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 来た……。

ついに来てしまった。職場に……。

 昨夜は結局、幽霊の再襲撃を警戒し、あまり眠れなかった。

 そして通勤途中に気づいたのだ。むしろ職場で再会する可能性の方が高いのではないかということに。

「おはようございます……」

「どうした?元気ないな?」

 いくら上司である主任学芸員が心配してくれても、まさかお化けのせいですとは言い難い。

「ホームシックです……」

と無理やり言い訳をした。

そこに、厄介な人物が食いついた。

「せやんなぁ。関西が恋しいよなぁ。俺も上京仕立てはそうやったなぁ」

「げっ、藤野さんっ!?ぐえっ」

 細くてひょろ長い腕が、私の首をロックした。

「元気だしやぁ」

 私の首にチョークスリーパーかけて、笑っているこの阿呆こそが、私の先輩であり、日本画担当学芸員の藤野太一ふじのたいち、三十一才。そして、大阪出身。余所の地域の人が思う大阪人像をを煮凝りにしたような人物だ。

笑いにこだわり、やかましいくらい賑やかで、明るく世話焼きだがお節介で距離が近くデリカシーに欠ける。

「いい加減に離して下さいよ!それに近い!離れてください、アンタ嵩張るんですから」

 なんとか腕を外して、距離を取る。

 ちなみに、私との身長差31cm。細い癖に、やたらデカイ。

 大阪出身の藤野さんは、同じく関西出身の私の世話を何かにつけて焼いてくれるのだが、チョークスリーパーどころか、コブラツイストかけてくることなど、茶飯事である。

 こいつムカツク、というのが私の正直な感想である。故に扱いも軽い。

「な、今度お笑いライブ行こうや。おすすめのライブがあるねん。笑う角には服来るやで」

「結構です」

「冷たい!まるで冷蔵庫のようや」

「誰が冷蔵庫ですか。藤野さんにみたいな歩く冷凍庫に言われたくありませんね」

「寒いって!?ギャグが場を凍らせるほど滑ってるて?ショック……!藤野さん、ショック……、って、でもほら、主任も通りすがの芦原さんも笑うてるで」

 確かに主任も、通りかかった警備員の芦原さんまでも腹を抱えて笑っていた。

「すまん、どうも漫才でも見てるみたいでなァ…」 

 まだ半笑いの状態で主任が言う。

「ただの日常会話ですよ」

と、藤野さんが言う。

 普通の会話の所為で笑い者になる関西人の宿命……。

「はい、ちょっとそこまで。ミーティング始めます」

と、クールな様子を崩さないのは、

油彩画担当の学芸員、日浦夏貴ひうらなつきだ。

 陽の光も恥じらおうかというほどの美人だが、年齢は不詳。私や藤野さんよりも年上なのは確かだ。

「今日は小学生の社会見学が入っているので、私と藤野、高村の三人で解説に付きます。見学は午後一時からですので、忘れず玄関ホールで待機するように。高村はパンフレットをホールに配備しておいてください。以上」

