即刻やめて頂きたい。

 七つも年下の、しかも三十センチは身長の低い後輩に縋り付くのは。

「いい加減、やめて下さい」

 車降りてからずっとこうだ。みっともない。そして鬱陶しい。

「そんなん言うたかて、怖いもん」

 張り倒すぞ、三十路。

「……ゴメンな、高村さん」

 見ろ。実の兄までもが、謝りながらもまるで他人であるかのような、遠い目をしている。

 蛇の前にも藤野(三男)を駆除すべきか?

 夕日も傾いている。

 さっさと行動に移りたいのだが、藤野さんが邪魔だ。

 先ほどの車中での話は自分から言い出した癖に、話しているうちに怖さが増してきたというのだから、どうしようもない。

 頭にきたので、鳩尾に肘鉄を見舞っておいた。

 結構効いたらしい。

 少しは大人しくなったので、蛇塚の場所について、一徳と相談を始めた。

「楓の木を見つけ出すと早いと思うんですが、境内にありますか?」

「楓……?うちでは見たこと無いけどな。ああ、これが言うてた地図」

 古地図は、幕末から明治頃の物らしい。

 広げてみたが、虫食いも余り無く、保存状態が良い。

「場所としては、あの林の辺りが怪しいですよね……」

「けど、この縮尺の感じでは、今の寺の敷地の外やねん」

 戦前までは坂の下の、今は公園になっていたり、住宅が建っている辺りも寺の敷地だったのだそうだ。

「雑木林の所は斜面になっているんでしたっけ?下っていったら何か見つかるのでは?」

「危ないからやめといた方がええで。ゲレンデなんかよりずっと急な角度付いてるから。それより、下から回ったらどうやろ?あの下は、公園のはずやから」

「俺も話しに混ぜて。放置せんとって、不安になるやん……」

 私の頭の上で、藤野が言う。

「あまり怖がっていると逆に危ないと思いますが」

 丁度私が言おうと思っていたことを、丁寧な口調で口にした者が一人。

 地図を覗き込んでいた一徳が、表情を輝かせる。

「広瀬さん!来てくれはったん!?」

 連絡しなかったはずが、タイミング良く、広瀬が駆けつけてくれた。

 気心の知れた友人が加わって、多少不安な気分が拭えたような気がする。

 教方も冬悟もいない状況で、自分一人。藤野さんは、ほとんど当てにならない。

 心許ないような気はしていたのだ。

「疲れてるんちゃうかと思って遠慮してんけど」

「遠慮せんでいいやん。親友やろ」

 自分に相談されなかったことが、本気で心外だったらしい。

 断ったって付いて行くからな、と広瀬の顔に書いてある。

「んなら、活躍に期待しとこかな」

「任しといてや」

 広瀬は、悪戯三昧だった小学校時代を思い出すような笑みを浮かべた。

 昔は悪童同士集まっては、よく学校を抜け出す算段をしていた。

 こうして広瀬と並んで歩いているのは不思議な感じだ。中学校以来か。

 広瀬が弓を片手に歩いている、というのも違和感の元だとは思うが、昔はここにもう一人友人が並んで居たのだ。

 弓はやはり実家の物置からくすねてきたらしい。

 広瀬は、実家の高齢化が原因で、昨年・一昨年と流鏑馬に無理矢理参加させられたそうなので、扱い方も慣れたものだ。

 年々、妙な特技が増えていくな、こいつ。

 学生時代だったか、ヘリコプター免許も取得していたはずだ。

 一徳は愛らしい小動物でも観察するように、ずっと目だけで広瀬を追いかけている。

 邪魔になるから帰ってくれ、と言いたい。

 藤野さんは相変わらず逃げ腰だったので、私は奴の腕を掴んで引きずって行かなければならなかった。

 藤野さんには置いて行きたくても置いて行けない事情があった。理由はただ一つ。

 蛇を誘き出すのにこれほど良い餌は他にない。

 しかし、いい加減我慢の限界が来たので、振り向き様に膝に蹴りを入れてやった。

 はずだったのだが。

 紙一重でかわされてしまった。

「……腹立つ…」

「今、ちっさく腹立つって言わんかった?」

と聞く、藤野さんを「五月蠅い」と一言の下に切って捨てる。

 成人男性がしょぼくれた所で、可愛くない。

「そろそろしっかりしてくれませんか……。仮にアンタが件の住職の甥っ子だったとして、蛇は住職の一族には手を出しませんって約束してるんですから。私らは兎も角、藤野さん達は安全でしょうが!」

「あっ、そうか」

 感心したように、藤野さんが言う。はったりだったのに。

 幽霊の事となると、恐怖でここまで頭が回らなくなるのだろうか……。

 藤野さんは実際、しつこく向こう側へ誘い込まれ続けている。

 昨日だって私が止めていなければ、今頃冷たくなっていたはずだ。

 それがこれ程簡単に丸め込まれてしまうとは、呆れて物も言えない。

 私は坂を下っている間、広瀬に蛇伝説の説明をしていた。すでに何度か説明を繰り返しているので、かなり要領よく話せるようになった。

 話が段々と昨夜の出来事に及ぶに従って、一度は静まっていた苛立ちが再び込み上げてくる。そうなると、説明二割、残りの八割がただの愚痴・暴言と化した。

「……つまり、うちらはとばっちり受けただけ?」

 それまで黙って愚痴と暴言とに耳を傾けていた広瀬が口を開いた。

 その通り、単なるとばっちりだ。

 これを聞いた広瀬は真顔で言った。

「その蛇、蒲焼きみたいにしてやりたいな」

「……それって要は串刺しに……」

 藤野さんが戦きを隠さずに呟いた。

 ああ、どうせ類は友を呼ぶさ!

