第五景 思い出は終わる
1
久々に帰った実家は、懐かしいと言うより、喧しかった。
朝っぱらから、壊れるんじゃないかと思う様な勢いで叩かれる自室のドア。
「姉ちゃん、電話っ!」
こうして机の上で目を覚ましたのは二年振りだ。
そして、弟の
私は、今出張で地元に帰って来ている。
正しく言えば、ゴールデンウィーク中にこっちで仕事があるので、前倒しに休みを取って戻ってきたのだ。
本当は京都に用があるのだが、実家から充分通える距離なので、仕事中もホテルは必要がない。
私の家は代々霊感がかけらも無い為、居候の幽霊達を連れて来ることもできただろう。
しかし、私は奴らを新幹線に乗せて珍道中を共にできるほど、太い神経は持ち合わせていなかった。
一度、冬悟を調布の大叔父の家から連れて帰っただけでも一苦労だったのに、四人全員ともなればどんなに大変なことだろうか。
それにしても、朝っぱらから誰が電話を掛けてきたのだろう。
「誰からや?」
昨夜携帯に電話を掛けてきた友人の可能性が、一番高そうだと思ったのだが。
「携帯に掛けても出てくれへんから言うて、職場の人」
終わったら二度寝してやる……。今度はきちんと布団の上で。
受話器を受け取ると、あまり聴きたくなかった声が聞こえてきた。
「なんや、藤野さんですか」
同じ課の先輩の
そうだ、お家騒動かなんかで実家に帰るとか言っていたな……。
“急で悪いけど今すぐこっち来て、俺が毎日きちんと仕事してるて説明してや!”
理由は推測しかねるが、ものっすごテンションが高い。
一気に捲し立てるように喋るので、このまま電話切ってやろうかと思った。
そもそも、こっちって、何処だ。
「朝っぱらから何を寝惚けたこと言うてはるんですか?」
“高村くんより俺の方がよっぽど目ェ覚めてますっ!うちの親が、お前はどうせ仕事もろくにしてへんに違いないから、戻って実家継げ言いよるねや”
「何で私が、」
“俺かて、ついこの前、高村くんが無理言うのきいたったやんか!”
……絶対、竜円寺の分骨の件だ。
藤野さんがどういう状況にあるのかはわからんが、竜円寺の件を持ち出されては、キッパリ突っぱねるわけにもいかない。
前門の虎。後門の狼と言うが、結局どちらか選んで踏み込まなければ行き場が無いのだ。
「わかりましたよ」
私は、自分の精神的負担が比較的マシに思えた方を選んだ。竜円寺の件は、私が突っ込んで欲しくない話に深く関わり過ぎている。
“ほな、新大阪の待合室で”
「飯ぐらいゆっくり食わせて下さい……」
待ち合わせるなら、もっといい場所あるだろ、と思いながらも、実家で朝食を食べる時間を何とか稼ぎ出した私は、重い足取りで出掛ける準備をした。
仕事がどうのと喚いていたが、ノートパソコンの一つもあれば困ることはないだろう。必要そうな資料は大体揃っている。
いい加減な準備をしておいて、私は食卓に着いた。
母の御尊顔を拝みながらの朝食は、随分と久し振りだった。
「何もせんでも出てくる御飯のありがたみ、身に染みてわかったやろ?」
と、母が言う。そのはんなりとして整った容姿とは真逆の、おばはんの最骨頂とでも言うべき台詞だ。
実は最近、ほっといても朝飯が出てくるようになったとは、口が裂けても言えなかった。
例え事実であったとしても、毎朝幽霊が作ってくれますとは説明できまい。
私の家は、両親に加え父方の祖父母が同居している。兄や私がまだ実家に居た時は、兄弟三人を含めた総勢七人が、この狭い一戸建てで生活していた。
兄の
弟の雪斗は、大学生の二回生になっていた。
私は嫌々ながらも朝食を手早く済ませた。
不承不承辿り着いた新大阪の待合室で、藤野さんは手薬煉を引いて待っていた。
「ごめんな、無理言うて」
そう言う藤野さんの笑顔が、滅茶苦茶引きつっている。
踏み入れてはいけない世界に首を突っ込んでしまったような気がする。
「もうちょっとで、うちの馬鹿兄貴が迎えに来よるから。外行こか」
ずるずると首根っこ掴まれて引きずられ、私は完全に逃走経路を断たれた。
せめてその笑顔を引っ込めてくれ!不気味でしかない。
私達を迎えに来たのは、青い塗装が派手な、何とか言う有名な外車。
檀家の寄進を貪ってやがったのか!?
