6
懐中電灯が照らし出したのは、誰も乗っていない車椅子だった。
見たところ結構なスピードで、しかも私を目掛けて突進してくる。
「ウィリアムっ!放せ!!マジで放せ!!」
教方が刀を振り上げたが、
『………!?』
奴の刀が、冬悟の持っているような刀ではなく、平安時代以来伝統の太刀だったが為に、間抜けにも天井に刺さった。
と、友成が……!!
『ひぃぃぃっ!!』
ウィリアムが悲鳴を上げる。
叫びたいのはこっちだ、コンチクショー!!
自棄を起こした私は、逃げずに何とかするしかないと、覚悟を決めた。
車椅子激突まで、五、四、三、二 ……
「っ、危ねえ……」
足の裏がびりびりしている。
私は、暴走車椅子を、間一髪、片足で受け止めた。
足、折れるかと思った……。
ほっとした反面、止められなかったら私の足はどうなっていたのだろうと、冷気が背筋を駆け上がった。
『さすが秋殿に御座います!!』
褒められても嬉しくない。
車椅子は、まだ前進しようとして無駄な努力を続けている。
ひゅんっ、と最近聞き慣れつつある、本来なら決して聞き慣れてはいけない、刃が風を切る音が聞こえた。
そして、今まで何もなかったはずの空間に生首が浮かび上がる。
教方に切り落とされたらしいその首は、恨めしそうに私を睨み付けながら廊下に転がり、再び闇に溶けた。
同時に、車椅子からは力が抜け、バランスを崩して横に倒れた。
あの首の持ち主が、必至に車椅子を転がして私に突進してきたようだ。
が、そんなことは最早どうでもいい。
「教方、友成は!?」
こっちの方が私にとって重要だ。
『……刃こぼれはしておらぬようだが』
そう言って教方が差し出した刀を受け取り、私もその状態を確認した。
教方の刀は、実物ではないとはいえ「友成」そのものだ。
こちらで付いた傷が、博物館の所蔵品である備前刀「友成」本体に影響を及ぼさないとも言い切れない。
「無傷で良かった……」
今頃は、展示替えで保管庫に眠っているだろう「友成」を思うと、目頭が熱くなった。
「野っ原なら兎も角、こんな所で太刀振り回すなよ……」
『以後、気を付ける』
教方は太刀を納めると、代わりに腰刀を抜いた。
太刀は、刃長80センチ前後、総長が1メートルを超えることもある刀だが、腰刀は討ち取った敵の首を落とす為に使った刀だと言われ、刃長は23センチから24センチ程度、柄などを含めても45~46センチほどの長さだ。
『心許ないが、仕方在るまい』
と、本人は言うが、教方なら短刀一本でも充分闘っていけそうな気がする。
先程のうっかり具合とは結び付かないが、そんな気がする。
辛うじて泣くのを堪えているウィリアムの手を引きながら、私達は残りの病室を探し始めた。
しかし、二階は全滅。三階に上がることにした。
それにしても、汚い。
三階は階段が封鎖されていたため、非常口から上ることにしたのだが、非常階段には雑誌やスポーツ新聞が散らばり、踊り場には古びた毛布、足の踏み場がない。
誰か住んでいたのだろうか。
そういった物を蹴散らしながら階段を上りきって漸く、三階に着く。
三階には、より陰惨な光景が待っていた。
床から壁を伝い、天井に掛けての焼け焦げた跡。
『これは……』
ウィリアムの冷たい手が、私の手をぎゅっと握り締める。
『誰ぞ自害したな』
「……噂だけかと思ってたよ」
「病院跡」と呼ばれる心霊スポットには、大きく分けて三種類の噂が付き纏っている。
一つは、過労死した医師の霊が出るという噂。
もう一つは、誰もいない病院の中で恐ろしい声が響き、それを聞くと死が訪れるという噂。これは「病院跡の呪いの声」として知られている。コハルを置いて逃げた男達が話していた「呪い」とはこの事だろう。
最後の一つが、死を呼び寄せる電話の噂だ。これに関しては具体的な話が広まっている。
ある時、「病院跡」を肝試しに訪れた大学生の一人が、院内を歩き回っている内に、持っていたライターを落としてしまった。しかし、広い病院の何処に落としたのかわからず、学生はそのままライターを置いて帰った。
