第六景 霧雨に煙る異界

 「高さ」には境界性がある。

 同時に、異界性が在るとも言える。

 例えば、神が宿るとされる「神木」。

 神木と言われる物のほとんどは、その周囲の木々よりも樹齢が古く、一際高くそびえ立っている。

 「樹齢の古さ」と「高さ」。

 神木の条件として、この二点は外すことができない。

 それは「一際高く空にそびえ立つ大樹の根本には神が宿る」と、そう考えられてきたからである。

 何故、大樹にだけ神が降りてくるのだろうか。

 それは、御神木の持つその「高さ」こそが、人の世界と神々の世界との橋渡しの役目を担っているからに他ならない。

 ここで言う「高さ」は、日常と非日常との境界そのものであると言ってもいい。

 其処には、「この世のもの」と「この世ならざるもの」が混在する。

 「高さ」に境界性が在るからこそ、山には異世界が広がり、人は滝の持つ、深く美しい水底へと誘い込まれる。

 異界とこの日常とを繋ぐ、境界としての「高さ」。

 そして、その根本に潜む「この世ならざるもの」。

 新幹線に乗っている間、私はそんな話ばかりしていた。

 先に挙げた話の内容はさておき、問題は「誰と話していたか」である。

 私は、誰もいないはずの隣の座席に座っている「見えざる人」と筆談を駆使して話し込んでいた。端から見たらレポートでも必死に書いているように見えただろう。

 その「見えざる人」というのは、元大学教授にして、昨日まで京都の某博物館で地縛霊をしていた長岡総一朗(享年53才)、その人である。

 専門は美術史だったそうなのだが、怪談や民俗学なんかも相当好きな人だったらしく、知り合って以来、そんな話ばかりしている。

 私にとっても好きなジャンルの話だったので、延々とそれに付き合っている。

 新幹線で新大阪を出て、はや数時間。

 もうそろそろ東京駅に着く。

 幽霊を連れて上京するのは、これが生涯で二度目だ。

 一度目は、彰義隊隊士・青山冬悟を連れての珍道中だった。

 長岡は、冬悟と違って、大人しく座席に座っていてくれた為、何も問題は起こらなかった。 

 ところで、長岡が最後に乗った列車は、蒸気機関だったという。

 一体いつ頃の人なのだろうか。

 藤野さんの話をもっとよく聞いておけば良かった。

 新幹線が駅のホームへ滑り込んで行く。

 この日の東京は、糸の様な小雨が降っていた。

 鈍色の空を見上げると、ふとこんな思いが頭を過ぎった。

 「高さ」が何かの境界ならば、空を侵食するように並び立つ都会の高層ビル群には何が宿り、どんな世界とこの日常とを繋いでいるのだろうか、と。


 職場の先輩である藤野太一は、ゴールデンウィークに仕事をしていた私と違って、現在仕事に追われている真っ只中のはずだ。

 連絡を取ったところ、仕事が終わってから長岡に会いに私の家まで来るという。

 余程仕事が溜まっているのか、電話越しでも酷く忙しそうにしているのがわかった。

『これは立派な文化住宅ですな』

 私の自宅を見た長岡はそう感想を漏らした。

 文化住宅……。昭和初期頃の人か……?

