第4話 旅立ち

琥珀こはく、ちょっといい? 起きてる?」

 とうとう明日旅立つ日の夜。父と母が揃って、琥珀の好きな水牛の煮込みやら猪の薬味焼きなどの豪勢な夕飯を用意してくれて、それを腹一杯に食べてご機嫌な彼は自分の愛刀を眺めながら布団の上に座っていた。いよいよ自分も戦士になれるのだと思うと、この刀が愛しくてたまらない。布団の脇には母が用意してくれた、風王都に向かう為の荷物が入った背負う袋がちゃんと並べてあった。寝坊をしない為もう少しで寝ようとした琥珀の部屋の引き戸の前で、不意に翠玉すいぎょくの声が聞こえた。

「うん? 起きてる、入っていいぜ?」

 大刀を脇に置くと、引き戸に向かい琥珀は答える。その声に翠玉がゆっくりと戸を開き中に入ってきた。琥珀の側に寄るでもなく、所在しょざいなげに開けたままの戸の横の壁に凭れた。

 翠玉は成人の儀式以来次第に胸元がふくよかに女性的になってきて声も高くなり、琥珀を内心困らせている。成人の儀式を迎えても何も変わらないと思っていた幼馴染が変わっていく姿に落ち着かなく、女性的な見慣れない翠玉よりも藍玉あいぎょくと過ごす事が増えた。

「どうした? 何かあるのか?」

 話し出しそうにない翠玉に、琥珀は声をかけて促す。琥珀と同じで単純明快だった筈なのに、やはり性格も変わってきているようだ。こんなに「女らしい」翠玉は、琥珀には正直苦手に思えた。

「本当に、藍玉と風王都に行くの?」

 何度も聞かされたいに、琥珀は大きなため息を吐く。琥珀と藍玉が風王都に向かうのが決まり村に残るように母に言われてから、翠玉は恨み言のように琥珀の顔を見る度にこの言葉を繰り返していた。

「行くよ。俺の夢だって小さな頃から何度も言ってるだろ?」

「小さな頃から、僕達はいつも一緒だっただろ? なのに、何で僕だけ行けないの? 弓師なんだから、戦闘の邪魔にならないだろ? 僕も行きたい!」

 翠玉は、いよいよ明日が出発の為だからか中々引き下がらない。

「俺達は遊びに行くんじゃない、戦士になるんだ!翠玉は何か勘違いしてないか? 白童子しろわらしの時の遊びと同じだと思っているなら、迷惑だ!」

 駄々の様な言葉に、琥珀は日増しにこの問いをする翠玉にいらついていた。その為、つい険のこもった声音で吐いた言葉に、意外な事に翠玉の瞳からボロボロと涙が溢れてシクシクと泣きだした。気の強かった筈の彼女の涙に、琥珀は動揺した。

「遊びなんて、思ってない! 僕の親は……魔獣に殺されたんだ。戦士になって、僕みたいな人を減らしたいんだよ。……なのに、なんで琥珀は分かってくれないの?」

「なら、俺が戦士になると言ったとき何でお前は言わなかったんだよ!」

 翠玉を泣かせたい訳じゃない。母の言うように、女性になった翠玉から極力戦いを遠ざけたかった。自分と藍玉が村と家族、翠玉を守るから、だから理解して欲しかった。

「だって、母さんが……っ」

「本当になりたいなら、母さんがなんと言っても自分の意思を述べるべきだろ! 俺が行くから自分も行くみたいに軽い気持ちだから、戦士になるって言わなかったんだろ? それを俺のせいみたいに言うなんて、翠玉は卑怯だ!」

