私が部屋を見渡すと、教方は、台所で自動食器洗い機を稼働させていた。

 何が面白いのか知らないが、蓋が透明なのを良いことに、食器が綺麗になるのをじっと見つめている。これが最近の奴の日課だ。最早、趣味と言っても良い。

 ちなみに、冬悟は洗濯機が好きだ。御陰で、蓋が閉められず、何時まで経っても脱水が行われない。

「教方が、怪我治してくれたんだって?」

『うむ』

「何かお礼しないとな」

『大したことはしていない』

「充分たいしたことです!」

 この神通力、新興宗教の御祭神に納まったっておかしくはない。

 ついでに、新興宗教の御祭神・教方を想像してみたが、驚くほど似合わなかった。

 この鎧兜では、御祭神と言うより……、祟りがm(電波障害)…。

『すまぬ、完全には傷が塞がらなかった』

 教方がしゅんとして言うので、予想外に心が痛んだ。

「腕切断を免れただけで儲けものだって!」

 なんで私、朝っぱらから幽霊の機嫌取ってんだ…?と思いながらも、私は精一杯元気な様子を身振り手振りで強調した。

 幽霊とはいえ、腕の恩人。下手したら出血多量で幽霊の仲間入りを果たしていた可能性もあるのだから、これぐらいしたって良いはずだ。

『そういってくれると有り難いが…』

『高村、電話が鳴っている!』

 朝っぱらから、けたたましい…。

 電話の扱いに慣れない冬悟が、軽くパニックを起こしながら、私を呼びに来た。

 案外肝が小さいぞ。

 今回、鳴ったのは携帯電話の方だ。

『ど、どうすればいいんだ!?』

「こっちの電話は出なくていいって言っただろ。……はい、高村。母さん?」

 実家の母が携帯にかけてくるなんて珍しい。いつもメールで済ませているのに。

「え……?ばあちゃんが家電に繋がらへんって言うてる?嘘や、えっ、うん、見てみるけど……っ!?」」

 電話台の上を見て驚いた。電話線がぶった切れている。

 そしてディスプレイも派手に叩き割られていた。

 こんな巫山戯た真似するのは一人しかいない。

「くそっ、冬悟っ!!テメェ~~~~ッ、やりゃあがったなっ!!!?」

 私は、母と電話が繋がっていることをすっかり忘れて、怒鳴った。

『不可抗力だ、高村っ!』

「やかましい!其処へ直れ!!』

 母に“誰か居るの?”と言われて「畜生、地球なんか1999年に滅びちまえばよかったんだ」と遙か昔の恐怖の大王を呪い、同時にテレビ通話でなかったことだけを神に感謝した。

「ごめん、もう切るわ。それじゃ」

 電話を切って振り向いた私の表情に、冬悟は、血も凍る思いだったと言う。


 やっちまった……。

 今の気分を一言で表現するなら、その言葉がピッタリだ。

 お侍(江戸生まれ)が、私に土下座してやがる……。

 今、この状況に至るまで、私は奴に説教垂れてただけのはずだが、怒りのあまり覚えていないだけで、他にも何かしたのだろうか。

『誠に申し訳ござりませなんだ……』

 言葉使いも何処となくおかしい。

 気持ちが悪いので、説教はこれくらいで勘弁してやった。

 しかも、今回の事件での直接の命の恩人は冬悟なのだから、少し怒りすぎてしまった処は、自分でも反省しようと思う。

 とはいえ、懐へのあまりの打撃に、私は頭を抱えて唸った。

「くっそ、新しいのを買わなあかん!」

 そしたら別のが食いついてきた。

『出掛けるのか?』

 あまり表情には出ていないが、教方は外に憑いて、いや、付いてきたくてならないらしい。

 心なしか目の輝きが違う。

 やはり、秋葉原で買うのが安いだろう、ということで、二人も一緒に連れて行くことにした。流石に、一人で秋葉原へ行くのには抵抗がある。

 ただのお登りさんの偏見かもしれないが、大都会東京の秋葉原に一人で放り出されて迷わずに帰ってこられる自信がない。大阪の心斎橋でさえ、敬遠してきたというのに。

 さらには、上京して二年目になるというのに、同じ理由で、新宿へもまだ一人でいったことがない。 

 目には見えない二人を引き連れて、秋葉原までやって来たのはよかったが、落ち着いて考えてみれば、こいつら二人連れてきても、実質一人と変わらないということに気がついた。

 西国生まれの平安武将と百年以上ブランクのある地元っ子に道案内も相談役も務まるはずがない。

『ここは佐久間河岸のあたりか?』

 私が答えを知っていて当たり前といわんばかりに、冬悟が訊く。

「上方生まれの私に訊くな」

 第一、場所考えろよ。公共の場所、ど真ん中だぞ!