 私は、そんなたいした物件じゃありませんよ、等と答えながら、玄関の鍵を開けようとした。

 その時、

『おっ、秋ちゃんじゃねえか』

「うわっ…!」

 玄関の扉から直接、陽平の頭だけがぬっと現れた。

 危うく頭をぶつけるところだ。

「お前な……」

 呆れる私に。陽平はただ笑って誤魔化している。

 長岡先生は、一瞬びくっとしていた。幽霊でも、突然ドアから頭が生えたら驚くのだ。

『お客さんかい?』

「こちらは、長岡総一朗先生だ」

 陽平はするりと扉を抜けると、改まった調子で挨拶した。

『初めまして。片倉陽平です。狭い所ですがゆっくりなさって下さい』

 流石、詐欺師。外面だけは、すこぶる良い。まるで別人の様だ。

 って、待て。おい。

「陽平……。誰の家が狭いって……?」

『ははははっ……。秋ちゃん…、ラップ音でも聞いたんじゃ……』

「なるほど。そのラップ音の発生源ってのはお前か、陽平」

 詐欺師なら、もっと機転の利いた言い訳をしろ。

 ものはついでだ。陽平には別の話もある。

 私は、陽平の肘を捕らえて逃げられない様にしてから、長岡を先に中へ通した。

 陽平はひたすら曖昧な笑みを浮かべている。

「あのな…、効果がないからその表情やめろ」

『ああ……。秋ちゃんには効かないんだったな』

 私からすると曖昧で胡散臭いとしか思えない陽平の笑顔が、一般的には爽やかで優しげな微笑みに見えるのだという。私には到底信じられないが。

 私が借りてるこの家が狭い云々よりも、もっと重要なことがある。

「……最後に顔見たのは、二週間前だったか?」

 ある時ふらっと家を出て以来、ゴールデンウィーク前に私が東京を出た時も、陽平は一切姿を見せなかったのだ。

『……悪い。ちょっとした野暮用で……』

 陽平は歯切れ悪く言った。

 私は出掛けた事を責めるつもりはないし、責める権利もない。

 何時ここを出て行こうが、行きたい所があって出掛けようが、それは本人の勝手だ。

 出掛けた陽平が何処で何をしていたのか、追求する気もない。

 言いたくなさそうにしている事を無理に聞き出すのは、気が乗らなかった。

 しかし、

「出掛けるにしろ、引っ越すにしろ、一言残して行けよ」

 何も言わずに居なくなられると気になるのだ。

 何の縁在って私が未成仏霊の心配をしなければならないのか、さらさら納得がいかないが……、心配なものは、実際心配なのだから仕方がない。

 そんなことは、一言たりとも陽平には教えてやらなかったが。

「まあ、陽平がまた変な霊能力者に成仏させられかけたって、私の知った事じゃないけど」

 代わりに減らず口を叩いておいた。

 何故だか知らないが、これを聞いた陽平は途端に機嫌をよくした。

『次からは、気を付けるよ』

 友人というのは厄介だ。言わなくても腹の内を見透かされることがある。

 しかも、相手が元詐欺師ともなれば尚更だ。

 私は逆に不機嫌になって、玄関をくぐった。

 そして、長岡を一人で先にリビングへ通したことを後悔することになる。

 部屋がゴミ屋敷同然になっていた、とかそういう事は無い。

 何というのか、空間が凍り付いていた、とでも表現するのが相応しいだろうか。

 部屋にいる霊四体は、お互いが「見てはいけないものを見てしまった……」と言わんばかりの表情を浮かべて、立ち尽くしていた。

 本棚の陰からこっそり様子を窺っているつもり(しかし背が高すぎて丸見え)のウィリアム。

 普段の様に甲冑姿で部屋の中央にいる教方。

 きょとんとした顔で長岡を眺めている冬悟。

 長岡など、このまま驚きのあまり昇天していきそうだ。

 客人・居候共に何ら動き無し。

 双方、ただ顔を見合わせたまま固まっている。

『……一体、何してんだよ……』

 私と一緒に部屋に入ってきた陽平が、私の心の声を代弁してくれた。

『秋殿~~~っ』

 半泣きのウィリアムが、ふわりふわりと漂いながら傍へやって来た。

『よくぞご無事で……』

 私の無事を確認したウィリアムは、堰を切った様に泣き出し、その場に泣き崩れた。

「わかった!わかったから泣きやめってば!」

 今回のは嬉し泣きらしく、鬼火は発生しなかった。

 辛いことや悲しいことがあってウィリアムが泣き始めると、必ず青白い鬼火が発生するのだ。

 仕方がないので、ウィリアムの涙を拭ってやっていると、冬悟が言った。

『高村が出掛けた後、それは大変だったのだぞ。肝心の片倉も居らぬし……』

「大変……?」

『ウィリアムが、冬悟の羽織の裾を燃やすほど二人を心配していた』

 教方が言うと、陽平は遠い目で何処かを見つめた。

『……それで羽織が新しくなってたんだな』

 新しく!?

