教方と同居を始めて、はや一週間。

 未だに教方以外の霊を見たことがない。

 藤野さんは、偶に「そこ居る」とか「今、通った」とか教えてくれるが、私には見えた試しがない。

 しかし家に帰ると、教方だけは見紛いようもなく、くっきり見える。

 教方は、あの「友成」の持ち主であったというだけあって、平安時代後期頃の人物のようである。これは鎧の様式から言っても間違いないだろう。しかも、若くして死んでいる。保元・平治の乱から、源平の争乱期に戦死、又は病死したのではないかと私は見ている。

 出会った当初は、幽霊の癖に口数の多い奴だと思っていたのだが、最近、わりと寡黙で口下手な性格が判明した。

 初めこそ、私が留守の間に書棚の本や日用品を漁ったりして暇を潰していたものの、すでに飽きがきたらしい。何処へでも憑いて来たがるようになった。

 何処へでもと言ったって、職場と家の往復になってしまうのだが。

 その上、困ったことに教方は、昼でも姿を現せるのである。もちろん、ほとんどの人には彼の姿は見えないし、触ることも出来ないらしい。

 このことに関して、見えてしまう私には一切検証出来ないので、どうしても不安が拭い去れない。

 結局は、藤野さんと相談した上で、憑れて歩くことにした。

「……落ち着かん」

「そら、しっかりぴったり後ろに居るさかいな」

「何か喋ってくれれば、いいんですけどねえ……」

『一人で喋っていると思われるのは、秋ではないか』

「仰る通りで……」

 今日から、教方も私と一緒に出勤していた。

 こうも後ろにくっ憑いてこられるのはうざったいような、雛鳥にでも懐かれたようで嬉しいような複雑な心境である。

「今日は、定刻で帰れなさそうやな……、お互い」

「年始から新しい企画展なんて、ホントやめて欲しい……」

「年末もぎりぎりまで、別企画有るし……」

「予算はケチりよるし……」

「経営苦しいから、集客に必死なんはわかるけど。……せや、ここんとこ通り魔とか、痴漢とかで物騒らしいから、帰り気ィつけよ?」

「大丈夫ですって」

「高村くん、小さいからなあ」

「五月蠅い」

 無駄口を叩いていたせいか、集中力に欠けていたからか、帰りは思っていたよりも遅くなった。

 しかも終電に乗って寝過ごしてしまった所為で、一駅歩いて帰る羽目になった。

 教方に何で起こしてくれなかったのかと文句を言っても仕方がない。奴が電車に乗るのは、今日が初めてだったのだ。

 いつもは単車で通勤していたことも手伝って、情けなさも一入に感じる。

 はやく修理から帰ってこい……。

『そう落ち込むな』

 幽霊に慰められ、冬の星空に慰められて、私は夜道をとぼとぼ歩いていた。

 曲がり角を曲がった時、ふとコンビニの灯りが目にとまる。

 私は携帯電話で話している振りをしながら呟いた。

「教方、豚まんでも食べようか……」

『豚まん?』

「肉、駄目なんだっけ?」

『そのようなことはない』

「近くに公園もあるし。そうしよう」

 私は教方を連れ、豚まんとワンカップの日本酒を片手に、公園へ立ち寄った。

 幽霊は何も食べないように思いがちだが、施餓鬼や盂蘭盆会など、死者に供物を捧げる行事があることからわかるように、ちゃんと物を喰うのである。

 ベンチの上に清潔なハンカチを敷いて、その上に教方の分の豚まんを置いてやった。

 私が食べるのを見て、教方も口を付けた。

 私の目には、随分もぐもぐ口を動かしているように見えるのだが、実際欠けているのは、三口ほどである。酒にしても、一見すべて飲み干したように見えて、一口ほどしか減っていない。

