴りあっているその時、不意に自分たちの横に火の壁が立ち上った。驚いてそちらに視線を向けると、二人に飛び掛かろうとした氷の虎の魔獣が、玉髄の火の壁の術でぶっ飛ばされていた。

「お前たち、今は何でもいいから戦闘に専念してくれ!」

 盾を構えた玉髄ぎょくずいの呆れ顔と、困ったように笑っている藍玉あいぎょくの姿に、二人は慌てて武器を構え直した。

「俺が前に出るから、後方で弓での攻撃を頼む」

  起き上がった魔獣はこちらの出方をうかがいながら、唸り声をあげて身構えている。片目に受けた矢傷と火の壁による返り討ちに遇ったためか、やみくもに攻撃するのは止めたようだ。そんな魔獣の態度の変化に、飛び込む隙をじっと窺いながら琥珀が言った。

「分かった。僕、加護の攻撃以外の大半は道具屋のおじさんに教えてもらったから、援護は任せて」

 ようやく協力し合う姿勢を見せた二人に、玉髄と藍玉は内心で安堵のため息を零した。そして自分たちも目の前の敵に意識を戻す。藍玉たちが対峙している火の鳥の魔獣は、琥珀の父達が先に相手していただけあって次第に威力が弱くなってきた。藍玉が連続して攻撃したのも大いに功を奏していたようだった。

「流るる水のかめを持つ女神 西に刃東に槍 悪しきものに龍が吼える――――龍水刃滝りゅうすいはたき!」

 魔獣の足下から水が激流となって噴きだし、 龍が空に昇るかのようにうねりあげながら魔獣に絡みつく。激流はやがて刃のごとく、絡めた魔獣の体躯を鋭く切り刻んだ。

「ギャァアアアアア!!」

 身を裂かれた魔獣は悲鳴を上げ、水の呪縛が解けたと同時にどさりと地面へ落ちていった。だがまだ息絶えてはおらず、起き上がろうと必死に羽を震わせている。

「しぶといな」

 玉髄が槍を持ち直し、魔獣にとどめを刺すつもりで歩み寄ろうとした時だ。


 ふわり。


 花が舞うような感覚に、玉髄はふと足を止めた。誰かが、ここに飛んできたようだった。

 気が付くと、月白げっぱく色の髪の少女が、承和そが色の双剣を手に玉髄の隣へ降り立った。気配などしなかった。唖然あぜんとした玉髄と藍玉に少女がにっこり笑いかけると、足早に魔獣のもとへ向かって双剣を振り上げた。

「花吹雪」

 双剣が素早い動きで魔獣を切り刻む。先ほどの藍玉の術よりも深く、激しい。何よりも、少女は踊るかのように楽し気に優雅に双剣を操っていた。

「アアアアアアアァァァァ……ガッ、ギャ……」

 少女が剣を納めると、鳥の魔獣は再び地面へと倒れこんだ。

「アンタ、すごいな。その力」

 少女は魔獣が息を止めたのを確認すると振り返ると、藍玉に笑いかけた。

 藍玉も玉髄も言葉が出ない。すごいのは、その少女の方だ。美しい人形のような可憐なその姿からは想像もつかない、剣技。そして何よりも、月白色の髪など見た事もない上に右目に浮かぶのは黄支子きくちなし色。髪と瞳の色が合わない人間や使い手つかいてを見た事がなかった。

「ん? あっちは大変そうだな」

 少女が視線を向けた先、翠玉が放った矢を避けようとした魔獣の不意を突いて琥珀が切りかかると、不覚にも身を捩じらせた魔獣の爪の一撃がさきに繰り出され、琥珀は腕に傷を負った。

「っい!!」

「琥珀!!」

「琥珀!」

 藍玉と翠玉の悲鳴じみた声が上がる。琥珀はゴロゴロと地面を転がり、腕から流れる傷の痛さに顔をしかめた。

 少女は、ゆっくりとした足取りで魔獣に歩み寄る。その気配に気が付いた魔獣は、瞬時に後ろに飛び怯えたような声を漏らす。まるで、その少女が怖いかのように。

「……ギャ、グググゥ……」

 魔獣の突然の異変によって、琥珀と翠玉もようやく不思議な少女の存在に気が付いた。琥珀は立ち上がり、慌てて少女の許に向かう。

「君、危ないよ!早く逃げて!」

「大丈夫、すぐ終わらせるから」

 にっこり笑顔で答えるや、次の瞬間少女はとん、と空へ飛び上がり、くるりと宙で一回転して魔獣の傍に着地した。怯えた虎の魔獣はがむしゃらに爪を振り回して少女に攻撃してくる。少女に怯える魔獣の姿――それは、どこか滑稽だった。

