第8話 「ソーサーズランド」

 大岩の扉をくぐって抜けた先には、私が想像していたよりも広大な空間が広がっていた。


「うわあ……」


 岩の中に街があると分かったときから、てっきりモグラか蟻のように土をくりぬき穴をほって暮らしているものを想像していたのだけど、実際には街の人々は、地上と同じように家を建てて暮らしていた。


 ただ大岩の中には雨も風もないので建物に屋根が必要なく、建てられる場所も限られていたので、狭い場所にいくつもの家がまるでフジツボのように積み重なっていた。


「街の外は夜になると砂嵐が起きるから、岩の中が結局一番安全なんだちょ」


「ふえ~ あんなに高いとこまで、積み重なってるよ」


 小さな路地のような所から出ると、建物のフジツボ群がさらによく見えた。それは岩の壁に沿って積み重なっていたので、中には大きく傾いている建物もあった。


 広い広場のような場所に出ると、どこからか光が差し込んでいることに気がついた。


 どうやら大岩の上の方はガラス質になっていてそこから外の陽光が入っているようだ。しかも光が差し込むときに何度か反射を繰り返すので、光はかなり広い範囲まで届いた。


「私ね、うちから出たら本に出てくるとかみたいな場所を見に行きたかったんだ。

 けどこの場所も幻想的で、とっても素敵っ!」


か…… それはもしや、バック・ローリング冒険記の事ではないか?」


 イカ・フライはミーシャにそう尋ねた。


「うん、そうだよ あなたも読んだんだね!」


「うむ。 ……ちなみに自慢するわけではないのだが、我は彼の著作の全61巻を全て読み切っておるぞ」


「ほ、ほんとにッ!? あの1冊が二千ページもあるバック・ローリングの冒険記を!?」


「うむッ」


「すごすぎる……」


 イカ・フライは私に褒められると誇らしげに胸をそらした。興奮して彼の兜の隙間からは荒い鼻息が出ていた。


「でも兄者。 兄者の本のせいでオラっちょ達の部屋が狭くなってるんだぞ。全部読んのだなら、例えば第1巻から30巻までとか、半分くらいは捨ててもいいんじゃないの?」


「バカをいえ、B・R冒険記は我の宝物だぞ! そんなことはできるはずが無いだろう それにお気に入りの話は前半の方が多いのだ!」


「……言ってみただけっちょ」


 アジ・フライは内心少しからかってみただけだったが、イカ・フライにとっては自分がせっかく一つずつ集めたバック・ローリング冒険記を捨てるなど考えられないことで、むきにならざるえなかったのだ。


 またこの世界ではあまり本は増刷されなかったので、集めるのも苦労だったのだ。


「ねえ、門兵さんのお気に入りのお話ってどんなのがあるの? 私3巻に書いてあるお話しか読んだことないんだけど」


「うむ。北の大地にある黄金の花畑の不死伝説や小鬼が作った地下帝国の話なんかは特に好きであるな。 ……だがやはり一番は、世界の終わりの話だな」


 彼の話はどれも聞いた事のない物だった。それを聞いて頭の中でその見たことのない光景を想像してワクワクした私は、夢中になっていたので口をぽかんと開けたままなのに気が付かなかった。口の中に溜まった生唾を慌てて飲み込む。


「ねえねえ! その世界の終わりのお話って? やっぱり怖い?それとも綺麗?」


「うむ。まあ待て、今話してやろう」


 そう言った彼は少し嬉しそうにした。そして咳払いをしてから私に世界の終わりについて話してくれようとしたが、ちょうど話しながら歩いている内に私達は目的地についてしまった。


「兄者。ギルドカップに着いたぜ」


「あ、……うむ」


 イカ・フライはやっと出会えた共通の趣味を持つ相手に、自分が今まで蓄えた知識をこれから披露できるところだったのに、それを中断されたためかなり落ち込んだ様子をしていた。それを見るとアジ・フライは、私に声が聞こえない位置まで兄を呼び寄せた。


「兄者。その女は不審人物として連れてきたんだから、あまり親密に話し込むのはやめといた方がいいですぜえ?」


「うむ、分かっているのだ」



 ~~~~



 私は二人に連れられてギルドカップと呼ばれる建物の中に一緒に入った。するとイカ・フライが一人でテーブルで談笑している男女の一グループの元まで歩いて行った。


 そして、その輪の中心にいた赤い髪をした背の高い男にイカ・フライは声をかけた。


「マイン殿。 ちょっといいか」


「ん、ああ……」


 イカフライからマインと呼ばれたその男は、レインと色が違うというだけで柄はほとんど同じ服を着ていた。周りにいる人間と同じ冒険者ソーサーのようだ。


「二人ともどうしたんだ? いつもみたいに、街の入口を見張ってなくても大丈夫なのかよ」


「いや実はな、頼みたいことがあるのだ」


 そう言うとイカ・フライは、さっきアジ・フライとしたようにマインの耳の側で私に聞こえないような小さな声で話し始めた。イカ・フライの話を聞くとマインは一回うなずいていた。そしてテーブルから離れるとイカフライと一緒にこっちに戻ってきた。


 そのときマインと呼ばれた男の人と私の目があった。片方の目は前髪で隠れていたが、子供のような無邪気できらきらとした瞳を持っていて顔立ちも中性的な整った顔だと思った。


 彼は私の前まで来ると私のことを黙って見下ろしながら観察した。


「あ、えーと……?」


「焦るんじゃないっちょ」


 いきなり知らない人にこんなにジッと見られて、私は緊張してきた。むずがゆくなって身体を動かすと腕につけられた手枷がガチャリと音を立てた。


(そうだ…… 私、手錠かけられてたんだ)


 この後どうなっちゃうんだろう。

 王都にあるお家からずっと離れた知らない場所で待ち合わせていたセバスチャンもいないし。そうだ。レインともこの街で別れるんだ……。私を助けてくれる人はもういないのかなぁ。


 そんなことを思って私は急に心細くなって俯いてしまった。


 そのとき、マインが私の手に触れた。私は驚いて彼の方を見る。咄嗟に身を引こうとしたが、彼が悲しそうな顔をしていたことに驚いてそれどころではなかった。


「かわいそうに……」


 マインはそう言うと、私の目線の高さに合わせるように腰をおとした。


「アジっ 女の子に手錠なんか付けて、恥ずかしくないのかよ!」


「あ、はい…… すいやせん」


 最初は何が起きてるのか理解できなかったけど、マインが味方をしてくれているのだと分かると、私は嬉しくなった。


「ねえ、君」


「は、はいっ」


「君の手錠を外しても、いいかい?」


「ッ!!」


 彼は優しく私に微笑みかけていた。少なくともこの人は今私の味方だ! 私も彼に微笑みかけるとそのまま返事を返そうとした。


「……はっ…『やめろッ!!!』


 この声は……、 レイン?


 振り向くとアジフライに背負われていたレインが目を覚ましていた。


「返事をするな。心を読まれるぞ!」


「?!ふえっ?」


 ミーシャは振り返って目の前のマインを見た。


 すると彼の口もとが不気味に歪んで、道化師のようにぱっくり開き、あざけ笑うかのような、にやにやとした笑みを見せていた。


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