川まで

@8163

第1話

 川までは未だ数キロある。子供の頃に自転車で通った覚えがあるのだが、その頃より家も増え、新しくもなっていて風景も違っている。散歩の途中で思いついて来てしまったのだが、川までは7キロぐらいはあったはずで、天井川の堤防までは遠い。

 神社の南の細い道を過ぎれば沼の脇を抜けて行くのだが、今では県道のバイパスが横断していて、昔のジャングルの中を行くような面影はない。

 沼と言っても池のようなハッキリとした形状ではなく、一面の湿地の中で、低い所には水が溜まり、土が盛り上った所には木が生い茂っていた。その木々も、枝先からはツルなどが垂れ下がり、さながらジャングルの風情であった。だがもう、そのどれもない。それどころか、湿地の回りの田んぼすら無くなり、バイパス沿いには倉庫やらトラックヤード、資材置場、駐車場、フランチャイズのうどん屋までも開店し、一部の水田には盛り土がなされ、畑になっている。直ぐにでも建物が立てられるようにと、であろう。でも農地ではあるらしく、畝が作られ、麦が植えられている。税金の関係だろうと推測できるが、そんな連想をする自分が嫌だと自覚するのにも慣れてしまっている。もう中年オヤジだ。

 ここは遊び場だった。夏は蛇がウジャウジャと居て、立ち入るのは容易ではなかったが、秋から早春までは湿地の真ん中の島まで田舟で渡り、亀を捕まえたりした。沼には鯉、鮒、鯰、台風で川が氾濫してからは、金魚や錦鯉までもが泳いでいた。近くの農家の副業として養殖されていたモノが逃げ出していたのだ。それらは大きく育ち、色も鮮やかになって水面を覗き込む者を驚かせ、捕まえて泥の中から引き上げようものなら、その輝きは宝石ようであり、至福であった。

 沼はもう、ない。木も一本も生えていない。物流倉庫、スレート屋根、トラックとリフトがバックする時の甲高い警報音、バイパスを通過する車、疾走音。底なし沼と言われた場所が、まさか埋め立てられるとは思ってなく、中学生になって、もう遊びに来なくなってはいたが、埋め立て工事が始まり、小山のように積まれた土砂を見上げた時には、その量の多さに驚き、底なし沼も最後かと観念したが、半年もしない内に全て沈んだのを見て、ザマアミロと、ほくそ笑んだ。それでこそ(底なし)だ。だが行政も侮れない。川の改修を始めたのだ。つまり、排水を先にしたのだ。

 バイパスを渡ると細い川がある。川の両岸は工事で使う鉄の矢板が並び、それがそのままコンクリートで固められ、異様な姿である。難工事だったのが解る。このやり方に負けたんだ。こんな風にやられたら底なしも、たまったものじゃない。昔は、島の上で跳び跳ねれば、地面が揺れたものだが、今、バイパスに大型トラックが来ても走行に支障はない。沼は死んだのだ。鎮守の森、底なし沼、もう少し先の送電線の鉄塔、ここまでが僕らの遊び場、隣町との境だった。

 鉄塔、南の発電所から北の自動車工場まで、市街地を避け、ほぼ川沿いに並んで聳えている。灰色なものばかりなら記憶の中で思い出すこともないのだろうが、二本おきに赤と白の派手なツートンカラーの鉄塔がある。航空法の関係らしいが、夜には赤いライトも点滅して、満月の夜など、丸い月をバックに明滅し、幻想的な雰囲気だ。記憶のなかでは赤白なのだが、本当は赤ではなく、オレンジと白の二色だ。見上げた青い空との補色の関係で、オレンジが赤になってしまうのが不思議、それも紅色に近い赤、そう、女の口紅の色だ。

 真っ赤な唇、思い出すのが広告会社での経験だ。女はスタイル自慢な美女。四十くらいなのに、毎日ミニスカート姿で通勤してきて、颯爽と事務所内を闊歩していた。営業社員は女ばかり五人、男は所長と部長のふたり、どちらも定年を過ぎた再雇用組だ。だから男を意識することがなかったのだろう、四十を過ぎた新入社員の私だったが、女性達がざわつきだした。服装が派手になってきたのだ。スーツからワンピース、フリルのついたスカート、花柄、スカーフ、ブローチ、ネックレス、中には、印象派の画家が描くような帽子を被った者まで現れた。同時に、必然的に化粧も濃くなり、口紅の赤さも増した。彼女も紺や黒のスーツから花柄のワンピースへ、パンプスから赤いハイヒールへと変身し、その靴に合わせたのか口紅も赤くなり、しかも靴や服の柄のどの色よりも濃くなった。どうやら、安キャバレーのホステスのような描写になってしまったが、少し違う。花柄のワンピースは清楚な感じで、色気が強調された風ではない。だが口紅だけは別で、赤く大きく、濡れて光って男を扇情する。

