2
夢見が最悪だった次の朝は、やっぱり爽やかな朝というわけにはいかないらしく、寝不足で顔色も青く、どんよりとした私を出迎えてくれたのは、これまたどんよりとしたトラブルだった。
身支度を整えて部屋から出てくると、リビングを鬼火が飛び交っている。
「朝やぞ、正気か?」
鬼火はひどくうなだれて、しょんぼりと当たりを漂っている。
「ああ……もう、なんなんだよ……、この家……。……奴か」
私は、直行で台所へ向かった。
流し台のすぐ下で、ウィリアムが今にも泣き出さんばかりの表情で座り込んでいた。
その周りで、さらに二つ三つの鬼火が微弱な光を放っている。
「今日は一体どうした…?」
『青山殿が…、西洋の朝飯など食えるか、と仰られて…っ』
言い終えるなり、ウィリアムの涙が滝のように流れ落ちた。
もしも効果音をつけるなら、だばーっ、というのが適当だろう。
「………ええかげんにせえや…、お前ら…」
幕末生まれの冬悟と侍に殴られた経験のあるウィリアムは、あまり関係が良好ではない。だから、時折こうして揉め事が生じる。
朝っぱらから面倒事を起こすな。私は寝起きが悪いんだ。
起きて一時間は、全く頭が回らなくなる。就職で上京して以来、状況に応じて使っている標準語さえも当然使用不可能だ。
「……ほんなら、冬悟は飯抜きな」
関西訛り全開でそう宣告すると、今まで影も形もなかったはずの冬悟が現れて、不満を垂れ始めた。非人道的だとか、最近テレビで覚えたのだろう言葉を捲し立てている。
「そもそも食わんでもええやろ…」
死んでいるから食事を取る必要がない。
『食わずとも体に害はないが、食事はした方が楽しいに決まっている』
「居候の癖しやがって…」
『た、高村っ!……わかった、俺が悪かったぁぁっ…!!』
怒りに任せて関節技をかけたところ、完全に決まってしまったらしい。
痛みの余り、冬悟は最終的に声にならない悲鳴を上げた。
言い忘れていたかもしれないが、私は霊体に触れるのだ。居候四人に限定しての話だけれども。御陰で、元々霊感がある藤野さんからは変人を受けた。
お寺の息子でありながら大の幽霊嫌い、という藤野に比べれば、ずっとマシだと思うのだが。もっと慈悲の心を持て、藤野。
私が姿を見ることができるのも彼らだけだ。他の霊はこれまで、ほとんど見えた試しがない。(見えた時は、生命の危険という要らないおまけが付いてくる。)折角霊感がついたと思ったのに、非常に残念だ。
『ウィル、卵が焦げるぜ』
『あっ……』
陽平の声に、ウィリアムは慌てて立ち上がった。
「って、おいっ!」
ごんっ、と鈍い音がした。
『~~~~~~~っ』
立ち上がったはずのウィリアムがまた座り込む。
『今日もか…』
『今日もだな』
ウィリアムは本日も台所の棚に頭をぶつけた。
何故なら、身長が180cmもあるのだ。日本家庭の規格サイズに合うわけがない。そんなわけで、ウィリアムは、この天井の低い作りのマンションで二日に一回は何処かに頭をぶつけている。
「毎度毎度、学習しない奴だ」
痛がってはいるが、生きている人間とは比べものにならないスピードで回復するので心配はいらない。
『……皆様方は、座っていて下さい……』
ウィリアムは目をうるうるさせながら言った。
よたついていたので、手伝おうとしたが断られた。
『今朝は、私が朝餉の支度をしてみようと思ったんです……』
「ウィリアムが…?」
一瞬理解が追いつかなかった。
『こいつが卵を焼いてる時点で普通わかる話だ』
関節技から逃れた冬悟が偉そうに言った。
「……まさか幽霊に朝飯作って貰えるなんて思わなくてな」
『秋ちゃんは、ホントに朝は駄目みてえだな』
「五月蠅い…」
にやにやと悪党の本性も露わに笑う陽平の頭を小突いて、私は食卓に着いた。
『あれ?教方の旦那は?』
『教方殿は散歩に出ると言っていた』
ふと見れば、冬悟が私の向かい側に座っている。
「西洋式の朝食は嫌なんじゃなかったか?」
『俺は、珍しいものは嫌いではないぞ。毎日は嫌だと言うただけだ』
冬悟は、ふんと鼻を鳴らしたが、それだけでウィリアムがあそこまで落ち込むとは思えない。恐らく今のような単純な事柄に、不要な修飾語が色々と付いていたのだろう。
わざとかは知らないが、冬悟はウィリアムに対して誤解を招くような言い方をする傾向がある。
「お前、もう少し“和を以て尊し”となせよな」
『努力はしてるだろ!?』
『秋も人のことは言えないと思うのだが…』
「朝起きて交わした第一声がそれか、教方」
教方は一向に気にした様子もなく、私の隣に腰掛けた。
そして、
『しかし、昔に比べれば丸くなったと言えるだろうな』
と言って、私の顔をまじまじと眺めた。
『学生の時分は、もっと険峻そうであった』
「は……?」
が、学生の……!?
「待て…、私とアンタは去年の年末が初対面のはずだ」
『秋はそうだったかもしれぬが。俺は、其方が学生であった時にも会うたことがある』
私が、学生……。もしかして…
「中学の時、か?」
『詳しいことはわからぬが、初めて会うた時の秋は、大きな襟の付いた服を着ていた』
間違いない、中学の修学旅行だ。
『午前中にやって来たと思うたら、閉館時間まで“友成”に魅入っておったな』
「仰る通りで…。よく覚えてたな…」
「友成」というのは、教方が取り憑いていた刀の事である。うちの博物館の所蔵品の一つで、教方が生前に使っていた刀だ。
『あの部屋で、一日中、刀を眺めている者は偶に見掛けるが、ああして“友成”だけを眺めていたのは、後にも先にも秋一人だ。故に、記憶に残っている』
「確かに、自由行動全部潰して見てたけどさ…」
しかも「友成」だけ、他の国宝指定を受けた名刀には目もくれず、写真禁止なので、ずっとスケッチしていたし。
『学友が幾人か誘いに来ていたのも、全て断っていたようだったしな』
『秋殿はその頃から、刀がお好きだったのですね』
それぞれの前に、焼きたての食パンとスクランブルエッグを載せた皿を置きながら、ウィリアムが、感心したように言った。
皿の上に乗せられているのは、私の分以外、乳幼児が食するような微々たる量である。
幽霊の食事は、それで事足りるらしいのだ。
『中学ってぇと、十四、五才ってところだな。その年頃にしては、珍しい趣味だ』
「いいんだよ、あれを見る為だけに修学旅行に参加したんだからっ」
『その後も、幾度か見に来ていたな』
「………大学の時にな」
『そこまで気に入られたのなら、刀も本望だと思うぞ』
と、冬悟が言う。
『秋ちゃん、早いとこ食べねえと冷めちまうぜ』
幽霊の手料理は、意外にも美味しかった。
後片付けをして家を出る準備をする。
幽霊達は、外付けの食洗機の周りに集まって、食器が綺麗に洗われていく様子を面白がって眺めていた。まったく、よく飽きないものだ。
出掛けに、玄関先までやって来た冬悟が『苦にならん程度に頑張ってこい』と言って、私を送り出した。
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