「なるものなのか……!?」

『そりゃあ、俺達でもしようと思えば、着替えぐらいできるんだぜ』

 陽平はあっさり答えた。

 幽霊が着替えられるなど初耳だ。

 そう言えば、確かに冬悟の羽織が新しくなっている。

『それで、その御仁は秋の客人か?』

 教方が訊いた。

 私は一つ頷くと、長岡を紹介した。居候達はそれぞれ納得した様子だ。

『それにしても、まるで生きているかの様に接していらっしゃるんですねえ』

「一緒に暮らしている内に、生きていても死んでいても余り変わらない様な気がしてきまして……」

 こいつらときたら、酒は飲む、飯は食う、昼寝も朝寝坊もすれば、冗談も言う……。

 私が持っていた幽霊の概念が、すべて根底からひっくり返されたのは言うまでもない。

『死者・生者関係なく接してくれるのは良いのだが、事ある毎に家賃を払え等と罵倒されるのには、流石に閉口している』

と、冬悟が堂々とほざきやがったので、無言で後ろ頭を張り倒してやった。

『高村っ!俺が舌を噛んだらどうする気だ!?』

「噛む様な舌、腐り果てて残ってないだろ」

 いつ死んだつもりだ、テメエ……。

『秋……、笑われておるぞ』

 教方が淡々と言う。

『いや……、失敬』

 長岡は声を殺して笑っていた。

 何とか笑いを納めた長岡に、

『良いご家族をお持ちだ』

と、家に引き続いて褒められた。

『知り合って日も浅く、血も繋がってはおりませぬが……』

 ウィリアムが、はにかみながら言った。

『本当に、家族の様に思うております』

 いかん……。

 照れ臭くて私が舌を噛みそうな気分だ。

 取り敢えず、血迷って「私が家長です」と、宣言しておいた。

 誰が何と言おうと私が家長だ。何たって稼ぎ手は私一人だ。

 かと言って、陽平が稼き始めたりなどしたら大いに困るわけだが……。

『……反論できんではないか…』

『現にそうであるのだから、仕方があるまい』

『俺らは居候だからなぁ』

 これがまた長岡の笑いを誘ったらしい。

 二度目の笑いが収まった後で、長岡は『微笑ましくて良い』と、私達をそう評した。


『話は変わるが、高村。今日の晩飯は“ちゅうかりょうり”というのが食いたい』

 幾らなんでも変えすぎだ。

 お前らの紹介すらまだ終わっていない。

「言いたいことはそれだけか……?」

『……旦那、謝っといた方が良さそうだぜ』

 陽平が言い、ウィリアムは目に見えておろおろし始め、教方は『また始まったな』くらいに捕らえて静観している。

「家賃も払わず他人様の家に居候しているばかりか、生命活動もしていない癖に、毎食毎食ただ飯食らいやがって…」

『秋ちゃん、客っ!お客さんが…!』

「黙ってろ、陽平っ」

『見苦しい所をお見せして申し訳ない』

 背後で教方が長岡に謝っているけれど、一度スイッチ入ったものが、そう簡単に止まるものか。

「飯の注文付ける前に、家賃くらい払いやがれ!!」

 私の怒号が響いた次の瞬間、インターホンが何とも間抜けな音を鳴らした。

 ピンポーン。

 静まりかえる室内。

 もう一度、インターホンが鳴った。


 ピーン、ポーン……。


 今の、聞かれた……?

 大家さんだったらどうしよう……。

 うちの親とも顔なじみだから、何もない空間に向かって怒鳴り散らしていると知れたら、即刻病院送りだ……。

 私は戦々恐々としながら応対に出た。

「はい……」

“お休みのところ申し訳ない。ジャンだが……。夏貴が訪ねてはいないだろうか…?”

「日浦さんが……?」

 このジャン・サイードの訪問が事の起こりだった。

 仙覚寺の化け物騒動終結から、たった二日。

 災難はわずかな休みも私に与えてくれないらしい。

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