 女性たちは皆いい年で、既婚者ばかりだったが、彼女は離婚して小学生の男の子がいるらしい。でも、そんな女性の振舞いではない。乙女だ。いや、客観的な立場から言えば乙女チックな女だ。つまり、乙女ではない。それを踏まえて対応したいのだが、彼女は初恋の乙女としての待遇を期待していた。膝をついて求婚する王子様を演じなきゃならないのか、冗談じゃない、結婚し出産し、離婚を経験した女なのに、スタイルの良い美女なら、全てチャラにできると思っているのだろうか・・・。

 どうゆうことだろう、シングルマザー、恋愛に於ては負い目ではないのだろうか。まだ若い二十代の頃、キャバレー通いをしたことがあった。子供を抱えたホステスを追いかけ、口説いた。女は自分の情報を小出しにしてきた。結婚して姑と上手く行かず子供を連れて離婚など、こちらの顔色を窺いながら少しずつ話し出した。金をせびるのも同じだ。少額から始めたのだ。自分の子供について話し出したのは最後、部屋に行く段になってようやく出てきた。本当なのか冗談なのか、一人、二人と、子供の人数は増えた。店の暗闇で女の胸を触った時、指で摘まんだ乳首の大きさから、授乳をした乳房だとは気づいていたので、子供の存在は覚悟の上だったが、二人、三人となると話しは違う。二人と言ってこちらを見、さらに三人と継ぎ足して下から探るように見上げた目が、私の怯える表情に、みるみる軽蔑の度合いを深め、五人、六人になった時には、もう俯いて目を逸らせていた。

 何の値踏みだろう。それは、こちらの権利だろう。違うのか?

 結局、上手くは行かなかった。恋人、妻、母、一度に手に入れる目論みは叶わなかった。

 そして、どうやら口紅の女は、ひとり息子の父親を求めていたようだ。離婚した夫が幼児化して、まるで二人の子供を育てていたようだつた、と、これは同僚から又聞きした情報なのだが、これは女同士の鞘当てみたいな行為だから、ミスリードの可能性もあるし、美人だから嫉妬も買う。噂の域を出ない話かもしれない。だが、旦那を叩き出したのは間違いない。これは本人から直接聞いた。その強い口調は、怒りが今も収まらない様子で、よほど腹に据えかねる訳があるのだろう、外聞も気にせず言い放った。

 まあ、そんなことは枝葉末節だ。こうやって貶め、否定的に描くことで皆と同じように自分の嫉妬心を隠しているのかも知れない。女の何を妬んでいたのか解らない。子供を産んでも変わらぬ若さと美貌なのか、旦那を追い出す強さなのか、惚れた男に降服しない、したたかさなのか、どれもこれも、男の決断を躊躇わせ鈍らせるに十分だ。

 いや違うな。こうやって己の下心を誤魔化して生きてきたのだ。子持ちだって離婚してたって乙女チックだつて関係ない。抱いて親密になって惚れられて、結局、支配したいのか?それが男の本性だからか?

 いや、それも少し違う。そうゆう下心を認めるフリをして相手に譲歩を迫る、実に巧妙で卑怯な心理操作だ。そうゆう男を知っている、所謂、パワハラ上司だ。大手の、その会社では毎朝、営業会議があった。初めは朝の打合せ、ミーティングだったのが、徐々にノルマの達成度を問われる場となり、吊し上げの標的となると、一週間、二週間、時には何ヵ月も皆の前で叱責され、気の弱い者は鬱になって会社を辞めて行く。その責め方が酷い。上司のアドバイスによつて実行したのに、ノルマ達成どころかマイナスになると、初めは、[俺も悪いが・・・]と、自分の非を認めたような発言をする。ところが、そのあと、けれどもお前も悪い、と、付け加える。自分はアドバイスをしただけで、実行したのは本人、責任はお前にある。上司のアドバイスは命令ではない、との論法だ。結局、自分の非を全て部下に転化し、非難しようものなら、言い訳をするなと口を封じ、朝の攻撃は激しさを増し、更に細かく執拗になって行く。

 営業部の次期エースと云われ将来を期待された男が辞め、優しいイケメンが田舎へ帰り、現場から選抜され配属された気弱な奴は、髪の毛が抜けるほど悩んだ挙げ句、無断欠勤で寮から出て来なくなった。若い社員が一年で二人も辞め、現場で真面目に働いていた男が、ノイローゼになって部屋に閉じ籠ってしまった。ようやっと会社も気づき、

気弱な男は現場に戻され辞めずに済んだようだが、上司には何のお咎めもなかつた。自分はそんな男ではないつもりだったが、どうやら五十歩百歩、女性に対する態度に変わりはないようだ。

 たぶん俺はマザコンだ。それどころか、上に姉が三人もいる、小さい頃には祖母もいて、父親は昼間仕事だから殆ど女のなかで育った様なものだ。だから女に幻想なんか持ってないと思っていたのだが、違う。伝統的な女らしさとか、淑やかさ、控えめな慎ましさ。全てが男の作り出した幻想なんだと解っても、尚も追い求める愚かさ。救いがない。