 だからと言って、

「高村さんも広瀬さんも、やる気やなあ」

一徳のように好感を持って受け入れられても困るわけだが。

「あのな、兄貴。あれは平仮名やのうて、漢字で殺す気って書いて殺るやるきて読むねんで」

 藤野さんは聞こえないように小声で言ったつもりだろうが、筒抜けに聞こえている。

 殺気立ってて悪かったな。


 坂を下って回り込んだ先の公園は、かなり規模が大きく、その敷地の四割程度が自然林で覆われている。

 陽の落ちた後の公園は、想像していたよりも不気味な雰囲気が漂っていた。

 これは絶対に何かいる。余り立ち入らない方が良さそうな雰囲気だ。

 この五ヶ月程の事を思い返しても、こういう所へ行くとろくな事がなかった。

 幾ら腹が立っているとはいえ、怖いものは怖い。

 広瀬も余り霊感のない方だが、直感的に察する所があるらしい。

 そこで広瀬が景気付けにと歌など歌い始めたのだが、その選曲が軍艦マーチだったのである。

 勇ましいと言えば勇ましいが、果たしてこんなものを歌って良いのだろうか。

 そう思いながら一緒に歌っている私も私だとは思うが。

 人気のない公園に響く軽快な軍艦マーチ。怪し過ぎる。

 しかもそれぞれ日本刀と弓を手にして、まるで危ない人の集会のようだ。

「あの戦前の小学生みたいな社会人、何とかしようや……」

「えー?無邪気で可愛いやん」

 背後でそんな会話が交わされているとは露知らず。

 方向感覚に優れた広瀬に道を任せて、私たちは公園を奥へ奥へと進んで行った。

「この辺のはずやけど」

 突き当たりが急な斜面にぶつかっている小さな広場で広瀬は足を止めた。

 この辺一帯だけ風が無く、空気が澱んでいた。

「うちの寺たぶんこの上やわ……」

 斜面を見上げながら、一徳が言う。

「……一発で引き当ててしもうたな」

 藤野さんは気分が悪いのか、胃の辺りを押さえていた。

 薄暗い外灯が、ジジジっという不快な音を立てている。

 これが消えたら間違いなく出るな、と思った瞬間。

 灯りが落ちた。

 目が眩んで、よく見えない視界を暗い影が横切る。

 影は、広瀬の足下までやってくると、隙を窺ってとぐろを巻いた。

 弓弦が鳴る。

 鏑矢特有の甲高い音が闇を引き裂いた。

 影が広瀬から離れる。そして、斜面のすぐ下の植え込みの辺りに身を隠した。

 矢は、蛇が消えていった方角に立つ一本の木に突き刺さっていた。

「あれが蛇塚みたいやな」

「確認してみよか」

 一徳が懐中電灯片手に、近づいた。

 広瀬は離れた位置から、第二矢を構えて様子を窺っている。

 照らしてみると、その木は枝葉がすべて切り落とされていた。根もなく、ここに自生しているわけではない。しかも後ろ半分は腐って崩れている。

 人の手で加工された物のようだった。

 全面には、薄くなってはいるが仏のようなものが彫られている。

 その下にも、何か……。

「それ貸して頂けますか?」

