もしもの時の仲裁役が怨霊ってどうなのだろう……。

 私は左斜め後ろに教方の気配を感じながらそう思った。

 冬悟と佐伯の二人では物騒なので、一度家に戻って連れてきたのだ。

 立ち寄った時、家では長岡が陽平やウィリアムを相手に蕩々と怪談を語って聞かせていた。

 佐伯も霊感がないようだが、リビングに漂う鬼火が玄関のドアの隙間から見えたらしく、「流石、高村の家だ」と、失礼な関心の仕方をしていた。

 佐伯は背が高い。あのひょろ長い藤野さんよりも更に数センチ高い。百八十何センチだったかは忘れたが、私とは雲泥の差がある。

 それほど身長の高い男を後ろに積んで単車に乗るなど、相手が実態のない幽霊でもない限り、私には不可能だ。

 お前の身長が高すぎるんだとか、お前の運動神経がなさ過ぎるんだとか、口論の末、佐伯の車で送ってもらうことに決まった。

 土屋に呼び出された先は、雑居ビルの地下に位置する西洋風の飲み屋だ。

 ここまで乗せてくれた佐伯の車を近くのパーキングに預けて、私たちはその飲み屋に向かった。

 何時だったかこういう雰囲気のお店に出掛けて、コウモリでも住み着いてそうな飲み屋だなと言ったら、藤野さんに叱られた。

 「バー」と言ってそういう雰囲気を楽しむのだそうだ。「飲み屋」と呼んではいけないらしい。

 どちらかというと、私は高架下の焼鳥屋の方がいい。

 階段を下って行く。

 その階段の突き当たりに入り口がある。

 扉まであと数段、という所まで来た時、地下の入り口から男が数人飛び出してきた。

「馬鹿やろっ、前見ろ!」

 寸でのところで佐伯が私を引っ張らなければ、正面からぶつかっていただろう。

 男達はあっという間に階段を駆け上がっていった。

 ドタドタと体を通り抜けられた教方は『非礼な奴らだ』と、文句を口にした。

「待て…!」

 突然響いた声に私達が階下を振り返ると、先の連中を追いかけてきたらしい男と目が合った。

 衣服は以前に増して派手になっていたが、顔に見覚えがある。

「……土屋?何かあったのか!?」

 土屋の顔は痛みに歪んでいて、そのまま腹を押さえてその場に蹲った。

 よく見ると口の端が切れて血が滲んでいる。

「わりぃ…、高村…。俺、本宮のことでアイツら呼んだんだけど……、逃げられた……」

「さっきの連中か?」

 額には冷や汗が浮かんでいる。話すのも辛いのか、土屋は黙って頷いた。

 それを見るなり、

『先に追いかけているからな』

と、冬悟が姿を消した。

「追いかけろ……。あいつら、絶対何か知ってやがる…」

「言われなくてもそうするよ」

 土屋の事は佐伯に任せて、私は階段を駆け上がった。


『高村っ、こっちだ!』

 冬悟の声を便りに、路地を走り抜ける。

 最短距離で誘導してくれているせいか、何とか追いついた。

 わざと人目につかない方に逃げていたのか、我々の他に人影はない。

 転がっていた空き缶を拾い、「ぶつけろ」と教方に合図する。

 教方が振りかぶった空き缶は快音をあげて、最後尾にいた奴の頭にヒットした。

「なんだ!?テメエっ!!」

 男達は足を止めて、私に食って掛かった。

 大の男がずらりと四人並んだ様は、そこそこ威圧感を放っているが、教方と佐伯が並んでいるのには劣る。

「本宮小春って女知ってるだろ。何処へ連れて行ったのか教えて貰おうか」

 連中はそれぞれ表情を変えた。

 聞かれたくないことがあるらしい。後ろ手に何か構えたような気配があった。

『下郎が……』

 苛立ちを隠さずに教方が呟いた。冬悟は、既に刀の柄に手を掛けている。

 一人の男が身動ぎした、と思ったとほぼ同時、私は連中の背後から面白いものが飛んでくるのを目にした。