 琥珀の大声に、翠玉の泣き声も大きくなる。近くの部屋から、父と母が慌てて翠玉をなだめに来る。

「翠玉、どうしたの?」

「琥珀なんて、もう知らない! 明日も見送りなんかに行かない! 僕よりも藍玉を選ぶんだ!」

 抱きしめる母の胸に顔を埋めて、翠玉はか細く呟く。それだけ言うとまたシクシクと泣き出すので、母が宥める様に彼女の肩を抱くと、連れ添って翠玉の部屋に向かう。

「……琥珀、ちょっと付き合え」

 黙って様子を眺めていた父が、困った顔の琥珀を呼んで飯屋の炊事場へと向かった。厨房にある椅子に琥珀を座らせると、父は大きな瓢箪ひょうたんを取り出した。確かそれは高い酒らしく、父は特別な日などにちびりちびりと呑んでいた。

「本当は、お前が帰ってきてから一緒に呑むつもりだったんだがな」

 お猪口を二つ出してそれらに酒を注ぐと、琥珀の前に置く。白濁はくだくした酒は、何故か白童子だった頃の自分たちを思い出させた。

「翠玉は、寂しいんだよ。それを分かってやれ」

「……うん」

 確かに言い過ぎた気もする。戦士になる夢を邪魔された気がして、琥珀は攻撃的だった自分に反省していた。


 確かにいつも三人で過ごしてきた。突然残される翠玉の気持ちを、考えた事なかったかもしれない。

「修行をサボるなよ?強い戦士になれ。お前が進む道を、俺は応援しているからくじけるな」

 父は強面こわおもての顔に笑みを浮かべてお猪口を手にすると、琥珀の顔の前に差し出した。慌てて琥珀も習ってお猪口を差し出す。

「うん! 父さんに負けない戦士になるよ!」

「よし、よく言った。琥珀と藍玉に乾杯!」

 かちんと陶器の合わさる音に続いて、琥珀はそれが酒だと忘れて一息に飲み干した。すると急激に体が熱くなったと思ったら、次第に頭がグルグルと回りバタリと琥珀は机に倒れてしまった。


「……酒も強くなるといいな」

 遠くで呟く父の声を最後に、琥珀の意識はそこで途切れた。




 出発の日、やはり琥珀は遅刻した。明け方の朝日を眩しく感じながら、二日酔いで痛む頭を抱えて両親と連立って村の門前に向かう。藍玉とその両親は既に到着していて、抱き合って別れを交わしていた。

「すみません、毎度琥珀が遅くなりまして」

 母が藍玉の両親に申し訳なさそうに頭を下げる。藍玉の両親は気にするなと返して、琥珀の頭を撫でる。

「藍玉をよろしくね、琥珀ちゃん」

「二人とも仲良くな? 立派な戦士になるように願ってるよ」

 そう声をかけてから、藍玉の母が眉を下げた。

「翠玉ちゃんは、やっぱり見送りに来ないの?」

「ええ、昨日も琥珀と喧嘩しちゃいまして……藍玉くん、ごめんね?帰ってきたら、また仲良くしてやってね?」

 琥珀の母は藍玉の手を取り、ぎゅっと握って申し訳なさそうに謝った。

「分かってます、翠玉の為にも頑張ってきます」

 やさしげに微笑み、藍玉は頷いた。それから琥珀は父と母と抱き合い、別れの言葉を口にした。

「琥珀と藍玉に、花の神の加護を。どうか無事で」

 祈る母と並び、父は黙ったまま琥珀の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「さて、向かおうか。それじゃあ、行ってきます」

 藍玉が親達に頭を下げる。慌てて琥珀も習って頭を下げた。

「気を付けてね!」

 見送りの声に、二人は手を振り歩き出した。風王都までは、何も問題なければ二日半で着く予定だ。遠出をした事も無ければ、殆ど村の外は未知の世界だった。琥珀は興奮で村にも咲いている見慣れた花や飛ぶ鳥にすら藍玉に報告して、機嫌よく道を歩く。背負った荷物が多くても、全く気にならないくらいに足取りが軽い。

「琥珀」

 不意に、藍玉が立ち止まった。琥珀は目を丸くして同じように立ち止まり、彼の視線の先に目を向けた。

「……翠玉」

 村の中の小高い丘に、翠玉の姿があった。立ち尽くす藍玉は笑って手を大きく振った。それを目にすると、翠玉は小さく手を振った。琥珀は昨日の喧嘩のあと翠玉と会っておらず、どうして良いか分からずに振ろうとした手を握りしめて、彼女に背を向けて歩き出した。歩く目の端で、翠玉の瞳から涙が溢れるのを見てしまった。