 一徳に懐中電灯を借り、邪魔になった日本刀を預けて、その部分を照らしてみる。

 膝を付いて土を払うと、そこには確かに「へびづか」と書かれていた。

「広瀬、当たり」

 蛇塚の奥には、樹齢の古い楓の木が静かに立っていた。

 その静けさが薄気味悪い。

 幹の陰から、あの白い手がこちらを差し招いているような気がした。

 立ち上がって、一徳に懐中電灯を返そうとした。

 その時急に、異常な寒気に襲われた。

 藤野さんが何か叫んだような気もする。

 ブレーカーが落ちるように意識が飛んで、よく覚えていない。


 次に気付いた時、私の手は藤野さんの首を絞めていた。

 ……何なんだ、これは…っ!

 叫びそうになったのに声が出ない。

 私の口は、全く別の言葉を口にしていた。何を話しているのか、私には聞こえない。

 蛇が、私に乗り移っていた。

 体は思い通りに動かない癖に、伝わってくる感覚だけは生々しい。

 私の腕力が藤野さんと拮抗している時点であり得ない。力なら藤野さんの方が強い。

 藤野さんは、辛うじて自分の首から私の手を引き離した。

「……高村くん…っ、しっかりしてや!」

 蛇は、藤野さんの拘束から逃れようと暴れる。

 すると、藤野さんの体の向こうに、一徳に支えられるようにして座り込んでいる広瀬の姿が目に入った。

 一瞬しか見えなかったが、頭を押さえて蹲っていた。

 恐らく、あれも私がやったのだ。

 腹が立ってどうしようもないほど、悔しかった。

 自分では藤野さんに手が出せないから…、私の体を使ったのだ。

 その上、広瀬まで……。

 くそっ……。

 蛇がニタリと嗤っているような気がした。

 指の間にはまだ、藤野さんの首を絞めた時の感覚が残っている。

 私が必死で引き下ろそうとしている腕の関節が軋む。

 蛇が抵抗している。

 悔しさに歯を食いしばった。

 するとそれに気付いた藤野さんが驚きの表情を浮かべた。

 そして、私の存在を確かめるかのように、名前を呼んだ。

「高村くん……?」

 藤野さんの声は、絞められていた所為で、まだ掠れている。

 唇は微かに動いたが、返事は出来なかった。

「……徹底抗戦やろ……」

 藤野さんの言葉が私の神経を逆撫でする。

 そんなことは、言われなくても……

「…って……ますっ……」

 やっと、口が思い通りに動いた。それでも、声帯は凍り付いたままだ。

「藤、野さんに……言われなくても…、わ、かってますっ…!」

 何とか吐きだした言葉は、ほとんど息と変わらない。

 少しでも気を抜くと、また意識ごと持って行かれそうになる。

 拘束を振りきった手が、藤野さんの首筋へと伸ばされる。

 油断したせいか、藤野さんの対応が間に合わない。

 右手が気道を締め上げ、左手が藤野さんの……………。

 藤野さんの頬を、ゆっくりと撫でた。

「「………………………………。」」

 ちょっとまてちょっと待てっ、ちょっと待てっッ!!