徒花あだばな

 少女の双剣は、真っ直ぐに深く魔獣の眉間に刺さった。

「ギャアアアアアアアア!!」

 大きな咆哮ほうこうを上げて、魔獣はどさりと倒れ落ちた。それを見た少女は首を傾げながら、素早く剣を抜く。

「随分と手ごたえがない。まだ生まれて間もないのか?」

「ちょっとぉおおおおおおお――――――!!」

 呆気に取られた一同の前に、また一人登場人物が現れた。慌てて駆けつけたのだろう、息を乱してやって来たのは、一見すると男か女か判別つきがたい、花の使い手とおぼしき姿だった。理解に苦しむ状況に、四人はただ、彼らのやりとりを見守るだけしか術はなかった。

「遅いな」

 追いついた花の使い手に向き直る少女を見て、花の使い手はまた大きな声を上げる。

「ちょっとぉおおおお!! アンタ、なに顔に傷つけてるのよ!! アタシが我が神に叱られるでしょ!!」

 死にもの狂いの魔獣の爪が少女の頬をかすったらしく、うっすらと傷が出来ていた。しかし血が流れることはなく、何故か赤い椿の花がポタリとその傷から零れ落ちた。慌てて使い手が癒しの呪文を唱えると傷は綺麗に無くなり、完璧な美しさを取り戻した少女が飄然ひょうぜんとそこに佇んでいた。

「あ、あの……?」

 頃合いを見計らって、恐る恐る玉髄が二人に声をかけた。四人全員が彼らの出現に少なからず混乱していたのだが、それを理解しようと真っ先に行動したのは玉髄だったようだ。

「あら、いい筋肉♡ 随分鍛えているのね!」

 花の使い手は、玉髄に気が付くとわざとらしい甲高い声を上げた。楽し気に玉髄を舐めるように見つめる。

 「いえ、だから!! その、魔獣も倒して落ち着いたことだし、ひとまず、お互いのことを確認し合いませんか!?」

 再び話が脱線するおそれを感じて、玉髄は助けを乞うように少女の方へと視線を向けた。ふむ、と少女は頷くと花の使い手の背中をバシンと叩いた。

「この人の子の言う事はもっともだ。ここで供に戦ったのもなにかの縁。お互いの経緯を簡単に知っておこうか」

 「痛いじゃないの!」と文句を言う使い手を無視し、少女は無言で四人に話すよう促した。

「有難うございます。俺たちは魔獣討伐に来ました。俺だけはこの村の者ではありませんが……玉髄と言います」

 最初に玉髄が名乗なのると、その後を頼むよう藍玉へ視線を送った。心得て藍玉は一歩前へ進み出る。

「私は藍玉です。この村の出身で、私たちは王都で修業中の身でしたが、道場で村に魔獣が現れたと聞き、討伐のため急ぎ転移の術で飛んで来ました。こちらにいるのは琥珀、そして翠玉。私の幼馴染たちです」

 要約した説明と、琥珀と翠玉のことも一緒に藍玉が紹介してくれたおかげで、琥珀と翠玉の二人はぎこちない軽い会釈だけでその場をしのげた。

 四人の大まかな説明が済んだとみえ、少女と花の使い手は、今度は自分たちの番だと頷き、話し始めた。

「分かったわ。私は上級花の使い手の二号一にごういちよ。そして、この子は『なか』。この辺を通りかかってたら、彼女が魔獣の気配に感ずいたのよ。だから探査の術で、私たちもここまで駆けつけて来たって次第なの。まあそういうことで、よろしくね♡」

 使い手のその言葉に、四人は少し驚いたように目の前の二人を凝視する。上級使い手は主に国の政治にかかわる為その姿は王族や元老院などしか見ることもない。それに、その横にいる少女は――中の子。

「中の子って、あの中の子!? 風の国の勇者の一人の金剛こんごうを、子供の頃助けたっていう、神様の子!?」

 琥珀が仰天した大声を上げた。

「金剛? ――また、随分と懐かしい名前だな」

 少女は特になんの感慨もない風だったが、冒険譚好きの琥珀は生き生きと顔を輝かせる

 絵巻物に書かれていた、風の国の勇者金剛の話。幼くして親を殺され、自分の身も危ういときに、助けてくれた少女がいたという。のちにその少女は、闇の男神と光の女神の間に産まれた三人兄妹の末子まっしで、人に一番関わりを持つ中の子という神だと聞いた。

