第四景 桜咲く宵
1
春は、出会いと別れの季節だという。
咲き乱れる桜が散るように、過ごし慣れた日常と決別し、新たな生活が始まる。
しかし私にとっての春は、追憶と憂いの季節だ。
私の思いとは裏腹に、もうすぐ、桜が咲き始める。
我が家の居候に新顔が加わって、数週間が過ぎた。
玄関を開けると待ち兼ねた様に出迎えるウィリアムをみると大きな犬でも飼い始めたのではないかという気分に陥る。
奥の方からは、残りの居候連中の「早かったな」だの「今日は遅かった」だのと言う声がかかる。
要するに、就職して二年目も終わりに差し掛かろうというころになって、図らずも一人暮しを脱却し、誰かが出迎えてくれるという身の上を手に入れたわけだ。
問題は、この出迎えてくれる居候達が人間ではないことである。
厳密には、人間ではないと言ってしまうと語弊があるかもしれない。死んで成仏しそこなった人間と言うべきか。
つまり、うちの居候連中は幽霊なのである。
古参の者から並べると、
William Hardy ・享年二十八才。
の順になる。ウィリアムは少し年齢がいっているが、見た目は一番若く見える。西洋人の割に童顔だ。十代で十分通用する。
他の面子は、年齢よりは少し年嵩に見えるが、当時にしては若く見える方だろう。それなりに良い身分で良い暮らしをしてきた連中がほとんどだからだ。その死が迫るまでは。
それぞれの死亡時期は、上から順に
寿永4年(西暦1185年)壇ノ浦の戦い、
慶応4年(西暦1868年)上野戦争
大正12年(西暦1923年)詳しくは語らない
寛永元年(西暦1624年)切支丹屋敷で獄中死
だそうだ。素性を並べるともっとすさまじい。
平安時代末期の武将にして、元・怨霊。
上野戦争で死んだ彰義隊隊士。
天才詐欺師にして掏摸。
牢屋敷で死んだ英国商人。
ちなみに、教方と冬悟の二人は、刀を依り代に取り憑いていた。それ以外は何の共通点も接点もない面子である。強いて言えば、恨みを残して死んだという点くらいか。
私の名前は
昨年末までは霊感のかけらもなかったはずの、歯牙ない学芸員だ。
不条理にも、最近の私の生活は怪奇や心霊現象と隣り合わせである。
そういうのは嫌いではない。
だが、我が家では確実に、心霊現象ではない何かの方が幅をきかせている。
冬悟の中では子連れ狼が大旋風を巻き起こしているらしく、朝から晩まで繰り返しDVDの上映会をやっているし、陽平も一緒になって「嵐が丘」だの「雨に唄えば」だの「ひまわり」だの古い洋画を見ている。どの上映会も最終的には霊が四体集合し、てんで違う時代のてんで違う服装の奴らが、ソファーで一塊になってテレビ画面をじっと凝視しているのを見るのは中々に面白い。。
そうかと思えば、 陽平は日がな一日オーディオでジャズだのスカだのを聞いている。生まれた時代と整合性が付かないと言ってやったら、生まれ時代のは飽きるほど聞いたので知らない時代の曲を聴きたいのだそうだ。そのうち、テクノとかボカロとか言い出すに違いない。
しかし自分の知らない時代のものを知りたいというのは、他の連中も同じ傾向のようで、教方やウィリアムもそれなりに現代音楽を気に入っている。
ウィリアムは特に、洋楽ロックが好きらしい。
意外だったが、私もロックは好きなので片っ端から持っているCDを借してやった。
そして、驚いたことに、これまでテレビにはあまり興味をみせなかった教方が、近頃とある番組を楽しみに待つようになった。BSで放送している世界遺産の番組である。
放送中は一言も発さずに画面に魅入っている。
そのうち「行ってみたい」とか言い出すのではないだろうかと心配しているのだが、連れていけと言われて二つ返事で引き受けてしまいそうな自分の方がもっと心配だ。
私も世界遺産、行きたい。
今年の桜の開花は例年より早かった。
私が働いている博物館に隣接する公園は、あっという間に満開の染井吉野に覆われた。
公園の花見客は賑やかだか、私が働くこの博物館はそうでもない。近隣の某国立博物館は大盛況だとしても、その恩恵はここにはなかった。(うちの常設には多少あった。)
「絶好の花見スポットやのにな。ここの喫茶」
アイスコーヒーを口に運びながら、職場の先輩である
博物館二階の喫茶室から見下ろす公園の景色は、まるで映画でも見ているかのようだ。
「なんで皆入ってこんのやろ?」
この喫茶室は、博物館に入館せずとも利用できるようになっている。
「メニューがぼったくってるからやないですか?それに、今、次の特別展までの隙間で、常設展しかやっていませんし」
