ポケットの中で、携帯電話がけたたましく鳴り始める。

「はいっ、こちら高村っ!」

“無事か!?生きてるか!?”

「ったりまえです。そっちこそ、無事なんでしょうね!?」

“大丈夫や。今どうなってんねん?”

「外に出ました!真昼の大公園を空中浮遊ですよ!」

 まだ誰とも遭遇していないのが救いだ。

“連中、君らの後、追いかけて行ったんや”

 教方の肩越しに確認しても、私には何もわからない。

『追ってはきているが…、俺に任せておけ』


 教方は、神社の境内まで来ると、鳥居の手前で私を降ろした。

 私を己の背後に立たせて、自分は刀を鞘から払う。

 鍔鳴りが聞こえた。

『秋は鳥居の向こうで待て』

 言われるままに、私は後ろへと下がった。

 丁度、私の身体が鳥居をくぐり抜けた時だった。教方と対峙している五人の男の姿が、突然、見えるようになった。

 こいつらが私たちを追っていた悪霊だ。

 男達の顔は、靄がかかったようで、認識することが出来ない。髪は乱れて落ち武者に近いような雰囲気を漂わせている。その一方で、彼らは、刀の一本でさえ、持ち合わせていなかった。

 教方の刀が閃き、一人の首を切り落とした。

 返す刀で二人目の胴を薙ぐ。

 刃が、胴を抜ける時に生じた一瞬の隙に、先程落ちたばかりの首が、宙を舞い、教方の肩口に食らいついた。

「教方っ!!」

 鋼の板を連ねてできているはずの大袖が、へし曲がっている。

 教方は片方の手で、生首を引きはがした。

 そして、刀の切っ先で、その頭を二つに割る。

 頭は、石畳を滑って、鳥居のすぐ近くにまで転がった。

 その間にも、別の悪霊が脛当てのすぐ上、袴が露出している部分に長い爪を突き立てた。

 今度は、胴ばかりになった男が、這いずり回るようにして動き始めた。

 先ほど二つに斬られた頭はゆっくりと再生をはじめる。

 目の前の悪夢のような光景に、私の背を悪寒が駆け抜けた。

 何も出来ないことが歯痒かった。気付いたら、手の感覚が痺れてなくなるくらいに、拳を固めていた。

 直視することが出来なくなって、顔を背ける。

 すると視界の端に、一本の桃の木が見えた。桃の木は、風にやられたのか、何かにぶつけられたのか、直径が三~四㎝は有りそうな枝が折れ、皮一枚で幹から下がっていた。

 私は、樹皮を引きちぎると、枝を正眼に構えた。長さは手頃だ。

 あとは、桃が邪気を払うという風説が、真か否かに懸かっている。

 確か、伊邪那岐命が泉津醜女から逃れる時に、投げたのは桃の櫛のはずだ。

 呼吸を整えると、私は修羅道のような、その世界に踏み込んだ。

 再生したばかりの生首に、桃の枝を振り下ろす。

 手応えを感じた、と思う間もなく、男の首は、地面に溶け込むようにして消え失せた。

『………!?』

 私の動きを気取ったのだろう。教方が、一瞬こちらを振り返った。

 それに乗じて、一体の悪霊が鎧の隙間を狙って爪を伸ばした。教方は、その霊の頭を刀の柄で叩きつぶした。頭を失った身体は、そのまま後ろへひっくり返る。

 生じた隙を突くように、また別の一体が大きく口を開けた。胴だけになった男に脚を捕られて、教方の反応が間に合わない。

 私は駆け出すと、教方の腕に噛み付こうとしたその口に、一撃を叩き込んだ。

 紙一重で間に合ったことに、安堵を覚える暇もなく、私は身を返した。

 幸運なことに、今はまだ、連中の姿が見える。

 今度は、教方の脚にしがみつく悪霊めがけて、桃の枝を振り下ろした。

『秋っ、頭を下げろ!』

 身を屈めたのとほぼ同時に、刀が、私の頭のすぐ上を掠めていった。

 がちり、という何とも収まりの悪い音がして振り返ると、教方の刀を、悪霊が歯で銜えて、受け止めていた。

