第5話 訓練開始

 四日半の旅程だったが、三日目の夕方、早くも二人は風王都の門前にたどりついていた。

 暗くなり始めた為に、小柄な相方の門番は槍を手に立つ大男の横で、篝火かがりびの準備をしている。二人は大男の前に立ち、村長から渡されていた大事な通行手形と戦士育成願い状を見せた。すると、槍を片手にそれらを確認した大男は大声を上げ門扉を開いた。

「開門、かいもーん!」

 大きな木の門が開かれると、風王都の城下町の活気がそこから溢れていた。色々な店が客引きに大きな声を上げ、美味しそうな焼き物の匂いや酒の匂い。着崩した着物で踊る妖艶ようえんな女性達の華やかな香り。喧騒けんそう、笑い声。生まれ育った村とは全く違う活気に、二人は思わず足が竦んでしまった。

「ほら、坊主達。門を閉めるからさっさと入りな」

 小柄な門番に声をかけられて、ハッと我にかえり琥珀こはく藍玉あいぎょくの手を握り締めて門をくぐった。二人が中に入ると、再び木が軋む重い音がして門は閉じられた。

「……すごいな」

 藍玉は琥珀に手を引かれながら、僅かに頬を紅潮させて周りを見渡す。村を訪れる戦士達に色んな村や王都の話を聞いていたが、こんなにも華やかで賑やかだとは知らなかった。二人共色々物珍しく店先を眺めながら、王宮に続く門前に並んで、王族と風の女神の紋章が彫られた飾りが鮮やかなそれを見上げた。風の国の王族の紋章は百合の花と風の聖獣の翼馬が使われているようだ。

「何用だ?」

 王宮門の脇にいた兵士が二人に気付き近寄ってきたので、さきほど城内へ入れてくれた門番と同じく戦士育成願い状を見せてみる。すると兵士は門を開け、右手に進むよう指示してくれた。門をくぐり言われた様に右手に曲がり暫く進むと、広い道場に辿り着く。

「今年度の戦士育成希望者か?」

 道場に何人かいた中から一人、短く刈り込んだ深碧しんぺき色の髪と瞳をした大柄な男が振り返って手招きする。額に百合の紋章が彫られた彼が使い手つかいてだと確信した二人は、緊張した面持ちで大男を見返した。なぜなら、深碧の色を纏い百合の花の紋章を額に浮かばせているのは、風の女神の使い手だけだと教えられていたからだ。

「はい!」

 藍玉の手を握ったまま、琥珀は大きく返事をする。

「剣士と呪術師だな? 名前は?」

「自分は剣士の琥珀です。こっちは、呪術師の藍玉です」

 二人揃ってペコリと頭を下げると、男は豪快に笑った。神に近い存在なのに、随分と気さくな彼に二人は戸惑とまどう。

「よろしくな、俺は三号七さんごうななだ。使い手の中の剣士育成だから、琥珀は俺が担当になる。付いて来い」

 そう言って振り返ると、道場の端で座椅子に腰掛ける小さな老人の姿があった。そこへ向かって三号七が歩き出したので、二人も慌てて付いていく。老人の額にも百合の紋章の彫りものがあり、そしてやはり深碧色の髪と瞳。紛れもなく三号七と同じ、風の女神の使い手だろう。因みに後で知ったのだが、使い手に名前はなく番号で管理されているそうだ。

「藍玉の師範は、こちらの一号一いちごういち様だ。挨拶をしなさい」

 村の長老よりも年老いているようだが、側に寄ると力強い覇気を感じて二人は思わず背筋を伸ばした。使い手の寿命は、人間よりも長い。この容姿では、どれだけの年月を生きているのか想像もつかない。

