TL(ティーンズラブ)作家の憂鬱

澄田こころ(伊勢村朱音)

第1話 はじまりは

 編集の小林さんがドアを大きくあけ、駆け出し作家である私に中へ入るよううながす。 いつもの打ち合わせは、間仕切りされた編集部のオープンスペースでおこなわれるのに。


 今日は、小会議室で打ち合わせをしようと言われた。なんだろう、人に聞かれてまずい話なんだろうか。二作目の原稿ボツだったのかな……。

 書籍化したって、二作目を出してもらえる確証はどこにもない。大抵の新人は一作出して姿をけす。


 内心でため息をはきながら、小林さんがあけたドアへ吸い込まれるようにして私は入っていった。

 背中越しにパタンと、ドアの閉まる音がする。


「さっ、座って。yukiさん」


 小林さんのイケボが、ふたりだけの室内に響く。

 わたしは、手前の椅子をひきストンと座った。目の前には大きな窓。窓越しに千代田区富士見のビルばかりの殺風景な景色がひろがる。


 その無機質な風景をバックに、小林さんがテーブルをはさんで目の前に着席したとたん、私は口をひらいた。


「あの、ボツだったんですか?」


「いや、ボツではないんだけど、ちょっと改善点が……」


 小林さんの、端正な顔がうつむいている。はっきり私の顔見て言えばいいのに。


「じゃあ、その改善点を修正すればOKですか? 私どうしても、二作目出版したいんです。せっかく小林さんに拾いあげてもらったんだから」


「うん、まあ……」


 肯定とも、否定ともとれる曖昧な返事。これは、ちょっとやそっとの改善点じゃないってことか。


「私、なおせるところはすぐになおします。はっきり言ってください。私の改善点」


 まだうつむいていた小林さんの切れ長の目が、ちらりと私を憐れむように見た。


「yukiさんは、文章もうまいしストーリーもグイグイ読ませる。一作目はよかったんだけど、ただ一カ所欠点があった。今度の二作目で、そこがなおってるかと思ったんだけど」


 もったいぶった言い方しないでいいとこなんて言わず、ずばっと言ってほしい。私のじれったい思いなんか無視して、小林さんは目線をそらせつつごにょごにょと聞き取りにくい言葉をはきだした。


「セックス描写が全然なってない……」 


「はっ?」


 不躾にも聞き返してしまった。年上の男性に失礼だけど、だって意味がわからない。


「君が書いてるのは、ティーンズラブってジャンルなんだ。どんなに話がおもしろくても、セックスの描写がおざなりなら売れない。売れない作家に、次回作を書かせられない」


 目線が泳ぐ小林さんは、薄い唇をふるわせ力説した。


「おもしろかったら、なんでもいいんじゃないんですか?」


 私の質問が気に入らなかったのか、心の底まで見透かすような真っすぐな目線で正面から睨みすえた。


「それは作家のおごりだ。yukiさんは読者を意識して書いてないだろ。TL(ティーンズラブ)の読者は、イケメンとキュンキュンな恋愛を疑似体験しつつ、甘くとろけそうなセックスを本の中で体験したいんだ!」


 イケメンの口からこぼれる、キュンキュンな恋愛、甘くとろけそうなセックス……。破壊力がエベレスト級だ。


「えっと、私も努力してます。エロシーンには特に気をつけて……」


「君の書くエロは、世の中にあふれているエロいものの、いいところだけ抽出している栄養ドリンクみたいなもんだ。すごく味気なく、無機質。全然うまみを感じない」


 あっ、バレてる。たしかに、私のエロシーンはいろんな参考資料をツギハギしているだけ。でも、うまく自分の言葉に変換してから、文章に落とし込んでると思うんだけど。


「じゃあ、そのうまみを感じるエロシーンならいいってことですか」


 私のしつこい抵抗に、小林さんは眉をひそめそっぽをむく。


「女性にこういうこと言うの、セクハラだとは思うけど。君、男性経験浅いよね。その浅い経験を妄想で補おうって情熱もない。つまり、君はセックスに興味がない。そういう人間に、読者を引き込むエロシーンは書けない」


 またまた、言い当てられた。男性経験が浅いどころか、私……。


「すいません、私、処女なんで。なんにも経験していません。ということは、経験すれば熱いエロシーン書けますか」


 あっけらかんとした、突然のカミングアウトに度肝をぬかれたのか、小林さんは首を90度にぐきっとまげ私の顔色を確認する。正気で言ってるのかこいつ……ってわかりやすく顔に書いてあった。


 冗談ではなく、いたってまじめなのに。私の真剣なまなざしからその誠意が伝わったのか、念押ししてきた。


「君、けっこうかわいいのにしたことないの?」


「かわいかったら、男性とセックスできるんですか?」


 ぐうの音もでないのか、小林さんはゴクリととがった喉仏を上下させ唾を飲みこんだ。

 セックスとは、コミュニケーションと情緒が必要な共同作業だと思っている。はっきりいって、引きこもり気味の私にそのようなスキルはない。

 なので、セックスに興味がないわけではない。むしろ、向学のため勉強したいのだ。


 しかし、かわいいね、と近づいてくる男性はちょっと話しただけで向こうからさっていく。私の言動のどこが気に入らないのだろう。

 23歳になるこの年でも、皆目わからない。しかし、いま目の前にいる男性は逃げ出す気配がない。ここは長年の願望をかなえるチャンスではないだろうか。


「とりあえず、何事も経験しないとですね。では小林さん、私とセックスしてください」


 眼前の小林さんは、あごがはずれたのかポカーンと口をだらしなく開けていた。イケメンでもこんな顔するんだ。勉強になるなー。


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