 「ばか! 琥珀!!」

 突然翠玉が、バシンと琥珀の頭を叩いた。なんだよ! と毒づく寸前で、翠玉が密かに指差している先に気付く。見ると藍玉、玉髄が地にひざまづき、静かに頭を下げている光景で、ようやく琥珀も神の御前での己が無礼を察し、翠玉と一緒に彼らにならって少女の神へ身を低くした。

「いや、そんな事はしなくていい。あたしは出来損ないだからな」

 中の子は真面目な顔で、縮こまる琥珀たちに立つよう促す。その横で二号一は頭を抱えて溜息をついていた。

「アンタ達、頭を上げなさい。この子はそういうの嫌いなの」

 二号一にもそう言われると、四人はゆっくりと身を起こした。改めて見ると、可憐な少女の姿から繰り出された強さの意味も分かった。魔獣が怯えていたのも、きっと少女の圧倒的な神としての強さを本能で知ったからだ。

「それよりも」

 二号一が、額に手を当てたまま呟いた。

「なんか、まだ変な感じがするわ。違和感?」

 藍玉もその言葉に頷いた。

「私もです、まだ魔獣の感覚が残っていて……」

 そうして、浮かぬ顔で辺りを窺いながら同意した。

「魔獣が二匹も同時に誕生するなんて、異常よ? やつらが揃ってこの村に卵を産みに来てるなんてありえないし。まさか。まだ居る訳?」

「――あの、魔獣の卵って、どんなものなんですか?」

 不思議そうに首を傾げた翠玉が、ふと花の使い手へ疑問を投げかけた。確かに、魔獣の卵なんてそう簡単に見られるものではない。

「そうね、握り拳ぐらいの石の塊みたいなものよ。黒く光っているから、石じゃないって分かるけど」


 その言葉にハッと藍玉が顔を上げた。顔色が悪くなっている。


「すみません、確認したい事があるので、しばらくこの場を離れます」

 それだけ言い残し、東の洞窟がある岩場へと一人、足早に去っていった。その洞窟は魔獣から身を潜めたり備蓄食料などが置いてある場所で、穴の深さはそうないものだった。

 突然の藍玉の不思議な行動に皆で彼の行動を目で追っていると、どうやら洞窟の前に並んで花を咲かせている桜の木へと向かって行るのが分かった。


「!?」

 途端、二号一の顔が強張った。


「藍玉、そこから離れなさい!!」

 中の子もなにかを感じたようで、即座に藍玉に向かい駆けだした。琥珀たちも何かは分からないながらも、中の子に続いて駆けだして行く。すると。


 バァァアアアアン!!

 

 彼らが辿り着く前に、なにかが破裂する大きな音が辺りに響いた。並んでいた桜の木の一つが、何故か破裂したようだ。その事に一瞬、全員の足が止まった。しかしその間に、破裂した大きな木の破片が藍玉目掛けて飛んでくる。


「藍玉!!」

 藍玉と木の距離は近すぎた。琥珀の頭が真っ白になる。


「藍玉!!」

 藍玉の体をその大きな木の破片が貫き、串刺となった状態でもそのまま飛び続けて彼の腹部を肉から裂いた。やがて勢いが衰え地に落ちると、地面に同じように転がり横たわった藍玉の腹部から大量の血が溢れ出すのが、ゆっくりと琥珀の瞳に映る。

「魔獣だ!」

 藍玉が倒れた傍の土煙つちけむりの向こうに、大きな熊型の黒い魔獣が現れた。その魔獣は血の匂いに惹かれてか、のそりと倒れている藍玉に近づく。そうして彼の体を掴むと、血があふれている腹を噛み裂く。

「アァアアア!!」

 藍玉の声に、弾かれたように全員が再び走り出す。涙が滲むが、こんなときに泣いてなどいられない。琥珀は柄から刀身を抜き目元を拭うと、歯を食いしばった。


 『戦士になって、沢山旅に出て魔獣を倒したいな』


 子供の頃に、三人で無邪気に話していたこと。

 でも、これが現実なんだ。魔獣を倒すということは、常に死と隣り合わせなのだという、至極当たり前なことを ――。


 琥珀は、ようやく思い知ることになった。

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