第三景 煉獄に彷徨う
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この状況が普通ではないとそれは重々承知しているが、高村秋、当年取って二十五歳、ついに、幽霊の友達ができてしまった。
友達は、名を
向こうが私を『
陽平は、私の仕事先にふらりと現れ、勝手に約束をして帰って行く。
私は仕事を終え、コンビニで安酒を買って、待ち合わせ場所を訪ねる。おおよそが公園か霊園前。そこで二十分に足りないくらいの短い時間、陽平と二人でくだらない話をするのが、最近の私の楽しみになっている。
人に見られたら精神を病んでいると思われても仕方がない有様だ。
しかも、手にはストロング系と言われる缶酎ハイ。だが決して、私はアルコール依存症ではない。たぶん、きっと。
陽平と知り合ったのは、先月、奴が悪霊に喰われかかっていたのを助けてやったのが縁だ。
それから街で見かける度に言葉を交わしてみたところ、なんと好きな作家が同じという意外な共通点が発覚。泉鏡花や幸田露伴などの話で盛り上がっている内に、すっかり意気投合してしまった。私が何時代の人間か、と言うことに関しては不問にしておいてほしい。
ちなみに、陽平は明治生まれである。大正十二年に死んだそうだ。
死因については教えてくれない。
捕らえ所が無いのは彼の職業柄当然のことかも知れないが、そこを除けば、陽平は陽気で物わかりのいい男である。それに、既に死んでいられるので詐欺の標的にされて金をむしり取られる心配もない。
陽平は、持ち前の社交性を発揮して、我が家の居候幽霊のひとり彰義隊隊士・青山冬悟とあっという間に打ち解け、同じく居候で平安武将の藤原教方とも幾度か顔を合わせるうちに馴染んでしまった。挙げ句に、私の職場の先輩で霊感があるくせに幽霊恐怖症というお寺の三男坊・藤野太一まで、あっさり懐柔してしまった。
さすが詐欺師。腐っても詐欺師。死んでも詐欺師。相手の懐に入り込む、実に見事な手腕だ。
陽平は、偶に私の家に訪ねてきては、彼の死後、出版された室生犀星の詩集などを読んで帰っていく。
幽霊という身の上ではあるが、陽平は、廃墟になった何処ぞの空きアパートを根城にしているのだという。
職場では、課のエースであった先輩の日浦夏貴が、意識不明の渋滞で入院中の友人につきそうためしばらく不在にしていたが、そのご友人が驚異的な回復を見せ、一週間ほどで復帰となった。そのため、私の仕事も最近はさほど忙しくない。
そんな状況だったので、つい魔が差した。
今日は節分だ。居候の幽霊連中と節分に興じてみるのも面白いかもしれないとの思いつきを実行してみる事にしたのだ。
中国では幽霊のことを「
来る節分当日。前日から用意しておいた節分豆を楽しみに、私は陽平を伴って家に帰ってきた。
まだ午後七時だというのに、帰り道で空けたストロング缶のおかげで多少酒が入り、私は上機嫌だった。玄関を開けるまでは。
戸を開けた瞬間、怒濤の豆つぶてが私を襲った。
『豆……』
呆然とする陽平。
『今日は早かったな!』
私の目の前に、にこにこと笑う冬悟の姿。
そして、その手に握られた節分豆の升。
常識だの良識だのというものは、豆つぶてに流されて、地平線の彼方へ消し飛んだ。
手加減なしに豆をぶつけられれば、幽霊だろうが鬼だろうが生きている人間だろうが、嫌な思いをするいうことに、私は身をもって気づかされた。
この際、ご近所がどうとか言っている場合ではない。
「こっの、死に損ないがあああっ!!」
脱兎の如く部屋の奥に逃げる冬悟。
よほど慌てたらしく、著しく判断能力が落ちている。
「阿呆が、そっちは行き止まりだっ!」
しかも、狭い室内でそうそう逃げ回れる物でもない。
私は冬悟をあっさり洗面所前に追いつめた。
「観念せいや」
『す、すまん!頼むから落ち着け、高村っ』
私は、冬悟の手から升を奪い取ると、にやりと笑った。
冬悟の後ろ襟を掴み、その隙間から豆をざばーっと流し込む。
『うわああああっ!!』
響き渡る冬悟の断末魔。
『お気の毒様……』
片倉が呟いた。
「自業自得だ。ったく、食われた時にそなえて、別々の所に隠しておいて正解だったよ」
私は文句を言いながら、新しく節分豆の袋を開けた。
『……何かあったのか?』
ふらりと居間に顔を出した教方。
『教方殿!高村が俺の背に豆を!』
「やったのはお前が先だろうが。被害者面をするな!」
最初に豆を被ったのは私と陽平だ。
『旦那、さすがに不意打ちは卑怯だぜ」
この小競り合いに巻き込まれるのは得策でないと判断したらしい。
『秋、夕餉はどうするつもりだ?』
教方は話を逸らした。
「巻き寿司でも作ろうかと思ってるけど」
干瓢と高野豆腐は昨日の内から炊いてあるし、すしご飯も早起きして作ってあるから、準備は万端に整っている。
『巻き寿司か。悪くないな』
袖に入った豆を払いながら、冬悟が言った。
冬悟が動く度に、豆が床に落ちて乾いた音をたてる。
動く。ぱらぱら音がする。動く、ぱらぱら音がする、を繰り返す。
冬悟が慌てれば慌てるほど、どこからか豆がこぼれてくる。
『面白えお人だなぁ……』
陽平がしみじみと言った。
『俺は!面白くも!何ともない!』
そう言う冬悟の表情は結構必死だ。
『帯に堰き止められた背中の豆が一向に取れん!』
冬悟が癇癪を起こす。
『だったら脱いじまえばいいじゃねえか。男同士、気にする事もねえだろ』
『高村が居てはそういうわけにもいかん』
冬悟自身は何気なく言ったが、その一言で冬悟は意外と気を遣う奴だ、ということがわかって正直驚いた。
ところが、私よりも冬悟の言葉に驚いたのは、陽平の方だった。
『どうして秋ちゃんが?………って、え……?』
陽平は首が取れるんじゃないかと思う勢いで振り向いた。
『………………………。』
そして私の顔を凝視する。
「……何だよ」
『本当に!?本当の本当に本当なのか!?』
「わかった。お前の言いたい事はよくわかった。言わなくてもわかる。黙ってろ」
しかし、一人の世界に突入しつつあった陽平には聞こえていなかった。
『結婚詐欺までやってた俺が…、この俺が……、ころっと性別騙されるなんざ……』
別に騙そうとしていたわけではない。
お前が勝手に勘違いしたんだ。
『…………死んでから、いや、生まれてこの方、一番の衝撃だ』
『『そんなにか!?』』
冬悟と教方が異口同音に言った。私も二人に同感だ。
それ以降、節分の夜は盛り上がったが、大いに荒れた。
危険を察して姿を消そうとする教方を冬悟と陽平とで羽交い締めにし、「お前も豆くらえ!」等と言って福豆をぶちまけた。
食事もそこそこに酒の勢いに呑まれて、夜遅くまで豆をぶつけ合った。
小学生と大して変わらない行動であるが、退屈に首まで浸かって過ごしてきた幽霊達にとっては、ひどく楽しかったようだ。
そして私もそのテンションに引きずられ大騒ぎしている内に、いつの間にか、幽霊連中と豆だらけの床にひっくり返って眠っていた。世に言う、雑魚寝だ。
暖房がフル稼働していて寒くはなかったが、今月の電気代で、私の財布が寒くなるだろう事は間違いなかった。
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