 口紅の女にも無意識に理想を意識し、そのスタイルと美貌に期待したのだろう。その枠から外れたら貶め辱しめ叩く。愚かなオヤジだ。

 鉄塔の脇を通りすぎた。やはり白とオレンジだ。赤い色は目の錯覚だ。誤った認識を、そのままにしては置けない。愚かな男だ。

 鉄塔の脇の川、田んぼの中なのに土手ではなく、両岸は石垣で囲われ、一定の間隔で堰が設けられ、鉄の丸いハンドルが突き出ている。そのダンプカーのハンドルのような物を廻すと分厚い板が下り、川の水が塞き止められ、水位が上がって田んぼに汲水される仕組みだ。だが、子供は、そんな風には使わない。夏の終わりには田んぼに水は必要なくなる。川の水量も減り、塞き止めても溢れることもない。重いハンドルも二人掛かりなら子供でも廻せる。止めるのだ。止めれば下流の水は無くなり、魚が取り放題になるのだ。普段は小川を石や土で止め、水をバケツで掻き出してする魚取りだが、ここの川幅は広い、大物が期待できる、堰の下流四、五メートルは川底にコンクリートが張られていて、その下流より数十センチ高い、その段差で土が抉られ、小さな滝壺のようになっている。そこに大物がいる。だが怖い。コンクリートの下が奥まで抉れ、洞穴のようになっていて、腕まで突っ込まなくてはならないからだ。大きくても魚や鯰なら歯がないから平気なのだが、鰻や蛇、ザリガニも恐ろしい。勇気が必要なのだ。だから小さい子には無理、おっかなびっくりなので獲物に触っても躊躇いがある。その一瞬の隙に逃げられてしまうのだ。だから大物でなくても、捕まえるだけで英雄になれる、そんな漁なのだ、が、その鉄のハンドルが今は見当たらない。もう使われてないのだ。水はパイプラインで運ばれ、蛇口から好きなだけ出せる。止める時にはバルブを閉めるだけだ。もう大物は・・・と考えるのは大間違い、大きな真鯉が泳いでいるのだ。田植えの時期になると群れになって下流から遡上してくる。繁殖の為らしく、雄の争いなのか、バシャバシャと音を立て、白い腹を見せ、うねるように塊となって激しく泳ぐ。

 どうなっているんだ。いつ頃からなんだ。知らぬ間に鯉の大群が、平野の真ん中の川を占領している。亀も増えた。みどり亀だ。点々と淀みから首を出している。昔はいなかったカルガモが、ゾロゾロと子ガモを連れてコンクリートの側溝の中を歩いている。一番驚いたのは、カワセミを見たことだ。見間違えではない。瑠璃色の羽根が輝き、水面に鋭くダイブして小魚を咥えて戻り、二・三度頭を叩きつけてから丸飲みにした。テレビ映像のまんま、信じられない思いで眺めていた。ここは山の清流ではない。それとも、それほど水が綺麗になったのか?まあ、そんな筈はない、が、下水道は整備された。それなんだろうか・・・。

 川を過ぎると家もなくなり一面の田んぼが続く。ここは大河の沖積平野、大雨の度に蛇行して流れが変わり、それが高低差のない土地を生んだ。今では上流にダムも出来、堤防を高くして氾濫を防ぎ、下流には複数の放水路を造って流れを固定した。天井川だから堤防は高い。もう遠くに少し見えている。その向こうには山々の青い影も望むことができる。子供の時に眺めた景色で覚えているは、お寺の屋根。竹林や木々から頭を出した本殿の優美な曲線を覚えている。だが、それが見えない。河と平行に県道が走り、ガソリンスタンド、レストラン、コンビニ、大きなディスカウントストアまで出来ている。寺の屋根どころか、堤防すら確認すことができない。

 歩いて来たのは昔からの道、軽自動車の幅しかない。県道とクロスするのだが、もちろん信号機はない。横断歩道もない。県道はトラックの往来が激しい。自動車関連企業が多く、ジャストインタイムと言われる工場間の往来が24時間途切れることがない。工場に在庫がなくなり、その分をトラックの荷台と運送会社の倉庫が担うことになる。だからトラックは大型化し、広い道路沿いには、運送会社の大きな倉庫が次々と建てられることになる。その巨大な倉庫が寺の屋根を隠し、堤防を見えなくしている。

 灰色の屋根、壁。差し色は企業のロゴとライン。敷地は広く、建物は大きくて高い。お寺の本堂と言えば、無駄に大きい代表みたいなものだろう。何十畳もの広間は儀式以外には必要ない。ご本尊も大仏様ほどには大きくない。なのに天井は体育館ほども高い。それが倉庫の半分にも満たない大きさだ。比較する気にもならないが、範疇が違うと言えばそれまでだが、時代の違う物を隣にならべたら、古い方が見劣りするものだが、小さくても劣ってはいない。あの反った屋根は、なだらかな曲線はどうだ。そうか、ここら辺は浄土真宗だから村々に同じような大きさの寺がある。門を潜ると、なだらかに伸びた本殿の屋根の下に、広間に続く広い階段があり、左右に屋根の樋からの雨水を受ける石の手水桶が置かれ、階段を登った板敷きの通路はコの字に本殿を囲み、右手は庫裏に続いている。階段の上の板敷きは吹きさらしで、手摺は平安時代の寝殿造のような塩梅だ。夏はここが涼しくて気持ちが良い。多分、生活感が無いから余計に良いのか、なんて思ったりする。扇風機で風を受けても、家の縁側で昼寝をすれば、周りは馴染みの道具や家具が溢れてる。目の端に映るだけでも鬱陶しい。自分の好きな物だけに囲まれて生活できればいいのだが、そうは行かない。仕事もそうだ。好きな人だけに囲まれて出来ればいいのだが、それが無理だから、せめて好きな物、好きな音楽、食べ物ファッション、補償が必要になってくる。