 以降、私は相手をしなかったが、冬悟はずっと一人で喋り続けていた。

 一方、外へ出てから、教方はずっと黙っていた。

 ただし、店舗で電話を選ぶ段になって、口を開いた。

『秋、使い方が前と変わるようなものは避けてくれ』

 案外細かいな、教方。

 そう思ったのが言外に伝わったらしい。

『折角覚えたのだ』

 ぽつりと言った。

 さすが平安生まれ。言わなくても気配で察するらしい。

 それで結局、前の機種の新しい型を購入することにした。

 発売間もない型で予定より値が張った。

 店を出て私は溜息を吐いた。

「禁酒だな……」

 節約するにはそれしかない。しばらくは本も買えないだろう。

『まあ、そう気を落とすな』

と、冬悟が私の背を叩いた。

(お前のせいだ!お前の!!)

 冬悟を怒鳴りつけてやりたかったが、公衆の面前では、そういうわけにもいかなかった。


 帰宅後、電話を設置する。それでも、腹の虫が治まらなかったので、冬悟に念書を書かせてやった。

 ところが、内容を細かく指示しなかったが為に、とんでもない文書が出来上がった。

 昔の言葉遣いなのでしかつめらしく仕上がっていたが、概要はこうだ。

[次に電話を壊したら、見事に切腹して果てます  冬悟]

 アンタ、もう死んでるじゃないか、とひたすら眼光で訴えかける私の無言の抗議を、奴は必死で笑って誤魔化していた。


 夕方、夕食の準備をしながら、テレビをつけると、再放送のドラマが臨時ニュースに切り替わる所だった。アナウンサーが警察署前から中継している。

“今朝未明、昨年末から多発していた通り魔事件の犯人が事件現場付近の交番に自首してきました!”

「……自首?」

 アナウンサーは興奮気味で、その声に被さるようにして、パトカーから下ろされ、警察署内に連行される犯人の映像が映し出された。

『昨晩の男だ!』

 冬悟が叫んだ。

 私たち三人は、ソファに齧り付くようにしてテレビを眺めた。

“犯人は何らかの薬物を常用してきた形跡があり、出頭してきた当初も、若い女の幽霊と、二人の侍の幽霊に殺されかけたと、意味不明なことを叫んでいたそうです。現在も混乱状態にあり、怯えた様子であるとのことです”

「だれが幽霊だ!だれが!」

 怒りに任せて蹴りつけた、ソファーの背が、みしっという音をたてた。

「私まで幽霊扱いか!!」

『落ち着け、秋』

 教方が尚も八つ当たりを続けようとする私を後ろから羽交い締めにした。

「放せ、教方」

『てれびなど怒鳴りつけても仕方があるまい。しかも、あの男は、秋が女子おなごであることを見抜いておったぞ!』

「お前が一番失礼だな!」

 教方の頬に一発平手をお見舞いしてやると、少し気持ちが落ち着いた。

『高村。多少の不名誉は目を瞑れ。事件は解決したんだ』

 にこにこと上機嫌で冬悟が言った。

『これであの男の手にかかって死んだ者も、浮かばれるだろ』

 そう言われて、私は「犯人の寝首をかいておくべきだった」と言いかけた言葉を飲み込んだ。二人がいたから、私は運良く助かっただけなのだ。

「取りあえず、犠牲者の冥福でも祈っとくか」

 三人で黙って手を合わせた。

 幽霊が黙祷を捧げる図。

 笑いたくて堪らなかったが、私と紙一重で亡くなってしまった方のことを思うと、不思議に笑いは引いていった。


 と、其処へ見計らったかのように携帯が鳴った。

 藤野さんからの電話だ。

「……嫌な予感がする」

 そう言いながらも、私は電話に出た。

「はい、高村です……」

“幽霊デビューおめでとう、高村くん”

「ははは……。なんのことやら」

“ニュース見たやろ?犯人の言うてる小柄で若い女と、鎧武者の幽霊と、丁髷結うたお侍の幽霊の組み合わせって、君んとこしかないやんか…”

「………説教の押し売りはお断りです」

“阿呆、心配したってんねやろ”

「はいはい」

“怪我なんかしてへんやろうな?”

「元気です。なんか、藤野さん、最近そんなんばっかり言うてません?」

“君が心配さすからや。それにしても、よう助かったな”

「冬悟たちの御陰で。怪我もしてたんですけど、教方に治してもらいました」

“そうか、お礼言うときや”

「そうします」

 電話をきってから、気が付いた。

 昨日は、冬悟が最初に助けてくれたのだが、どうして奴は其処にいたのだろう。

 一人で考えてもわからないものは、訊いた方が早い。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 冬悟の返答は意外なものだった。

『若い女ばかり狙った殺しが続いていると、この前テレビで見たのだ。町方も存在して居らぬようだし、代わりに見回りをしていた』

 意外だ…と言わんばかりの視線を向けると、冬悟は苦笑しながら言った。

『俺の生まれたところだ。俺が守らなくてどうする』

 素直に、見直したと言えばよかったのだろうが。

 口が裂けてもそんなことが言えない私は、テレビのリモコンを弄びながら、代わりに違う言葉を口にした。

「………昨日の、礼は言わないからな」

『まあ、宿賃だと思って取っておけ』

 冬悟は今度はにやにやと笑っていた。

 照れを見透かされたようで心底腹が立つ。

 亀の甲より年の功。

 死んでいるとはいえ、150年以上先に生まれた冬悟には、一枚上を取られてしまうようだった。


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