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陽平の話をまとめるとこうだ。
東京での根城にしていたアパートで、今朝から解体工事が始まった為、行き場が無いというのだ。
『さすがに、この大都会で野宿ってわけにもいかねえしな』
「……幽霊に、野宿もくそもあるのかよ…」
『そりゃあ、差別ってもんだぜ。秋ちゃん』
それだと、公園で泣いてたウィリアムはどうなるんだ。
少なくとも百年以上野外で泣いてたぞ。
『教方さんもそう思うだろ?』
『俺は特に拘らぬが』
さすが、社だの博物館だの、普通居ない所に居ただけはある。
教方はまったく興味なさそうに言った。
『次のが見つかるまでの間で良いんだ』
陽平はそう言って、拝む真似をして見せたが、日頃仏壇で拝まれなくてはいけないのは、私じゃなくてお前の方だ。
「陽平は構わないんだけど。ウィルのことで当てが外れたというか何というか。冬悟をどうしようかな……」
『あ…』
陽平は、六秒ほど考え込んでいたが、
『よし、俺が説得してやろうじゃねえか。その代わり、俺の居場所も頼むぜ』
といって、胸を張った。
そして、冬悟の帰宅を待つ事、数時間。
「遅い」
時計を睨み付けながら呟いた一言は、自分でも吃驚するくらい声が低かった。
『秋殿……』
ウィリアムが、瞳を潤ませながら、声を詰まらせた。
「泣くな、それから謝るな」
『でも……』
「あんたに怒ってるんじゃないから、気にするなって言ってんの」
飯時には帰ってくると思っていたのだが、冬悟はいつまで経っても戻ってこない。
赤信号も待っていられないくらいの“いらち”である私の我慢の限界は、とっくにきていた。こうなると、一事が万事、腹立たしくてならない性分である。
ちなみに、“いらち”とは、関西方言で「極度に気が短い人」を意味している。
『短気は損気って、いうじゃねえか。ちっとは落ち着きな』
と、陽平が言う。
私は、そちらをぎっと睨み付けた。
『うっ………、俺が悪かった…』
理由もないのに、陽平が謝った。ウィリアムの病が感染したらしい。
ソファに座ったまま教方が言った。
『秋、頭の上で湯が沸かせるのではないか……?』
「誰が、瞬間湯沸かし器だ!」
『……そう呼ばれているのか?』
「ああ、そうだよ!物心付いて以来「あんた、瞬間湯沸かし器みたいやなぁ」と言われ続けて二十数年。くそっ、腹立つ!」
『秋ちゃん、落ち着きな』
『駄目です、秋殿っ。暴力はいけません!』
ウィリアムも陽平も大慌てだが、教方は平然とした様子だった。
それが余計に気に入らなかった。
「むかつく!俺は現代のことは何も知りませんみたいな顔しやがって!」
『なりませんっ、秋殿!』
「放せっ、ウィリアム」
それを見ながら陽平が呆然と呟いた。
『「金色夜叉」に続く、日本名作劇場第2弾「松の廊下」……』
『口を慎みくだされ、陽平殿!これ以上、秋殿を怒らせないで下さい!取りあえずその玉杓子から手を離して…』
「非暴力主義のつもりか!?このキリスト教徒がっ」
『違いますよっ』
必死で私を引き留めながら、ウィリアムは声を張り上げた。
『私は、キリスト教徒なんかじゃありませんっ!!』
なんか、さっきより力入ってるよ!