 爪先の尖った靴ばかりの女がいた。魔女が履いているような靴、足首にシャツの襟のような折り返しがついている。身体が細く顔も細い。その女の出身がここの近くなのを思い出した。固定観念の固まりのような気がして嫌いだった。こちらが嫌っているのが分かるのか、ある日、休憩室で「私のこと嫌いなんでしょう?」と言われた。こんなとき、そんなことはない、等と否定したら、嫌いではなく好きに、少なくとも言葉上では、嫌いではないとの意味にはなるのだが、それこそ嫌味でしかない。

 [何で判った?] 顔を近づけて問い返した。

 爆笑が巻き起こった。その返答は予期していなかったのか、また、周りの爆笑も予想外だったらしく、

 [いやーん] と、顔を伏せてしまった。

 女性の少ない職場だったのでチヤホヤされるのには馴れているだろうが、青い制服姿の若い事務員を嫌う男は少ない。悪目立ちしたのだろうか。大笑いした男たちの何人かは彼女に気があるのかも知れない。噂ではステディな相手がいるみたいで、所謂ガテン系、それが父親の気に入らない模様。同僚の事務員達の情報だ。父親は信金の支店長、ホワイトカラーがお望みなんだと思う。ガテン系の男を認めることは自分の人生が否定され、男としても認められていない。そんな意味なのかも知れない。自分の価値観、言わば、それこそ固定観念を守り、好奇心を封じ込めてきた結果なのだ。娘の尖った靴と同じだとすると、この親娘はずっと折れることなく対立するんだろう。いや、この親娘だけじゃない。うちの家族も私も、人と人、その関係の全てがそうだと言える。好みだけじゃない、知識だって感情だって違いがあるってことは、固定観念が存在するってことだ。

 常識を疑うのは難しい。自分の好き嫌いも観念も、思想も信条も、美意識すら時代で変化する。生き方だって死に方だって良いのか悪いのか。小学校低学年のころ、まだ記憶すら定かではない時期に、死んでしまった女の子がいた。顔も覚えていないが、超チフスか何かで突然に死んだ。それが初めての死だった。彼女の家は学校の近くにあって、そちらの方を唖然として眺めていたのを覚えている。会話したことも喧嘩したことも、挨拶すらしたことはないと思う。幽かに赤いスカートとその襞、おかっぱ頭が思い浮かぶ。その死に比べたら、何と長生きをしたことか。思春期を乗り越え学生時代を過ごし、目標もないまま社会に出て暮らして来た。愛とか恋とかじゃない、女に振り回され、金に振り回され、自意識が満たされることもなく、生きて行く根本の確証も得られず、未来の到達点も解らない。宙ぶらりんな存在だ。

 漸く寺の裏に出た。細い道が藪を回って堤防を登るルートに繋がっている。昔ながらの道は、軽四輪の幅のまま斜めに伸び、堤防上の道路に出る。そこから眺めれば、遠くの山々も平野も、川に渡した橋も鉄橋も瞬時に把握できる。国道にJR、私鉄、下流に県道。橋は密に架かっている。その橋脚部分、橋桁を見ればどれが古いのかが判る。一番新しい県道の橋脚は本数が少ないのだ。それに楕円が長くて水の抵抗も少なそうで、橋の中央部が高くて綺麗なアーチになっている。昔の橋は橋脚部が水平で、車で走るとリズム感がまるで違う。渡り始めの登りでアクセルを踏み、下りで足を離す。しかも下り坂なので見通しが良く、前方の信号なども見やすい。完全に車の為の道路になっている。

 私鉄の鉄橋は昔のままだ。リベツトがポツポツと接合部に出たままのトラス構造、薄い緑色に塗られている。面白いのは、レール部だ。鉄橋の上、枕木の下には何もない。川の流れが見えるのだ。なぜ知っているのか、子供のころ渡ったことがあるからだ。ガキ大将に続いてゾロゾロ、仲間は従うしかない。小学3・4年だつたと思う。自転車にも乗れるようになり、皆に遅れないように付いて来た。鉄橋を渡るのは、肝試しのようなものだ。勇気のない者は仲間外れにされる。