「派手過ぎて恥ずかしいけど、乗ろか?」
嫌そうに口元を歪めて、藤野さんが言う。
強制的に借り出した私に対する気遣いなのか、不自然な笑顔は止めようとしない。
余計な気は遣うな。気味が悪い。
左ハンドルの運転席の窓が開いて、男が一人顔を出した。
「あの、チンピラみたいなんが兄貴」
と、藤野さんはにべもない。
藤野さんはチンピラと形容したが、そこまで厳つい感はない。
顔立ちは、そっくりとまでいかなくても、血の繋がりを感じさせる作りだ。
髪は脱色しているのか地毛なのかはわからないが、ただでさえ天然で髪色の明るい弟よりも、さらに明るい茶色をしている。
上下黒のブランドもののスーツの下にスミレ色のシャツを着込み、シルバーかプラチナのアクセサリーやピアスが人目を惹く。ホストか呼び込みの黒服とでも言う方が相応しい。
取り敢えず、一番上まで釦を留めて、ネクタイをしっかり締めろ。
「その子が噂の後輩か?」
藤野さんがむすっとした顔で頷いただけだったので、私は一人で自己紹介しなければならなかった。
「……お世話になっております、高村です」
「あ~、やっぱり。話は聞いてますよ。俺は、これの兄で一徳。仲良うしよな」
藤野兄・
弟に対する態度とは、ころっと違う。
その兄の手をすげなく払った藤野・弟曰く、
「そいつ、女の子に目がないから気ぃつけや」
「アホの戯れ言は置いといて、後ろ乗って」
今度は兄の方が、笑顔に怒りを滲ませた。
いい年の大人が、人前で喧嘩すんなよ……。
もう無理矢理笑顔を作ることもできないほど不機嫌になった三男・藤野太一と私を乗せて、車は発進した。
薄曇りの空が、私の前途を暗示するようで、至極不吉に思っていた。
藤野さんの実家は、山手の方にある。
小高いとまでもいかないが、もはや山の上にあると言っていい。
急な坂を車で無理矢理登り切った先に、立派な山門が見えた。
車は、山門をくぐり抜けて、境内に止まった
門を入った突き当たりに本堂、その脇に鐘楼と小さな薬師堂がある他は、墓地があるばかりという、至って簡素な寺だ
「家、本堂の裏やねんけど、こっちの方が早いねん」
靴を脱いで、本堂へあがる藤野兄弟に続いて、私も靴を脱いだ。
この寺の本尊は、阿弥陀如来だ。両脇に観世音菩薩と勢至菩薩を従えている。
これらの仏像は、室町時代頃作られたもので、府の重要文化財に指定されているのだと、以前、職場の先輩である日浦夏貴が語っていた。
さすが、仏教彫刻専門……。
三男・太一が言うには、本堂は、渡り廊下で住居部分と繋がっているそうだ。
渡り廊下からは、手入れの行き届いた中庭を望むことができる。
廊下を行き当たった先の木戸を開けるとそこが住職一家の住まいとなっている。その木戸を開けながら三男が「ただいまぁ」と気のない声をあげた。
「一徳、太一、息災でなによりだ」
横手から落ち着いた声が凛と響いた。
「「兄ちゃんっ!?」」
二人は、昼間に幽霊でも見たような、言葉でなくとも「なんで、ここにいるの!?」と伝わるような叫び声を挙げた。
「出掛けてるて、聞いてたでっ!」
「揉めていると聞いたので、早めに帰ってきた。太一、そちらの方は?」
「え…っと、俺の同僚の高村くん」
「高村秋です。はじめまして」
「太一の兄の、
そう言って彼は、深々と頭を下げた。
つられて、私も頭を下げる。
さっき一徳の方も、「兄ちゃん」と呼んでいたことを考えれば、この人が長男か。
墨染めの衣を纏い、いかにも徳がありそうである。
身長は、弟たちほど高くはない。175cmそこそこといったところか。
穏やかで達観しているその性格が、容貌だけでなく、その一挙一動に現れていた。
「うちの弟が迷惑を掛けて申し訳ありません」
せめてゆっくりしていって下さい、と言う彼の微笑みを見て、私は確信した。
きっと、彼は檀家のアイドルに違いない、と。
お茶でも用意してくると長男が去っていったのを見計らって、三男が小声で訊いた。
「うちの兄ちゃんの感想、どう…?」
何というか、
「汚れが無さ過ぎて、息が詰まる」
「わかるわぁ……」
次男がしきりに頷く。
