私は携帯電話を通じて、藤野さんから伝え聞くまま、佐伯に行き先を指示していた。

 嫌なことに、チンピラどもから聞き出したルートを、今のところぴったりとなぞっている。

「お前、カーナビよりも愛想がないな」

と、佐伯が文句を言う。

「五月蠅い。次の信号左で、そのあと直進」

 機械よりも更に愛想がない、だと?

 私がカーナビ以下なら、佐伯の愛想など、何も入っていない冷蔵庫以下の癖に。

 車が進むにつれて、周りからどんどん光源が少なくなっていく。

 東京でも郊外に位置するこの辺りは、まだ田畑が残り民家は疎らだ。

 自然、灯りは少なくなり、周囲は闇に閉ざされていた。

「高村…、この分だと……」

 佐伯は何かを言おうとしたが

「「…………ッ!??」」

 急に目の前を横切った人影に、佐伯が慌ててブレーキを踏む。

 電話の向こうで“何があったん!?何があったん!?”と藤野さんが騒いでいる。

 煩いので、切った。

 ぶつかった様な気がしたのだが、それらしき衝撃はなかった。

 佐伯は、石のように固まったきり身動ぎ一つしない。原因は不明だ。

 私は様子を見ようと、車の外へ出た。

『いやいや、面目ない』

 そこには車のボンネットにちょこんと座っている長岡総一朗が居た。

『………総一朗殿……』

 私の頭の上で、教方が呆気にとられている。

 先生………。

「何故、ここに…?」

『実はですな…』

『秋殿ではありませんか!!』

『ウィル……、秋ちゃんは違う所に……って』

『なっ……片倉まで!?』

 こちらはこちらで、向こうは向こうで、幽霊達は予想外の場所での鉢合わせに驚いている。

 私は驚くどころか、頭痛がしてきた。

 だが、この中で一番吃驚しているのは、運転席で硬直している佐伯長秀に違いない。

「高村、知り合いか…?」

「それは…、ボンネットの上の人を指すのか?」

「他にもいるのか……?」

「一応な」

 不思議なことに、佐伯には長岡の姿以外見えていないらしい。

 家の居候以外の幽霊はほとんど見えない私が不思議がるのも、妙な話だが。

「あの人は、長岡総一朗先生といって、享年五十三才だ」

「享年……」

 そう言えば、以前笹部が人間の振りをして訪ねてきた時は、私以外の人間にも姿が見えていたはずだ。

 今年初めに遭遇した通り魔も、冬悟と教方の姿を見ている。

 御陰で、女一人・男二人の『幽霊三人組』という、私にとって不本意な供述が警察の調書に記されてしまった。

「なぁ、姿現したりできないのか?」

『出来ぬことも無いが…』

 幽霊の方で意図的に姿を現したとしても、壊滅的に霊感がないと全く見えないのだという。むしろ、そんな霊感ゼロ人間の方が滅多にいないらしい。

 私はこれまで、その滅多にいない人間の一人だったわけだ。

「大丈夫そうだけど」

 長岡の姿は見えているのだ。壊滅的に霊感がゼロ、ということは無いだろう。

『あ……、俺は遠慮しとくぜ』

と、陽平が言った。

 佐伯の視線の動きを観察していると、最初に姿を見せたのはウィリアムのようだった。

 これはまだダメージが少ない。問題は残りの二人だ。

 案の定、この二人が現れた時の驚愕度は半端ではなかった。

 佐伯の驚いた顔なんて滅多に見られない。

「家の居候連中と、お客さんだ。実はもう一人いるけど」

「部屋に火の玉飛んでたのもこのせいか?」

「それはウィリアムの専売特許。で、お前らは何してたんだよ」

『秋殿の話を聞いて、藤野殿を探しに参りました。お一人では心配で御座いましたので』

 藤野さん……、アンタ……幽霊にまで心配されてるよ……。

 佐伯が、深い溜息を吐いた。

 それで腹をくくったらしく、全員纏めて送り届けやる、と言った。

「つーか、お前……。電話……」

「うざかったから、切った」

「藤野さん、泣いてるかもしれねえな…」

 怖いから電話を切るなと言われていたのを、すっかり忘れていた。

『先に見てこよう』

と、教方が姿を消した。