 薄気味の悪い横っ面を、桃の枝で殴りつける。これで四人。

 残り、一人。

 しかし、その一人の姿がどこにも見えなかった。

「………っ!?」

『何をしているっ!』

 教方が私の肩を掴んで、後ろへと引いた。

 私が居た辺りの砂利が弾け飛び、飛礫を作った。

『其方、見えておらぬのか…?』

「最後の一人で……、また見えなくなった」

 膝が今にも笑い出しそうなくらいに怖い。

『手を借りるぞ』

 言いながら、教方は、私の腕を取った。手首を掴んで、正面へ向けて構えさせる。

 暫しの間をおいて、教方は私の手を握ったまま、袈裟懸けに枝を振り下ろした。

 硬い手応えがあって、手に鈍い痛みが走る。

 悪霊の断末魔が嵐のように吹き荒れる。

 すっかり気が抜けてしまった私は、呆然とその場に立ちつくしていた。


『秋、無事でいるな?』

「一応は……。教方こそ怪我は?」

『俺が怪我などするわけが無かろう?すでに死んでいるのだからな』

 教方は笑みを浮かべた。

「わかってるけど、心配したくなるのが人情だろ」

 それにしても、運動神経のない私にしてはよく頑張った。

「あ~あ、折角の大袖がこんなに折れ曲がって…」

 もったいない……。

『残念そうだな』

「ああ、至極残念だ!……持ち主のアンタはどうなんだよ?」

『仕方のないことだ』

と笑いながら、教方は、刀の歪みを確認して、鞘へと収めた。

『それに、放っておけばその内もとに戻る』

 私は手持ち無沙汰で桃の枝を上下に振った。ひゅん、ひゅんと風を切る、小気味の良い音がする。

『………その枝、よく見つけたな』

「これ?ただの偶然」

『その御陰で助かった』

「そうか?」

『そうだ』

「感謝しなさい」

『感謝している』


 その時、再び携帯電話が着信を告げた。

「藤野さんからだ」

 電話に出るなり、叱りつけられた。

“何しとったんや!ケータイつながらへんし、心配したやろが!”

「そんな大声出さんでも聞こえてますっ」

 微かな耳鳴りがしていた。

“何かあったんとちがうんか!?“

「あるにはあったんですが、万事、上手く片付きました」

“片付いた!?”

 電話越しでも、驚いている藤野さんの顔が、目に浮かぶようだ。

 私はこれまでの経緯を説明した。

“…そうか、それならええけどな…、具合はどうや?気分悪ないやろな?”

「平気です」

“……ホンマかぁ?……まあ、ええわ。迎えに行くさかい、昼飯でも食いに行こか”

「割り勘ならお断りです」

“アホか、可愛い後輩の無事を祝って奢ったるって言うてんねん!……今、どこや?”

「まだ、神社の前ですよ」

 そう言いながら、私は腕時計に目をやった。

 十分もしない内に、血相を変えた藤野さんが到着するだろう。

 そして、今日という日は、まだまだ長いようだった。


 博物館の食堂で食事を済ませ、いつもの事務室へ帰る前に、藤野さんは私たちを祓い清めてくれた。

 不思議なことに、疲弊で重かった体が嘘のように軽くなった。禊ぎだとか清めだとかいうのも、なかなか侮れないものだ。

 結局、その日は通常業務が出来ないまま終わったのだが、始終、警察への協力や臨時休館の告知、展示室の掃除、新聞の取材などの事務処理に忙しかった。

「お疲れサマ」

「お疲れ様でした」

 いつもは颯爽としている日浦さんまで、今日は心なしか、ぐったりしている。

 私たちは、行きつけの居酒屋で、一日の終わりという小さな幸せを噛みしめていた。

 三人しかいないのにグラスが一つ多いのは、教方の分である。

 事情を知らない日浦さんは、この陰膳に気づいて首を傾げていた。


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