第2話 甘くて

「な、な、何言ってんの。冗談きついな、ハハッ」


 今発した私の言葉をなかったことにしたいのか、小林さんはわざとらしく笑う。

 数少ないTL作家のお仲間からの情報によれば、小林さんは独身。おまけにいま現在、彼女はいない。私の申し出を断る理由はないはずだ。


 それとも、私なんかとはしたくないのだろうか。やはり、小林さんもその他大勢の男性たちといっしょだったのか。

 でも、逃がすわけにはいかない。もうチャンスは残されていない。


「冗談なんかで言えません。私、本気です。熱いエロシーンに経験が必要なら。経験します。その相手は小林さんで、いいです」


 一瞬、イケメンの顔が苦し気にゆがむ。なんでだろ。とても痛い顔をしている。しかし、イケメンの感傷に付き合っている暇はない。


「小林さんが言い出したんだから、お願いしますよ。ほかにしてくれそうな、めぼしい男性いませんので」


 ふせられていた涼し気な目は、私を射すくめた。


「じゃあ、俺のことが好きとかそういう感情論ではなく、あくまでも仕事の一環としてセックスしてくれって言ってるんだね」


 なんだろ、このびりびりと空気を震わす気迫は。私には理解不能な殺気におされ、こくんと首を縦に落とす。


「はい、まくら営業とかでもないですから。あくまでも、勉強としてお願いします」


 また、小林さんは痛みをこらえるように眉間にしわをよせた。そして、口の端をあげて笑ったんだけど、目が全然笑ってない。


「いいよ。しようよ、セックス。今日はあれだから、日をあらためて……」


「えっ? 今がいいんですけど」


 そんな違う日なんて、待ってられない。改善点があるなら今すぐ改善したい。それにセックスが必要なら。今すぐしたい。


「こ、ここで……」


 人間絶句すると、思考がとまるらしい。小林さんは瞬きも忘れ、私の顔にみいっている。そんなに見つめられたら、穴があきそうだ。あっ、これから穴をあけられるんだった。


 私、うまいこと言ったな。うん、今度使ってみよう。このフレーズ。

 なんて悦に入っていると、バンっと大きな打撃音が耳をつんざく。いつの間にか覚醒した小林さんが、両手で机をたたいていた。


「わかった。ここでやろう。すっごくいいシチュエーションだよね。会議室でとか、オフィスラブの定番だし」


 セリフの軽いノリとは正反対な、追いつめられ悲壮感ただよう小林さんの顔。私とじゃ嫌なのかな。じゃあ、申し訳ないのでさっさとすませないと悪い。ただでさえ駆け出し作家のために、貴重な時間をさいてもらってるんだから。


「あの、私はじめてなんで。具体的に順番教えてください」


 かばんから、ごそごそとメモを取り出しペンを握る。

 そんな私を見て、小林さんは立ちあがり窓のブラインドをおろし、私の背後にまわりドアの鍵をしめた。


「やるだけなら、とっととすますけど。そうじゃないよね。いろんなこと、感じたいんだよね。してほしいことから言ってみて」


 私をみおろす小林さんの顔に、なんの感情もうかんでいない。やっと観念したようだ。よかった。じゃあ、遠慮はいらない。


「私、男性にしかないところをさわったことなくて。まずさわらせてもらっていいですか」


 手ざわりなんかの描写が、なかなかできなかったのだ。やはり、生の感覚には勝てない。これから未知なる経験ができるのかと思うと、私のこの薄い胸でも大きく膨らむというものだ。


「い、いきなり。そんなとこから!?」


 無表情の顔が一気に崩れ、口元はひきつっている。


「いきなりって。でっぱってて、さわりやすいじゃないですか」


「ちょ、ちょっとそこは……ほんとはまだ、心の準備ができてなくて。できればもっと性的なところでなく、普通の……」


 性的? そんな、あわてるところだろうか。むき出しで、外に出てるのに。


「のど仏、さわられるの嫌ですか?」


「……のど仏、いや、てっきり」


 どこと勘違いしたのだろう。


「あの、嫌なら無理矢理は、私だって悪いと」


「大丈夫。いいよ」


 小林さんはふーっと長く息をはきだすと、人差し指をネクタイの結び目に引っかけた。細く長い指に力を入れ、シュッと絹ずれの音をたてネクタイをゆるめる。そして、ワイシャツのボタンをひとつあけた。


 私はその動作を、食い入るように見ていた。これが世にいう、男性に色気を感じる瞬間かと。

 でも、ただネクタイをゆるめただけで、どこがどう色気があるのだろ。そもそも、男性の色気って?


 ……なるほど、そういうことか。今までなんとなく書いていたものは、実感がこもっていなかったのだ。

 じゃあセックスすれば、はれて私にも実感をともなう男性の色気がわかるというもの。


 あー、早く知りたい!


 私はすっくと立ちあがった。小林さんとの身長差は二十センチほど。ちょうど私の頭上に、のど仏が位置する。


 白く長い首の真ん中にちょこんと突き出たのど仏へ、手をそろそろとのばしていった。

 コツンと音が出そうなほどかたくとがったのど仏の感触を、指先で感じる。私は手のひら全体で、そこをやさしく包み込んだ。


 ここは、呼吸をつかさどる器官。強く圧迫すると、苦しいだろう。ただでさえ、私のわがままにおつき合いしていただいているのだから、不快な思いをさせたくない。


 ふれるかふれないかの距離感で、何度もすりあげる。肌はすべすべしているけれど、だんだんしっとりと湿ってきた。


 そうしたら、のど仏が上下にごくんと動いたのだ。唾をのみこむ振動が手に直接伝わり、妙に感動する。体の中に直接ふれているみたいで。


 そもそもセックスとは、粘膜をこすり合わせる行為。

 粘膜とは内臓に直結しているデリケートな部分。本来保護しなければならないところを、他人にさらし侵入を許す。それは自分の生命を、相手にまるごとゆだねるということではないだろうか。


 すごい……。なんてセックスって、尊いんだろう!

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