第8話【地獄の始まり】


 三日後


 その日の朝も、街は静かに始まった。だんだんと青くなる空は、今日の平和を示すようにキラキラと輝いていて、とても美しかった。


 そう、とても……


✞✞✞


 とある外れの集落に、五大神は降り立った。彼らは我が物顔で村を歩き、この世界の、否、この国の発展状況を視察していた。


 村に人の気配は無く、ひっそりと静まり返っている。穏やかな時間が神々を取り巻いていた。


 破壊神がポツリと呟いた。


「とても美しい集落だな。まったく、滅ぼすのが惜しいくらいだ」


  ザァァ、と穏やかな風が吹いた。


 整備された道路、手入れされた畑、立ち並ぶ民家……。どれも人間の努力と技術が光り、長い歴史の中でいかに高度な文明を築いてきたかがよくわかる光景だった。


 よく見るとまだまだ発展途上な部分もあるが、それでも高度であることには違いない。


「まったくだ。今からでも撤退しようかと思わせる魅力がある」


 天候神が同調する。


 時刻は六時三十分。日の出からかなりの時間が経過していたが、戦いはまだ始まっていなかった。

 五大神の視察が戦の開戦を遅らせ、この村の美しさが作戦の決行を躊躇させていたのだ。


 五大神が下界に降り立っておよそ三十分。集落に降り立った五大神は、この集落の光景を思いの外、気に入っていた。戦意は無くなっているも同然。五大神の穏やかな表情は、早朝にゆったりとアテもなく歩く、そんな散歩を連想させた。


 やはり、世界は美しい。もう少し様子を見てもいいだろう。


 あの会合で交わされたはずの、五大神の決意が揺らいでいた。


 神はやはり人間に優しく、戦は始まりを失おうとしていた。五大神の裁きは救済となりて、この世界に何も残さず消えようとしていた。


 が、運命の歯車は確実に回っていた。


 ガサ、と音がし五大神が振り返ると、小太りの中年男性が立っていた。


 この時代にしては珍しく、よく太った、肉付きのいい男性だ。薄くしわの刻まれた顔にはハリがあり、眼光は獲物を狙う獣のように鋭かった。


「おいおいお前、何者だ? ……見たこと無い顔だな、他所の者か。……ここは俺の畑なんだ。勝手に入ってんじゃねぇっ!」


 彼は村一番の権力者であり暴君のビル。彼は五大神に突っかかった。


 ガチリ。

 歯車が一つ嵌った。


 無遠慮に、しかも喧嘩腰に話しかけられ、五大神は当然顔をしかめた。「なんだ、この人間は?」というような、非常に不愉快そうな表情だ。


 もしも彼が一般的な人間だったなら、その表情を一目見ただけで自分の悪態を理解するだろう。それか、神の威圧によって恐れおののくのだろう。


 が、ビルは村を力で支配している男。前者にも後者にも属さずに、不愉快そうな彼らの表情には見向きもしなかった。それどころか、五大神の視線を自分に屈していると捉え、舐め回すように五大神を見だしたのだ。


 話せばわかるタイプでは無さそうだった。


 ガチリ。


 また歯車が一つ嵌った。


「……よく見たら良い服着てんじゃねえか。これは、かなり良い値で売れるぞ……。なぁ? 俺が有効利用してやった方が良いよなぁ? へへへ……」


 ビルは歯車を嵌めていることに気づかず、ズイ、と破壊神に詰め寄った。ニタリと下品な笑みが顔に染み付いている。


 それに対し破壊神は、


「有効利用? この服をか?」


そんな技術があるのかと、興味深そうに聞き返した。

 ビルはその返答を聞いて、一体何が気に触ったのだろうか。いや、もしかしたら自己顕示欲だったのかもしれない。彼はグッと拳を握り、


「ああ、そりゃあもう、素晴らしくなっ!!」


と言い破壊神を殴りつけた。……いや、殴ってしまった。

 暴力と金の力で村を支配していた男は、相手がたとえ神であろうと、愚かなほどに利己的だった。


 顔面へのパンチを受けた破壊神は、ふらりとよろめき転倒した。本来ならどうってこと無い攻撃だったのだが、まだ神であることを悟られるわけにはいかなかった。今は、まだ、一般人として……。

 五大神は先程まで、あくまで一般人としてこの男を見ていたのだ。この世界に住む仲間として、共生していく仲間として。

 