「う、ウィリアム…?」
『私…、私は……っ』
急に声のトーンが弱まり
『神など、存在するわけが……っ』
と、声を詰まらせた。
そして、ウィリアムは、そのまま私の背中で泣きじゃくった。
すっかり毒気を抜かれた私は、小一時間ほど、彼のしたいようにさせていた。
『ウィル………、落ち着いたか?』
『申し訳ありませぬ……。もう、大丈夫です……』
まだ頬を伝う涙を拭いながら、ウィリアムが言った。
『秋殿にも、ご迷惑をおかけ致しました……』
「いや、私が悪かったし……」
まさか『切支丹屋敷跡』に居た西洋人の幽霊が、非キリスト教徒だとは思わなかった。
しかも、キリスト教に対して相当な反感を抱いているらしい。転び伴天連と言うことだろうか?だがそうなると、切支丹屋敷で命を落とした理由がよくわからない。
『いえ、私が、普通ではないだけです……。秋殿が、私をキリスト教徒だと考えるのは、当然の事だと思います。そう、死の直前までは、私だって信じていたのです。ですが……』
「無理に喋らなくて良いからな。聞きたいなら聞くけど……」
私の言葉など耳に入らないらしく、ウィリアムは、すっかり「一人懺悔」に突入していた。部屋の中を鬼火が漂い始めている。
見かねた陽平が声を掛けた。
『折角、この世に留まったんだ。もう少し楽しんだらどうだい?』
『ですが……』
ウィリアムは、俯いて誰の顔も見ようとはしなかった。
『地獄からも閉め出された私に、その様な資格があるでしょうか?』
その考え方自体、キリスト教の考え方ではないかと思う。
そう伝えるとウィリアムは異国の海のように青い目を見開いた。
『……然様でしょうか?』
『素人の俺らにはそう思えるぜ』
「神を否定した者は地獄に堕ちる、って話だろ?」
『捨てたつもりでも……、根強いものです……』
ウィリアムは弱々しく溜息を吐いた。
『信仰ってのはそんなもんさ』
陽平が言った。
しばらくして、教方がついと立ち上がったかと思うと、玄関の方へ向かった。
そして、閉じられたままの扉に腕を突っ込むと、その向こうから何かの物体を室内に引きずり込んだ。
『うわあああっ!?』
悲鳴を上げながら部屋に引きずり込まれたそれは、物体ではなく、幽体だった。
近頃見慣れてきた光景とはいえ、一瞬どきりとする。
襟首を掴まれ、悪戯小僧とも見紛う有様のその幽体こそ、外国人嫌い(推定)な旗本のお気楽次男坊・青山冬悟。
『いつまでもさような所へ居らず、顔を見せればよいものを』
どうやら教方は、冬悟がこそこそと玄関前に隠れていた事が気に入らなかったらしい。
そのまま力を緩めることなく冬悟を襟首で吊り下げている。
『の、教方殿っ!首が、首しまっ……!』
気管が締まったのか、冬悟の声が突然、聞こえなくなった。
首が絞まって声が途切れる瞬間など、初めて見た。そして聞いた。
すでに肺も気管も存在しない癖に、冬悟の足掻き方は妙に生々しい。
教方は、そんなことには一切気が付いていないらしく、淡々と冬悟を引きずってきた。
相手が冬悟なので窒息で済んでいるが、私なら首がもげているだろう。
『……教……っ………のっ!!………かげ………っ!!』
漸く窒息から逃れた冬悟は、掠れて無声音しかでない声で捲し立てた。
必死で捲し立てているが、何を言っているのか、さっぱりわからない。
『あはははっ、青山の旦那!何喋ってんだかわからねえよ』
教方は首を傾げ、陽平が遠慮無く笑い転げる。
この笑いのツボは、幽霊だからこそなのか。それとも元々悪漢がゆえに歪んでいるのか判断しかねる。
少なくとも、教方にも陽平にも、双方、悪意が無いのは確かだ、だがその分、質が悪い。
冬悟は、二人にさっさと見切りを付け、今度は私に切々と訴えかけてきた。
肩まで掴んで熱弁する姿は、みっともない事この上ない。
何しろ声が聞こえない。
…………段々と哀れになってきた。
「つまりは『教方殿、手加減くらいしてくれ!』と言いたかったんだな?」
助け船を出してやると、冬悟は大きく頭を振って同意した。
