7
結局、私達が行き着いたのは、商店街の立ち飲み屋だった。
昼間だが、アル中のおっさん連中のために朝っぱらから開いている。
店の主人は耳が遠いことで有名なので、多少怒鳴り散らしても問題ない。
立ち飲み屋でわざわざ烏龍茶を呷っている私達二人を除けば、客は常連客が二人きり、という有様だった。ここも、もうすぐ潰れるかもしれない。
「高村くんまで俺に合わせんでもよかったんやで?」
「合わせたつもりはさらさらありません」
車で来たという藤野さんはアルコール類は頼まなかったのだ。
ほろ酔い気分で蛇退治に乗り出すわけにもいかなかったので、私もお酒は頼まなかった。
初めは、頭ごなしに怒鳴りつけてやるつもりでいたのだが、ここまで歩いてくる間に勢いが削がれてしまい、何とも話を切り出しにくい状態になってしまった。
「藤野さんは、昨日の霊がいるから、実家出たんですよね?」
「ん……?まあ、そんなとこかな。離れてから、そろそろ十三年くらいになるか……」
関西は懐かしな、と言って藤野さんは神棚の笹飾りを指さした。飾りの恵比須と大黒がにこにこと満面の笑顔を浮かべている。
「まともに実家帰ったんは高校卒業以来や」
この人は東京在住の癖に常日頃「大阪、大阪」言って五月蠅い。
それほど好きなら大阪で就職すればよかったのに、と何度思ったことか。
「十三年向き合わずに逃げ続けて、まだ逃げるんですか」
逃げ切れるかどうかもわからないのに。
「逃げ通せるもんなら、そうしたいけど……。もう、タイムリミットかな……」
結局死ぬまで追い回されそうや、と言った時、藤野さんは店のテレビを見ている振りをして、私から顔を背けた。表情を読みとられたくなかったのだろう。
「どうせ死ぬんやったら、こっち戻ってきて死にたいかも、とか思ったりして」
「自殺願望でもあるんなら、病院行かはったら?」
さすがに言い過ぎたかと思い微かに後悔したのだが、意外なことに藤野さんは苦笑いを浮かべただけだった。
思い切って、開き直る事にした。今更遠慮した所で仕方がない。何時の間に、この人にここまで遠慮のない口がきけるようになったのか自分でも不思議だった。
「私の言いたいように言いますから。苦情は東京戻ってから職場で聞きます」
かなわん子やなぁ……、と藤野さんが零した。
どう言葉を続けようかと思って、考えた挙げ句、藤野さんの方を見ると、何故か嬉しそうにこっちを見ている藤野さんと目が合った。
「……何ですか」
「いや、きっついお叱りを受けるんちゃうかなぁ、って思いながら付いて来たんやけど。案外、優しなって思て」
「油断してると急所仕留めに行きますよ」
そう言うと、藤野さんの表情が凍結した。
「うちの家訓は、先手必勝、徹底抗戦ですから」
母が、嫁に来たその日に決めたそうだ。まだ存命中だった曾祖父も諸手をあげて賛成したらしいが。
父や祖父に聞くと家訓は、独立不羈。私はどちらかというとこちらを支持している。
「高村くんは、忠実に家訓を守ってると思うわ……」
心外だ。
これでも私は、うちの家族の中では平和主義者側に属している。
「……俺かて、端から逃げてたわけやなくて。真言とか悪霊払いの方法とか色々勉強してみたんや。けど、里子姉ちゃんの事があってから、怖くなってしもうて……」
その人のことは、一徳も気にしていた。
「霊よりも、自分のしたことが一番怖いんや。姉ちゃんは俺が殺したようなもんやから」
藤野さんは、里子さんが消えてしまった時その傍に居た、と言っていた。
自分の身代わりにしてしまったのだとも。
その上、昨日、本堂で里子さんの姿を見た事が、藤野さんの中で尾を引いているのだと思った。
「……自分が死んだらそれで事が納まるって言いたいんですか?」
私は、里子さんがどんな様子で藤野さんの前に現れたのかは知らない。
「……半分くらいは、そう思うてる」
本当に藤野さんが里子さんを身代わりにしてしまったのかどうかも知らない。
しかし、一つだけ知っていることがある。
