と、取り敢えず、落ち着け…。落ち着け……。

 繰り返し自分に言い聞かせておかないと、前後不覚の大混乱を引き起こしそうだった。

 理由もない焦燥感と恐ろしさに駆られていた。

 もう一度、確認し直す。

 保管庫内は圏外だ。

 何時いかなる時も、電波が届くはずがない。

 大体この地下は階段を降りてきた時点で携帯電話は使えなくなる。

 実際、今だって圏外だ。

 それなのに日浦さんからの電話が携帯電話に着信した。しかも不自然な途切れ方で。

 最近その手の事に巻き込まれ続けている(首突っ込んでいるとも言う…)為か、すぐ霊現象等そういった方向に考えてしまう。

 とあるトンネルを通り掛かるとそこで事故死した霊が電話をかけてくる、という話が不吉にも私の頭を過ぎった。

 さっきの電話は幻覚か幻聴だったのだと思いたい。

 しかし、

『諦めろ。俺にも聞こえた』

「………わかってるよ」

 私がどうしたものかと頭を巡らせている内に、冬悟が縁起でも無い言葉を吐いた。

『高村、あれは死んだ者の仕業だ』

 それは…、

 つまり、日浦さんが死んだと言うことか……?

「………っ!!」

 私はついかっとして、

「もう一辺言ってみろ!」

と、冬悟に掴みかかった。

『最後まで聞け!本人の声ではないと言っている!』

 二人の声が保管庫内を木霊しながら拡がる。

 私が苛立ちに任せて放り出した所蔵品のリストと筆記用具が床に散らばっている。

『恐らく生きているから安心しろっ』

 冬悟は、私の目と鼻の先で怒鳴った。

「どないしたんや!?」

 声を聞きつけた藤野さんが、血相を変えてやって来た。

「そんな声で話してて、誰か来たらどうす……」

「日浦さんから電話がありました」

と、私は藤野さんの言葉を遮った。

「電話……?」

『ほんの少し前だ』

「……ここで?」

 私は黙って頷いた。

 ありえへん、と呟いた藤野さんの声がやけに耳に残る。

「見せてくれる?」

 藤野さんは、私の携帯電話を受け取ると着信履歴を表示させた。

「………これ、履歴にはねえさんの番号やて表示されてるけど…、違う番号やで……」

 指し示されるままにディスプレイを覗き込む。

 確かに前半部分は日浦さんの番号だ。問題はその後半部分。

 日浦さんの番号の後ろに、電話番号としてはあり得ない記号といくつかの数字の組み合わせが長々と連なっている。

 冬悟の話以上に決定的だと思った。

 私は、床に撒き散らしたリストを拾い集めると、なに食わぬ顔して言った。

「藤野さん。申し訳ありませんが、職務放棄します」

 本来なら今日は休みの筈だったんだ。

 私が抜けた所で、日浦さんがいないという以外、本来の状態とは何ら変わらない。

「ちょっ…、待ちや!高村くんっ」

 退散しかけた所で首根っこを捕まえられる。

「何ですか!」

 リーチの長さ、引いては身長差が恨めしい。

「頭冷やしいや。短気は損気っ」

「阿呆な事言わんとってください。そろそろ辛抱の限界です」

 そう言って藤野さんの手を追い払う。

「仕事は!?」

「このまま此処にいるんやったら、後で説教でも減給でも喰らった方がマシです」

 説教と減給がナンボのもんやねん。何ならクビにでも、好きにせいや。

 思ったそのままを伝えると、冬悟は手を叩いて喜び、藤野さんは溜息を吐いて頭を抱えた。

 そして、振り返り様にこんな声が聞こえた。

「……俺も手伝うから」

 今、本格的に幻聴でも聞いたか…?