「琥珀、あまりにも翠玉が可哀相だよ」

 藍玉の言葉が胸に刺さり、琥珀は振り返ったがそこにはもう翠玉の姿はなかった。

「……まあ、帰ってきたら謝ればいい。お互い頭を冷やして暫く離れているのも、悪くないんじゃないかな」

 毎回喧嘩になるのは、琥珀と翠玉だ。それを宥めるのは藍玉。白童子の頃の喧嘩の質が変わってきたが、村に帰ればちゃんと謝ろうと琥珀は歩く地面に瞳を落とした。

 暫く歩くと、再び藍玉が足を止めた。不思議そうに琥珀も並んでそれを眺める。紫雲木しうんぼくの木が生えていた。花を探すにはまだ時期が早く、緑の葉が青々としている。藍玉は懐から小刀を取り出すと、短く枝を数本切る。

「中々良い枝だから、お守りでも作ろうかな。まだ術が使えないから、術を覚えたら念を込めて出来上がったら琥珀にもあげるよ」

 藍玉は、手先が器用だった。小さな頃からよく置物など作っていて、そんな繊細な作業が出来る彼を琥珀は尊敬していた。小さな頃琥珀と翠玉は木の枝を振り回し冒険ごっこをよくしていて、藍玉は決まって囚われの姫役だった。白童子の魔王と剣士の戦いが終わり救われるまで、よく小物を作ったり草鞋ぞうりを編んだりしていた。

「術を込めたお守りか、楽しみにしてる! なんか、本当に俺達成長してんのな」

 小枝を背負い袋にしまってから再び歩き出すと、並んで変わる風景の道を楽しむ。こうして歩いていると、魔獣が現れたり人間同士で内戦をしている国があるなんて信じられない、長閑のどかな風景が続いている。

 道を進みながら小さな動物を見つけると、琥珀は訓練がてら自慢の大刀を使って夕飯にしようとしたが全く捕まらない。しかし、そんな失敗も楽しかった。


 そのまま夜になると簡単な焚き火を作り、道を歩きながら拾った小枝で焚火を作った。そうして村で買い込んだ干し肉や乾飯を、水と共に煮立たせる。塩は、干し肉から出る筈だ。正直美味しそうには見えないが、知らぬ土地でこんな事をするのも初めてで、二人はそれを口に運んで色々な将来の妄想で盛り上がる。

使い手つかいての師匠って、どんな人かな?」

 琥珀の夢語りを聞いていた藍玉が、話の切り目にふと呟いた。近いとはいえ風王都の内情はあまり知らない。それぞれの武器に適した使い手が教育して、適職術を覚えるまで面倒を見てくれるのだ。使い手は精霊で、神に近い存在だ。少なからず畏怖いふの感情もある。

「剣の使い手は、何か素早くて豪快そうだな。呪術師の使い手は、何だか根暗そうな感じかなぁ」

「あはは、琥珀それはかなり偏見じゃないか?」

 悩む琥珀が出した答えに、藍玉は小さく笑った。

「じゃあ、私の事も根暗に見ていたのか?」

 ふやけた鍋の具を口にしながら、藍玉は楽しげに琥珀を見返した。

「いや、ほら藍玉は違うよ! 師匠の感じな? そんな感じがする師匠だよ!」

 慌てた琥珀は、両手を合わせて藍玉に謝る。藍玉はそんな琥珀のつんつんした髪を優しく撫でる。

「分かってるよ、これから頑張ろうな」

 いつもの優しい藍玉の言葉に琥珀は顔を輝かせて、寝る支度を始める。焚き火を弱くして地面に敷いた布に横になると、まだ興奮している頭を睡魔が訪れるまで月を眺めていた。それから暫くしてようやく訪れたそれに、琥珀は意識を預けた。

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