詩策記(谷川俊太郎さんとのこと)

詩川貴彦

第1話 詩策記①

詩策記①


 どうしようもない自分でした。

 それは今から30年も前のことでした。

 僕は、困窮して生きるものイヤになっていました。無職で収入が0だったこと。妻子と別れ、実家に戻って両親の家に居候状態だったこと。これまでの無理が重なって体を壊してしまい心身ともに憔悴していたこと。そんな状態でしたから友達も知り合いもすべて疎遠になり、一人ぼっちだったことなどこれでもかというくらいに絶望的な状況でした。そして不治の病を患っていた母と高齢の父と三人で細々と暮らさざるを得ない状態になっていたのでした。

 ほんの数年前までは、隣の県で公務員として働いていたはずでした。妻と子ども二人とそれなりに幸せに暮らしていたはずでした。両親もそれなりに元気で、盆正月に帰省して孫の顔を見せたりお土産を渡したりで、それなりに親孝行などしておりました。それが、どこでどう間違ったのか未だに不明なのですが、たった数年で何もかも失って故郷に逃げ帰ってきたのでした。他に行く場所もなかったというだけのことでした。


 しばらくは毎日寝てばかりの生活でした。本当にすることがなかった。何もできなかった。親に会わす顔が無かった。何もしたくなかった。気力も体力もお金も人脈も何にもなかった。ただ、時間だけは腐るほどありましたから、毎日毎日布団の中で本を読みました。朝から晩まで家にあった本を読み返していました。ひと月もすると読む本がなくなりました。

 仕方がないので図書館にいきました。ただでたくさん本が読める。しかも暖かい快適空間でした。山陰の厳しい寒さをしのげる家以外の唯一の場所でした。それからしばらく図書館通いの毎日が続きました。たぶんこれだけたくさんの本を読んだのは一生のうちでもこの時期だけだと思います。真っ昼間にいい大人がぶらぶらしていてももあまり目立たないということも気に入っていました。

 小説、エッセイ、文学、詩歌、解説本から哲学、科学、応用工学など手当たり次第に読みました。最低でも1日1冊はいけますから、それが2ヶ月以上続いたわけですから本当にすごい量だったと思います。人間、これだけの本を毎日毎日読み続けるとどうなるのでしょう。僕の場合は、自分でも何かを書いてみたくなったのでした。

払えるあてもないのに、まだ生きていたJCBカードのリボ払いでワープロを買ってきました。それから毎日毎夜、文章を書きました。

 自由な時間だけはたっぷりありました。毎日徹夜で朝まで書いて、それから布団に潜り込んで昼過ぎまで寝て、ぶらっと起きて散歩をして、夕食を食べたら部屋にこもって朝まで作文という毎日でした。本当に暇つぶしにはもってこいの思いつきでした。また作文をしている間は自分の深刻な状況をすっかり忘れられるというのも大きなメリットでした。

 反面「ついに物書きをするようになったのか。」という不安もありました。

 図書館で本を読みながら、文学にのめりこんだために一生を棒に振った人間は数知れないということを知りました。中原中也しかり、種田山頭火しかり、東大卒の尾崎放哉しかりです。しかし自分にはこれ以上失うものがないのが強みですから、気にせず、就職活動もせず、僅かな貯金を崩し崩しといえば格好もつくのですが、そんなものはあるはずもなく、仕方がないので大事にしていた方の車を売却し何とかしのぎました。そうして得たお金は、半分を妻子に送り、そのまた半分を親に渡したのでそんなに余裕はなくて、とにかくできるところまでやってみようと居直り、それから半ばやけくそと意地になって文章を書き続けました。それから職安に通って仕事を探しました。

 自分だけが社会から落ちこぼれているような気がして、もう立ち上がれないような気がして不安ばかりの毎日でした。

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