『もう食えぬ』

 教方が、豚まんをハンカチの上に返した。

 それで十分腹が一杯になるらしい。

『美味だった』

 様子から察するに、気に入ったようだ。

「教方って、割と食の細い方?」

『大食いだと言われる方が多かったな』

 そうすると、あれだけの量でも、霊にしてはよく食べた方なんだな。

 まあ、ちゃんと食ってないと、そんな大鎧来ていられないか。

 私の分と教方の食べ残し、飲み残しを片付け、ベンチから立ち上がった。

 その時だった。

『待て』

 教方がまるで背後に庇うかのように、私の前に立った。

『俺から離れぬ方がいい』

 教方は暗い公園の闇をじっと見つめていた。しかし、私には何も見えない。

 ただ、誰かがこちらを執拗に窺っているような嫌な気配が漂っていた。

 砂利を踏む何者かの足音だけが聞こえる。

 足音が近づいてきて、止まった。

『何用だ』

 教方が問う。

 返事の代わりに、獣の咆哮のような叫びが聞こえた。

 これまで体験したことがない種類の恐怖が湧いてきて、足がすくんだ。

 教方が姿の見えない何かと対峙している。

 地面が震えるような叫びが、ずっと続いている。

 振動が体を伝い上って、指先まで痺れるようである。

 鎧が物々しい音をたて、教方が太刀に手を掛けた。

 木立が吹きつける北風に唸りをあげた。

『立ち去れ、この者の首は渡さぬぞ』

 風が哭いているのか、得体のしれない存在が吠えているのか。

 轟々と音が渦巻いて平衡感覚が狂わされる。

 気が遠くなって、その場に膝をついた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 その間、何がどうなったのかも覚えていない。

 急に、ふわりと体が軽くなった。

『秋、大事ないか?』

 平気だと返そうとしたのに、唇が動くだけで声が出なかった。

 物の怪の瘴気に当てられるとは、きっとこのような状態を言うのだ。

『……無理をせずともよい』

 籠手を纏った手で、私の背中をさすってくれた。ずっしりと重い腕に、安心を覚えた。

 ようやく私が落ち着いた頃には、体はすっかり冷え切っていた。

「何だ…、今の…?」

『怨霊だ。其方の命を狙っていた』

 私は教方の手を借りて立ち上がった。

「……私の?」

『恐らく俺の所為だ』

 そうは言っても、これまでの生活の中では余計に思い当たる節がなかった。

『帰るぞ』

 教方は知り合ってからこれまで見たことがないくらい険しい表情をしていた。

 翌日、私は熱を出して仕事を休んだ。

 それは一日だけでぴたりと治まったが、次の朝も身体ががたがたで、立ち上がることさえ出来なかった。

 熱に倒れてから三日目。私はいつもより遅く出勤した。

 職員入り口の脇の駐車場に、パトカーが二台止まっていた。

「高村さん?」

「あっ、芦原さん。何かあったんですかっ?」

 ひょっとして、泥棒とか、泥棒とか、泥棒とか!

「それが、展示室のガラスが数枚割られていましてね……。幸い展示品に被害はないようですが……、面目ないです」

「おはよう。高村くん、遅刻?」

「日浦さん!す、すいません。主任には連絡済みですが、以後気を付けます」

 病み上がりでぐうたらしていた背筋を、反射的に引き延ばした。

「あまり無理しないようにね。盗難品はないみたいだから、安心して」

「不幸中の幸いでしたね……」

「まあね。盗難はなかったんだけど、困ったことに犯人が防犯カメラに映ってないの。一体どうしたものかしら」

 日浦さんは、物憂げに黒髪を掻き上げた。

「なんだか知らないけど、このことで藤野くんが腐ってるの。鬱陶しくて堪らないから、根性叩き直してきて頂戴」

「……了解しました」 

 藤野さんが腐ってる、ねえ……。想像も付かない。

 嫌々引き受けましたと顔に書いてあるだろう私を、日浦さんが引き留めた。

「それから。今日、この鬱憤をぶちまけに飲みに行くわよ。藤野くんにも伝えといて」

「合点です!」

 途端にやる気を出した私の背後で、日浦さんが微かに笑ったような気がした。


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