『手加減はしたつもりだ』
教方は堂々と言い切った。
笑いすぎた陽平の笑い声は、「ひひひひひ」という奇怪なものに変わっている。
こっちはこっちで、窒息しかけているかもしれない。
こいつら、とっくに息などしていない癖に……。
冬悟が無声音で私に強く訴えかけている。
表情から察するに『あいつら、なんとかしてくれ!』と言っているに違いない。
一方、ウィリアムは信じられないものでも見るように、その光景を見ていた。
余りにも大人しいので、皆、その存在を綺麗さっぱり忘れていたのだが……。
まあ、幽霊など元からあってないような存在なのだから、仕方が無いとも言える。
「ほら、こいつ、全然怖くないだろ」
『………そう…かもしれません』
むしろ面白いと言っても過言ではない。
しかし、ウィリアムには、自分が嫌われているという核心が有るので、居心地悪そうにしている。
陽平は、
『ああ、笑いすぎて死ぬかと思った……』
と言いながら呼吸を整えていた。
『とうに死んでいるではないか』
冬悟はやっと喉が調子を取り戻したらしい。
そこで、陽平が居住まいを改めて、話を切り出した。
『青山の旦那。実は俺らも此処に置いて貰えないかと思ってんだ』
『……片倉は兎も角、俺に毛唐と一緒に住めというのか』
繰り返しておくが、ここの家主は私である。
決定権はお前に無い、と言ってやりたかったが言ったところで無駄である。
分かり切っていたので口をつぐんでいたが、その間も話し合いは難航した。
陽平と冬悟の話は同じ所で堂々巡りしていた。論点は、欧米人は敵か否か・英国人と米国人の別に集中している。
ウィリアムがイギリス人だというのは、この時の陽平と冬悟のやりとりで初めて知った。
「あのさ……」
馬鹿馬鹿しくなって、ついに口を挟もうとしたのだが、陽平に制された。
『心配してくれるのは嬉しいけど、もう少し待ってくれ』
陽平は、私から見ると胡散臭いとしか思えない「爽やかな笑み」を浮かべると、今度は、ウィリアムに話を振った。
『ところで、ウィル。お前さん、何時の生まれだった?』
『ええと…、1618年です…』
『秋ちゃん、和暦だと何年だ?』
「えっ、えっ?元和5年?」
『最初にこっちへ来たのは、秀忠公の治世だったな?』
『はい。……その…実は…、私はまだ幼かったのですが、父に連れられて、生前の台徳院様に、一度だけお目にかかった事が御座います』
『なっ…!』
「大徳院」と聞いて、冬悟の様子が変わった。徳川秀忠の院号である。
『お優しい方でした』
当時を思い出したのか、ウィリアムの表情は明るく、どことなく誇らしそうである。
『…………っ』
対する冬悟は、ぐうの音も出なかった。
さすが徳川。幕府の御威信は、冬悟にとって今も健在らしい。
『英国が平戸の商館から撤退したのが、1623年。それまで、こちらさんは歴とした徳川幕府の商売相手だったわけだ。旦那は、その二代将軍にまでお目通りした商人を、旦那一人の一存で、無下に扱おうって言うのかい?』
そう言って、陽平は冬悟に詰め寄った。
私なら「そんな古い話、私に関係有るか」と言って断るが、幕臣・青山冬悟は、そんなわけにもいかなかったようだ。
同じく武士のはずの教方は、生まれた時代が違うため、まったくあてにならない。
『台徳院とは誰だ?』と教方の顔に書いてある。
冬悟は不承不承ながら承知した。
『ありがとう御座いますっ。William Hardyと申します。どうか、これからよろしくお願い申します。青山様』
ウィリアムは嬉しそうに顔を輝かせ、『青山様』と言われた冬悟は複雑そうな顔をした。
『陽平殿も、お口添えいただきかたじけなく存じます』
『構やしねえよ』
陽平が浮かべていた笑みは、正に仕事に成功した悪党そのものだった。
それを見たウィリアムが即座に怯えたのを、私は見逃さなかった。
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