 [いいか、ぶら下がるんだぞ] ガキ大将が言った。電車が来たら枕木の隙間から下にぶら下がれ、と言うのである。逃げ場なんてない。電車に轢かれるより、ぶら下がってやり過ごせと言うのだ。上にいたら運転手に見つかってしまう。あくまでも秘密、こんな所に子供が居てはならないからだ。でも、腕力の強い上級生なら耐えられるかも知れないが、低学年では無理だ。落ちるだろう。でも、それも訓練された。川に来て最初にしたことが、橋脚の間を泳ぐ事だったのだ。そこは水深が深くて流れも速い。到底渡れそうにない。だがコツがあった。土台の上流部から飛び込み、流れに乗って次の橋脚の下流部へ泳ぐのだ。下流部は渦を巻いていて、多少流されても戻されるのだ。それは中央部の流れが速いほど渦も大きくて強い。上級生達は後ろを振り返りながら泳ぎ、渡り切るのを見届けた。渡れずに流されたら、線路には連れていってもらえないだろう。それは暗黙の了解だ。

 でも、本当は溺れかかった。飛び込んだ拍子に水中メガネが外れ、パニックになったのだ。水も少し飲んだ。川の流れの速さにも驚き、流されると思った瞬間に平泳ぎを止め、得意のクロールで泳いだ。それで渦まで辿り着き、助かった。紙一重だ。流されて溺れた話も聞いた。年に何人かは死ぬと言う噂だ。だから川での遊泳は禁止だった。学校にバレると廊下に正座させられ、晒し者になる。仲間に裏切り者はいない筈で、不思議だったが、後年、気づいたことがある。日焼けだ。川で遊んで陽に焼け、顔が真っ黒になっていたのだ。

 もう一ヶ所、川には不思議な場所があった。少し下流にブロックを並べた低い堰があり、そこで川砂を採っていたのだ。黄色の大きなユンボが川の中にあり、砂の山と丸く抉られた深い池があった。川は流れている。堰で砂は溜まっているかも知れないが、ブロックの上から音を立てて流れている。それとは対照的に丸い池には波もなく、静かに口を開けている。それが何となく怖い。不気味だった。丸い池は蟻地獄のように見え、誰も近づかなかった。流れの速さは克服したのに、プールより静かで穏やかな池は、その静謐さが不穏当だったのだ。喧嘩の強い奴は大声で脅したりはしない。川で数百メートル流されても平気だったが、淀みに潜って水温が下がったら、平気ではいられない。大人が溺死の話をして、川での泳ぎを禁止するが、仲間に死んだ奴はいない。見たこともない。脅しだと思っていた。

 もう一度、溺れかかったことがある。しかも5年生になってからだ。上流にダムが出来、水量は激減していた。もう砂取りもなくなり、川は歩いても横断出来るほどだった。経緯は思い出せないが、同級生の友達とその姉、三人で自転車に乗って行った。相変わらず川での遊泳は禁止だったが、保護者同伴なら文句なしだ。まあ、お姉さんは中学生で、保護者かどうかは微妙なところだが・・・。

 川はすっかり様変りしていた。砂の河原が広がり、水深は膝ほどしかない。ザブザブと川を渡り、中洲になった真ん中まで歩いた。水はようやっと膝上、流れに逆らって全力でクロールすれば、進めるかどうかの流速に思える。この年、市の水泳大会で優勝していた。自由形の学童新記録を出して天狗になっていた。自慢したことはないが、同級生のマー坊は解っていて、姉に対して自慢してくれた。そこで少し深い所でクロールを披露することになり、これくらいの流れなら遡上できるのではないかとバタ足を強くしたが、止まっているのが精一杯、前には進めない。それならば、と、抜き手の肘を高くしてみたが、格好は良くなっても結果は同じ、学童新記録も糞もない。自然の力を捩じ伏せることは出来ない。プールで幾ら速く泳げても、競争相手には勝てるが、海や川では通用しない。お姉さんに大したアピールは出来なかった。

 中洲のようになってはいても地面が出ている訳ではない、が、大きな木を見つけた。根もついていて、それが枝のように伸びている。水の流れの上に出ていて、一部が砂に埋もれている。肌はツルツル、石や砂と擦れあって磨かれたみたいだ。増水した時に流れて来たのだろうか、でも他には見当たらない。海岸の流木、あの類いの物だろうか、まるで化石だ。面白い。突き出た根は細く

はない。押しても引いてもびくともしないのは、余分な枝や根は取り払われてしまったからだ。乗っても蹴っても平気だ。上に乗って飛び込んだり、幹の上の方から走り込んでジャンプしたり、遊具にして遊んだ。時を忘れ、気付いたときには手遅れだった。

 上流では、放流の前、サイレンを鳴らして報せるらしいが、中流域のここまでは届かない。気付いたときには、水は胸まで来ていて、どんどん深さが増している。岸の方を見ると、広かった砂の河原が狭くなって遠くに見える。ほぼ川の中央で、顔だけ出ている。木の上に乗れば、少しは時間が稼げるが、流されるのは間違いない。岸まで泳ぐしかない。まだ少しは歩ける。中洲の高いところを辿って、右手はお姉さん、左はマー坊、手を繋いで進む。お姉さんの背は高い、だがマー坊はまだ小さい。遅生まれなのでしょうがない。不安そうに二人が私の顔を覗き込む。