 45リットル入りのゴミバケツだ。

 中に目一杯詰まった生ゴミやその他色々をぶちまけ、ナイフを握り締めた男を一人道連れに、ポリエチレン製のゴミバケツが夜の歓楽街に転がった。

「案外、日本も物騒だな」

 特に何の感情も込めずさらりと言ってのけた本人が、実は一番物騒だという事を私はよく知っている。

「勝手に置いて行きやがって、俺が何の為にお前に付いて来たと思ってんだ…?」

「暴れるため、だろ」

「………半分正解だ」

 冬悟には気の毒だが、後は佐伯の独断場だった。

 五分経つか経たないかという間に、見事三人が地面に這い蹲った。

 高校時代、佐伯に「影の帝王」だとか何だとか、外聞の悪い渾名が付いていたことを思い出した。

 残り一人。

 男は、佐伯相手では敵わないと知ったのか、私に向き直った。

 手にはサバイバルナイフが光っている。

 こいつらは、仲間内で「ナイフを携帯しましょう」と約束でも交わしているのだろうか。

 一瞬の隙をついて、佐伯が後ろから男の手を押さえ込んだが、男はそれを引き剥がそうと暴れる。

『世話が焼けるな…』

 教方は音もなく男へ近寄ると、思いっきり横面を張り飛ばした。

 すると、張り飛ばされた反対側から、ずるり、と……。

 何か、出た……。

 冷静に思い返してみると、男が単性生殖でもするかの様に二人に分裂したように見えた。

 半透明なものがずるっと抜け出て以来、男は大人しく……いや、ぐったりとしている。

『これで暫しは手が掛からぬ』

 『暫しは』と言うことは死んではいないようだ。

 仕方がないので霊体が抜け出た奴は放って置いて、別のを引き起こしてコハルの事を尋ねたようとしたのだが。

「……しぶとい」

 ゴミバケツにやられた奴が憤怒の形相で起き上がっていた。

 佐伯が忌々しそうに舌打ちをする。生ゴミにまみれた輩に触れたくないらしい。

 男が佐伯に掴みかかったその刹那。

「ちょっと、さっきから騒々しいのよ」

 何処かの店の通用口が開いて、美人が顔を出した。

 これまでの騒動とその美貌との落差が凄まじい。衣装はあのベリーダンスの露出の高い、煌びやかな衣装だ。

 佐伯も冬悟も教方もただ呆然としている。

「宇佐見さん……」

 怒髪天を突く勢いだった男の顔から、血の気が引いていく。

「……宇、宇佐見……?」

 何処かで聞いた様な気がするその名、そのエキゾチックな容姿……。

「あれ?お久しぶり。誰かと思ったら、この間の学者さんじゃないの」

「立志堂古書店のな、なおちゃん……さんでしたっけ……?」

「そうよ。覚えてくれてうれしいわ」

「なんでここに……」

 嫣然と微笑む麗人は、先月偶然にも知り合った古書店・立志堂の主人だった。

「ここはあたしの庭みたいなところよ。今日はダンサーとしてゲストできてるの」

 麗しい爪先で、失神した男達をつつきながら、宇佐見は言った。

「あ~あ、派手に伸びちゃってるわねぇ……。アンタ達、また何かしでかしたの?」

 佐伯が片っ端から叩きのめした男達と宇佐見は元からの知り合いらしい。

「私の友人が失踪した件と関わりがある筈なんですけどね」

 宇佐見は男に歩み寄ると、耳元で囁いた。

「……ねえ、アンタ。さっさと白状しちゃわないと、怖い目にあわせるわよぉ。アタシがそう穏やかなオンナじゃないってことは、よっく知ってるでしょ?」

 傍から見てるだけでは、美人に言い寄られている羨ましい男に見えるのだが、本人にとってはそうでもないようだ。

 男は額に脂汗を滲ませながら、洗いざらい喋った。

 真っ当な連中ではないが、暴力団の構成員だとかそういった類の者では無いという。

