第2話 詩策記②
「詩策記②」
4月になりました。
僕は、何とか仕事を始めていました。1年契約の臨時職員としての仕事をみつけました。毎朝決まった時間に起きて出勤できるという久しぶりの人並みの生活を嬉しく思っていました。本当にありがたいことでした。
以前は職場に対して色々な不満や憤りを感じることもありました。また平凡に生きることをバカにしてしまう思考もありました。でも今は、そんなものはすっかり消え去り、唯々嬉しくて黙々と働き続けました。病み上がりの体にとって楽な仕事とは言い難かったのですが、不思議と体調はグングン良くなっていきました。何の不満もなく、率先して、寡黙になって、生き生きと、毎日楽しく、元気に、朗らかに、そんな生まれ変わったような毎日が楽しくてしょうがなかったのです。
駄文を書くことはあいかわらず続けていました。というか習慣になっていました。昼は仕事、夜は文章書き、そんな毎日を続けていました。何の楽しみもなかったけれど、いろいろなことが心の中から湧き出してきて、それを思うがままに文章にしていくことは、それなりに楽しく充実した日々でした。
そんな時、僕は自分の立場も状況も忘れて、ある女性を意識するようになってしまったのです。同僚で事務をしている方でした。右も左もわからない僕にとても親切でした。よく話をするようになりました。それでも僕は自分の心にブレーキをかけること忘れていませんでした。一回りも歳の違う方です。きれいでかわいい方です。バツイチの中年男で正規の職員でさえない自分とは別世界の人でした。そう言い聞かせてブレーキを全力で踏んでいました。それでも少しずつ彼女を好きになっていく自分がいました。1年後、僕は自分の気持ちを隠し通したまま任用の期限が切れてしまい。もちろん何も起こらないまま職場を変わりました。著した
そのときの自分の気持ちをありのままに書き著したのが「初恋」です。
僕は「初恋」をたまたま見つけた雑誌に投稿しました。深い意味はありませんでした。ただ「応募者の作品は全員掲載」という文字に惹かれ、為替で千円同封して送りました。職場近くの郵便局から送りました。
もし掲載された「初恋」を、それを彼女が見る機会があったとしたらもしかしたら気づいてくれるかもしれない、そんな淡い期待がありました。しかし彼女と離れ、しばらくするとそんなことはすっかり忘れてしまいました。ちなみに臨時職員から正規職員になるための採用試験が年に一度開催されていました。両親を安心させたい、両親が生きているうちに正規職員に戻って喜ばせたいという思いもあり必死に勉強して受験しました。しかし予想以上に狭き門で、一次試験の突破さえままならぬまま半年が過ぎようとしていました。
そんなある日のことでした。見知らぬ人から一本の電話がかかってきました。年配の上品な女性の声でした。
「東京に来ることができますか。」
「は?」
「旅費は大丈夫ですか。相談に乗りますからご遠慮無く言ってくださいね。」
「はあ。」
「3月30日ですが大丈夫ですか。」
「・・・・・・・・・。あの、何のために僕は東京にいくのですか。」
「詩の表彰式です。あなたが応募された「初恋」が選ばれたのですよ。優秀賞で
す。」
「本当ですか。なしてですか。」
「詳しいことは文書を送りますので見て下さい。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
僕はそう答えるのがやっとで、狐につつまれたような気持で受話器を置きました。
こうして僕は3月30日に、お金もないのに、東京なんかほとんど行ったこともないのに、また飛行機なんか乗ったこともないし大嫌いなのに、東京の有楽町の帝国ホテルというところに行くことになりました。
飛行機の往復のチケットはカードのリボ払いで何とか入手できました。それから上野の一番安かったビジネスホテルを一泊予約しました。日頃職場で着ていたスーツに靴。余分なお金はなかったのですが、何があるかわからないので、何とか3万円をかき集めて、そうやって何とか体裁を整えました。
世の中とは不思議なものです。もし因果律というものが人間の運命を左右するのなら、ここ数年の間に僕を襲って陥落させて絶望と悲劇をもたらした一連の出来事は、この結果を導き出すための必然性だったのでしょうか。もしそうだったとしてもあまりにも多くの犠牲を払ってしまったような気がしました。
そんなことを考えながらその日を迎えることになりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます