第3話 騒がしい朝

 窓から差し込む光と、開いた窓から聞こえてくる鳥のさえずりがの意識を現実に引き戻した。まどろんだ思考のまま辺りを見回す。すると部屋の中を忙しなく動き回る一人の女性の姿があった。少し年季の入っているエプロンドレスに身を包み、頭にはホワイトブリムが着けられている。歳の頃は15、6といったところか。年齢の割には大人びた顔つきをしているのが印象的な少女だ。背丈も同年代の男性に劣らないほど高い。それも彼女を大人びているように見せている一因になっていた。


 彼女の名前はユテナ。部屋のぬしであるアリシアの幼馴染であり、彼女のお世話をしている侍女でもある。ユテナの一日はアリシアを起こすことから始まる。


「アリシア様。朝ですよ。起きてください」

「起きえる。起きえるよ。らいじょうぶ。起きえるってあ……」


 アリシアはおぼつかない口振りと、どこに向けているかわからない腕振りで起きていることを主張するが、その言葉を信じてしまうほどユテナはお人好しではない。長年寝食を共にした関係である。彼女が今どんな状態にあるのかユテナにはしっかりと分かっていた。


(……これは確実に寝てる)


 断言できる自信がユテナにはあった。

 過去に何度となくこの言葉にだまされた経験があってこその自信だ。

 このまま放置すれば確実に遅刻することになるだろう。

 成績優秀な優等生名家のお嬢様を演じているあるじに、そのような失態をさせてしまっては侍女としての立場がない。なにより彼女の10年にも及んでいる努力を水の泡にしてしまいかねない。それは幼いころよりずっとアリシアを見守ってきたユテナにとっては許し難い行いの一つだ。ゆえに――彼女はアリシアに対してだけはとても厳しいという一面も持っていた。


 ――バシャアッ!!


 ユテナがテーブルの上にあった花瓶の中身をアリシアの顔面目掛けてぶちまけた。

 陽光で温められた水とまだ摘まれてまもない花々が彼女の眠るベッドを彩る。

 さすがに吃驚びっくりした様子でアリシアが目を見開いて声を上げた。


「なにごとっ!?」


 アリシアはずぶ濡れになった髪を力任せに掻き上げて部屋の中を見回す。

 そこにさっきまでの眠そうな気配は微塵もない。


 パンッ、パンッ、パンッ、とユテナが力強く手を叩いた。


「ヤー! ヤー! ヤー! 時間がありませんよ。さっさと起きて学院に向かう準備をなさい!!」


 軍隊の訓練にありそうな掛け声でアリシアをはやし立てる。

 普段の彼女からは想像できない声量と言い方だ。アリシアにとっては見慣れた光景だが、他の侍女がこの場にいたなら驚きを隠せなかっただろう。普段のユテナが他の人と話すときは柔らかい言葉遣いをしているからだ。良く言えばそれだけアリシアに心を許しているとも言えるし、単に遠慮がないとも言える。


「あー……またやっちゃったか」

がある日はいつもですよ」

「いつもありがとう。ユテナがいてくれて本当に助かってるわ」

「そう思うなら私が起こしに来る前に起きてて下さいな」

「それは無理」

「そうでしょうとも」


 このやりとりもいつものことだ。

 忙しなく着替えに没頭するアリシアの姿を見て――


(淑女しゅくじょと呼ぶにはいささか……)


 ユテナが眉間にしわを寄せてため息を吐いた。

 アリシアのわんぱくぶりは幼少の頃から変わっていない。

 外面が良くなったのは成人のを迎えてからだ。あれからあるじは二つの顔を持つようになってしまった。今みたいに男勝りで自由奔放な彼女と、学院での成績優秀な優等生名家のお嬢様だ。今の方がずっとアリシアらしいからこのままでもいいと思う反面、しかし年頃の女性である自覚も少しは欲しいなとも思ってしまう。

 気づけば眉間のしわはなくなり眉尻が下がっていた。

 浮かぶ表情は落胆である。


「そんな顔してどうしたの?」

「どうもしてませんよ。それよりお時間は大丈夫ですか?」

「ダメっ!!」


 部屋に置かれた振り子時計を見てアリシアは叫んだ。

 時間は8時を過ぎており長針が6を指している。学院の始業は9時からだが、家から学院までは急いでも30分はかかる。無駄に使える時間はないに等しい。支度を済ませ、慌てて部屋を飛び出していくあるじの背中を見送ると、ユテナはびしょ濡れになったシーツをまとめて部屋をあとにした。


 何も変わらない一日であると疑う余地もなく。

 今日もユテナは侍女として一日を過ごし始めた。

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