 奴らはコハルをはじめとする女性を連れて、心霊スポットに遊びに行った事を白状した。

 二手に分かれて中へ入ったらしい。

 そして探索を終えて車に戻ってみると、グループからコハルが居なくなっていた。

 しかし、この馬鹿共はそれを探しもせず、置いて帰った。

 探索中に怪奇現象に遭遇した恐怖から、コハルをたった一人、廃墟に置き去りにして帰って来たのだ。

「だってよ…、呪いが……。マジで、マジで聞いたんだよ……」

「殺してやるって声が聞こえたからって、女の子をたった一人で残して逃げてきたわけねぇ」

 宇佐見が蔑むような視線を注いだ。

 コハルと土屋は二手に分かれたうちの別グループだったそうだ。

 佐伯の連絡を受けて血相を変えた土屋から呼び出しを受けたこのボケ共は、あの後コハルが何らかの犯罪に巻き込まれ、その容疑が自分たちに掛かっているのではないかと勘繰った挙げ句、土屋を集団で殴りつけ逃走した。

「………場所教えろ」

「……え……?」

「お前らの行った『病院跡』って心霊スポットの場所教えろ」

 インターネットでも検索したが、具体的な行き方までは載っていなかった。

「正気かよ……」

 現地で何があったのかは知らないが、この男は『病院跡の呪い』に心底怯えているらしい。

「お前よりはずっと正気だ」

 仮に、女一人を廃墟に平然と置き去りにして来るような輩を正気と呼ぶなら、私は気が触れた人間で構わない。


 何とか男から「病院跡」の所在を聞き出した私は、立ち去り際、礼を言うついでに、何故味方をしてくれたのかと宇佐見に尋ねた。

 どうせ庇うなら、旧知の仲の人間に味方したくなるのが心情だろう。

 第一、佐伯が片っ端から連中を伸してしまっていた。あの状態だと、我々の方が悪人にに見えてもおかしくない。

 私の疑問に、

「アタシ、一度掴んだお客さんは放さない主義なのよ」

と、宇佐見は笑った。

 立志堂の顧客サービスの一環、という事らしい。

「お礼なんか言うくらいなら、そこのお兄さん達と一緒に遊びに来てちょうだい」

 ………お兄さん、達…?

 複数形になる理由は一つ。

「そっちでちょっとヤバイものが出ちゃってる男はアタシに任せて。気を付けて行ってらっしゃいな」

 宇佐見には、霊が見えている。

 ウインクを飛ばした宇佐見に、冬悟と教方はぎょっとして顔を見合わせ、佐伯は、視線を彷徨わせた。


「時間いいのか?」

 佐伯の言葉に時計を見ると、藤野さんと約束した一時間が既に過ぎ去っていた。

「よくない…」

 完全に時間切れだ。

 気不味い思いをしながら、藤野さんに電話を掛ける。

 奴は私が予想していたよりも早く電話に出た。

“連絡が遅いぃぃ”

 藤野さんの第一声は悲鳴じみていた。

“高村くん、はよ来てやぁ…。ホンマ、マジで怖いねんから……”

 次は半泣きか…。

“ねえさんの車見つけたんやけど……、なんか変な幽霊が色々集まって来てるし…。とにかく助けに来て。俺、死にそう……”

 これで冗談ではなく、本気で怖がっていることが鬱陶しい。

「すぐに駆けつけますから、泣かんとってください」

“頑張ってみるわ……”

と、藤野さんは蚊の鳴く様な声で言った。

「悪い、秀さん。車借りていい?」

 このまま放っておくと号泣必至だ。それに、日浦さんのことが気になる。

「このまま送ってやるから、乗れ」

「……マジで?」

「それとも歩いて行くか?」

 霊がうようよしているような所に、佐伯を連れて行くのはできるなら遠慮したかったが、奴の有無を言わさぬ口調に負けて、結局私は佐伯の車で現地に向かうことにした。


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