奇人百景 冥土ノ道先案内

巴屋伝助

第一景 白刃、幽明の境を貫く

 博物館には、やはり古い物が集まってくる。

 美術館なら、現代作家の新しい作品が入ってくることもあるが、特に博物館には古い物ばかり選りすぐられて集まってくるのだ。

 古い、ということは、経歴にそれなりのいわくを持っているということでもある。

 某国立博物館で写真を撮ると、霊が写っている、などという噂が出るのも詮無いことだ。

 私は、高村たかむらしゅう。新米の博物館学芸員である。専門は刀剣。

 閉館後の博物館を見回っていると、誰もいないはずの薄暗がりに誰かの動く気配がする…とか、そういうことはまだ一度もない。

 さあ、早く出てこい!と意気込んで残業したりもするが、霊には未だお目にかかった試しがない。勿論、同僚の方々も見たことがないと言う。

 しかし、私の職場を見学に来てくれた友人は、霊感が強く、私に会うなり薄気味悪そうにこう言ったのだ。

「ここの博物館…、一杯居るよ…。気分が悪くなったりしたら絶対相談して!」

 居るのか居ないのか、出るのか出ないのか。はっきりしろ。

 そんなことを思いながら、今日も閉館後の後始末に追われていた。

 冬は日の入りが早く、この時間でも辺りはすでに真っ暗である。

 次は、刀剣や甲冑が陳列されている部屋だ。

 友人は最も嫌な部屋だと言っていたが、私には宝の部屋のように思える。

 特に、平安期の作である太刀「友成」は、ここの所蔵品の中では群を抜いて美しい。

 この部屋に来る度、開館時間内でもついつい目がいってしまうのだ。

 今日もまた、ふいに「友成」へ視線を遣った。

 すると、甲冑なども陳列してあるだだっ広い展示スペースの硝子の向こうに…。

 やたら背の高い男がへばりついていた。

「誰だ!?お前っ!!」

 指を突きつけてから気が付いた。

 男が、甲冑を着込んでいるということに。

 文化財を盗もうとは、いい度胸だ。このやろう。

 私は、男と睨み合いを続けながら、展示ケースの鍵に一瞬目をやった。

 ……鍵がかかっている…。

「えっ…?」

 男に目を戻すと、奴は私をじっと見すえたまま、するりと硝子を通り抜けた。

「「………………。」」

 私と、鎧武者は約一分間、冷や汗かきながら見つめあった。

「ゆ、幽霊……?」

 尋ねた後、自分でも何とも間抜けだと思ったが、口からでてしまったものは仕方がない。

 幽霊も幽霊で、厳かに勿体ぶって頷いた。

「ゆっ、夢が……叶った………!」

 歓喜に膝から崩れ落ちた私を、些か戸惑った様子の鎧武者が見下ろしている。

 しかし、世界が眩しい。余りにも輝いて見える。

 展示室は真っ暗だが、きっと世界が私を祝福しているに違いない。

 まあ、それは置いておいて。

「……仕事戻るか」

 霊よりも上司の方がうんと怖い。

 私は霊を放置して、あっさり仕事に戻った。

 そのあとはどんな霊も見かけなかったのが、残念といえば残念だった。

 霊感に開眼したのかと思ったのに。


「つ、疲れた……」

 私は、玄関を入るなり倒れ込んだ。

 学芸員の仕事は、はっきり言ってきつい。想像以上に、体力がいるのだ。

 そのうえ、関西から東京へ出てきて一人暮らし。

 精神的にも、肉体的にも、疲れがピークに達している。

 その日、私は風呂へ入って、早々に寝てしまった。

 そして深夜。

 なんだか寝苦しくなって、私は目を覚ました。

 体の右側を下にして眠っていたので、寝返りを打とうと、上を向く。

すると、青白い顔の鎧武者が、私を覗き込んでいた。

 昼間の……いや、夕方の霊だ。

 寝起きの私はかなり機嫌が悪い。そして、この時の思考回路は自分自身でさえよく理解出来ない。

 鬱陶しいな……。

 そう思った瞬間、私はこう口にしていた。

「おまえ、口臭いねん。どけや」

 べつに臭くはなかったが、関西の慣用句と言うものだ。

 まさか幽霊に匂いなどあるまい。奥歯をがたがたいそうと思ったら耳に手を突っ込むのと同じ、慣用句の一種だ。