「「お疲れ様でした」」


 で、ついに開館準備の時間である。

 やっぱり、あの部屋にいるのだろうか……。

 奴の居る部屋まで、あと三部屋……、二部屋……。

 あと一部屋……。

 この向こうに……、居るかもしれない……。

 私は深呼吸して巨大な扉に手を掛けた。

 扉を開いて、勝手に閉まらないようロックを下ろす。

 そっと中を覗き込むと、まだ薄暗い展示室内には誰もいなかった。

 やはり、夢か幻だったのだよ、昨日のことは。

 安堵を覚えつつ、灯りを付けようと、室内に手を伸ばそうとしたその時、誰かが私の肩を叩いた。 

「ひっ……!」

「な~に、びびってんの?」

「ふっ、ふ…藤野さん……」

 びびった……。まじで、びびった……。

「何にもおらへんて」

 藤野さんは、扉をこんこんと叩きながら笑った。

 不覚にも私は彼の笑顔を見て安心した。

「い、いませんか?」

「おれへんよ、……今日は」

 私は、藤野の襟元を思いっきり掴み上げた。

「おんどれ、今、小さい声で“今日は”って言うたやろ?」

 どす黒い感情とは正反対に、私は満面の微笑を浮かべた。

「……ひょっとして、高村くん……、昨日……なんか見た?」

「あんた、前に聞いた時、ユーレイなんか見たことないて言うたやんな?」

「………ごめんなさい…。見えます……」

 あっさり前言を翻した藤野を、私は手荒く解放した。

「あ~、びっくりした……。きみ結構、力強いな」

「脱線せんといてくれます?今日はおらへん、ってどういうことですか」

「あ……、その……昨日の帰りしなから、あいつ居らへんねん……。俺、今まで見えへん振りしてきたから、あれやねんけど……」

 ていうか、「あれやねんけど」の「あれ」って、何?

 それに、あんた、何で見えへんふりしてんの?

「かなりキツイ霊やったから、滅多なことで消えたりせえへんやろうし、気になって見に来てん……。そしたら、高村くんの様子がおかしいし……。ここに居った霊見たんか?」

「………聞きたいことは山のようにありますが……。とりあえず、昨日はっきり鎧武者を見ました、ここで」

「……連れて帰らへんかったか?」

 本当に見えるんですね、藤野さん……。まったく、勘のよろしいことで。

「憑いてきました……」

「今、きみの家おるで」

 部屋は部屋でも、私の部屋か!

 「部屋で待ってる」とか言いやがって。

 展示ケースに帰って下さい、とでも返せば良かった。

 藤野さんも「さっき電話あったで 」みたいな調子で「家におる」とか言うなよ。

「あの、真剣に困ってるみたいやけど……、相談乗ろか?」

「……結構です」

 相談するなら、アンタじゃなくて友達にするよ。

「俺、こうみえてお寺の息子やし」

「寺の……!?」

 その時、私の目には、藤野さんに後光が差しているように見えた。


「それで、とにかく変な霊なんですよ」

 少し早めの昼休み。

 私は、珍しく藤野さんと昼食を取っていた。

 机の上には、出前で取ったそれぞれのきつねうどんが並んでいる。

「暇つぶしに話相手なれや、みたいなことを言うんです」

「話相手……なぁ……」

 話し相手を所望する霊。ちっとも怖い要素がない。

「そうなんです。別に、話するのは願ったりなんですけど」

「願ったりなん!?」

「長年の夢でしたもん」

「心霊体験が…?…」

 話に驚いたのか知らないが、さっきから藤野さんの箸が止まっている。

 私は、うどんがのびるのではないかと気になって仕方がない。

 自分の分をさっさと啜り終えてから、私は言った。

「実際体験してみると拍子抜けですよね。刀褒めると喜んだりするし」

 個人的に、霊とはもっと怖いものだと思っていたのだが。

「ちょっと、待って!あの霊、めっちゃ怖いと思うけど!?せやから俺、気ィ付かへんふりしとってんで!」

 藤野さんは、ついに箸を取り落とした。

「だって私が臭いて言うたら、いじけてましたって」

「……自分、すごいな……」

心の底から感心したとでも言うように、藤野は溜め息を絞り出した。

「そうですか?それにしても、なんで見えるようになったんでしょうね?」

「波長が合うたんかなあ。でも、こういうのは急にくるもんやで」

「ほんまですか?」

「ホンマホンマ。俺は小さい時からこんなんやったから、ちゃんと覚えてないけど」

 言うことがいちいちうさんくさいと思いながら尋ねた。

「解決法は……?」

「見ない振り一択」

「今更、手遅れですね」

 もはや霊の方では、完全に相手をしてもらえるつもりで話しかけてくる。

「君、本当に困ってる?」

「困っていますよ」

「具体的には?」

「風呂と着替え」

「は?」

 理解できないと言わんばかりに、藤野は目を見開いた。

「私の性別、認識していますか?」

「えっ、あっ……。ちょっと男にしては背ぇ低すぎるかな、とは思うててん……」

 そう呻いた後、藤野さんは「ごめんなさい!」と言って、額をテーブルに打ち付けた。

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