第二景 志は死さず


 硝子戸の向こうの寒椿が昨年と寸分違わず咲いていて、少し淋しく思った。

 時が経つのはなんと早いことだろうか。

 昨年の秋、大叔父が亡くなってからもう四ヶ月も経つのだ。

 大叔父の家は、大叔父がたった一人いないというだけで、急にがらんとしてしまったように感じた。

 私が地元を出て東京の博物館に就職できたのも、曰く付きの瑕疵物件とはいえど広いマンションの一室を借りることができたのも、この調布に住んでいる大叔父の力添えあってのことだった。

 今日は、大叔母に呼ばれてきた。形見わけをしたいのだという。

 だから今日は、居候の幽霊・藤原教方を家に残して来た。

 私は、亡くなった大叔父が大好きだった。

 大叔父は、声が大きくて、体も大きくて、豪快な人だった。頭髪は完全に剃り落としてしまっていて、見るからに見た目が怖い。けれど子供が好きで愉快な人だった。

 子供のいない大叔父夫婦は、私や兄弟が泊まりがけで遊びに行くのを、何時だって快く迎えてくれた。

 でも、私たちを出迎えてくれた豪快な笑い声は、もう二度と聞くことが出来ない。

 私は、昨年末、突然幽霊が見えるようになった。

 とは言っても、教方という特定の霊しか見えない。今日、此処へ来ることになって、ほんの僅かだけれど、もしかしてまた大叔父に会えるのではないかと期待していた。

 ところがやはり大叔父の姿はどこにも見つけられなかった。

 世の中、そんなに自分の思い通り行くわけがない。

 それでも、一層募るさびしさを抑えることができなかった。

 

 さみしさが満ちている静かな和室で、私は、大叔母から一振りの刀を受け取った。

 ずっしりと重い鉄の塊が、私の手の上に乗っている。

「おっちゃんがね、死ぬ前に、秋坊にやるって」

 目を丸くして黙りこくったままの私に、大叔母が言った。

「受け取ったって」

 形見わけとは聞いていた。

「で、でも…」

 しかし、こんな大変な物を貰うとは、まさか思ってもみなかった。

「私には手入れの方法もわからへんし。秋ちゃんやったら専門家やから、その方がええと思うんよ」

 こうして、その刀は私の物になった。

 目釘を抜き、束を外すと「備前国長船長義」となっていた。

 思わす手が震えた。

 鑑定書も付いている。こしらえ自体は、流行や材質から見て江戸末期のようだ。

 なかご磨上すりあげられた痕跡があり、後世になって太刀を打刀に仕立て直している。

 拵えから思い出すに、以前、私が小学生の頃、一度見せて貰ったことのある刀だった。

 その時、私がたった一言「格好いい」と、小学生がなんの考えも無しに口走ったその言葉を、大叔父は覚えてくれていたのだろう。

「おっちゃん……。大事にするから」

と、私は、大叔父の仏前で深々と頭を下げた。


 その日は、昔そうしたように大叔父の家の離れに泊めて貰った。

 藺草いぐさの懐かしい匂いがする。

 月明かりが差し込む和室で、私は寝返りをうった。

 廊下で、着物の裾が擦れるような衣擦れの音がした。

「おっちゃん……?」

 私は、大叔父がいつも和服を着ていた事を思い出し、布団から跳ね起きた。

 障子を開け放ってみたが、人影はない。

 月の光だけが、硝子戸の向こうから、しんしんと降り注いでいた。

 それまで気にもとめなかった寒さが急に身に染みて、障子をしめる。

 振り替えると、部屋の中に二つの影がのびているのが目に入った。

 ひとつは言うまでもなく私の影。

 そして、さらにもう一つ、誰かの影。 

 いやな予感がする。この影の主は、きっと大叔父ではない。

 バネでも入ったかのように軋む首筋を動かしてそちらを向く。

 案の定、そこには見知らぬ男が座っていた。

 時代劇通りに、ちょんまげを結った身なりのいい侍である。

 月明かりが男の顔を照らした。

 年若い、もしかすると私よりまだ若いくらいの青年だった。

『お前が、この度の刀の持ち主か?』

 上から物を言うような、そんな響きがあった。

「刀?」

 こいつも、教方の同類か…?

『そこにある刀だ。お前の物になったのだろう。あれはもともと俺の刀だ。生半可な者にはやりたくない』

 侍は、横柄そうに脚を崩して、胡座をかいた。

『俺の気に入るような奴なら、持ち主として認めてやる』

「この野郎……、偉そうに……」

『なんだ、お前。俺が怖くないのか』

「怖い?まさか」

 こんなもの、私がしたかった心霊体験とまるで違う。

 もっとこう、湿っぽくて薄暗い、ぞっとするような恐怖体験がしたかったのに。

「あ~あ、もう面倒くさい」

と、私は布団に入り直した。

『おい、待て!寝るな!』

「なんで形見分けしてもらった日の夜にこんな珍妙な遣り取りを……」

 どうせなら亡くなった大叔父と最期の別れ、みたいな事があっても良いのではないかと思う。

『俺との話を珍妙にしている要因はお前にあると思うぞ』

 そう言いながら、布団をめくろうとしてくる侍の手を、私はしたたかに打った。

『まあ、いい。気に入った!肝が据わっているのは間違いがない。幽霊の、いや、俺の手をこんなに強く打ったのは、つまみ食いを叱る時の母上以来だ』

 侍はにこにこと笑った。

 こいつ、幽霊のくせに顔色も良いし表情も豊かだ。

『あれは、俺が死ぬ時に最期まで握っていた刀だ。大事にしてやってくれ』

「最期まで?」

『俺は彰義隊隊士、青山冬悟あおやまとうごだ。上野の戦で訛り玉に当たって死んだ。お前の名は?』

 彰義隊か。要するに、旗本だか、直参だかの子息と言うことだ。偉そうな態度もうなずける。

 そして上野戦争で戦死したらしい。

「私は高村秋」

『よし、高村!これからしばらくお前の所に寄せて貰うぞ。俺はもう少しお前と話がしてみたい』 

 私と話……?

「お断りだ!」

『何っ!?』

「ただでさえ一人居着いてやがるのに、これ以上増えてたまるか」

 青山は不思議そうに言った。

『すでに一人、居るのか?』

 青山は人懐っこく笑った。

『慣れているのなら、幽霊が一人くらい増えようと、何も問題ないではないか』

 先程の遣り取りからもわかるように、奴は強引だ。

 それなりの身分に生まれ、己の思うまま生きてきて、死んだ後もその調子でいるらしい。

「くそっ、このボンボンめ!」

 私は臍を噛んだが、青山冬悟はどこ吹く風。

 こうして、我が家の居候が一人増えた。

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