藤野さんが本堂で見たのが、里子さんではないという事。
それだけは確実だ。
「愚の骨頂だと思います」
酷く冷たい声が出た。
「冗談じゃないですね。それなら、広瀬まで狙われる理由が何処にあるのか説明して頂きましょうか」
「……広瀬って、昨日の救助隊の…?」
それ以外に誰が居ますか、と答えそうになって寸前で押し止めた。
広瀬と藤野さんとは初対面なのだ。
「私は、里子さんの姿なんか見ませんでした。確かに、私には見える霊と見えない霊が居てますけど。そやけど、あそこに居た霊は人間ですら無かったやないですか!」
あの白い手の主は、仙覚寺に巣くう蛇だった。
藤野さんは怪訝な顔をした。
気付いていないのだ。あいつが、上手く誤魔化してきたから。
「言って置きますが、藤野さんを取り殺そうとしているのは、玄関前にも出たあの霊とは違いますよ」
里子さんの姿を装ったのも、藤野さんを狙っているのも、あの仙覚寺の大蛇だ。
一緒に現れたのは利用されているだけの、文明年間に起きた火災の犠牲者に過ぎない。
「……思い出しても腹の立つ……。あの性根の腐った蛇っ、六百年も他人様の魂取り込んで放しやがらへんのです!本堂の下で霊の足掴んで、上へあがられへんようにしてたん見ました!?」
藤野さんは今度は呆然として「知らへんかった……」と答えた。
「俺のせいや、俺のせいやて言うてるだけなら九官鳥でもできます」
このまま放って置けば、里子さんの魂もずっとあいつに引っ張られたままだ。
それに、藤野さんだってそうなるかもしれないじゃないか。
「藤野さんの、ド阿呆」
言い捨てて口を閉じると、店のテレビの音が急に大きくなったように思えた。
飲んだくれのおっさん連中が、こっちを見て何か噂でもしているみたいだ。
何とでも言いやがれ。
「あーあ、結局怒られてしもた」
藤野さんは自嘲交じりに呟いた。
「でも高村くん、心配してくれるねんな……。勝手に死ねとか言われるかと思てたから、めっちゃ嬉しいわ」
心配……?
「だっ誰が、心配なんか!」
「そやろか?」
「単に、ああいう輩は虫が好かないだけで!」
そういう事にしとこか、と藤野さんは微笑った。
こうして見ると、母親の志織さんによく似ている。
「ごめんな、心配かけて」
「……しつこい」
「今日な。ホンマは昨日のこと、巻き込んでゴメンって謝ろ思て来たんや」
「今更謝られたって、何の値打ちもありません」
「……せめて、水くさいとか言いや」
「おっちゃん、豚の角煮追加」
「シカト!?」
「食べないんですか?」
「……いただきます」
藤野さんも焼きおにぎりを追加注文した。
ここの飲み屋でこれだけがっつり食べて行ったのは私らくらいだろう。
店主が、飯屋に転職しようかいな、と朗らかに笑っていた。
一時、黙って飯を掻き込んでいたのだが、藤野さんは改めて訊ねた。
「あれ……蛇やねんな?」
「蛇ですね」
「高村くん、駆除手伝うてくれる?」
「言われなくても、駆除するつもりですよ」
家へ帰って、ノートパソコンを立ち上げてみると、一徳からのメールが入っていた。
父親の住職に相談しながら探してみたのだが、肝心な事が書かれているはずの資料だけ、戦災で焼失しているとのことだった。しかし、口頭ではあるが蛇に関する伝説が残っているのだという。
その伝説の内容は長岡氏が博物館で教えてくれた内容とほぼ一致していた。
相違点は、仙覚寺にやって来た僧について、もう少し詳しい事項が伝わっていたことだけだ。荒れていた寺を再興させた、寺史において重要な人物らしい。
他に、文書を探しているうちに出て来た寺の古地図に「蛇塚」と記された場所がある、という旨のことが書かれてあった。
家の前でクラクションが鳴った。藤野さんの車だろう。
『今からそちらへ行くので、資料の準備よろしくお願いします』とだけ記したメールを一徳に返信する。
刀を担いで現れた私を見て、藤野さんは驚いたらしい。
「……東京から、持ってきてたん?」