 以前はガキ大将や上級生がいて、命令に従っていれば間違いなかった。彼らの経験は代々受け継がれてきたもので、リーダーは成績ではなく、現場での結果で選ばれた。勿論、腕力は必須だったが・・・。

 もう、そうゆうグループは存在しない。子供たちが遊ばなくなってしまったのだ。集まると、どうしても悪さをし、何かを壊したり畑を荒らしたりする。それが学校に通報され、苦情が親に伝わる。ガキ大将と遊ぶな、あの子と遊ぶな、あそこには行くな、となる。私も溺れた経験など、誰にも話したことはない。ここで平気な顔をしていられるのも、プールで新記録を出せるのも、根拠があるのだ。

 足裏が中洲の端に来たことを教えてくれた。踏み出そうとした足指の下の砂が、川の流れに掬われて無くなり、その先が深くなっているのが分かる。もう背は立たない。手を離し、游ぐしかない。水量はますます増え、その速さは橋脚の下と同じくらいだが、幅が広いので、その量が違う。膨大な水の塊が流れている。だいぶ流されるだろうと思った。

 お姉さんはもう泳ぎ出していた。それも、顔をつけて泳ぎ出したら見えなくなった。水量が多いので逆らって泳ぐのは不利だ。流されながら横か、少し下流に向かう方がいい。だが、ここに渦はない。岸に辿り着くまで泳ぎきるしかない。疲れたら平泳ぎにして、首を出して流される覚悟だ。

 百メートル以上は流された。もっとかも知れない。泳いだ距離は直線にして数十メートル、倍以上は流されただろう。初めての経験だ。岸に上がる時、もう足が着くだろうと、泳ぐのを止め、立ち上がったら、まだ水位が高くて、首の上まであった。ちょっと慌てて、少し先で振り向いて立っていたお姉さんに腕を伸ばして引っ張り上げてもらった。岸に立って中洲の方を確認すると、水が滔々と流れ、遊んでいた流木も見えなかった。

 [マー坊は?]

 お姉さんが下流の方を心配そうに見やった。

 そう言えば、手を放してからマー坊を見ていない。かなり流されたに違いない。

 [あいつなら大丈夫] 私は答えた。気休めではない。マー坊はガムシャラな奴で、喧嘩になるとムキになって向かってくる。溺れそうになれば、それこそ必死に泳ぐだろう。フォームも何もない、バシャバシャと水を跳ね上げ飛び散らかせ、泳ぐ姿が目に浮かぶようだ。

 姿がみえないので、二人で下流に向かって歩き出すと、こちらに向かって歩いてくるマー坊を見つけた。かなり流されたようだ。怒っている。

 [何でふたりで・・・]

 ズルいと言うのだ。自分は独りで溺れそうになり、二人は助け合って先に行ってしまった。理不尽で冷酷な奴らだと。けれども、助けるような余裕はない。そんなことをすれば皆助からない。自助しかない。マー坊は五年生になってやっと橋桁の間を泳いだのだ。

 川の水量は相変わらず少ない。川岸は水溜まりのような所もあり、葦が生えている場所もある。そこを犬を連れた男がサンダル履きで、濡れるのも構わず入って行く。小さな犬は水溜まりを前に躊躇っていたが、右に左に向きを変えて陸地を探しても見つからず、ザブンと真っ直ぐ飛び込んだ。リードが着いていないので、従順な犬だとは分かるが、飼い主は一顧だにしない。子犬は尻尾を懸命に振り、後を追う。

 もう夕方で、堤防の上の道にも散歩のひとが増えてきた。私鉄の鉄橋は昔のまま、ただ水位が低いので橋脚の土台が下の方まで剥き出しで、木の枝や草などの漂流物の絡みもない。水の流れもなく、水溜まりのような状態だ。

 夕暮れの静かな時間、時折、二両編成の電車が通るが、レール連結部から出る音が鉄橋に共鳴し、ガタンゴトンと懐かしく響く。昨日の夜、遠くに住む兄からの電話で、墓の話になった。そんな年になったのだ。田舎の、先祖代々の墓に入りたいと言う。家を出た長男が今更と言いたいが、それとこれは違うらしい。父親が、死ぬ数年前、突然、朝、仏壇の前に座って念仏を唱え出した。それまでには無かった行動で、面食らったが、最後が近いのを悟ったんだと理解し、咎めたり、非難したりはしなかった。父親と哲学めいた話など一度もしたことは無い。勿論、仏教についても、他の宗教についても踏み込んでの議論の記憶は無い。実戦の経験は無かったとは言え、戦争を経験した者が信心深くなるなんてことは、矛盾の最たるもので、あり得ないと思っていた。だが、死はその範疇にはないのかも知れない。

 私も仏教徒なんだろうか。家はある寺の檀家だ。小さい頃は祖母につれられ、よく寺に行った。悪いことをすると地獄に堕ちると教えられ、火炎地獄や針地獄の絵を見せられた。家には弘法さんの座像があり、大きい仏壇、小さい仏壇、仏間に三つ並んでいた。けれども、とても信心深いとは言えない。信仰心は無いと言っていい。けれども、付き合い程度の従順さはある。仏教とは、その程度のもので、手を合わせても、感謝も祈りも何もない。まあ、神の前でも同じだから、信仰心が無いのだろう。どだい自分を救おうとか人を救おうとかが解らない。釈迦のしたことは哲学であって宗教では無いだろう。自己研鑽だから学問なのかも知れない。座禅は観の修行らしいから、これも宗教では無いだろう。ただ、仏教だけが人間だ。仏も菩薩も、元は人間だ。研鑽を積めば仏に成れるらしいが、釈迦以来、なった人はいない。日本では空海がそれに近いが、高野山では、空海が死んでも毎日食事を供え、同じ密教の比叡山では、戦争末期、鬼畜米英滅べと、ゴマを焚いたらしい。何たる愚行。とても悟りを得た者の行為ではない。と、犬の遠吠え、カエルの小便。お赦しを・・・。

 これは本当の事だが、本気で、何で生きているのかを知りたかった。根本を知らなければ、意味を知らなければ、先へは進めない。いや、先どころか、いま立っている足元が確かではない。なぜ生きているのかも知らずに生きているなんて、滑稽だろう?でも、それが普通だ。信じられない。

 一人だけ、読んだ本のなかで、たった一人本当のことを言ってる奴がいた。ただ、理解ができない。何を言っているのか理解ができないのだ。それが引っ掛かったまま取れず、常に考え続け、まるで夢遊病のようになってしまった。何も手につかないのだ。ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー[地獄の季節]。それを読んで、十六から二十一まで、離人症か鬱病か、とにかく、何らかの精神病になったのは間違いない。学校も生活も恋も金も、どうでもいいのだ。存在の根本が解らないのに、知ったかのまま生きるのか?

 とにかく、ランボーに倣って放浪しようと、家出した。用意したのは、灰色のフェイクレザーのダブルのコート、灰色のバックスキンの編み上げの靴、同色のショルダーバッグ。心も灰色、冬だった。

 東京の街をさ迷った。朝も昼も夜も、歩いた。雨は降らなかったが、雪は舞った。大都会は放浪者に優しい。人々は無関心だし、群衆に紛れれば、孤独にもなれる。昼は人々の間を俯いて歩き、夜は立ち止まって夜空を見上げた。ランボーは野宿で夜空を見上げ、今夜の宿屋は、大熊座だ、と母親や信仰の軛からの解放を満喫したようだが、東京の空に星は見えない。街の灯りが乱反射して、靄のような夜空だ。

 三日間さ迷って一時の興奮も醒め、ここで、十七才で人生を、との踏ん切りはつかなかった。けれども、先の希望を見つけた訳じゃない。荒れ地の中では生き続けられない。金の苦労で死ぬしかない。一種の諦めなのかも知れない。何で生きているのかは解っていなかったが、この先解ったとしても、それが価値のある事でもないようだ。それでもランボーは生きた。そう考えて放浪ゴッコは終った。

 十七才で死ななかった事を悔やんでいる。いや、死んだ自分を想像して、その自分に憧れている。と言った方がいいのかも知れない。なにも知らない事の、なんて素晴らしい、いや、若さの素晴らしさか・・・。

 弁証法と言う数学の証明がある。より大きな物の否定をすれば、それより小さな物の否定は証明される。宇宙の最期は一立方キロに水素原子一つになるらしい。無になるのだ。銀河も太陽も地球も無くなる。とすると、当然、人間も無くなる、と言う寸法だ。何もないのに、人の生きる意味とか神とか仏とか、本当に意味がない。要するに唯物論だ。味も素っ気もない。なーんだ、と思われるかも知れないが、それが荒れ地の正体だ。非人情の中では生きられない。

 あれから、何十年も生きてきた。常にランボーが頭から離れない。あれから、人として成長したとは思えない。ただただ世間ずれして物事の裏を読み、スキャンダルを面白がり、金を稼げぬ己を恥じ、他人の努力を嘲笑った。それが本意ではない。少しは本質に近づいた筈だが、それを明らかにする事も出来ない。しかも時代は進み、哲学・小説ではなく、情報・データ、質ではなく量の世界になっている。データ量が多い方が正しいかのようだ。それが民主主義、それは違うぞと声を上げるのもバカバカしい。そんなことは百も承知、儲かるからに他ならない。薄利多売、コンビニ、ネット販売。いつの間にか取り込まれ、昔ながらのアナログな自分がいる。