「確かに珈琲高いけど…」と、藤野さんが苦笑する。
「早いなあ、高村くんが入ってもう三年目になるんやな。立派に育ってくれて先輩は鼻高々やで」
「藤野さんに褒められても、あんま嬉しないですね」
「ごっつ辛口やな」
春風が、喫茶室一面を覆う大きな窓を揺らす。
花びらが風に舞った。
「花見行きたいと思わん?」
「行きたいですね。今、京都とか吉野とか凄いでしょうね」
「せやなぁ。自分、何処の桜がええと思う?」
「関西で、ですか?」
「そう。関西で」
「円山公園とか、姫路城とかええと思いますけど。藤野さんは?」
「俺?俺は、造幣局」
「言うと思いました」
「しゃあないやん。俺、大阪好きやもん。故郷やし」
ふと時計を見遣ると、休憩が終わるまでまだ20分もあった。
「東京の桜は?」
「ここ」
「ここしかないよな。俺もやわ。しかし、高村くんは、桜嫌いか?最近なんか、表情暗いし」
「私の表情が明るいことが未だかつてありましたか?」
「強面やけど暗くはないて!大丈夫!最近、特に気もそぞろ。去年もそうやったで」
どうして、藤野さんはこうも人の心情をたやすく察するのだろう。
私の表情は、あまり変わらないはずなのに。さすが住職の息子といったところだろうか。
「いろいろと悩むことがあるんですよ、この季節は…」
窓の向こうを、花びらが流れていく。
「もっと、俺とか日浦さんとか、主任も頼ってもええねんで」
「……そういうわけにも行きませんよ。もう就職して三年目です」
「あのなぁ…。俺は、まだ三年やと思うけど?」
「もう三年です。それに二年ぶりの新採用が入ってくるんでしょう?私が手を煩わせるわけにはいきません」
このところ、主任を始め、もう一人の先輩である日浦さんや居候の幽霊共まで声を揃えてこう言うのだ。独りで抱え込むな、と。
余程私が切羽詰まって見えるのだろう。
残念ながら、私には他人を頼る方法がよくわからない。
何よりも、誰かを頼ることで自分という存在の根幹が崩壊してしまうような気がしていた。それに、私のような扱いづらいのに頼られても困惑するだけだと思う。第一、そうやって誰かに泣きつくのは似合わないだろう。私のように可愛気のない人間には。
「日浦さんは、喜ぶと思うけどなぁ…、その方が」
「勝手にほざいといてくださいよ。それじゃあ、山積みの仕事が待ってますんで、先に行きます」
実際、私は手に余るような大きな仕事を抱えていた。
新年度の秋期展覧会の企画・交渉だ。交渉先は、中国の美術館及び博物館。初めは、語学力を買われての交渉役だったのだが、いつの間にか企画の方にまで回されていた。
高いレベルのことを要求されればされるほど、自分の限界がよく見える。
精一杯やればその分、自分の底の浅さ、能力の無さを痛感した。
確か去年もこんな気分だった。五月病にはまだ一ヶ月以上早いというのに。
陰鬱すぎて自分でも嫌になる。
職場に戻ると、私が所属する美術工芸二課の影の総帥・
「高村くん、ちょっと来てくれるかしら?」
楊貴妃もかくやと思われるような美貌で微笑みかけられたが、私は陶酔感よりも、斧を振りかざした首切り役人に追い回されているかのような恐怖感を覚えていた。
本気で怒っていらっしゃる。
「なっ…、なんでしょうか……?」
先程の憂鬱さなど、跡形もなく吹き飛んでしまった。
やるべきことに追い立てられていると、鬱ぎ込んでいる暇が無くなるというのは、本当のことのようだ。今、私が真っ先にやるべきことは、我が身の保身である。
「これが一体どういうことか、わかるわね……?」
日浦さんが差し出したのは、二課内で共有しているコーヒー豆の袋。
しかし、その中身はすべて小豆に変わっていた。
こんなことをするのは、奴しかいねえ……。
「……藤野め……」
お前、年幾つだ!確か、三十過ぎてただろっ!!
「ということで、協力しなさい」
「か、畏まりましたっ」
こうして藤野さんは、子供染みたつまらない悪戯で、珈琲好きな女王陛下の怒りを買い、その身を滅ぼすこととなった。
その日、閉館後の博物館に藤野さんの「ほんのジョークですやんか」という断末魔の声が響き渡った。
何があろうと、日浦さんを怒らせてはいけない。絶対に。
藤野さんは部屋の隅で真っ白に燃え尽きていたが、私と主任は、(自分達も日浦さんの報復の片棒を担いでおきながら)何も見なかった事にして帰宅の途に着いた。
付け加えておくなら、その晩の夢見が最悪だったことは言うまでもない。
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