「やっぱり帰りに藤野さんの所へ寄って、青山を引き取って貰えばよかった……」

 私は職場の先輩であり、寺の住職の息子であり、霊感があるという藤野太一の顔を思い浮かべた。

 ただし「藤野さんが引き取る」=「成仏させる」という意味である。実際に成仏させる力があるのかどうかは知らないが。

 さて、事前に電話を入れて、これまでの経緯を散々説明したにも拘わらず、我が家の居候・藤原教方(平安生まれ)は、やってきた新参者と顔を付き合わせたきり、珍妙なものでも見遣るように、押し黙ってしまった。

 そりゃあ、丁髷結った人間なんかに突然遭遇したら、驚きもするだろう。

 青山は青山で面食らっていた。

 大鎧を着込んだ平安武将と、上野で死んだ彰義隊隊士のいるリビング。

 映画や漫画でもなかなかお目にかかることのない光景である。

「勘弁してや……」

 周囲に思い沈黙が満ちていた。

 死人達は、互いに相手の動向を探り合いつつ、一言も発しない。

 斬り合いなんか始めるんじゃないだろうな、との危惧が私の頭を過ぎった。

 つまりそうすると、家が刀傷でズタズタになる。

 とはいえ、双方、実際の刀を携えているわけではないので、要するにポルターガイスト現象的なことが起こって、家や家財がズタズタになるわけだ。

 先手必勝。先に横やりを入れて、この緊張を崩すしか道はない。

「なんか言えや!お前らッ!!」

 よくよく考えてみれば、私も恐ろしい真似をしたものである。

 仮にも武士の、一体如何なる事で「恥」だの「面目」だの言って、刀振り回しかねない、殺人の専門家二人の後ろ頭を同時に平手で張っ倒したのだ。

 奴らは恨めしそうな顔で私を見た。

 ただでさえ、何時までも現世を彷徨い続けているのだから、それはもう、普通の何倍も恨めしかろう。

 恨めしげな顔をふたつ見合わせて、幽霊たちは言葉を交わしはじめた。

『高村はいつもこんな調子か?』

『その通りだ。しかし、おかげで退屈はせぬ』

『それはそうだ』

 急に和やかな談笑ムードを醸し出す。

 私の素行と性格を出汁に、幽霊達は、時空の壁を越えて親交を深めていた。

 教方が言った。

『それで、秋。この客人は?』

「なんでも、今度からここに住み着くそうで……」

 青山は、快活な笑みを浮かべて、名乗った。

『青山冬悟と申す。しばらく、ここで高村の厄介になるつもりだ』

『藤原教方だ』

『いつ頃のお生まれか?』

 青山は教方の鎧を気にしているようだった。彼の時代の物とは、余程違うのだろう。

『平治元年』

『……へいじ…?』

 彼の生きていた時代とは、余りに懸け離れすぎて、すぐにはぴんとこなかったらしい。

「源平の合戦の頃」

『それでは、先達ではないか。藤原殿、とお呼びしても構わぬだろうか?』

『教方で構わぬ』

 よほど名字が気に入らないのだな……。

 教方は、ここでも名字で呼ばれることを拒んだ。

『では、教方殿。俺のことも冬悟と呼んでくれ』

『わかった』

 奴らはもう打ち解けたらしい。

 そして青山は、私とも打ち解けることに決めたらしい。

『高村も、名前で呼んでくれ』

「私も!?」

『ああ、教方殿だけ、ずるいからな。別に、若様でも構わぬぞ』

「若様だって?御免だね」

 結局、私は奴のことを「冬悟」と名前で呼ぶことにしたのだが、冬悟本人は、私を名字でしか呼ばなかった。

 何でも、昔飼っていた犬の渾名と同じなのだそうだ。

『利発な柴犬でな、秋五郎という名前だった。俺はよく、秋と呼んで可愛がっていたものだが、犬と一緒にされたくはなかろう?』

「当たり前だろ」

 むしろ今、犬の立場にあるのはアンタの方だ。

 そう言ってやりたかったが、ここはぐっと我慢した。


 幽霊どもを引き合わせ終えた私は、旅の汗でも流そうかと、風呂へ入る準備をした。

 脱衣所へ入ろうとした時、後からやってきた教方が、物理的に私を引き止めた。

 金縛りかと思うほど、急に身動きの一切を封じられ、心臓がドキドキと脈打った。

「黙って服の裾をひっつかむのはやめてもらえませんかね?心臓に悪い!」

 今日は襟首を捕まれたので、若干、首も絞まっている。

『ああ、すまぬな』

 教方はさして悪怯れた様子もなく答えた。

 アンタには、心臓なんかとうにないだろうが、私のは現役で稼働中だ。ただでさえ気配が薄いのだから本気でやめてもらわないと困る。

 何せ、奴は力が強いため、私は体が急に、頑として動かなくなるのである。これは本気で恐い。

 第一、教方が原因だと気が付くまでに時間がかかる。つい最近まで、霊感零だったせいで、頭の回転が追い付いてくれないのだ。

 教方が幾分、声を潜めて切り出した。

『冬悟のことなのだが、あの者は、何時の頃の生まれだ?』

 本人に聞け、と思ったが、どうやらそうも行かないようだ。

『俺は、あの様に奇怪な風体を見たことがない。冬悟のみが、あの様な格好を好んでしているのか、それとも世間が皆、そのような格好で暮らしていたのか、判じかねる』

 それは、面と向かって、「お前の格好、変」と言われるようなものだ。

 さすがに、冬悟が可哀相になって、私が答えてやった。

 自分も兜を身につけているだけあって「戦の時に、頭が蒸れて困るから、習慣的に額から頭頂部にかけて剃り落としていたのが日常的な風習になったのだ」と教えてやると、教方は、感性的には納得出来ないようだったが、辛うじて合点がいったらしい。

「……って言うか、今の今まで現世に留まっていて、見たこと無かったの?」

『足利が治め始めた頃までは、「友成」が人手を流れ渡っていたが、その後は、「友成」が社に祀られてしまったからな。世話をしていた神主の姿しか見たことがない』

 神主の装束など、何時の時代でも、そう変わるものでもないから、仕方がないのかもしれない。

 確かに、当博物館所蔵の「友成」は、とある地方の神社から寄贈された物なのだが……。

「何で急に祀られ始めたんですか…?」

 そう言いながらも、大体の察しはついている。

『悪さが過ぎた』

「さらっと言うなよ…、さらっと…」

 これまで、折に触れて聞き出してきた話を繋ぎ合わせて考えると、教方は、どうやら当初、怨霊として祟りを成していたようなのだ。

 幽霊の記憶は割と断片的だが、それでもこの怨霊説は、揺るぎないものである。

『あの頃は、俺の刀も「血染めの友成」と呼ばれていたな』

「全くの妖刀扱いじゃないか……!」

 要するに、怨霊の荒ぶる魂を鎮める為に、「友成」は神社に奉納されたのである。

 それで、怨霊云々に拘っていたのか!

『………秋?』

「あんたも、丸くなったんだな……」

 見事に、荒魂から和魂になったものだ……。

『そうか』

「そうだよ……」

 時の流れとは素晴らしいな、と実感した、冬の夕暮れだった。


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