 蛇が私の口を使って何か喋り出した。話の内容が直接聞こえてきたわけではない。

 しかし、蛇がこれから言おうとしている内容を察することはできた。

 ずっと主さまをお慕いしておりました、だと……?

 私の口でそんなこと言われて堪るかっ!!

「ひとの体、いいように使いやがって……っ!!」

 頬から左手を、喉から右手を無理矢理引き剥がす。

 藤野さんを絞殺したくて仕方がないらしい私の手は、痙攣しながらも空中で静止した。

 様ァ見ろ。

 何でもお前の思い通りになると思ったら、大間違いだ。

 自分の口元が笑みの形に歪むのが、わかった。

 だがこの優位はいつまで続くだろうか。

 生じた隙をついて、藤野さんが私の手を押さえ込んだ。しかも、片手で。

 そんなこと言っている場合ではないが、今、ものっすご悔しかった!

 幾ら私が蛇の邪魔をしているからって、片手か!?私はそこまで非力か!

「……兄貴」

 藤野さんは、空いた方の右手を差し出して言った。

「その、高村くんの刀、貸して」

「どうする気や……?」

と、一徳が訝しげに訊ねる。

「高村くんに、渡す」

 私は、その言葉に耳を疑った。

「アホっ、斬られたらどうするねんっ」

 私も一徳と同じ意見だ。この状態を長くは続けていられない。

 藤野さんを斬らないでいる自信が無い。

 それでも藤野さんは「大丈夫や」と言い切った。

「もし斬られたら、その時はそれで構へん」

 一徳は躊躇っていた。当然の事だ。

「早くしてくれんと、高村くんの手が暴れて敵わんのやけど……?」

 催促する藤野さんに刀を渡したのは広瀬だった。

 広瀬が何か言おうとする前に、藤野さんが言った。

「……大丈夫。俺は高村くんを信じてるから」

 けれど、その声は微かに震えていた。

「掴んで」

 刀を私の左手に近づけて、藤野さんが言う。

 私は躊躇った。

 その時、すっと手が後ろへ引いた。蛇に抵抗されることもなく。

 蛇が、刀を嫌がっている。

 私は刀に手を伸ばした。抵抗が大きくなる。

 それを堪えて、何とか鞘を握った。

 抵抗は増したが、さっきよりも体は動く。

 藤野さんが、私の右手に柄を握らせた。

 ゆっくり、少しずつだが止めることなく刀を引き抜く。

 体の中から抵抗が消えていく。

 やっと刀身を抜ききった時、蛇は私の中から退いていた。

 足下を影が擦り抜けていく。

 二本目の矢が空を切った。

 矢は影を掠めて、地面へと刺さった。

 広瀬は三本目をつがえる。

 影は早くも闇に溶けて、所在がわからない。

 しかし、刀の表面にほんの一瞬、正体の知れない光が映った。

 楓の所だ。

「広瀬っ、楓の根本を射ろ!」

 鏑矢が幹へと刺さった次の瞬間。楓の木の背後の闇から見覚えのある白い手が、音もなく、藤野さんへと伸ばされた。

 考えている暇は無かった。

 私は、反射的に刀を振り下ろしていた。手応え──。

 私の刀は、間違いなくを斬った。

 再び外灯が点った。

 刀が振り下ろされた先には、無数の鱗が散らばり、人工の灯りの下でてらてらと輝いているだけだった。

 あの白い手も蛇の体も、何も無い。

 何かにひびが入るような音に顔を上げると、目の前で蛇塚が崩れ落ちていった。

 そして、仙覚寺の蛇が退治されたことを物語るかのように、楓の根本からは血が流れを作って滴っていた。

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