『臭いとは…』

 幽霊は、ちょっと傷ついたようだった。

 だからといって、ひとの身体の上で落ち込まれても困る。

「それで、あんた誰だ……。何しに来たんだ!取りあえずそこを退け!」

 寝ぼけていたのが、ましになってきたので、徐々に標準語に戻りつつある。イントネーションはまだ、随分訛っているが。

『某は、藤原ふじわら教方のりかた。先程、其方に何者か問いただされた故、答えに来た』

 そういえば、夕方、反射的に「誰だ!?お前っ」とか言ったような気がする。

 それだけのことに反応してきたのか……、こいつ。

 霊に声を掛けちゃいかんと言うが、なるほどこういうことだったんだな、と幽霊を見上げながら、私は状況を整理することにした。

「で、それだけのために来たのか?」

『退屈だったのだ』

「……まさかの退屈しのぎ」

『この七百年ほどの間、声をかけてくれたのは其方だけだ』

「そーか、そうですか。私が遭遇した幽霊もアンタぐらいなもんですよ」

『其方で暇を潰そうかと思うたのだ』

「お断りだ」

『幽鬼と話がしてみたい、と申していたではないか』

「それはもう願ったりですが、取り殺されるのだけは御免ですね」

『俺をそこいらの悪霊と一緒にするな』

 男はふいっと顔を背けた。

 むくれてるのか?

「あの……、お武家さま?」

『俺は、悪霊などではないぞ!』

 ああ、むくれてるよ……。

 そして、私と霊との間に流れる冷たい沈黙。

 極めて異常な状況だ。

『……其方には、俺が見えていると思ったのだが』

「見えているって、見たのは今日が初めてですって」

『しかし……。来る度に、こちらを見ていたではないか』

「見る、とは?」

 何か見ていただろうか?来るたびって、何処だ?

 墓とか、首塚とか、処刑場跡とか……。

「……っ!もしかして、あんた……、友成……」

『…某は友成に宿っておる』

 そりゃあ、貴方が「友成」なら、日々ばっちり見てましたよ………。

「ほ、本当に、友成!?」

『いかにも』

 うっかり、ぽおっとなってしまった。相手は、人の姿をしているというのに…。

 だって、奴は我が永遠の恋人(名刀)「友成」だっていうんだ!

 気付いた時には、私は奴の手をしっかり握っていた。

 幽霊の手を掴んだ、という有り得ない現象さえ認識していなかった。

「ちょっとのた小乱こみだれが入った直刃すぐはで、手元からぐっと反りがきつくなるところと元幅の広いのにこの時代にはめずらしく切っ先が細くなりすぎていないところが好きですっ」

 一世一代の告白に

『わかってくれるか!』

と、霊も私の手をぎゅっと握りかえした。

『俺の生きていた頃は、優美で細いのが良いなどと、大層馬鹿にされたものだが……。無理を言って少し広めに作らせたのだ。其方は、あの刀の良さをわかってくれるのだな』

 え……、あの刀?

『俺はあれで、五人ばかり斬ったが、刃こぼれ一つしないぞ』

 もしかして……。

「友成の、持ち主?」

 霊はうれしそうに頷いた。

 失恋した気分だ……。ただ単に取り憑いてるだけなんだ………。

「お侍さまは、どうして成仏しないんですか?」

『それは……、俺の……業が、深すぎたのであろうな……』

 言いにくいことでもあるらしい。霊は言葉を濁した。

『さっきも名乗ったと思うが、某は、藤原教方。……正確に言えば、武門の出ではないのだ……』

 おっ、その辺なにやら劣等感がありそうだな。

 ふと、時計を見上げると、二時五十分。

「もうそろそろ午前三時がやってくるので、寝かせてもらえませんか?明日、仕事があるので」

『そうか………。では、明日、部屋で待っている』

 勝手に約束をして、鎧武者は姿を消した。

「え?明日も出てくんの?」

 文句を言おうにも、相手が消え去ってしまってはどうすることも出来なかった。

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