 が、しかし。ビルはよろめいた破壊神一般人の姿に、心から満足したように笑った。


 ……救いようのない愚者であることは、明らかだった。とても、共生など出来やしない。


「はははははっ! 立ち上がる元気も無いってか!? なぁ!!? じゃあ、身ぐるみ剥がさせて貰うぜ、はははっ!!」


 ビルは支配下に置いたという満足感に、狂気的に笑った。それを見て、破壊神は、ふー、と長いため息をついた。

 ゆっくりと起き上がりビルを見据えたその目には、はっきりとした嫌悪と決意が現れていた。そして、その思いを表すように一言。


「……まったく、これだから人間は滅ぶのだ」


 深い深い嫌悪感が、眼前の愚者、ビルに注がれた。破壊神は、否、五大神は、先日の決意を思い起こす。五大神全員のザラリとした視線が、さすがのビルにもこの状況を理解させた。


「……は? 滅ぶ? お前、何言ってんだ?」


 彼は警戒したように何歩か後ずさったが、気づいたときにはもう遅い。繋がっていたこの国の命綱は、彼自身が先程切り離したのだ。

 破壊神が一歩、ビルに近づく。それだけで彼が恐怖に震えた。ゆっくり、しかし、確実に。


 破壊神は、五大神の会合のとき同様、唸るような低い声で言った。


「愚かで傲慢で卑しい人間め……。残念だ」


「ゔっ!!?」


 ひゅっと無造作に拳が放たれた。それはビルをまで殴り飛ばし、絶命させた。暴力と金で村を支配していた男は、破壊神の破壊の力をその身に受け、暴力で死んだ。


「今の音、何!?」


 ドタバタと一斉に住人が出てきた。出てきた住民のほとんどが、手にほうきやフライパンなど武器代わりの物を持ち、キョロキョロとあたりを見回している。

 十秒もしないうちに、ほとんどの住民が集結してしまった。……まぁ、当然だろう。

 多くの住民が寝静まっている時間に、何かが崩れ、潰れる音がしたのだから。

 あまり聞き慣れない音に、人々は音源を探しだした。まさか人が潰れた音だなんて、夢にも思わないだろう。人間が潰れるなんて事態、この集落ではまず無いのだから。


 だが、神々に、ましてや破壊神にその常識は通用しない。


 やがて、破壊神の権能により潰された人間を、村人の一人が発見した。


「ビル……さん!? し、死んでる!!」


その一言に、信じられないといった風などよめきが広がった。


「何だと!? い、一体誰が!!」

「そ、そんなことが人間に出来るのか!?」

「嘘だろ、おい!!」


 集落の者たちはありえない状況に混乱し、ざわめいた。住民たちは、破壊神やその後ろに控えている神々には目もくれない。無残な姿になったビルに意識が集中していた。いつ、誰が、一体なぜ?そんな疑問を浮かべていたのだ。

 しかし、冷静になってくると、周りがよく見えるようになる。ビルに向いていた視線や意識が、徐々に五大神に集まっていく。


「っ……お、おい! お前ら何者だっ!? ま、まさかお前らが…………」


 青年の一人が畏怖したように言った。嘘であってほしいと願うように、わなわなと両手を震わせている。ビルの直線上に立つ破壊神を見つめ、荒い呼吸を繰り返す。

 

 周りには子どもたちを守るように抱き寄せる者、腰が抜けて座り込んでいる者、臨戦態勢に入る者など、この村のたくさんの人々がいる。呼吸をする音すら聞き逃さまいとする人々に向けて、破壊神は残酷にも薄らと笑いかけて言った。


「ああ、俺が殺った」


 刹那の沈黙。住民たちの心と身体に、破壊神の言葉と恐怖が染み込んでいく。


「う、うああああああああああああああ!!!!!?」


 破壊神の殺戮。今なされたそれは、この戦の開戦の合図だった。人々はその恐怖に支配され、無様にも四方八方に逃げ惑った。

 が、その集落が地獄と化したのが、他の地より先だったというだけだ。

 

 五大神は互いに見つめ合い、青空へ飛んだ。高く高く、シャミスが一望できる高度まで飛んだ。美しく広がる光の国の上空に、五大神の姿がよく映えた。


「我等は、この世界を護りし五大神!」


 破壊神の声が拡声魔法で国中に響き渡った。ゆっくりと、それでも確かに、破壊神の声は国全体に届いた。ある程度の魔力がある者は皆、聞こえた声の主を探し、一様に空を見上げたのだろう。破壊神の声が、再び広がる。


「この世の光を信じし者よ、審判の時だ!」


 破壊神がバッと右手を上げた。膨大な量の仄暗い魔力が、ズズズ、と大きな渦を巻いた。真紅と紫に彩られた巨大な魔砲が、万物を滅ぼさんと暴れ出す。破壊神はニヤリと笑い、首都レイクティアにそれを放った。


「開戦だ。『断罪審判暗魔砲ジャッジメント・ディアングル』」


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