 奴は怨霊神であるせいか、他の者よりも移動速度が段違いに速いらしい。

『教方殿っ、ずるいではないか!!』

 置いていかれた冬悟が臍を噛んでいる。

 幽霊の力の差はこの世に残した念の深さの違いだというから、あれは超ド級の念を残しているに違いない。

 藤野さんに電話を掛けると、さっき掛けたときとは比べものにならない程の勢いで詰られた。滅茶苦茶怖かったそうだ。

“ごめん……、拙い……。ごっつヤバイの寄ってきた……。後は道なりに来たら分かるから……!!”

 電話は唐突に切れた。嫌な感じだ。

 先程の藤野さんも、今の私と同じような気分を味わったのだろう。

 因果応報か。人の嫌がることはするものではない。

 不意に、冷たい雫が肌に触れた。

『降ってきやがったな……』

 細い、霧のような雨だ。

 初々しい若葉を濡らすこの雨は、春特有のあたたかさより、何処か重苦しく、不吉な雰囲気に満ちていた。


 私達が駆け付けた時には、藤野さんは、小雨の降る中、放心状態で座り込んでいた。

 その背後には、日浦さんのものと思われる車。

 教方が傍らに困り果てた様子で突っ立っている。

「……何かしたのか?」

『否。藤野殿が数十人の霊に囲まれていた故、それを追い払うただけなのだが……』

 闇の中、突如として現れた教方を見て、腰が抜けたらしい。

「ほら、藤野さん。しっかりしてください」

「わっ……!高村くん!?やっと……やっと来てくれてんな!!」

「嬉しいのは分かったからスリーパーかけようとすな!この、へたれが!!」

 膝に蹴りを入れると、やっと首から腕が離れた。

「高村………」

 佐伯が私の振る舞いに呆れている。

「何だよ」

 文句あるのか?と言外に滲ませて問い返すと、

「昔とは性格が多少変わったな、と思っただけだ」

 意味あり気に笑われて、少々不愉快だった。

「それはそうと、日浦さんのこと、何か分かりました?」

「それが……、見つけられたんは車だけや。ナンバー確認したからこれは間違いないわ。そやけど、おかしな事に車の鍵は開けっ放し、携帯電話も置きっ放しで……」

 藤野さんは折り畳み式になっているねえさんの携帯電話を開くと、私に差し出した。

「発信履歴には、高村くん宛に掛けた記録は残ってない。着信履歴にはあったけど」

 発信記録が残っている番号は一つだけ。

「それな、そこの病院の電話番号や」

 藤野さんが指した先、木立の向こうに病棟とおぼしき建築物がぼんやりと浮かび上がっていた。

「あの上から見下ろしたら、日浦さんが電話で言うてたように木と車が見えると思うけど……。そんなら、ここに携帯が置きっぱなしの筈ないやんな……?」

 それに、日浦さんは足を怪我していると話していた。訳が分からない。

「高村くんの携帯に入ってた番号、もう一回確認してくれへん?」

 促されるまま、保管庫で掛かってきた時の番号を確認する。

 あの滅茶苦茶だと思っていた電話番号の後半部分。

 そこには、日浦さんの携帯の発信履歴に残っていたものと同じ番号が含まれていた。

「あの病院、明らかに怪しいですね」

「ねえさんがいる確率はここが一番高いと思う。でも、高村くんはどうすんの…?友達も探しにいかなならんのやろ?」

「それなら何の問題もありませんが」

と、私ではなく佐伯が答えた。

そして、

「あれが高村の有人が消えた『病院跡』です」

と言って、車に積んであった懐中電灯を私に投げて寄越した。

 私は、一度スイッチを入れて、使えることを確かめる。

「やる気になっているところ悪いけど……、探しに行く気……?」

 藤野さんが尋ねる。

「「当然」」

 図らずも、佐伯と声が被った。

「警察が即座に動いてくれるとも限らないしな」

とは佐伯の言い分だが、私は立場上賛成しかねる。うちの母と曾祖父はそっちの人間だ。

「兵は神速を尊ぶ、ですよ」

 このまま心霊スポット『病院跡』に乗り込んで二人を捜索する、という我々のこの提案に、冬悟が乗り気になったのは言うまでもないが、意外なことに、長岡が一番乗り気だった。