翌日の夜、午前二時を過ぎた頃、学生の携帯電話に着信が入った。見知らぬ番号だったが、鳴り続ける電話を放って置くわけにもいかず、学生は仕方なく電話を取った。
すると、男とも女ともつかぬ不気味な声が学生にこう語りかけた。
『貴方………を落としましたね……?』
学生はその声の不気味さに思わず電話を切った。
そして次の日、学生は「病院跡」で動機不明の焼身自殺を遂げた。
その自殺した場所こそ、学生がライターを落とした場所であり、自殺に使われた火元も、学生が落としたはずのライターだったのだそうだ。
噂の真偽は定かではないが、少なくとも此処で実際に起こった焼身自殺が噂の広まりに一役買ったのだろう。
この程度でびびっていては元も子もない。
自殺現場を通り抜けて、私達は奥へ進んだ。
廊下の突き当たりに位置する病室の扉を開ける。
相部屋だったらしく、使われていた当時のままに、いくつものベットが並んでいた。
その中に一つだけ、カーテンの閉まっているベットがあった。
部屋には人影らしき物は見当たらない。
私はベットに歩み寄ると、カーテンを引き払った。
あちこちが破れ、綿の飛び出ているマットの上に、日浦さんが倒れていた。
気を失っているのか、瞼は閉じられていた。
息を確認する。
「よかった……」
何とか間に合った……。
足に力がまったく入らない程の安堵に襲われて、私はへなへなとその場に座り込んだ。
ウィリアムの目が今度は感涙に潤んでいる。
『秋…、如何した?』
座り込んだままの私に、教方が声を掛けた。
「安心して腰が抜けた……」
『仕方のない奴だ』
しかし、教方は呆れながらも世話を焼いてくれるらしい。
『では俺が皆を呼んでくる故、此処を動かぬようにな』
『教方殿……、どうか早く帰って来て下さいね……』
『秋がいるのに何の心配がある?』
『それも、そうですね』
ウィリアムはあっさり納得した。
私としては、今の遣り取りに断固として異議を申し立てたい。
「お前ら…私を何だと思ってんだ?」
奴らは弁解のしようがなかったらしく、話をぼかした。
『秋が居れば大丈夫だ』
『ええ、きっと大丈夫にございます』
「何を根拠に!?」
第一、私には何の超能力も備わっていない。
運動神経も無いに等しい。
『では、お気を付けて』
「って、聞いてねえ……」
友人でさえ、未だに見つけられないでいる私の様な輩が、一体何をしてやれるというのだろう。
私がそう言うと、ウィリアムは、少々不服そうに
『そうは申されても、秋殿がおいでになると安心にございます』
と、口を尖らせた。
『小春殿もきっとそう思っておられますよ』
「そうかな……」
後悔していた。
コハルは、私を頼って来たのに、何もしてやれなかった。
きっと、コハルは薄々わかっていたのだろう。
この後、どんなことが起こるのか。
だから、私を頼って来たのに……。
もしも……、私が出張なんかしていなければ。
その時、渇き掠れた叫び声が私の不毛な考えを中断させた。
上階から聞こえる。
少しずつ、移動しているようだった。
びりびりと床が振動した。
ついさっき私達が入ってきた病室の扉が、勢いよく閉められた。
反射的に、日浦さんとウィリアムを背後に庇う。
『貴方は……?』
ウィリアムには、私には見えない何者かの姿が見えている様だった。
声の発生源は丁度、私達の頭の上を移動している。
『決して声を立てないように……』
ウィリアムが小声で言った。
叫び声が通り過ぎると、ウィリアムは誰もいない方向へ
『ありがとうございました。貴方の御陰で難を逃れました』
と、丁寧に頭を下げた。
「……誰か居るのか?」
『はい。お医者さまが』
ウィリアムはにっこりと笑った。
この様子からすると、恐ろしげな面相の幽霊という事はないらしい。
『何でも、日浦さんを匿って下さっていたとか』
そういえば……。
ねえさんの足下に目を遣ると、足首に新しそうな湿布が貼られていた。
『暫くはここでじっとしていましょう。あの声を発している者に捕まると、連れて行かれてしまうのだそうです』
連れて行かれる……ねえ……。
………連れて、行かれる……!??