「私は、藍玉と申します。どうぞこれからよろしくご指導願います」

 頭を下げる藍玉に頷くと、ふと片眉を上げた一号一は右手を軽く藍玉に向かい上げた。

「む?」

 一号一の右手が微かに光っている。彼は僅かに首を傾げた。

「藍玉よ、何かの聖なるものに触れたか?」

 聖なるものにまとう光の残りが藍玉を輝かせていると、一号一は三人に説明した。

「…いえ、私の村にはその様なものは有りません。それに私は、ただ農業を営む平凡な家で育ちました」

 再び藍玉は頭を下げて答える。一号一は少し間を開けてから「そうか」、とだけ伝えて手を降ろした。

「ま、今日は到着初日だしまだ他の村からの者も来てない。荷物を下ろして、夕飯食べて早めに寝るといい。おい、すまん!」

 三号七は一人の下男げなんを呼ぶと、二人が寝泊まりする部屋への案内と、ついでにこの区域の説明も簡単にしておくよう頼んだ。

下男に促されると、二人は一号一と三号七に頭を下げてそこを離れる。目の端では、神妙な面持ちの一号一が先程光っていた右手を眺めていた。


 下男はまず部屋から案内してくれ、彼の配慮か幸運にも二人は相部屋だとのことだ。荷物を下ろすと、食堂や王宮付き兵士の詰め所、それから怪我をした時に診てもらえる、回復に特化した呪術師の詰め所などを回る。そのまま食堂や湯浴みの場所を通ると、最後に中庭を挟んで向いが王族の住む区域になる、と教えられた。そして、今の時間ならもう食堂は開いているむねを告げると一礼し、二人のもとから下男は立ち去っていった。

 下男下女げじょは、罪人やその家族や一族が与えられる仕事の一つだ。ひっそりとしていて、案内してくれた彼は無駄口を挟まなかった。

「じゃあ、飯食いに行こうぜ!」

 食堂という言葉が、王都へ入った時に漂ってきた、あらゆる香ばしい匂いを思い出させたのだろう。琥珀の腹の虫も大きく鳴いて、切なく空腹を訴える。

「荷解きもまだなのに?」

 思わずあきれてしまう藍玉だったが、昔から琥珀には甘いところがある。仕方ないな、とつぶやいて開きかけた扉を戻すと小さく笑った。

「じゃあ行こう」

 頷いて食堂の方へと向きを変えると、琥珀とともに連れ立った。食堂はそれほど人がおらず、母親の様な食堂の女たちが今日の夕食を手早く用意してくれた。

「師範達って、やっぱり威圧がすごいな。特に呪術師の師範!」

 卓の上に置いたぜんは、味噌漬けした猪肉の炙りものに筍の木の芽和え、かぶや芋の煮物、そして山鳥と茸のあつものなどいろいろな副菜が、食べごたえたっぷりの量でところ狭しと並んでいた。早速猪の肉に齧りつきながら、興奮気味に琥珀が語りはじめる。二人が食べ始めると、昨年度以前から続いて残っている者達の訓練が終わったのか、人が増えて賑やかな雰囲気になりはじめた。

「琥珀もそう思ったか? 私も、強い波動? のようなものを感じた。しかし使い手に会うのは初めてだけど、人間とはあまり変わらなく見えるものなのだな」

 戦士訓練生に技を教えるのは、中級使い手だ。しかし中級からでさえも、あの様な強い覇気を感じられるとは。やはり使い手と呼ばれるものは人間とは異なり、精霊と呼ばれる人間よりも神に近い存在なのだと実感させられる。

「けど、聖なるモノって何だ? 本当に藍玉知らないのか?」

 やはり琥珀もそれが気になっていたのか、猪の肉を嚥下えんかしてから首を傾げる。藍玉はその言葉に表情を変えなかったが、僅かに瞳を細めた。

「……私は、この世から争いがなくなる事を願っているよ。これまでもこれからも」

 それはどういう意味か聞き返そうとするより先に、藍玉は手にした汁椀にさっと口につけてしまった。さりげない仕草だったが、その話題をやんわりと拒むような素振りにも思えたので、仕方なく琥珀もそれ以上の追求をやめて食事を続け、うやむやに忘れたままのふりをして食堂をあとにした。

 腹も満たされて部屋に戻ると、いつの間にやら睡魔が忍び寄ってきた。二人は荷解きもそこそこにして、左右に並んだ寝台の場所決めをする。左に琥珀、右に藍玉で話がつくと、二人揃って早々に自分の寝床へと横たわった。風呂にもいきたかったが、二人は慣れぬ旅ですっかり疲れていた。

 ようやく旅の疲れが癒せるのだ。夜も深まった室内を灯すほのかな蝋燭の火を藍玉が吹き消すと、瞬く間に眠りがやすらぎの世界へと二人を連れ去っていった。



 琥珀たちが道場入りした次の日から、他の村の新成人たちも続くようにちらほらとやって来た。そしてさらに七日後の道場には、それぞれに授かった適性職種ごとに分かれてずらりと並ぶ、戦士希望者たちの初々しい姿があった。琥珀が並ぶ剣士の列の前には、初日に会った三号七が凛として、巨大な斧を手に自分たちと対面していた。

「お前たち、これより今年度の剣士育成を始める!俺は指導官の三号七だ、前年度以前から引き続き学ぶ先輩と共に腕を磨いてくれ!」

「はい!」

 一同が声を上げて頭を下げる。いよいよ始まる修行に、琥珀は顔を輝かせて黒い太刀を握り締めた。

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