愛しの備前刀だ。
「留守中に盗まれたら困りますから」
妖蛇退治には弓矢を使う方が一般的なようだが、生憎と我が家にそんな物はない。
何処かの神社の氏子で、毎年流鏑馬神事に借り出されているという広瀬の家なら、もしかすると物置に転がっていたりするのかもしれないが。
勤務明けで小火にまで見舞われた広瀬を呼び出すのは気の毒で、やめておいた。
蛇は金気を嫌うというから、日本刀でも多少の役には立つだろう。
銃刀法違反に問われるかもしれないという懸念が付き纏うのだけれども。
藤野さんが乗ってきていたのは、地味な色の国産のワゴン車で、東京でヤツが乗っている物とは違う車だった。
「実家の車やねん。昨日の派手なんは兄貴の。あいつ、趣味で株転がしてるから」
本業より儲かっているのだという。檀家の寄進が貪られているわけではないという事が判明して、安心した。
後部座席に乗ろうとしたら「知らん人が横へ乗ってきたら怖いから隣へおって!」と頼まれた。
道中、そういう気づいたら霊が助手席に座っているという心霊スポットがあるらしい。
渋々助手席へ座ることになった。
一般道を抜けて高速へ入る。
夕刻ということもあり、レジャー帰りの車で、大阪方面の道路は少し混雑していた。
一般道を走っていた時に蛇に関しては説明し尽くして、しばらく会話が途絶えていた。
「なあ、高村くん。一つ、思い出した話があるねんけど」
運転中の藤野さんが言った。
「うちの寺の話っていうより、地元に伝わる話やねんけどな。蛇の嫉妬で死んだ娘さんの話があるんや」
「……その話は初耳ですね」
「京都の方から焼け出されてきた可哀想な娘さんがおって、うちの寺の住職が親切にしてあげてたんやて。その娘さんは、その時住職を頼って身を寄せに来た住職の甥っ子とも仲が良くて、本物の兄弟みたいに暮らしてたんやけど、昔から楓の木の下に住み着いてた大蛇が娘さんに嫉妬して、ある日、火事を起こして娘さんを焼き殺してしもたらしい」
「楓の木、ですか?」
長岡氏が言っていた言葉を思い出した。
『仙覚寺の楓の木の下には、蛇がいる』
そして、広瀬が聞いたという霊の言葉にも、この伝説は符合していた。
「これって、やっぱり文明年間に起きた火事の話やんな……?蛇は嫉妬深いとか執念深い言うけど、まだ恨んでるんやろか。六百年も、うちの家を」
「……仙覚寺は浄土宗なんですから、有り得ませんよ」
浄土真宗なら世襲制だが、その他の宗派が世襲制になるのは明治以降の筈だ。
「仙覚寺の蛇は、室町時代後期の話らしいですし」
蛇が起こしたという火事も、応仁の乱以降。
現在までに、何度も住職は代替わりして、同じ血筋の人間が寺を受け継いでいる可能性は極端に低い。
「それがな、明治になって一端、廃仏令で寺が潰れて、もう一遍再開しよかってなった時に……」
続きを言いたく無いとでもいうかのように、藤野さんは一度言葉を切った。
「本山が、仙覚寺に縁のある人をって言うて、地元出身の坊さんを選んだんが、うちの家やねん。うちの家……、室町時代から戦国時代くらいに、仙覚寺におった親戚を頼って移り住んできたらしい。その……仙覚寺におった親戚って言うのが、荒れてた寺を再興させたって伝わっている人で……」
「藤野さん?」
マズイ。声が、今にも消え入りそうだ。
「下手したら、その先祖が例の住職の甥っ子ってこともあるやんか……」
空気が変わった。変なスイッチが入ったかもしれない……。
運転中の藤野さんの顔が助手席に向いた。すなわち、藤野は真横を向いた。
入った、絶対に変なスイッチ入った!
「見捨てんとってな!高村くん、絶ッ対見捨てんとってな!!!」
縋り付くな!運転中だろ、お前ッ!
「おわっ!!藤野さんっ!前っ、ぶつかる!!ブレーキ!!!」
こんな事になるなら、頼まれたからってべらべら喋るんじゃなかった。
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