 別にデジタルが嫌なのではない。便利で速くて使いやすい。だが、金が掛かる。あの、膨大な、余分なデータの分まで払っているのかと思うと、腹立たしい。ネットでの買い物も、未だしたことがない。同じ様なものが何種類も、時には何百種類もあり、違いが分からなくなり、選べなくなる。その為の評価が出ているが、ヤラセが殆どだろう。自分が出店者ならそうする。社会に出て、田舎者が変わるのはそれだ。純粋な奴ほど見事に騙されて、傷も深い。騙した方は、してやったりと、反省どころか周囲に自慢したりする。恥知らずと罵りたいが、自分がそうでないとは、言い切れない。誤魔化しがある。他人を騙すばかりでなく、真っ先に自分を誤魔化さないと、他人を騙せない。真っ正直に生きろと言われて育ってきたが、他人を、な、どころか自分を騙さないと正直に生きられない。自分を騙せないと、正直者だと偽装し尽くさないとだめだ。或は、最初から詐欺師だと開き直るか・・・。

 飛び込みの営業をしたことがある。入社して直ぐ研修があり、旅館を買収して改装したようなセンターに泊まり込んで講義を受ける。そこに各地の新入社員が集まるのだが、若者は一人もいない。殆んどが営業経験者で、還暦を過ぎた人もいる。要は使い捨て、正社員ではない。そこに営業の講師をしていた男がいた。本来ならここではなく、登壇していなくてはならない筈で、訝しい思いで一杯だったのだが、どうやら精神を病んでいるらしく、目の奥を覗いてみると、怯えがある。多分、善人なんだ。多少は解る。他人の家を訪ね、わざわざ儲け話を持ってくる奴はいない。それを知ってる自分をどうやって納得させるのか、詐欺師になれる奴は良いが、そうでないと、抑え込んだ矛盾はいつか顔を出す。成績が悪く、ノルマを達成出来ずに辞めるなら未だしも、トップを続けているのに、辞める奴はいない。多分、そんな風だと推測した覚えがある。ここの講師は、いまだにエスキモーに冷蔵庫を売った話や分母、つまり訪問数を増やせとか言っている。ダブルのスーツに黒ブチのメガネ、如何にもな格好で声も低く、自信ありげだ。自分を誤魔化し切った顔は、一流企業の重役のようだ。教養もありそうなのに、実存とかサルトルとか、知っているのだろうか。年代からして、名前や概念くらいは知らぬ筈がない。だとすると、下らない講義だとの自覚はある訳だ。アメリカのビジネス書をなぞっただけの話は、それ以上でも以下でもない。正にその塩梅で

生きているのだ。もう、どっぷりと浸かっていて、誤魔化した自分に向き合う事もない。まあ、それを非難する輩はいない。それが世間だ。そこまでになる努力や発明、金を儲けた後の慈善や寄付、奉仕、サクセスストーリーが喧伝され、我々は眩惑され、誤魔化されてしまう。そうではなく、精神を病むセールスマンは、荒れ地をさ迷うランボーなのか?それも違うか・・・。

 荒れ地とかランボーとか言うと、青いとか高等游民だと言われてしまう。科学なら基礎研究は必須だ。でも、生きて行くのに、なぜ生きているのかを知るのは必要ではないのか?これが不思議でならない。今現在、立っている足元が不確かなのは不安ではないのか?とても気恥ずかしいのだが、ここに来て、未だこんなことを書いている。十六の頃と同じだ。あの頃は知らなくて悩んだが、知った今も何ら変わりがない。どうしたことだ。太宰にトカントントンと言う短編があるが、あれなのかも知れない。頭のなかでそんな音は鳴らないが、努力とか忍耐とか、教育的な言葉を聞くと萎える。なぜ生きているかも知らないのに、また、無意味に向かって生きているのに何をしようと言うのか、と。無論、人生おのれが望むように、おのれが決めて進むのだが、その意思が湧いて来ない。何故かは解っている。死んで無になるのに、努力して何に成るのか。おのれの欲の為なら、それは御免こうむりたい。生きるのは欲なのか?ま、そうなのは間違いないのだが、欲望のままには生きられない。抑制を学ばせられる。教育だ、努力だ、忍耐だ。元に戻ってしまった。だから御免こうむりたいのだ。

 形而上的な死はもうない。ランボーが放ってしまった。どうすればいいのか。

 夜の川が好きなのは、密かに水が流れ、その様が他人の目を気にしてない行為のような気がするからだ。静かに、ゆったり流れているが、水面は暗くても移動する水塊は感じられる。音もなく波もないのが好きだ。それに少しの灯りがあれば尚も良い。反射する光は光源よりは弱いが、それかまた好もしい。鉄橋を渡る電車の窓から漏れる明かりなんぞは、移動する列車と共に揺れ、煌めく。音も、夜の冷気の中で少しくぐもり、フラットな音に響く。死んだら、兄とは違い、代々の墓なんかには入りたくはない。散骨してほしい。出来るなら、許可が下りるかどうか知らないが、この川の鉄橋の下に流して欲しい。二度も溺れているのだ。死んでいても怪しくはない。あの時溺れて死んでいたのなら、ランボーとか太宰とか、営業とか赤い口紅とか、侠雜物のない生のまま無になれたのではないのか。それが何なんだと言われれば、それまでだが、その方が良いような気がする。そうしたいのだ。

 完

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川まで @8163

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