「は……?」

 私は思わず聞き返した。

 正直、藤野さんがこういう時に手伝うなどと、自分から言い出すなんて想像も付かなかった。

「は…?って…。ねえさん探しに行くんやろ?」

「他に誰探せて言うんですか?」

 藤野さんは私の喧嘩腰の物言いにも慣れたものらしく、

「先に部屋戻って10分だけ待っとって」

とだけ言った。

「……わかりました」

 私はその後踵を返し、直行で部屋へ戻ったので知らなかったが、冬悟と藤野さんはもう少し話していたらしかった。

「あの突然のキレ方を見ると、今回は相当我慢してたんかなぁ……」

『腑抜けになったわけではなかったか』

と言って、たぶん冬悟はここで、滅茶苦茶愉快そうに笑っていたはずだ。

「あの……、ひょっとして高村くんは、このこと随分前から知ってました……?」

『家へ帰ってきてすぐから知っていたぞ。その我慢の御陰で、俺がイライラした』

「……心配で堪らへん癖に。なんで正直に言わへんのやろ…」

 藤野さんがそう漏らしていたと、後で冬悟から聞いた。


 部屋に戻ってすぐ、都内の地図を広げようかと思ったが、無謀過ぎるのでやめた。

 もっと範囲を絞った方がいい。

 そこで、ジャンに連絡を取って、日浦さんが訪れたという友人の住所を聞き出した。

 それでこそ、職員用トイレからこそこそ連絡を取った甲斐があるというものだ。

 ジャンは、警察に相談に行ったはいいものの、逆に法滞在を疑われ非常に憤慨していた。

 早々に電話を切り上げ、いくらか範囲を絞った地図を広げるも、またも頭を抱えることになった。

 病院の場所は乗っていても、「元は病院だった廃墟の場所」など載っていないのである。

 十数年前の地図を探してきて引き比べるしかないだろうか。

 そこへ、部屋のドアが乱暴に開かれた。

 こんな開け方をするのは、うちの職場には一人しか居ない。

「高村、いるか?」

 歴史学課の水谷正明 学芸員その人だ。

「すみません、今忙しくて」

 水谷は今秋の企画展を担当した学芸員で、私が出品交渉を手伝わされたという事もあり、この半年ほどの間に関わり合いになる機会も増えた。

「忙しい?帰り支度してやがる癖に」

「緊急事態なんで」

「それはそうと、図録のヤツ。付箋貼ってあるとこはやり直しだ」

 私の机の上に、原稿の束が山積みになる。

 新米使わずに自分でやればいいじゃねえかよ……。

 喉まで出かかった声を飲み込んで、私は分かりましたと返事をした。

「それからな、本宮ってオバサンが訪ねてきてるぞ」

 はっ………?……本宮?……って……、コハル…?

「豆鉄砲でも喰らった様な顔してないで、とっとと行ってこい」

 今年で三十八にもなろうかというおっさんにオバサン呼ばわりされるとは……。

 同い年として複雑な気分だ。

 また奇妙きてれつな格好でもしてきたのだろうかと、頭痛に苛まれつつインフォメーションカウンターに向かう。

 この前、深夜に突然コハルから電話がかかってきた時は、心霊スポットに連れて行かれて怖いから付いて来て、と呼び出された。

 私は地元に帰っていたから断った(代わりにかなり長い間励まし続けねばならなかった)のだが、あれから何かあったのだろうか。

 ただでさえ深刻な今の状況に、これ以上災難の火種が飛び込んでこないことを祈りながら。

 しかし、そこに居たのは友人の本宮小春本人ではなく、その母親だった。

 私の連絡先が分からなかったので、就職先と聞いていた博物館を頼ってきたのだという。

 コハルのお母さんは、目元を赤く腫らして私を待っていた。

「どうしたんですか!?」

 全身から血の気が引く様な思いだった。

「小春が……、小春がっ…」

 絞り出すような声で、コハルがいなくなったのだと、聞かされた。

 しかも、連絡が付かなくなって五日目。

 最後に家に連絡があったのは、午前0時を過ぎた頃だというから

「……五日前……」

 恐らく、最後にコハルと話をしたのは私だ。

 ゴールデンウィークの前日。

 友達に誘われて有名な心霊スポットに行く事になったと、コハルが半泣きになりながら電話を掛けてきた。

 霊感の強い彼女は、あまりそういう場所には立ち寄りたがらなかった。

 何処だっただろうか…。何処へ行くと言ってた……?