「頼りにはなるねんけどな……」
三男が、深々と溜息を吐いた。
初めて会った藤野住職は、なかなかに豪快な人物だった。
わりと線の細い息子達は、奥方に似たようだ。
住職夫人は、実に優しそうな、見た目だけたおやかなうちの母親とは180度違う性格の女性だ。正直、羨ましい。
長男は茶を差し出すと、住職に追い立てられて退室した。
一心の性格は潔白すぎて、同席していると話が進まなくなるのだという。
彼のこの性質が、さっきの「頼りにはなるねんけどな……」発言に繋がるらしい。
「呼び立てて、すまんね」
と、住職が言った。
「このアホが、ろくろく仕事もできへん癖に、きちんと仕事してるていうて聞かへんのですわ」
「だから、ちゃんと仕事してるって!」
太一が抗議するが、住職は少しも聞いていない。
「形だけ仕事してるくらいなら、戻って家でも継いでもらおと思てな」
「何で俺が継がなならんねん。兄ちゃんがきちんと継いでるやんけ」
確かに、長男・一心は法衣を着こなして、至極立派な僧侶に見えた。
「せやから、昨日も言うたやろが。坊主の妻帯はならんとか言い張って、一心が結婚せん言うてんのや」
この長男、暗に父親を否定している。
「このままだと跡取りが残らん」と、住職は腕組みをした。
「……それで、俺か太一に家へ戻って結婚せえって?」
「お前、太一から何も聞いてへんのか?」
「兄ちゃんが珍しくワガママ言うて大変やから帰ってこい、って聞いてたで」
「ホンマの事いうたら、兄貴逃げるやろ」
「おまえなぁ……。詐欺やで、これは……」
一徳は、項垂れて頭を抱え込んだ。
「それで、太一はどないですか」
と、今度は私が話を振られた。
「藤野さんは……」
さて、どう言えば納得して貰えるだろうか。
一家の注目を一人で集めて、まるで裁判の証言台に立たされているような気分だ。
「口で説明するより、実際目にして貰う方が早いと思います」
私は、まず自分から注目を逸らすことを優先した。
パソコンを起動させて、広報紙のデータを探す。
開いたウィンドウを幾つか並べて、ディスプレイを住職に見せた。
「藤野さんが担当した記事です」
「あら、太一が?」
住職の肩越しに、住職夫人が嬉しそうに覗き込む。
「映像教材制作の打ち合わせや、展覧会ポスターの制作なども主に藤野さんが担当しています」
そういう時だけ張り切って仕事をする、と言う方が正しい。
「なんや、仕事してんのか」
舌打ちせんばかりの表情で、一徳が呟く。
住職も当てが外れて、つまらなさそうな表情を作った。
心配事が無くなって、藤野太一は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
唯一、母親だけがにこにことして、
「ポスターも見せて貰えたら嬉しいのやけど」
と、遠慮がちに私に申し出た。息子の仕事ぶりを見られるのが嬉しくて仕方が無いらしい。
まったく、うちの母に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。
「勿論良いですよ」
私が就職してからの分のデータしかないが、パソコンを操作してすべて見せてさし上げた。
私達を覗く外野は、跡継ぎ論争で忙しい。
三十路の息子が三人もいて、孫もいなければ嫁の一人もいないのだから、親の嘆きも一入だろう。
「帰ってこんでもええから、お前ら早よ結婚して、孫の顔見せい」
「相手おらへん」
と、三男坊。二月に振られたらしいからな。
「兄貴やったら、何処かに隠し子の一人や二人いてるやろ」
どうやら次男は、女遊びが激しいらしい。
「いてそうやな。一徳、どないや?」
「俺をなんやと思てるねん」
その時、雨粒が激しく窓を打った。
遠くで雷が鳴っている。
「雨か……。あかん、本堂閉めな……」
住職が立ち上がったのと同時に、轟音が鼓膜をふるわし、稲光が室内を染め変えた。
一瞬で全ての灯りが落ちる。
暗い室内で、パソコンのディスプレイだけが青白い光を投げかけていた。
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