「え……っと、この方はもしかして……」

『初めまして。長岡総一朗と申します。貴方が仙覚寺の息子さんかな…?話は伺っておりますよ』

 これが、決定的だった。

 藤野さんは、高校以来憧れ続けている、あの長岡先生の『参りましょうか?』という一言に負けて、捜索を手伝うことに決めた。

 度胸と運動神経に優れる佐伯が先頭に立って進んでいった。

 しばらくは草で覆われた道無き道を進むことになりそうだ。

 私と佐伯は平然としているが、藤野さんは青い顔をしている。

 歩きづらさよりも、夥しい数の幽霊が徘徊している事が原因なのだそうだ。

 ちなみに、顔馴染みの幽霊達は、五人それぞれ違った表情を浮かべ近くをついて来ている。

 教方は淡々としているが、冬悟は無闇に張り切り、長岡は興味深そうに辺りを眺めている。

 その一方で、青い瞳に涙を一杯に溜めているウィリアムが、少しばかり気の毒か。

 どうやら、昼間に長岡が語って聞かせた怪談のせいで必要以上に怖がっているらしい。

 陽平が疲労の色を濃くしていた。

「大丈夫か……?」

『大丈夫、と言いてえところだが…。流石に今回は無理だ』

 ここまでくたびれた笑みを浮かべる陽平は初めて見た。

「冬悟、絶対ウィリアム泣かせるなよ」

『ああ。俺とて、二度も羽織を駄目にされるのは御免だからな』

 行き着いた病院の外塀を乗り越える。

 こういう時、幽霊はただ通り抜ければいいのだから羨ましい。

 さっき見た時は、私の頭上にあった木々に隠されていて気が付かなかったが、『病院跡』は地上九階はある巨大な建物だった。

 入り口の案内板からは、規模の大きな総合病院だった痕跡が窺える。

 病院名は削り取られて残ってはいなかった。

 砕け散った硝子、剥き出しの鉄筋。床にはゴミが散乱している。

 待合室に放置されたままのソファーに、スプレーで書かれた壁の落書きは、暴走族の名前から相合い傘、「助けて」まで幅広い。

 典型的な心霊スポットだ。

 ひとまず、一階部分と二階部分とを手分けして探してみることになった。

 佐伯と藤野さんに一階を任せ、私は教方とウィリアムを連れ、二階へ上がった。

 階段を上りきると、向かって左手にはナースステーションらしき部屋があり、右手には病室が並んでいる。

 案内板によると、ナースステーション正面の廊下の先にも病室が続いているらしい。

『向こうは俺が見て来よう』

 教方は、正面の壁を通り抜けて行ってしまった。

 懐中電灯をかざして見ると、ナースステーションの壁には赤いペンキで「呪い」と定番の落書きが施されていた。

『秋殿ぉ……』

 ウィリアムはこれだけで泣きそうになっている。

 この状況で光源が増えるのはありがたいが、鬼火を見た藤野さんが卒倒でもしようものなら大事だ。

「ただの悪戯だ。気にするな」

 私は懐中電灯を右手に、左手でウィリアムの手を引いて、ナースステーションに近付く。

 部屋にはカルテらしき書類や、注射器などの廃棄物が散らかっていた。

 奥の仮眠室のような所や更衣室も開けてみたが、人がいるような気配はない。

『こちらには誰も居らぬ』

 奥の病室を探していた教方が戻って来て言った。

 後は、階段左手の病室か。

 そちらへ向き直った途端、私はウィリアムにしがみつかれ、金縛りのような状態になった。

『秋どのっ、秋どのっ、秋どのーーーッ!!』

「………頼むから、放してくれ…」

 人間より幽霊の方が怖がってるって、どういう事だ……。

 ウィリアムの悲鳴に交じって、廊下の奥からは、車輪が軋む様な音が聞こえてきた。

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