 思い出そうとするが、気が逸ってなかなか出てこない。

 最近、関東最強だとか噂され始めた場所だったはずだ。

「……病院、跡…だ」

 そうだ。

 何処という地名も付いていない。ただ簡潔に「病院跡」と呼ばれている心霊スポットが都内にあったはずだ。

「私もできる限り探してみますから、気をしっかり持って下さい」

 出入り口まで、コハルのお母さんを送り届けると、私は部屋へ取って返した。

 部屋では冬悟と藤野さんが待っていた。

「よかったぁ…、置いて行かれたかと思……!!ど、どないしたんや!?顔色が冬悟みたいになってるで!」

『つやつやした顔色の死人がいるはずなかろう』

 私はまだ死んでねえよ。

「新たに問題が発生しただけです」

 冬悟がしつこく追求するので、友人が消息を絶ったのだと説明すると、

「………最近、そういうのやたら増えてへんか…?」

と、藤野さんが深刻な表情を作った。

「俺、こっち帰ってきてから溜まってた新聞片っ端から読んでんけど。なんか、都内でちょくちょく人が消えてるみたいやねん」

 私が黙っていると「どないすんの?」と藤野さんが訊いた。

「日浦さんとコハルちゃんは同時には探されへんで」

 そう言われて言葉に詰まった。

 両方とも心配でならないのに、そう簡単にどちらかだけを選択できるはずもない。

「………ほんなら、一時間後に合流ってことにしようや。俺は車でこの辺探してみるから。地図はこれでええねやろ?それまで高村くんは友達探しとき」

「でも……」

「あのなぁ…、ちょっとは俺のことも信用してくれる?確かに俺、幽霊アカンけど……。それなりに頑張ってみるし……」

 「それなりに」という辺り物凄く不安だが、背に腹は代えられない。

「ねえさん車で出掛けたみたいやから、いつも乗ってはる車を探して下さい」

「………何か怖いことあったら助け求めるから絶対スグ来てな…?」

「努力します…」

 見直し掛けたのに……。

 冬悟も同様に思ったらしく、藤野さんに呆れたような視線を投げかけていた。


 コハルを連れ出した奴は分かっている。あの晩の電話でコハルが話していた。

 土屋とかいう大学時代の同級生だ。

 私は、そいつのちゃらちゃらした性格が嫌で付き合いを持たなかった。

 だがコハルは、誘われれば他の同級生数人と一緒に遊びに行くくらいの付き合いがあった。

 土屋はともかくそいつの連れている友達連中が厄介なのだ。

 奴は辛うじて堅気に収まっているが、その友人の中には明らかに堅気で無さそうな者が二~三人交じっている。

 問題は、私が土屋の電話番号を知らないことだ。

 誰か知っている人物はいないかと考えて、ある男が思い浮かんだ。

 今年度から採用になった、保存修復課の佐伯長秀。

 卒業後フランスで修復を学び帰ってきたばかりだが、奴とは大学時代の学友であり、付き合いそのものは小学生から続いている。

 確かつい最近、土屋にパリジェンヌを紹介してくれと頼み込まれて閉口したと言っていた。

 修復課を訪ねてみると、佐伯は丁度変える支度をしている所だった。

「秀さん、頼みがある!」

と、顔を合わせるなり頭を下げた私に、多少面食らっていた様だったが、佐伯は土屋と連絡を取ってくれた。

 コハルを誘った時の連中を連れて会いに来るという。

 待ち合わせ場所に指定してきたのは、歌舞伎町。

 ……如何にも、といった感じだな……。

『拙そうな雰囲気だな?』

 冬悟が嬉しそうに言った。

 飯とトラブルの匂いばかり敏感に嗅ぎ付けやがって……。

 ところが、トラブルを好むのは……。いや、良さそうに言いつくろうのは止めよう。

 喧嘩沙汰を好むのは、冬悟だけではなかった。

「俺も寄せて貰おうか」

 普段無表情な癖に、ここぞとばかりに口元だけでうっすら笑ってみせた佐伯長秀も、どちらかと言えばそういったものを好む人間だった。

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