やばっ…!!危うく、聞き逃す所だった!!
藤野さんと佐伯が……!!
耳を澄ますと、叫び声の合間合間に、非常階段を登ってくるような音が聞こえた。
「ウィリアムっ、しばらくここで待機な」
命令気味に言い付けると、私は廊下に出た。
案の定、廊下の奥に藤野さんたちの姿が見えた。
あの人も、本っ当にタイミングの悪い。
そして、その手前、ほんの微かではあるが影のような物が、揺らぎながら、階上から姿を現しつつあった。
藤野さんは叫び声には気付いたようだが、影自体にはまだ気付いていない。
教方と冬悟は異変に気付いた様だが、あの距離では飛び道具でもない限り手出しできない。
私は辺りを見渡すと、心霊スポットに転がっている定番品の一つ、消火器を拾い、影目掛けてぶん投げた。
鈍い音に続いて、奇怪な悲鳴が風となって廊下を渡り、それに藤野さんの
「高村くん、何してんのーーッ!?」
という悲鳴が被さった。
「何してんのて、見てわかりませんか」
「わからへんからきいてます」
そこへ、
『私は干瓢のようなものを見ましたぞ』
長岡がつまみ食いの犯人を報告する様な調子で言った。
か、干瓢……?
『確かに……干瓢みたいなのが、いたな?』
と、冬悟が陽平に同意を求める。
『ああ……。食いたいとは思わねぇ代物だったけどな』
「『食う!!?』」
陽平は疲労のあまり壊れているようだ。発想が奴らしくない。
「で、干瓢は何処行った!?」
『消えた』と、幽霊達が異口同音に答える。
「取り敢えず、干瓢の化け物に捕まると不味いらしいんで」
「き、気を付けます……」
恐怖に耐えかねて、声が裏返り始めた藤野さんを引っ張って病室に戻る。
その後、私には見えない『お医者さま』の姿を見た藤野さんが、卒倒しかけたことは言うまでもない。
日浦さんを佐伯と藤野さんに預けた私は、携帯電話をウィリアムに渡して言った。
「これで、ジャン先生に連絡頼む」
『えっ……あっ…。秋殿は…?』
「コハル探してくるから。藤野さん、ねえさんをお願いします」
ヘタレな先輩は、一瞬「置いていかんとって!!」という目で私を見た。
「佐伯が居るやないですか」
危ないとか無謀だとか藤野さんは文句を言うが、意識が戻らないままの日浦さんを引っ張り回すわけにはいかない。
先に帰っていて下さい、と言いかけたところへ、誰かに名前を呼ばれた様な気がした。
「………高村くん…、人の話聞いてるか……?」
「ちょっと黙って貰えますか」
藤野さんの口を強制的に塞ぐと、確かに声が聞こえた。
私を、呼んでいる。
「コハル……?」
ウィリアムが何か言おうとしていたが、私はそれを聞く前に病室の扉を開けた。
コハルの声が、よりはっきりと聞こえる。
辺りには誰もいない。
「時間無さそうなんで、それじゃあ」
そのまま病室を飛び出した私には、
『……目を付けられたな』
残された病室で、教方が舌打ちしていた事など知る由もなかった。
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